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終話

 たった三日で、人相ってこんなに変わるものなんだ……。

 目の前にいる彼女は、げっそりと痩けて髪の毛も白髪が交じり、すっかり生気が失せていた。

 窪んだ眼窩からこちらを見てくる彼女の目は、妙にギラギラしていて、超怖い。


 ダイニングのテーブルに一対二で向かい合って座ってるけど、いますぐ隣にいるアガタさんの後ろに隠れたいな。

 逃げを考えているとダンッと、テーブルにハンカチが叩きつけられた。先日は、まだ白いところが残っていたのに、いまはもう真っ黒だ。

 っていうか、封筒から出したんだコレ。よく触る気になったな、こんな気持ち悪いもの。


 逃げたい……。


 排水口が詰まっているのか、腐ったような嫌な臭いもするし、もう帰りたい。

 鼻を摘まみたいのを我慢して、唇を引き結んで呼吸を最低限にする、若干涙目だが許してほしい。


「呪い、解けてないじゃないっ! どういうことよっ!」

 血走った目がアガタさんを睨み付ける。

 鬼気迫るその顔に、もう本当に逃げたくなる。

 僕と同い年のはずなのにもっと年食って見えるなんて、女子に対して口が裂けても言えないけれども。


「こちらは、呪いを解いたとは言ってない。呪いの核にされていた、カワモクは回収させてもらったが、それ以外はそちらのものなので、あなたに返した、それだけだ」

 淡々と答えたアガタさんに、彼女は顔を真っ青にして、カタカタと震えだした。


「返すって……返すって、それって、呪い返しをしたってこと? だから、あれが来るのね、あれがわたしを殺しに来るんだわ」


 アレってなんだろう? なにかが物理的に彼女を殺しに来てるってことなのかな。だからこんなに憔悴してる、ってこと?


「呪い返しはしていない」

 淡々としたアガタさんの言葉に、パッと彼女の顔が上がる。


「し、してない、の?」

 はっきりと言い切られた言葉に、彼女の表情が緩んだ。


「ただ、よくない状態であることは、君もわかるだろう? だから、それをなんとかしよう。俺の質問に、正直に答えてもらえるかな」

「は、はい……」

 神妙な口調で言う彼に、彼女が縋るように頷いた。



 アガタさんが彼女から聞き出した内容は、とても身勝手なものだった。


 要約すると、彼女には十歳以上年下の病弱な弟さんがいて、彼女の家は弟中心で回っている状態であり、両親は弟さん優先で生活をするため、彼女は構われることがなかった。

 ある日弟が、発作中に死を願ったからそれを叶えようと思ったが、物理的に実行してしまえば自分が犯罪者になってしまうと悩んでいたときに、とあるサイトに出会って呪いというものを知った。

 これならば物理的に殺すわけではないから、罪には問われないと喜んだが、どんなふうに死ぬかわからなかったので、弟にかける前に――キセツで試したと、キセツはクラスでハブられているし、いつもひとりだから一番いいと思った、そう語った彼女の言葉を、唇をかみしめて最後まで聞き、わななきそうな唇で大きく息を吐き出してから言葉を発した。


「僕……キセ、カワモク君の友達なんだけどな。もう二年以上、ほぼ毎日連絡を取り合ってた。あいつは、僕の、大事な、親友だった……っ」

 膝の上で拳を握りしめて彼女に告げた僕を、動揺した目で見てくる。


「え、でも、だって、あなた、違う学校の人よね?」

 引きつるような半笑いで、恐る恐る聞いてくる。

 違う学校だからなんだっていうんだ、学校が違うから関係ないとでも言いたいんだろうか。


「そうだよ。でも――親友だ。なにもおかしくない」

 ポケットの中でキセツ人形が悶えている。わかる、親友って言葉にするの超照れるもんな。

 彼のコミカルな動きで、すこしだけ気分が和らいだ。


「だって知らないもの! そんなこと……っ」

 だから自分は悪くない、という言葉が続きそうな言い分にムッとなる。


「知らなかったら、どうだっていうのさ」

 ギョロッとした彼女の目を睨むように見た。


「カワモク君、そんなこと、ひと言も言ってないもの!」

 言わない方が悪いと言外に訴えてくる彼女の馬鹿さ加減に、なんだか哀しくなってくる。


「そんなの、関係ない君なんかに、わざわざ言うわけないだろ? 想像すればよかったのに。君にとって都合のいいところだけ、見てたんだね」

 あんなクソなDMを送ってくる人間に、校外にいる友人の話なんかするわけないじゃないか。この人本当に馬鹿なんだろうか。


「そんなこと……っ、どうして、そんな、非道いこと言うの……っ」

 両手で顔を覆って泣きだしてしまった。


「非道いのはどっちだよ……」

 言葉が通じなすぎて、僕も泣きたい気分だ。


 思わず、隣に座るアガタさんを見上げると、彼は動じずに彼女を見ていた。


「認めると、自分が殺人者になるから、絶対に認められないよな」


 低いアガタさんの声に、背を丸めて泣く彼女の肩が揺れて、すすり泣きが止まった。


「どうして? わたしは誰も殺してないわ。認める、認めない、以前の話だわ」

 顔を上げた彼女の頬には、涙なんてひとつも流れてなかった。

 嘘泣きだったのか!


「弟の願いを叶えたい、というのも、建前だな。君が、弟を殺したいだけだろ」

 アガタさんの強い言葉に、彼女はうっすらと笑う。

 痩けた顔での笑みは壮絶で、恐ろしい、まるで般若のようだ。


 彼女の笑みに呼応するようにテーブルに置かれたハンカチが黒さを増している気がするけど、気のせいであってほしい。


「もう、両親が戻る時間なので、帰ってください」

 般若の笑みのまま、僕たちは追い出された。


「これも、持って帰ってくださいね! 忌ま忌ましい」

「え、あ、うわっ!」

 真っ黒なハンカチを凄い力で引き裂いて、僕のポケットに押し込むと、思い切りドアを閉めて鍵とチェーンをかけた。

 なにもキセツ人形を入れてあったポケットに入れなくても!


 慌てて、二つに裂かれたハンカチを取り出したけど、黒かったはずが漂白したように真っ白になっていた。


 ま、まさか、キセツ人形に呪いが戻ったのか!

 慌ててキセツ人形を取り出すと、取り出した手の上で、軽やかに一回転してポーズを決めてくれた。


「よ、良かったぁ……」


「そうだな、穏便に終了してよかったな」

 アガタさんが満足そうに言うのが不思議で見上げると、僕の手の上に立つキセツ人形に顔を向ける。


「仕方がないってわかったな? なるようにしかならない、ってことだ」

 その言葉に、キセツ人形が頷いた。




 釈然としない気持ちのまま、アガタさんの高級車に乗り込む。


「あの子、どうなるんですか」

 つい聞いてしまった僕に、アガタさんはチラリと視線を向けてから、エンジンをスタートさせた。

 やっぱり、教えてくれないのかな……守秘義務ってやつで。そう思ったのに、彼はすこし間をあけてから口を開いた。


「彼女は、呪いを壊してしまった。何事もそうだが、途中で投げ出すとか、そういうのはよくない。壊すなんてのは、もってのほかだ。今回のごうは、自ら背負うことになる。いままでのように、他人に押しつけることはできない」

 淡々とした言葉に、僕は視線を正面に戻した。

 そっか……きっともうどうしようもないんだろうな、そんな感じがするもんな。

 分からないことばかりで腑に落ちないこともあるけど、僕にはどう言葉にしていいかわからなくて、口を閉じた。


 黒猫のエンさんを置いてきた喫茶店に戻り、アガタさんがさっきと同じ席に座ったので、なんだかぐったりした気分のまま彼の前の席に座った。

「お疲れさま」

 注文していないのにコーヒーが出てきて、恐縮しながらそれを受け取る。

 いつもはブラックだけど、砂糖とクリープをたっぷり入れてその甘さに癒やされていると、ポケットの中がごそごそと動き出し、キセツ人形が勝手に顔を出して外に出たそうにしたから、テーブルに両手を出してその上に置いた。

 キセツ人形は、手の上でアガタさんのほうを向くと、器用にも正座して頭を下げる。


「わかった」

 アガタさんは意図が理解できたように頷くと、僕の手からキセツ人形を取り上げた。


「エンさん、頼む」

「にゃーん」

 いつの間に近づいていたのか、エンさんはアガタさんの膝の上に座ると、躊躇いなく、バクリ、とキセツ人形……キセツの髪の毛で作られたそれを、ひと口で食べてしまった。


「えっ、ええっ?」


 驚いている間に、咀嚼して、それから飲み込んだ。

 絶句していると、よっこらしょというふうにのそりとテーブルに上がったエンさんが、アガタさんに向き直る。


 そして、えぷっ、えぷっ、と不穏な嘔吐きを繰り返しはじめた。


「エンさんっ! 髪の毛なんか食べるからっ! アガタさん、なに落ち着いてんですかっ、早く動物病院に連れて行かないとっ!」


 慌てる僕の前で、エンさんがパカッと口を開けた。


 エレエレエレエレ――。


 エンさんが吐き出したキラキラした光が、正面にいたアガタさんに降りかかった。

 光を吐いてる。

 あり得ない光景にあんぐりと口を開けたまま、エンさんが吐いた光がアガタさんに吸収されてゆくのを見守った。

 一粒残らず光がアガタさんに入ってゆくと、エンさんはすっきりした顔で、僕のほうを見た。


「にゃーん」

 元気に一声鳴くと、ひらりとテーブルから飛び降りた。

 あれ? いま、尻尾の先が二つ――?


「エンさんは、心配無用だと言っている」

「え?」

 穏やかな声にアガタさんを見れば……え、えっ? 二度見してしまった。

 だって、だって、あの無愛想な顔に!

「おお、とうとう、笑顔が戻ったか! 長かったな」


 喫茶店の店員さんが、カウンターの中から声を上げた。

 笑顔が、戻る? そういえば、いままでアガタさんは口元を引き攣らせることはあっても、笑顔を見たことはなかったっけ。


「依頼が絡むと、どうしたって、ネガティブな感情ばかりになってしまうからな」

 ネガティブな感情? なんだか、わけのわからない話に目を白黒させている僕の膝に、エンさんが乗った。

 ちいさく揺れている折れ曲がって短く見える尾は、よくよく見ればやっぱり二本あるようなんだけど……。

 恐る恐る触って確認すれば、気のせいではなく尾が二本あった。折れ曲がっているから、いままで全然わからなかった。


「エンさんは化け猫だから。尾が普通の猫より、すこし多い」

 アガタさんが事もなげに言う。


「バケネコなんですか。へぇ……」

 復唱はしたけれど、どういう顔をしていいのかわからない。

 キセツ人形食べて光を吐き出すなんて芸当してたけど、化け猫だからなのか。

 まぁ、うん、そういうこともあるのかもしれない。なんせ僕はまだたった十六年しか生きてないんだから、知らないことのほうが多いわけだし。


「お前は本当に、物わかりがいいな」

 褒められているわけではなさそうな声で言われて、送っていくと席を立ったアガタさんを追いかけた。


 車の中で、アガタさんは終始控え目な笑顔を浮かべていた。

 自宅のアパートの前で車を降りようとした僕を呼び止めると、アガタさんはジャケットの内ポケットから取り出したクリップで留めたお札の束から五枚抜き取り、それを僕のブレザーのポケットにねじ込んだ。


「前回と今回のバイト代だ」

「えっ? バイトって、僕、なにもしてないですよっ」

 いきなり渡された大金を返そうとしたら、思い切り睨まれて、できなかった。


 手にしたお金に途方に暮れた僕に、アガタさんの表情が緩む。

「お前がいたから、すんなり進んだんだ。ありがとうよ」


「よく、わかんないですけど。助けになったんなら、よかったです。でも、あの、このお金要らないんで、なんでキセツが死んだのか、教えてもらってもいいですか。やっぱりどう考えても、あいつが自分で死を選ぶなんて、考えられなくて」

 アガタさんが答えを持っているんじゃないかって、思えるんだ。


「そう難しい話じゃねぇよ。ゲンの知るキセツも本当だし、同級生の女の言ったキセツも本物で。あの女の呪いで、ゲンの知っている部分のキセツが、あの人形に囚われた。残ったのは、ネガティブな思いだけだったんだ」

 突然自分の暗い部分だけになってしまったキセツは、心を支えきれずに自死を選んでしまったのだろうと、アガタさんは言った。


「お前の知っている明るいあいつは……俺がもらった。そういう契約をしたからな」


「明るい、キセツを?」

 ハンドルを握ったまま前を向いていた彼は、アレに入っていた魂をもらったのだと言ったけれど、魂ってやりとりできるものなんだ……。僕の知らない世界だ。


「だから、笑えるようになった。取り込んだのが、キセツの陽の部分だったから」

 俺は感情をそうやって取り戻してるんだ、と言っていたが、それもまた僕の知らない世界の話すぎて、そうなんですか、としか言えなかった。


「お前は、本当になんでも受け入れるな。あいつの魂の一部を、俺が取り込んじまったのに、怒らねぇのか?」

 苦笑いされてしまった。


「だって、キセツとアガタさんが納得して、そうしたんですよね? なら、僕が怒ったり、なにか言ったりするのはおかしいと思うので」

 それはそうだな、と力なく笑う彼に、言葉が足りなかったかなと、口を開く。


「僕、死んだら、ゼロになると思ってるんで。キセツの魂ってやつも、アガタさんが再利用するなら、それはそれで、いいんじゃないかなって、思います」


 本音を言ったのに、アガタさんは声を上げて笑うと、僕の頭を子供にするように乱暴に撫でた。


「わかってんだか、わかってないんだか。本当に面白い。じゃぁ、元気でな」

 すっきりした顔のアガタさんに急かされて車を降り、走り去る車を見送った。




   ■ □ ■ □ ■ □



 そして僕は、日常に戻ってきた。


 動くキセツ人形はもういなくて、キセツを呪った彼女がどうなったかもわからない。

 アガタさんや黒猫のエンさんも、実は夢の中の出来事だったんじゃないかなんて、思わなくもない。

 ただ、毎朝の水浴びは続けていて、そのお陰かこの冬は風邪もひかずに乗り越えることができた。

 毎日学校に通って授業を受けて。だけど、親友だったキセツとはもう連絡を取ることはできなくて……。


 アガタさんには強がってなんでもないフリをしたけれど。僕は、僕の中にできた空洞に、時々不意に切なくなって泣きそうになる。


 情けないな、もうキセツはいないって、納得してるのに。

 トボトボと通学路を歩きながら、こっそり鼻を啜ったそのタイミングで――。


「にゃーん」


 呼びかけるような鳴き声にはっと顔を上げると、見覚えのある折れ曲がった尻尾が、十字路の角を曲がっていった。





《完》


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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