第五話『命の沙汰は時次第』 3
「筆記用具となると、シュユさんの私室かその辺りでしょうか? でも、万年筆ってどんな風に置いてあるんでしょう」
「高級で、一点物の万年筆ならば、革製の筒に入れられていることが多いです」
「……そうなんですね」
万年筆に対する知識を欠片も持ち合わせていない私は、彼女の助言に従うほかない。
上から探して行こうということになって、私達はまず二階に上がった。数名の家事手伝いが、深夜だというのに(今は昼間だが)あちこちで忙しそうに働いていたのだろう様子が伺えた。
「……豪勢ですねえ」
以前は廊下を明るく照らしていたのであろう壁掛けランプも、それが取り付けられている壁も、私達が踏みしめている硬くなった絨毯も、どれをとっても庶民の私が見ても分かるほどの高級感に溢れていた。
そして屋敷内部の部屋と、それに伴う扉の数の多さに、私はややげんなりさせられる。
「どこに目的のものがあるのか、さっぱりですね……困ったな」
「……あれは」
曲がり角を曲がったところで、何かに気が付いた少女が小さく声を上げた。
差された指の先を辿って行くと、そこには一つだけ半開きになっている扉。
あの瞬間この部屋を出ようとしていたのだろう、老婆がその扉を押し開けていたのだ。派手ではないが、質の良い服を着た温厚そうな女性だった。
「あの人は、使用人ではなさそうですね。……確か、シュユさんには奥さんが居た筈」
「どちらにせよ、ひとまずあの部屋に入ってみませんか」
少女の提案を私は許諾し、両開きの扉と老婆の間を縫うようにして部屋に入った。
中は全体的に茶色で統一されていて、落ち着いた印象を与える。左右の壁に大小様々な本が整頓された状態で仕舞われているのを見るに、ここは書斎のようだ。
ブラインド越しに差し込む夕日が、部屋中を柔らかな橙色に包んでいた。
「ここは、屋敷の所有者の書斎でしょうか?」
「多分……そうだと思います。万年筆は、あるかな」
「可能性はあるかと。その机の中とか……」
トワが指さしたのは、窓を背にするように置かれた文机だ。裏側に回って見てみると、引き出しが三つ取り付けられている。鍵は掛かっていないようだった。
「じゃあ、ひとまずこの引き出しを片付けてしまいましょうか。この程度なら、私一人でも大丈夫そうですが……」
「……あの、セツナさん。それなら、わたしは本を見てみたいです」
「本? たくさんありますけど……トワさん、ちゃんと火とハンマー扱えますか? 怪我とか、しませんか?」
「しません」
私の瞳を真っ直ぐと見つめながら、少女は断言する。そう言われてしまえば、むしろ彼女より私の方が色々と危なっかしいような気もしてきた。
トワに限って、ミスをするようなことはないだろう。そう判断した私は、彼女に自分のハンマーのスペアを与えた。私達は各々の作業に取り掛かる。
引き出しの縁の部分に取り付いた氷を取り払いながら、私は別のことを考えていた。先ほどから、どこか違和感のある言動を繰り返すトワについて。
彼女は今まで私の仕事を手伝ってはくれていたが、それはあくまで屋根裏に住まわせていることへの対価だと、いつか彼女は言っていた。何よりも“永遠”を尊ぶ彼女の精神は、本来私とは相いれないもので、私の仕事に関しても彼女は良い印象を持っていない……筈だった。
そんな彼女が、自分から氷を溶かそうとするとは思っていなかった。ちらりと様子を伺うと、少女は本棚の低いところに屈みこんで作業を行っている。
何の本を読もうとしているのかと見てみれば、背表紙には『長月総合商社社史』とあった。長月老人が立ち上げ、一代で財産を築き上げた会社だ。
私は頭を振って、一旦自分の作業に集中することにした。三つの引き出しの内、一番上が開こうとしている。机を傷つけぬように慎重に火を当てて、私はそれを開いた。
「……万年筆じゃ、ないかな」
中に入っていたのは、黒い箱だった。蓋の角に近い部分に、何かのロゴのような、白い丸があしらわれていた。
筆記用具を保管しているのなら、筆箱か何かに入っているのだろう。いや、そういえばトワは革製の筒と言っていたか。いずれにせよ、結婚指輪の箱を大きくしたようなこの箱は、そういったものには見えなかった。きっと大切なものが入っているのだろうと、私は一応その箱を机の上に出した。
続いて取り掛かった真ん中の引き出しを開くと、そこにあったのは細長い筒の形に丸まった白い布と、大きなオイルライターのような形をした黒い容器だった。布をよく見ると、紐で巻かれているのが分かった。
そして、容器の方に印刷されている文字は、『MON-BIANCO』。
それは確かに、依頼の際に所長が口にしていた万年筆のブランドの名だった。




