第九節 アイネ・クライネ・ナハト・セレナーデ ④
彼女に用意されていたドレスの意匠は、青系統の色がグラデーションしているマキシ丈のドレスであり、ラメが少しだけ入っているものだ。胸部は紺藍色、腹部あたりから藍色となり、さらに鼠径部あたりから露草色へ、大腿部からは水色、そして白色へと色がじょじょに変化していく。
上半身のドレスの生地は鎖骨あたりまでしかないが、白色のレース生地が肩や首回りを覆ってくれている。その袖は、軽くプリーツが施された薄い布地だ。一部分が長い意匠であり、動くたびにひらひらと優雅に舞う。
そして両腕の前腕部には、レース生地の白色のアームカバーだ。身体のあちこちに戦いの傷跡があるユリアでも、この意匠のドレスならばそれを目立たせることなく着ることができる。
そして髪は、後ろ側で軽めのシニヨンにしており、左右の髪を少量だけ垂らし、アイロンで巻き毛を作っている。
スタッフ曰く、ドレスを選んだのはテオドルスとのことだ。ユリアが身体にある傷跡のことを気にするだろうと察して選んでくれたのだろう。
「──奥様」
化粧を施しおえた女性スタッフが声をかける。
(すみません、奥様ではありません……。あの人が勝手に言っているだけで……)
しかし、訂正するのも面倒であるため、ユリアは訂正することなく女性スタッフのほうへと顔を向ける。
「はい?」
「最後に、胸もとにこの白い花のバッジをつけさせていただきます。こちらのバッジは、訳あって身分を開示できないことを示すものとなります。このフロアには、ほかのお客様もいらっしゃいますため、お話されることがあるかもしれません。なので、その方々にこちらをお見せすれば、奥様のご事情がすぐに判断できるようになっております」
訳あって身分を開示できないのは、ユリアがヒルデブラント王国の極秘部隊だからだ。極秘部隊は世間から個人情報を秘匿され、そこに属する人間も簡単に己の情報を開示することは禁じられている。それを示すバッジということだ。
女性スタッフが白い花のバッジをユリアの胸もとにつけ終えると、微笑みを見せる。
「──これにて支度は終了でございます。お疲れさまでした。旦那様のほうも支度が整っているとのことで、すでにフロアでお待ちのようです」
もう準備が終わっていたのか。男性は早い。
(なんだか……今は、テオに会いたくない気がする……)
変に照れてしまいそうだからか、今の姿に自信がないからか、ユリアは微妙にそんな気持ちになってしまった。スタッフの人たちは『似合っておりますよ』と褒めてくれたが、やはり自信が出てこない。なにせ、ドレスというものを生まれて初めて着たのだから。こんなドレスを着る機会がやってくるだなんて思ってもみなかった。
しかし、ここでまごついているわけにはいかない。ユリアは、心の中でやけくそになりながらドレッシングルームを出た。
(──っ!!?)
出た瞬間、テオドルスの姿が目に入った。待ち構えられていたことに、ユリアは思わず顔を硬直させる。
その時、ユリアは思う。なんて情けない女なの、私。ドレスごときに怯えるなんて。この姿で戦うことになれば、一気にスカート部分を破り捨てて動きやすい服に変えてみせてやるのに。
「──ユリア……」
テオドルスは、燕尾服を着ていた。彼も極秘部隊のため、胸もとには白い花のバッジがある。
「……」
いつものテオドルスならば、すぐに誉め言葉を飛ばしてくるはずなのだが、今はいつもと様子が違う。見惚れているかのように、ぼやーっとしている。しかし、この沈黙はユリアには耐えがたいものだった。
「……に……似合わないと思っているなら……思いきって笑ってほしい。貶しても文句は言わないから……」
ユリアがその言葉をこぼした瞬間、テオドルスは我に返った。
「──に、似合ってないわけがないだろう!? 想像通りに似合っている! 宝石や星とか、なんか世の中にあるすべての輝くものよりも世界一輝いている!! ……いや、なんか違うな……世界一輝いているのは確かなんだが、それは後光のような輝きであって、汚してはいけない聖女のように見えるというか……!」
「……」
前半は誉め言葉だとわかったが、後半はどんな反応をすればいいのやら。ユリアは自信のなさのあまり、途方に暮れたような目を虚空に向ける。
「いや、なんというか……言葉がうまく出てこないんだ……。君のドレス姿の君を見ていると、変な気持ちにかられて、それを制御するのに手一杯で──はは……」
「……は……?」
自分は、この男のそばにいていいのだろうか。そう思いたくなる言葉だったため、ユリアは自分の身を守るために一歩引いて目線をそらし、警戒心ある声を出す。
「……いや。さっきの言葉は気にしないでくれ──」
と、テオドルスは咳払いし、緊張した面持ちで問う。
「……なあ。オレの燕尾服姿はどうだ? ユリアの感想を……聞かせてほしいんだが──」
そう聞かれたユリアは、あらためてテオドルスを見た。その後、ある感想が思い浮かぶ。
テオドルスは、意外と『かっこいい』部類の人なのだろう。昼頃に、買い物をするために入った店の女性店員からも『可愛らしさもあるかっこいい人』と褒められていた。
そういえば、アシュリーとイヴェットは、彼のような顔つきの人を『王子様フェイス』と呼んでいた気がする。『建国顔』と『救国顔』と『継承顔』の欲張りセットという表現がしっくりくるとも言っていた──その意味は、ユリアにはよくわからなかったが。そもそも本人の性質は、建国だの救国だの継承どころか、時と場合によっては世界を破壊すると言ってのける危険人物なのだが。
ちなみにその二人によると、ラウレンティウスは『護国顔』。アイオーンは『亡国顔』と『傾国顔』が半々の男顔の美形。クレイグは『建国顔』のようで『敵国顔』っぽいのだとか。
「……良いと思うわ。似合っているし、王子様みたいな雰囲気があると思うから大丈夫よ」
特に深く考えていなさそうな雰囲気で、ユリアはその感想を述べた。キラキラした雰囲気の男は王子様のようなもの、という単純な思考回路が彼女のなかにはあるようだ。
「え……? オレが、王子様みたいだって──? ユリアが、オレを見て『王子様』って言ったのか──?」
彼女の感想に、テオドルスは豆鉄砲を食らった鳩のように呆然としている。そう言ったユリアは、自分が言った言葉の衝撃に気づいていない。
「? 爽やかでキラキラしている外見だから、そう思っただけよ。たまにギラギラしていることは、今は置いておくとして──。王子様って、そういう雰囲気があるものだと思っていたけれど……もしかして、ズレた感想だった……?」
刹那、テオドルスはユリアに抱き着いた。
「きゃ──!?」
「ず、ずるいぞ! なんだよ、その『なにかを狙ったつもりはなくて普通に考えて言いました』という顔は──!? そんなにも『普通に』褒められたら……オレはこの衝動をどうすればいいんだ!?」
「衝動ってなに!? ちょ、ちょっと離れて……!」
ユリアは顔を真っ赤にしながら、意味不明な叫びを言い放つテオドルスを押しのけた。彼が離れると、珍しく余裕のない顔で頬を赤らめている。彼は、普通に褒められたことが相当嬉しかったのか──そのことをようやく理解できたユリアは、妙な恥ずかしさを覚えて目線を下げる。
「……わ、私だって困惑しているのよ──! そもそも、これはいったいなんなの!? まずは説明してちょうだい!」
しかし、こんなにもなにやら『甘い雰囲気』でこの時間を過ごすのは耐えられない。なので、ユリアは怒りを示した。すると、ようやく彼もいつもの調子を取り戻していく。
「あ、ああ……これは──特別な立場にある人間だけが予約できる、『コンセプトパーティー』というものなんだ。今日は、貴族制度がまだあった時代の夜会を再現した催しだ。ドレスの意匠も、当時にあったものが多かったんだが……今回の君のドレスは、現代のものを選んだ。君の肌にある傷を隠せそうな意匠のドレスは、現代のものしかなかったからな」
ユリアの身体には、戦いのなかで負った傷跡がいくつもある。それは鎖骨あたりにもあるため、貴族制度がまだあった時代のドレスではその部分が大きく開いている意匠が多い。やはり彼は、わざわざそのことまで考えて選んでくれたようだ。
「……そこまで考えて選んでくれて、ありがとう。……数は少ないけれど、ほかの人もいるのね」
別のフロアからは室内楽が聞こえてくる。軽快な曲だが、ダンスだろうか。また別のフロアからはおいしそうな香りが漂ってくる。料理だ。
「貸し切りとかじゃないからな。でも、これはかぎりなく少数のための『非日常』を提供してくれる場だ。ここでなら、オレたちのような個人情報が秘匿されている者であっても、『非日常的で優雅なシチュエーション』にゆっくりと浸れる──。デートになりそうなところを端末でいろいろと調べていたら、ここを見つけてな。内容を見てみると、美味しいものが食べられるし、ロケーションもいいと思った。だから申し込んだんだ」
「理由はわかったわ。──……けれど、テオ。実はこのドレスね……」
そしてユリアは、もうひとつ気になっていたことをジト目で聞く。
「スタッフの人が『旦那様がご指定されたものですよ』って言っていたのだけど……どこもかしこも不思議とちょうどいいサイズだったのよ。──どうして知っていたのかしら?」
彼女がそう言った瞬間、テオドルスの顔が強張った。
「あー……それはー……アシュリーが……君の服の寸法を知っていたからであって──」
「……まさか、その機会にスリーサイズを聞いた……とか、ないでしょうね──?」
スエガミ家が所有する無人島で特訓をしていたときに、アシュリーがユリアのスリーサイズを知っているとノリで言った瞬間、彼は「教えてくださいッ!!」と力強く言い放った。そのことを思い出したユリアが念のため聞いてみると──。
「……」
返事がない。無表情。ということは──。ユリアはだんだんと表情を無くしていき、真顔になった。




