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第六話『タイム・イズ・マーシー』 4

 時を遡って、私がトワと共に屋敷にいた時のこと。

 私は、文机の最後の引き出しの解凍に取り掛かっていた。


「その老人は、ここまで愛用するほど大事な万年筆を、何故依頼しなかったのでしょうか」


 万年筆の箱を眺めながら呟く、トワの疑問はもっともだった。だが、その疑問の回答にも、私は当たりをつけていた。


「記憶を取り戻すことが、必ずしも喜ばしいものだとは限らない、そういうことだと思います」

「それは……辛い記憶だ、ということですか?」

「いえ、そうでは無いかと」


 私の視界には、相も変わらず温かい笑みを浮かべる老婆が映っている。

 考えなければならないことは、そもそも私たち、《箱舟》で暮らしていた人間が何のために今まで生きていたのか、ということだ。

 地震や津波などの天災に遭って避難をしているのなら、その生活にはいつか終わりが来ることが分かっているものだ。

 しかし、町全体が凍り付くという、異常としか呼べないこの状況に対して、私たちはそれがいつか終わることを希望として生き続けることが出来るだろうか?


「みんな、不安なんだと思います。この生活がいつまで続くのか、分からないから」

「それは……あなたもですか?」


 声を落として問いかける少女に、私は少し躊躇ってから肯定の意を伝える。

 そうしてから、私は更に言葉を繋げた。もう一つ考えなければならないのは、私たち以外の人々、氷に覆われている人々が、それでも『死んではいないかもしれない』ということだ。私たちがどれだけ足掻いて生きようとしても、彼らは微動だにせずに、“あの日”の幸せな瞬間を繰り返しているのかもしれないのだ。


「私たちは、置いて行かれたのかもしれない。彼らの生きる時間に」

「“永遠”を生きる人々に……」


 矛盾したような言い回しをする少女だが、その言葉も一面においては正しいのだ。

 つまるところ、私たちが直面しているのは、全く予期しなかった形での『親しい人との別れ』だということだ。心の準備も何もなく。

 しかしその人はどこかで今も、自分が知っているのと同じような顔でそこにいるという事実もある。私たちと彼らの関係は、死が分かつものでもないが、決して触れることは叶わない、そういう状態にあるのだ。


「私だって、両親が死んでいるとは思いませんし、思いたくはありません、だけど」

「……セツナ」

「もう二度と、二度と一緒に話すことも笑いあうことも出来ないかもしれない、そんな彼らのことを思い出すのが、私は今でも辛いんです」


 私の静かな叫びが部屋に木霊すると同時に、暗い部屋を照らす灯りが僅かに揺らめいた。

 記憶とは、難儀なものだ。もう二度と会えない人との記憶は、自分を(いたずら)に傷つけることになり得る。


「きっと彼も、シュユさんも、同じ思いを抱いているんだと思います」

「……それなら、万年筆は持ち帰らない方が──」

「だけど、結局は」


 私は机の上から黒い箱を手に取り、その蓋を少しだけ持ち上げてみせた。


「いつか、そういう記憶とも向き合わなければならない」


 少女は何も言わなかった。ただじっと、使い古されたペン先を見つめているだけ。


「……強いんですね」

「私は、全然そんなことはありませんよ」


 事実、私自身は未だに、両親の顔すら見に行けていない。こうして人々の“記憶”を探っているにも関わらず、だ。


「だけど、いつかは」

「いつかは……?」

「……時間が解決してくれますよ」


 そう言って私は、最後の引き出しを開けた──

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