第十節 識の光芒 ⑥
「彼女を『普通の人間』として接することは、罪人となる時代だったからな……。誰かを信じることで魔力に想いが宿り、それはその誰かの力になる──魔力にこのような特性があったからこそ、信仰されていた彼女はさらに力を得て強くなれていたはずだ」
「ああ……。信じる心は、願いを持つなら誰でもできる強化魔術の一種だからな──」
と、アイオーンが補足する。
「ゆえに、信仰しない者は、共存派の勝利を願わないものと同等の意味。そういった観点からも『信じぬ者』は罪人と断じられていたのだったな。──それでも、罪人となることを厭わず、本当の彼女を見続けた男がひとりいたな」
「その男はテオドルスという。あいつは、かなりの変わり者で切れ者なんだ。唯一、あいつがユリアの本心を見抜いて支えていた──聞けば、十歳のころに一目見ただけでユリアの本心が判ったらしい」
「見ただけで本心が判った……? にわかに信じがたい話だが……しかし、それは真実だった。そして、彼は『罪人』となったのか──。それでも、彼女にとっては間違いなく太陽のような男だろうな」
その言葉に、アイオーンは「ああ……間違いなく太陽のような男だろうな」と、呆れた笑みを浮かべた。その明るさは、アイオーンの心も照らしていた。
「そして、あいつは側近の立場から国王代理へ。さらにはユリアとの婚約までいってしまった──。国王代理になったのも、国王と王妃の頼みだったようだからな……。このように、テオドルスはやることなすことがすべて斜め上な男なんだ。そして、本当にやり遂げてしまう」
「〈預言の子〉が婚約したとの知らせを聞いたときは、余も驚いたものだ。功績をあげ、さらに信仰されていた彼女を『普通の女性』のように扱い、婚約者にするなど……いったいどのような男だと思ったが──。まさか、側近が代理のヴァルブルク王となり、その彼が取り決めたことだとは。それでも、実に面白い人間だと思った。よければ、いつか紹介してほしい」
「〈黒きもの〉の件が落ち着けば、紹介できなくはないが──功績だけ聞けば有能な人間だと思えるが、実際にはとんでもなく好奇心旺盛で落ち着きがない五歳児かつ風のような男だ。相手が誰だろうと斜め上の思考回路を見せる。……やめるなら今のうちだぞ」
アイオーンの容赦ない人物評価にフドウは面白そうに笑った。
「ははっ、それは楽しみだ。仕事をしていると、どうしてもうわべだけの付き合いが多くてな。たまには、いい意味で斜め上の性格を持った者と関わったみたい」
「このうえなく疲れるだけだぞ……」
すると、アイオーンは魂が抜けたような真顔で答えた。
「そのときは、そなたに頼むとしよう」
「イヤだ」
と、アイオーンは真顔で拒否する。が、その反応を見たフドウは、満面の笑みを浮かべて無視して話を進める。
「──ところで、これは個人的な提案なのだが、意外と彼に大役を与えてみるのもいいかもしれんぞ? 極秘部隊として、各国で生き残っている星霊と関わる外交官のような仕事とかはどうだ? 各国の星霊と協力を取り付けられればいろいろと便利だ。代理の王ができるほどの人材なのだから、できなくはないだろう? それに好奇心旺盛らしいからな。社交的なのは良いことだ」
「勘弁してくれ……本来なら、あいつは綱に繋いでおくべき人間なんだ。あいつのやることなすこと、すべてを許していたら、どれほどの人間があいつの自由さに振り回されることになるか──絶対に俺が尻拭いのために走ることになる……! あと、絶対に面倒事を同時にいくつも持ってくる……!」
アイオーンが鬼気迫る顔で言うと、フドウはとうとう「ぶほっ」と噴き出した。そして口角を大きく上げ、腹を抱えて震えながら感想を連ねる。
「そ、そんな顔とセリフが出てしまうほど被害に遭いまくったのか……!? 孤独で孤高だったそなたが……!? それでも縁を切らずに!? 兄か父のような言葉を吐くほどに……!? 実に魅力ある面白い人間と知り合ったものだな……! これは間違いなくそなたにとっての運命だぞ──!!」
「お前もその『運命』にしてやろうか……?」
アイオーンが凄みのある目を向けても、フドウは笑い続けている。当時のアイオーンを知っているからこそ、そのギャップにハマって抜けられなくなっているようだ。
テオドルスとフドウが関わると最悪の化学反応が起きてしまわないか。なんとかこの話から脱出したい──そう考えたアイオーンは、あることを口にする。
「……というか、クリカラにはあまり時間がないんだろう。話を元に戻すぞ。──あの時代の星霊として……ユリアをひとりの人間と認めたうえで、謝意の言葉を言ってくれて感謝する」
と、アイオーンは静かな口調でフドウに伝えた。その瞬間、フドウの笑い声はピタリと止まり、姿勢を正して咳払いをした。さすがにはしゃぎすぎたと思ったのだろう。
「……いや。余は、思っていたことを口にしていただけだ。──その様子だと、アイオーン殿も彼女の『呪い』をどうするべきか悩んでいたようだな」
「『どうすることもできなかった』というのが正しい……。同情や共感はできても、その指摘をするのは……──良くないことだと勘づいていても、俺にはできなかった……」
「大切な存在になったからこそ、逆に言いづらくなる言葉もあるものだ。そのうえ、そなたは彼女にある心の闇を理解していた。知っているからこそ言えないこともある。……これは余の憶測なのだが──ある意味、今まで誰も彼女に指摘しなくてよかったのかもしれないな」
フドウは息をつき、続ける。
「『闇を抱える彼女』への同情や共感は、彼女には絶対的に必要なものだったと余は思う。そしてそれは、アイオーン殿や彼女が認めた仲間たちにしか示すことができないものだ。その愛をたくさん受け取り、心のエネルギーが満たされていたからこそ、余の言葉は彼女に届いたのだと思っている。──もしも、心のエネルギーが不足していた状態だったならば……ただ、余が嫌な奴だという印象を与えるだけで、届けたい想いは何も届かなかっただろう」
「……そうだな。真実であっても『重い言葉』を受け止めるには、心に余裕がなければできない」
「ああ。内容がどれほど正論であっても、指摘というものは素直に受け入れることは難しく、人によっては心に傷を負ってしまう──。そして時に、今までの己を否定されたという意味合いに捉えられてしまう。……彼女に届いてよかった……」
そして、フドウはアイオーンを見つめる。
「アイオーン殿も、己を責めるでないぞ。存外、ひとりではできないことは多い。だからこそ余たちがいる。それを忘れないでくれ」
「ああ。──だからこそクリカラは、かつての俺を気にかけてくれたのだとわかった」
「昔のそなたは、ひとりでいることしか知らぬ『困った旅人』だった。だが、その『旅人』は、もういないようだな」
フドウは満足げに微笑んだ。
◇◇◇
その後、アイオーンはフドウとともに部屋を出た。廊下のガラス窓の向こう側に、庭のなかに佇むユリアの姿が見える。すると、クリカラはアイオーンに目配せし、肩にポンと手を置いた。
「常世山への入山についての手続きは、こちらに任せておけ。現在の管理者は、この国の象徴でもあるもっとも高貴な人間の一族なのだが──政府や警察署には内密に伝え、なんとか許可をもらうつもりだ。そして後日、使いの者を出して入山口へと案内させよう」
「ああ、頼む。あと、ほかの仲間も一緒に行きたがるだろうから、大人七人が乗れる車を用意してほしい」
「ほう? 仲間たちも行く可能性があるのか。あんな危険なところに行きたがるなど、よほどの物好きか、あるいは愛されているかだな」
「両方だろうな」
アイオーンがはっきりと言い放つと、フドウは大きく笑った。
「はっはっはっ! 本当に言うようになったな」
そうして、フドウはアイオーンの肩に置いていた手を降ろし、背中を叩いた。
「──では、頼んだぞ」
フドウが去っていくと、アイオーンは庭に出た。ユリアは背を向けている。喧嘩をしたわけではないが、どのような言葉をかけるべきか──。アイオーンは少しだけ立ち止まり、ユリアに近づいた。
「……ユリア。いけるか」
彼女なら大丈夫だと信じる言葉。しかし、声は彼女を案じる感情だった。
「……ええ──」
彼女は凛とした声を発しながら振り向いた。目が赤い。涙は止まっているようだが、つい先ほどまで涙を流していたようだ。
「……クリカラの言葉を受けて……なにかを得られたような雰囲気だな」
アイオーンがそう問いかけると、ユリアは静かに頷いた。
「……私がすべきことは……自分を責め続けることではない……。──ならば、私は……この心にある『すべての己』を肯定する。──私は、本当の『私』を殺さない」
赦されたからだろう。だから、いつでも本当の『私』であろうと思えた。〈預言の子〉や神の化身という肩書きや歴史に怯えることはもうしない。
たとえ、それが矛盾していたとも。間違っていたとしても。それが『私』。かつては、愚かな私を受け入れてほしかった──ならば、まずは自分自身が受け入れて、生きていきたい。己を責め続けるのは、辛い。
これからどうするべきかと思ったとき、ユリアの心のなかに、ふと、テオドルスの姿が思い浮かんだ。
あそこまで『自由』かつ『輝ける』人になれるかはわからない。
けれど、今の自分を打破するには──ああいう人を、目指してみるのもいいかもしれない。
さすがに、あそこまでの『過激さ』は持てないが。
「──だから、これからの私を見ていて。アイオーン」
「その言葉……ヒノワ国に来る前の──ヴァルブルクの玉座でも言っていたな」
「あのときの言葉は……『見えないトンネル』から出るところを見ていてって意味で言ったの。けれど……自分が思っていた以上に、私は『前に進めていなかった』んだわ……。フドウさんが、それを気づかせてくれた──」
ユリアはやや俯き、落ち込んだように言う。しかし、やがて顔を上げてまっすぐアイオーンを見た。
「これからは、自分の足で歩いていくわ。誰かの言葉で道を決めて、歩むのではなく──私が決める。すぐには難しいかもしれないけれど……『私らしく』生きていく」
「そうか……」
アイオーンは安堵した顔をした。
「それを言える今のユリアなら、もう大丈夫だ。だが、どれほどの力があっても、ひとりではどうにもできないことがある。お前には、俺やあいつらもそばにいる。それを忘れるなよ」
と、アイオーンはクリカラの受け売りを言う。それでも少しだけ格好をつけたかったのか、受け売りだとは素直に言わなかった。
「ええ、ありがとう。そのときは、あなたやみんなを頼らせてもらうわね──。……あ」
「どうした?」
「……お祭りのときに見た、あの黒い人影のこと──フドウさんに話していなかったような……」
それは、社の境内で催されていた祭りの最中に、突如として現れた不審な存在。ユリアたちを見つめるように佇んでいたが、ユリアたち以外の人間には存在を認識されなかった。
「ああ……そういえばそうだな──。だが……あれには、俺達への敵意はなかった。だからか、不思議と嫌な感じはしなかった。……なんとなく〈黒きもの〉ではない気がする」
あのとき、アイオーンは黒い人影の姿を最後まで目に映すことはできなかったが、それが放った魔力を介して飛んできた意思の一部は受け取ることができた。その意思から、黒い人影には敵意がなく、むしろ親しげな雰囲気をまとっていた。また、その時にもアイオーンに頭痛が起きるが、黒い人影が消えたと同時に痛みも引いた。このことから、あれは〈黒きもの〉というよりは、アイオーンの記憶に関係しているのかもしれない。
「そうね……。──それも、なんというか……ヒノワでは、アイオーンにとってよくわからない現象が多く起こるわね。ヒルデブラントでは、ここまで頻繁に頭痛なんて起きなかったはずよ。それに、頭痛が起きるタイミングだって、子どもと関わっているときだけだったもの」
「ああ……。だから俺は、この国のどこかに、俺にとって大事な何かが眠っているような気がする──。ひとりで旅をしているときは、ヒノワにいてもそんなことは少しも感じなかったんだが……」
「今は、いろいろと状況が違うもの。今のあなたには、私やみんながいるわ。──その感覚が何なのかを確かめるためにも、常世山を登ってみましょう」
〈黒きもの〉を倒すために。そして、アイオーンの不老不死についても、何かわかることがあるかもしれない。アイオーンにそれを伝えれば、『〈黒きもの〉のことと、お前の不老不死を解くのが先だぞ』と言ってくるに違いない。
光陰と〈黒きもの〉だけでなく、そのふたつはアイオーンとも関係している。ならば、アイオーンの不老不死も、それらに関連していることの可能性だってありえる。
──私は、もう諦めたくない。使命だとか役目だとか、そういうことではない。私がやりたいと思ったことを貫く。たとえその姿が惨めだと嗤われても、それでいい。嗤いたければ嗤えばいい。私は、最期まで足掻いて、望むものを手に入れてみせる。
己を赦すことができたユリアの心には、炎が灯っていた。