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第六話『タイム・イズ・マーシー』 3

「ただいま、戻りました」


 普段より震えた声で、私は《箱舟》の人々に帰還を告げる。


「やあ、セツナ君。お疲れ様」


 いつものように、最初に出迎えてくれるのはここの所長であるゾウジだ。

 しかしそんな彼も今はまた、普段と様子が違うのが見て取れた。少し声を潜めて、言葉を続ける。


「で、例のアレは……手に入ったかね?」

「恐らく、大丈夫です……だけど、家に入るときに、その、窓ガラスを……」

「……しまったな、忘れていた」

「お前たち、何をしている」


 玄関先で密談をしているところを、一番見つかりたくない人に見咎められてしまった。

 早く中に入るよう、静かに呟く老人、長月シュユ。街一番の資産家であり、そして恐らく……

 今一番、救いを欲している人だ。



「缶詰、缶詰、果実、缶詰……ふん、まあこんな物か」


 応接室の机の上に、老人が食料を広げていく。私は部屋の隅で佇むゾウジに目配せをし、彼が小さく頷くのを確認した。


「……それと今回は、こんな物も持ってきました」

「……何だ?」


 憮然とした表情の老人に、別のバックパックから取り出したある物を見せる。

 青色の、分厚いクリアファイルだ。中には膨大な量の書類が透けて見えている。背表紙には紙が入っていて、そこに書かれている文字は……『長月総合商社社史』。

 こちらを見ていた老人の細められた目が、一瞬にして大きく見開かれる。


「それは、私の……まさか、私の屋敷に入ったのかッ」

「……はい」

「……何のつもりだ?」

「私が頼んだんだよ、シュユさん」


 口を挟んできたのはゾウジだ。彼はいつもの温和な声のまま、言葉を続ける。


「欲しがっていた物があったでしょう? ほら、あの万年筆」

「……私は頼んだ覚えはないぞ」

「放っておいたら、いつまでも頼まないだろう?」


 彼らの会話の間に、私はナップザックから万年筆を取り出した。

 白い布に覆われた、傷一つない、携帯用の万年筆。

 それを見た瞬間のシュユの顔を、私は見逃さなかった。


「……それか」


 安堵と落胆が混じったような、奇妙な感情を浮かべる表情を。


「ふん、余計な世話だが……まあ、それが私のものだというのも確かだ。あった方が便利だしな。そういう事情なら、早く渡せ」

「……それと、もう一本」


 私は差し出された手に万年筆を握らせることはせず、それを机に置いた。

 そして取り出すのは、宇宙を収めているかのような深い暗黒色の箱。そしてその中に入っている古びた万年筆。それを見た長月老人の顔色が、ありありと変わった。


「こちらの方は、正真正銘の一点物……ですよね? シュユさん」

「……知っていて、今出したのか」


 その声色には、今まで彼が見せたこともないような感情がありありと浮かんでいた……恐怖だ。

 彼が何に怯えているのか、その理由も私には見当がついていた。


「ん、どういうことだい? そっちもシュユさんの万年筆かね?」

「半分正解、ですね。この万年筆は……」

「止めろ!」


 シュユの声に一瞬止まりかけた手と口を、再び動かす。

 少女との約束を、違えるわけにはいかなかった。


「……[長月チトセ]」


 私が声を発すると、長月老人はもはや完全に沈黙し、手袋に覆われた手元を見つめるのみとなる。そこで私は一つ息をつき、声の調子を落としてから言葉を続ける。


「シュユさんの、奥さんの名前じゃないか……どうして彼女の名前が? 万年筆を持ってくるだけじゃなかったのか?」

「すみません、ゾウジさん……そう簡単には行きませんでした。私は、《発掘人》ですから」


 十八金の塗装が剥がれ、真鍮が露わになったペン先を、持ち主に突きつけるようにして見せる。


「見ての通り、こちらの万年筆は相当年季が入っています。私は初め、これは思い出か形見として取っているだけかと思いました──でもあなたは“あの日”の直前まで、これを使っていたのではないですか?」

「……どうしてそう思う」

「“あの日”の以前から着けられている、その手袋です。万年筆を使う内に塗装が剥がれ、中に使われている金属にアレルギーを起こすことがある……それでもそれを使う人は、手袋をすることが多いと聞きました」

「……『聞きました』? 誰からだね?」

「ト……あ、いや、て、テレビで聞いたんです。前に」


 かなり危ういところだった。屋根裏で存在を秘匿しつつ同居している少女からなどと言ったら、万年筆どころの騒ぎではなくなってしまう。

 私は気を取り直して、ナップザックから最後の物品を取り出す。

 滑らかな手触りの、一枚の便箋だ。書かれている文字は柔らかく、上品な印象を与える。


「……随分と好き勝手したようじゃないか」

「すみません……だけどこれが、“仕事”なので」

「さ、さっぱり分からない……何を話しているのだね?」

「愛用していた万年筆を、何故私に依頼されなかったのか。これを読んで、それが分かった気がしました」


 私はゆっくりと声に出して、その内容を告げ始める──

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