第八節 若者たちの狂詩曲 ⑤
「……婚約にこぎつけるまでいろいろとあったという話は、ユリアには教えないでくれよ? 変に気にするだろうからな。まあ、なんとなく勘づいていそうではあるが──別にすべてを知る必要はないさ」
自分の頑張りを見せつける必要はない。頑張っていた理由は、ただひとつ。愛する彼女が、少しでも『本当の自分』の人生を楽しめる時間を持てるように──。愛する者には、深い献身を捧げるのが彼なのだ。
「……わかった」
「……そうだ。ちょうどいい機会だから、ひとつだけアイオーンに聞いておこうかな──。アイオーンは、ユリアのことをどう思っているんだ?」
と、その時、テオドルスはどこかおそるおそるにアイオーンに聞いた。
「相棒のようであり、年下の身内のようなものだな」
「本当か……? 実は、ユリアのことを伴侶にしようかと思っていたんじゃないか──?」
「それは深読みのしすぎだ。俺は、友として気に入っていただけにすぎん。お前達が結婚しても、俺は反対しない。だから安心しろ」
「……なら、いいんだが」
少しだけ腑に落ちないような表情をしながらも、テオドルスはそれ以上追及しなかった。
すると、アイオーンは何かを思い出したかのような顔をしながら目線を落とし、目を伏せる。
「……だが、一時は──お前が二度と帰ってこないというのであれば……俺がテオドルスの代わりになれば、少しだけでもユリアの心が軽くなるのではないかと思った時はある……。だから、お前の真似をしてユリアをいじったときもあった……。そうすれば──『あの日』を経験していない、あの頃のユリアが少しでも戻ってくるんじゃないかと……」
「……それは……『違う』だろう──」
「ああ……違った……。それをした後で、『違う』と理解できた……。そのときに思った──やっぱり俺は、人間の真似事をしているだけの『人間ではない存在』なんだろうな……。だから、後になってからようやく気づくんだ……。そんなことをしても、あいつの心が軽くなるわけではないのに……」
「だが、ユリアは聡い人間だ。君が元気づけようとしてやったことだと、彼女なら判っていただろう。それに、『後になってから気づく』のは人間でもよくあることだぞ。つまり、アイオーンは『人間』ということだ。だから自信を持て」
そう言ってから、テオドルスは励ますようにアイオーンの背中を叩いた。しかし、アイオーンはまだ浮かない顔でいる。
「……そうだといいが──……っ」
その時、アイオーンが目を細め、また苦しみはじめた。
「また頭が痛むのか? ヒノワに来てから回数が多いな……」
「……うっ……く……」
「アイオーン……?」
俯いて、胸を押さえている。頭痛とは違う苦しみだ。それを察知したテオドルスはアイオーンに近づく。
「っ! アイオーン、首筋に鱗が──! あっ……!?」
鱗だけではない。アイオーンの左右の側頭部に尖ったものが生えてきた。竜の角だ。アイオーンは人型の星霊でもあり、飛竜の姿も持っているという特殊な存在だ。
「──……っ!? 誰だ!?」
刹那、テオドルスの視界の端に、黒い何かが映った。人のようなものが見えた──彼はすぐさま目線をそちらに向けて言葉を投げたが、なにもいなかった。
気のせいか。魔力の気配は何もなかった。嫌な気配もしない。しかし、あの影のようなものは何だったのか──。
「……少し前にも……似たようなことがあった……。あのときも、鱗だけでなく角、尻尾も出ていた……」
「……なんだって……?」
「──夜中に悪夢を見て目覚めたユリアを、また寝かせるために……添い寝したことがある。その朝、目覚めると……俺の身体には、今のような竜化の現象が起きていた……」
「ユリアと添い寝していたことで……?」
「ユリアが原因だと言いたいわけではない。……今なら、なんとなく原因が判る……。そのときは、俺とユリア以外にも『いた』ものがある……。ユリアの内側に潜んでいた〈黒きもの〉──それに反応したのかもしれない……」
ユリアの中に潜んでいた〈黒きもの〉──それは、クレイグにしか気配を察知できなかった。アイオーンにすら察知できなかったことから、〈黒きもの〉の気配はアイオーンの気配と『同等』のものではないかという憶測を立てた。ユリアは、アイオーンが持つ力にかぎりなく近いものへと変質している。だから、彼女自身も〈黒きもの〉が内側に潜んでいることに気が付かなかったのではないかということだ。
「……たしか、〈黒きもの〉は光陰と関係しているんだったか……。そして、光陰はアイオーンを『同胞』と呼んでいる……。だったら、今こうなっている原因は……」
テオドルスは眉を顰める。彼が視界の端で見た『何か』は、〈黒きもの〉と関係がある存在なのだろうか──。
「……クリカラと面会できれば、いろいろと聞いてみるつもりだ。……まあ、あっちも何も判らないだろうがな……」
「だとしても、だ。アイオーン。──安心するといい。君の敵は、オレがすべて排除しよう」
すると、テオドルスは微笑んだ。
「……俺が、何者でもあってもか……?」
そう言うアイオーンの声には、どこか『恐れ』のようなものがあった。
「君の正体がなにであれ、アイオーンはアイオーンだ。オレはそう思っている」
しかし、テオドルスは『恐れ』をなんでもないように抱きしめ、アイオーンが行く道を照らす。
「……お前はそういう男だったな──」
「ユリアもそういう女だぞ? そして、ラウレンティウス、アシュリー、クレイグ、イヴェット──我が弟妹たちも同じのはずだ。アイオーンが不安に思っていることなんて、何もおきやしない。何かが起きたとしても、オレがなんとかしてやるからな」
「お前に任せると、碌なことにならん気がするんだが……」
「なら、その時は止めてくれ。頼んだぞ」
と、テオドルスは満面の笑みを浮かべて言った。
「……結局、俺がお前を止める役なのか」
アイオーンの顔に、ふたたび呆れた笑みが戻った。それから、アイオーンの角や鱗は少しずつ消えていった。
◇◇◇
「あの辺りに弾を当てることができたら、ぬいぐるみは落ちてくれるはず……──えいっ」
銃口からパシュッという音を立てて、コルクの弾が飛び出した。それは、ユリアが狙っていた犬のぬいぐるみの端に当たり、ぬいぐるみが動くとバランスを崩して台の上から転げ落ちる。
「よしっ……!」
ユリアが小さくガッツポーズをすると、
「ほほー、やるなぁ。嬢ちゃん。めちゃくちゃうまいが、まさかその手のプロかい?」
射的の店主の中年男性は小さく拍手をしながら愉快そうに問う。
「あ……一応、狩りの経験があって──免許を持っていますので、そのおかげかもしれません」
と、ユリアはヒノワ語で、念のためぼんやりとした言葉ではぐらかす。猟銃の免許など当然持っていないが、怪しまれないための方便だ。
「まさか猟師か? ……ははぁ〜。意外な特技を持ってんだなぁ」
そして、店主は落ちたぬいぐるみを拾い上げ、ユリアに手渡した。
「──といっても、猟銃使うほうの狩りじゃねえんだよなぁ……」
すると、ユリアの後ろでクレイグができるかぎり口を動かさずに小さな声で、かつヒルデブラント語で指摘する。こういう時は異国語が便利だ。
「むしろ、ユリアちゃんだったら銃や弓を使うよりも素手でシメたほうが早いよね……」
そんなクレイグの言葉に、イヴェットが反応する。彼女も口をほとんど動かさずに小さな声でヒルデブラント語を話す。
「……というか、なんでユリアはあんなにも銃の命中率が高いんだ──? あいつが生まれた時代は、まだ銃なんて無かったはずだぞ……」
と、ラウレンティウスはヒルデブラント語で疑問を口にする。ユリアが生まれたのは約千年前。銃が誕生したのは、それから百年か二百年後ほど経った時代だ。そのことに彼は不思議に思ったのだろう。
「ユリア、あれでも弓得意やん」
アシュリーがヒルデブラント語で答える。
「銃と弓って似てるか……?」
「狙い定める道具ならいけるってことちゃう? 知らんけど」
「知らんのか」
アシュリーが雑に答えると、ラウレンティウスはジト目を向けて小さく肩を落とした。すると、離れたところから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「──君たち。そこにいたのか」
ユリアたちが声のするほうへ顔を向けると、テオドルスとアイオーンがやってきていた。
「あ。復活したんや」
「ああ、完全復活だ。頑丈であるのがオレの取り柄だからな」
テオドルスはアシュリーの言葉に答えると、手に持っていた赤いものをユリアに差し出す。
「──ユリア。君のものを勝手に食べて、すまなかったな。ほら、これ。お詫びの品だ。リンゴ飴というらしい」
「……もう狙わないでちょうだいね」
と、ユリアはほんの少しだけ眉を顰めながらリンゴ飴を受け取った。
「わかってるよ。──抱えているそのぬいぐるみは、君が射的で取ったものかい?」
「ええ。さっき私が取ったの」
しかし、自身が取った犬のぬいぐるみの話になると、ユリアはドヤ顔をした。それを見たテオドルスは、まるで愛らしい生き物を見るかのような顔をする。
「そうかそうか! えらいぞ〜! にしても、また可愛らしいぬいぐるみを取ったものだな。『キャラクター』というものの類か? そういったものが好きだとは、君は昔から可愛いな!」
「……なにかしら、その子ども扱いしたような生温かい微笑みは──」
と、ユリアはまた眉を顰めた。
「俺から見ても、ずいぶんと『子ども』に戻っていると感じる。いつもとテンションが違うぞ?」
すると、アイオーンがいたずらっぽい笑みを浮かべながら指摘した。その瞬間、ユリアは平静を装いながらも目を見開き、ほんのりと頬を赤らめる。
「そ、そんなに子どもじゃない……はずよ……」
「……おい、アイオーン──」
刹那、ラウレンティウスがアイオーンの背後を指差した。
「ん?」
「後ろ……!」
ラウレンティウスが焦っている。アイオーンはすぐに背後を振り返った。仲間たちも皆、その方向を向く。
「……? 誰もいないが……?」
「黒い影──本当に見えていないのか……!? 道の真ん中に立っていて、通行人がすり抜けていっているんだぞ──!」
アイオーンは言葉を失う。アイオーンが見ている風景には、そんな存在はどこにもいなかった。
「……オレは、見える……」
「ウチも──」
「あたしも……」
クレイグ、アシュリー、イヴェット。
「──オレにも見えるな……」
「ええ……私にも見えるわ……」
テオドルス、ユリアまでも。
「──……!?」
なのに、アイオーンだけが見えていなかった。
七人の若者たちがおかしな様子を見せていることに、射的の店主や彼らの近くにいる人たちは戸惑いや怪訝な顔を見せている。




