第九節 アイネ・クライネ・ナハト・セレナーデ ①
「──どうしたんだ? ユリア。ぼんやりして」
みんなで行った祭りの日から二日が経った。
その日の午後。ユリアとテオドルスは、ふたりで街のバスに乗っている。今日は、約束していた彼とのデートの日だ。
「明日にフドウさんと面会することになったから、その時に質問することを改めて整理しているのよ。伝えることが多いし、聞きたいこともあるから──」
それでも、ユリアは心を浮つかせることなく『すべきこと』を考えていた。
フドウ・トシヒロ──人間にとっては心臓にあたる『星霊の核』を『人型の器』に入れ、今では人間と同じように暮らしているというクリカラという名を持つ星霊。
星霊は本来、無性別だ。しかし、人型の器に入ると性別を選ぶことになり、フドウは『男』を選んだ。『人型の器に入った星霊』という情報は、人間社会においてはなるべく露見しないようにすべきことである。それをカモフラージュするために性別を選ぶという。
(えっと……フドウさんに伝えることは──)
『彼』に伝えるべきことは、千年前に世界を襲った異形の厄災〈黒きもの〉が、この時代にも存在しているということ。
千年前に姿を消して以降、目撃情報が絶えていたことから完全に存在が消滅したと思われていたが、それがまた現れた。
くわえて、ユリアたちが対峙した〈黒きもの〉には明確な意志があり、それと対峙しているときに、ユリアが長年所有していた光陰も覚醒した。光陰も言葉を交わしての意思疎通ができるようになり、その際に、光陰と〈黒きもの〉には、なんらかの関わりがあることがわかった。すくなくとも、光陰は〈黒きもの〉を明確に敵と認識しており、〈黒きもの〉も光陰に対して『永久に交わらぬもの』と言っていた。
(あのヴァルブルクでの戦いで発覚したことは、どれも現実離れしているから──信じてくれるかしら……。といっても……およそ千年前の時代に生まれた私が現代に住んでいる時点で、何も知らなければ『どういうことなのか』と言われかねないわね……)
さらに、光陰はアイオーンを同胞と称した。
そして、ユリアとアイオーンが現代で世話になっている一族・ローヴァイン家とベイツ家の者たちが、〈黒きもの〉を倒すために光陰から力をもらった。光陰曰く、ラウレンティウス、アシュリー、クレイグ、イヴェットの四人は『遥かなる時を経た、縁ある者』だという。
そして、おとといの祭りに現れた『黒い人影』のことも伝えなければならない。その『黒い人影』は、アイオーンだけが目視できなかった。しかし、声なき意志は届いた。仲間たちは一様に『黒い人影』に害意は感じなかったといっており、テオドルスやユリア自身も敵だとは感じない存在だと思った。しかし、何のために現れたのかはわからない。何かを伝えようとしていたようだが、届いた意思は読み取りづらいものだったという。
(〈黒きもの〉との闘いは、まだ終わってはいなかった──それどころか、普通に考えれば『何の関係もないはずの現代人』が関わることになった。なんらかの血筋ゆえに……。光陰の力をもらうことができて、しかもその力は現代人にとって大きなもののはずなのに、すぐに四人に馴染んだのはその可能性が高い……。あの四人の血筋は、どこに繋がっているのかしら──?)
「……今日くらいは、オレのことを考えてほしいんだけどな。それでなくても、今は気晴らしの時間だぜ? 『すべきこと』から、いったん離れるための時間だ」
「気晴らしと思ってくれているのなら、街中で変なことはしないでちょうだいね。気晴らしどころではなくなってしまうわ」
「したらゴメンな?」
「『ゴメンな?』じゃないわよ。我慢しなさい」
デートだというのに、初っ端からこんなセリフを聞く羽目になるとは──いや、もうわかっていたことだ。『普通のデート』になるはずがない。
やがて、バスは科学館前の停留所に停まった。降車すると、ふたりは科学館の入館券売り場へと向かう。
「──すみません。入館券とプラネタリウムの鑑賞券をそれぞれ大人二枚ずつお願いします」
その入館券売り場の窓口にて、若い女性にユリアが伝える。
「プラネタリウムは、普通座席でよろしいですか? 寝転びながら鑑賞できるカップルシートがひとつだけ空いておりますが──」
「では、カップルシートのほうを頼もうかな」
間髪入れずにテオドルスが言うと、ユリアは思わず呆けた顔で「え」と小さな声をもらす。
「かしこまりました」
若い女性は、手早く入館券とプラネタリウムの鑑賞券を準備して合計金額を読み上げる。ふたりの後ろには、入館券の購入を待つ長い列。ユリアはキャンセルを申し入れようとしていたが、列の長さに気が付いたことで早く会計を終わらせようと思い、素直に金を払った。
始まって早々、こんなことになるとは──ユリアは心のなかで肩を落とす。
「……ありがとうございます──って……!?」
ユリアが計四枚の券を受け取ると、テオドルスは二人分の入館券とプラネタリウムの鑑賞券を抜き取り、そして流れるように彼女の手を繋いで窓口から離れていく。
ユリアはびっくりして、思わず手を引っ込めようとする。が、彼は離してくれない。
「ちょっと、あなた──手を繋ぐのは……」
戸惑いと困惑した顔でユリアは訴える。
「まあ、たまにはいいだろう? ──プラネタリウムの上映時間までまだあるから、科学館のなかを見て回ろう。サイエンスショーが面白そうだから、まずはそれを見に行こう」
「……恋人じゃないわよ、私たち」
「こうすれば、オレはどこにも行かないぞ?」
まるで『手を繋いでいてくれなければ、どこかへ行ってやるからな?』と、さり気なく脅しているような言葉だとユリアは感じた。彼の表情が、そんなことを企んでいるかのような微笑みである。
「……ならば、まずはハーネスを買いに行きましょうか」
と、ユリアは嫌味を言ったが、テオドルスはポカンとした。
「『はーねす』って、なんだ──?」
すると、彼は即座に携帯端末を取り出して単語の意味を調べはじめる。そして、意味を知って驚いた顔をユリアに向けた。
「……まさか、オレのことを犬のようだと思っているのか?」
「幼児につけるものもあるのよ。今のテオのように好奇心の赴くまま突発的に飛び出してしまって危ないから」
「なんだ、人間用のもあるか。なら別にいいぞ」
「ちょっと待ってどういう価値観!?」
デートとは、こんなにも肩を落とす気持ちになるものなのか──絶対に違う。これはデートではなく、科学館に好奇心を爆発させる子どものお守りだ。手を繋いでいるが、これはハーネス代わりというほうがしっくりくる。
(……手を繋ぐことがハーネスになるなら、もうそれでいいわよ……。私が折れたほうが早いわ……)
嫌味すら効かない──ユリアは諦めた。
◇◇◇
サイエンスショーを見ていると、テオドルスが幼い子どもたちと同じくらいのテンションで感激し、周囲にいた大人たちから微笑ましそうに笑われてしまった。その時に、ユリアは思わず「弟がはしゃぎすぎてごめんなさい」と苦し紛れの言い訳をして謝った。見た目はまったく似ていないが、それでもまだ納得がいく言い訳なはずだ。
その後、彼は科学館の展示品やその解説に感動し、触れてもいいレプリカや実際に科学を体験するコーナーでも子どものようにはしゃぎながらユリアを誘って遊んだ。ユリアは羞恥に耐えて遊んだ。楽しい気持ちはあるにはあるが、そろそろ勘弁してほしい。
やがて、プラネタリウム上映の十分前となった。
「──これがカップルシートというものか……! プラネタリウムで、ふかふかなシートだから雲の意匠なのかな。満月の意匠のクッションもあるしな」
と言いながら、テオドルスは靴を脱ぐとシートの片側で寝転び、空いているもう片側のほうへ片腕を伸ばした。
「ほら、ユリアも寝ころぼう」
「……その前に、あなたの腕が邪魔なのだけど」
「何言ってるんだ。これは腕枕だぞ? ここに頭を置くんだ」
また恋人のような行動を要求する。
いつだったか、節度は守ると言っていなかったかしらこの人。
「……けっこうよ。クッションを枕にするから。そのためにこれがあるのだろうし」
「オレの腕枕があるのにそっちを選ぶのか?」
と、テオドルスは不貞腐れたように訴えた。簡単には引き下がってはくれない。相変わらず欲深いものだ。しかし、このまま振り回されつづけるのは我慢ならない。
「ワガママな男は格好悪いわよ。……正直、この時間がデートだとは思えないわ」
仕返しのようにユリアは容赦ない感想を突き付ける。これでどうだ。
「……」
テオドルスは黙った。そして、少しずつこの世の終わりを感じているような絶望の目になっていく。
「……そんな顔しないでちょうだい……」
彼が想像以上にダメージを負ったことに、ユリアは息をついた。本当に振り回されてばかりだというのに、フォローしてしまう。甘やかしたら調子に乗るのに。
(……でも、この人は……私や国のために、自分の命をなげうってくれた──)
テオドルスという男は、ときに明朗快活な子どものようで、またあるときは、死と隣り合わせの戦いを好む『獣』となる。それなのに、光と闇を受け入れる人格者でもある。さらには、王家の血族でもない伯爵家に生まれながらも『王』となれる──統率者、あるいは指導者の才能を持ち合わせている。人は、これをカリスマというのだろう。
彼がヴァルブルク王国を治めていた時は、ユリアは国から離れて〈黒きもの〉を討伐する旅をしていた。なので、彼が国内でどのような評価を受けていたのかはわからない。しかし、悪い話は入ってこなかったことから、うまくやっていたのだろう。
神の化身として崇められていたユリアを婚約者とするなど、ある種の命知らずな行動をしたというのに、それが認められた。民の心を動かし、国に根付いた価値観を変える──彼は、それほどの手腕を持っていたのだ。
ユリアは、そんな彼に心を救われた。支えられてきた。守られてきた。だから、アイオーンとも友になれて、己はここにいる。どれだけ彼が馬鹿なことをしても強く言えない。本当なら甘やかしたらいけない人間なのだが。
「……ごめん。今は、かなりテンションが上がっているんだ。だから、いつも以上に抑制が効かなくてな……」
やがて、テオドルスはしおらしく反省した。その反省を素直に受け入れたい。
しかし、常識というものを『失くしても大して困らないちょっとしたメモ』のように吹き飛ばすのがこの男だ──そのことを考えると、この反省はどこまで受け入れていいのかと複雑な心境になってしまう。




