第十節 識の光芒 ②
アイオーンが知己に言うように問うた瞬間、フドウ・トシヒロは──クリカラは目を見開き、そして豪快に笑った。
「……ははははっ! アイオーンという神話の登場人物の名など、いったいどのような星霊が名乗っているのかと思ったが──やはり、そなただったのか!」
「俺の外見を覚えていたのか。あれから千年は経っているというのに」
「そういうアイオーン殿こそ。余の名を覚えておったとは思わなかったぞ。……しかし、かつてのそなたは悲愴な顔ばかりしていたと記憶しておったが──変わったものだな」
フドウがしみじみと言うと、アイオーンは恥ずかしそうに目をそらした。
「……お知り合いの方だったの?」
ユリアが目を丸くしながら問う。
「ああ──。記憶を探す旅の中で出逢った、『奇妙で恐ろしい星霊』である俺を気にかけた物好きな星霊だ。……星霊のなかではこの者が唯一、俺に対して普通に話しかけてきた」
人間とまったく同じカタチをした星霊はアイオーンしかいなかった。それゆえ差別する者がいた。それだけでなく、アイオーンには神のような星霊離れした力を持っていたこともあり、アイオーンに近寄ろうとする者はかぎりなく少数で、いたとしてもその力を狙う輩くらいだったと聞いたことがある。
それにくわえて、アイオーンには昔の記憶が一切なかった。世界中を巡って自身の記憶を知る者を探したようだが、どこにもいなかったという。そのことで当時のアイオーンの精神は荒み、普通の者が近づくことはなかったことは、当時のユリアも噂には聞いていた。
「物好きとは失敬な……。──いや、軽口を叩けるようになったと前向きに思っておこう。驚くほど昔と顔つきが違うからな。それに、人間のお嬢さんと普通に会話をしている──感慨深いものだ」
「まるで俺の親のようにしみじみと言わないでくれ」
と、アイオーンは眉を顰めて見るからに嫌そうな顔をした。
「ははっ。そんな顔までするようになったか。友を得られたからこそ、変われたのか?」
「まあ、そうだな……。いろいろあった」
「うむ。いろいろあったことだろうな……。しかし、同じ極秘部隊とはいえ、同僚に個人情報を漏らしてもよかったのか? 違反行為だった気がするが──」
「たしかに違反行為だが、別に問題はない」
「ほう……そうか……。それを許せるほどに深い仲だったか」
すると、フドウは少し意外そうにユリアを見る。
「フドウさん──私は、アイオーンとは長年の友なのです。アイオーンのことは、すべて知っております。……もちろん、遠い過去のことも」
あの頃のアイオーンを差別せずに気遣うような方ならば、隠し通す必要はないかもしれない──そう思ったユリアは、素直に自身の正体の露見に繋がりかねない言葉を口にした。そのことに、アイオーンは驚いた顔でユリアを見る。
「過去のことまで、すべてを……? 長年の友ということは……お嬢さんは、幼い頃から極秘部隊にいたということか……?」
ユリアが現代人だと思っているのであれば、その発想となるだろう。だが、違う。ユリアは首を振って否定した。
「いいえ……。この身は、アイオーンの星霊の核によって変質しており──このヒトとほぼ同質の魔力と不老不死の能力を得ているからです」
このタイミングで、ユリアは魔力の気配遮断を解いた。アイオーンとほとんど同じ気配がする魔力に、フドウは目を見張り、アイオーンは黙り込む。フドウも沈黙を続け、やがて訝しそうに問いかける。
「……そなたが持っている刀は、光陰だと聞いているが──そなたは、それの管理者なのか? それとも、巡り巡って所有者となったのか?」
「……私が持つべきものだとして、ヒノワ国から贈られました。そのような伝説が、ヒノワにあったのだと──」
彼女の返答を聞いた瞬間、フドウは察した。目を伏せて、静かに言葉を紡ぐ。
「……ユリア・ジークリンデ──〈預言の子〉……生きておったのか……」
ユリアは「はい」と静かに答え、フドウを見据えた。
「あらためまして──我が真の名は、ユリア・ジークリンデ・フォン・ヒルデブラント・ヴァルブルクと申します」
「戦いが激化したことにより、必要に駆られて『人間』であることを捨てたのか……?」
「……自らの死を……選ばねばならない時が、来てしまったからです──」
その言葉から想像以上の惨劇があったことを直感したフドウは、即座に謝罪した。
「すまぬ、忘れてくれ。すべてを言わずともよい。この世に伝わっているそなたの歴史が違うことについても、理由は──」
すると、フドウの言葉が止まる。そして目線を下に向け、何かを決意したような目をユリアに向けた。
「……いや……歴史が違った理由が、長き時の流れゆえにといった『自然なもの』でないのなら……問う必要があるかもしれない──」
「──!」
ユリアは心臓の鼓動を早め、固まった。アイオーンは目をわずかに細め、フドウがそう言った真意を探ろうとしている。フドウは言葉を続けた。
「……当時のヒノワ国では、少し奇妙なことが起きた。ユリア・ジークリンデの葬儀に出席した国の重鎮たちは、帰ってくると〈預言の子〉という呼び方をしなくなったのだ。ユリア・ジークリンデは神聖なる存在ゆえ、ヒノワ国でも〈預言の子〉と呼ぶのが一般的だったというのに──その言葉を忘れていたのだ」
「……それは──」
ユリアは口元を震わせる。葬儀に出席した国の重鎮たちがそうなったのは──歴史が違っているのは、両親とテオドルスを殺さなければならなくなって、心を病ませたことに起因する。その時のユリアは、アイオーンの願いもあって『未来に行かせてほしい』と、当時のヒルデブラント国王だった伯父・ハインリヒ七世にそう願ったのだ。自分が生きた証はすべて抹消してほしい。名誉も称賛も要らないから、遠くに行きたいと──。
しかし、伯父は、姪の功績は少しでも残されるべきだと判断した。ユリアは、当時の人間や星霊の信仰心のために生きていた。個としての自由はなく、選択肢すら取り上げられ続け、挙句、ささやかな望みすら何も叶うことなく死を選ばざるをえない人生となった姪への罪滅ぼしという気持ちも含まれていただろう。結果、彼女の葬式を執り行った際に、ハインリヒ七世は、彼女が重荷を感じていた〈預言の子〉という肩書きを、魔術によって各国の重鎮たちの記憶から消した。そして、『ユリア・ジークリンデの誤った歴史』を後世の歴史に浸透させるために、彼女の伯父にあたるヒルデブラント国王は、自らが執筆した手記を世に流した。
この真実を仲間に話すのに、十年かかった。
しかし、ユリアはその恐怖に立ち向かった。だって、そんな自分から変わると決めたのだから。
「……私が……みんなが望む英雄に、なれなかったからです──。私のせいなのです……。背負うべきものならば、私がすべて背負います──アイオーンはなにも悪くありません」
恐れを抱いたような声だったが、ユリアははっきりと伝えた。そんな彼女の様子に、フドウは何かを疑問に思うかのように眉を顰める。
「……しかし、そなたの功績に嘘はないのだろう。アイオーン殿が変わり、そして力を与えたことがそれを証明しているように思う」
歴史が間違っている理由には、さほど興味がないかのような口ぶりだ。ユリアを責める口調でもなかったが、ユリアは自罰するかのような顔をして深く俯く。それを感じ取ったフドウは、一瞬だけ痛々しいものを見るかのような目をし、すぐにそれを消した。
「……今の余は、怪異対策局の名誉顧問という立場だ。ゆえに、あまり時間はない。今この時間は、そなたたちが知りたいということについて話し合うためのものだ」
「……はい」
「──席があるというのに、客人を立ち話させているのは失礼だった。用意してもらった茶も冷めてしまう。遅くなったが、座ってくれ」
フドウに促され、ふたりは席に座る。
「……さて──話したいこととはなんだ?」
「ユリア……話せるか?」
それまでの光景を目にしていたアイオーンが心配そうに問う。
「大丈夫よ……。すべきことをするために、私はここにいるのだから──」
その言葉を聞いたフドウは、またかすかに眉を顰めた。
「……では、フドウさん。本題に移らせていただきます──まずお聞きしたいことは、少し前に私が舞った『花纏いの舞』での件です。舞の終盤で、奉納用の刀を舞台の中心に刺すときに、私は今までに感じたことのない異質な気配を感じました。もしかして……あの社で行われている舞は、なにかを封印するための儀式だったのではありませんか? たとえば〈黒きもの〉とか──」
すると、フドウはまっすぐユリアの目を見据えて首を振った。
「──余は『違う』と思っている。〈黒きもの〉でも、その他の悪しきものを封印するための儀式ではないと思うのだ。一説では、かつて社の巫女が、戦で死んだ人間や星霊を弔うために踊ったことが起源ではないかと言われているが……余の見立てでは、古くから存在し続ける『何か』を残すために始まったのではないかと思っている」
「何かを『維持し続ける』ため……?」
「人型の器に入ってから、実は余もあの舞台で『花纏いの舞』を舞ったことがある。はじめのうちは、余も奇妙なものを封じているのではないかと感じた。しかし、思い返してみると、気配こそ異質だったが『悪いもの』ではなかった気がするのだ──。……そなたは、あれを『悪い気配』だと感じたか?」
良いものだったか、悪いものだったか──どうだっただろうか。ユリアは口を閉ざして悩みはじめる。
(……〈黒きもの〉と再び戦うことになったことからか──やはり私は、異質なものを感じると、すべて〈黒きもの〉ではないかと疑念を抱いてしまうようになっているのかもしれない……)
ユリアは答えられず、申し訳なさそうに目線を下げて俯いた。すると、彼女の代わりにアイオーンが口を開く。
「……そうだな──。ほんの一部だけだが、あの地では俺の記憶を思い出すことができた。俺としては、それが悪いものだとはあまり思いたくない」