第五話『命の沙汰は時次第』 2
「朝は……眩しいです……」
「そろそろ起きてくださいよ……」
トワが起きだしてくる時間の目安は、意識を取り戻してから十五分ほどだ。私はその間に、ゾウジからの依頼の支度を行うことにした。
十分な食糧、滑らないように長靴を二足、そして最も重要な、ランタンに入れるための菜種油。それらに抜かりがないことを確認し終わったところで、やっと少女が朝の活動を始めた。
「セツナさん、依頼ですか?」
「はい。所長からの依頼です」
「所長さん……あの人ですか」
少女は何故か、奥歯に物が挟まったような、何か言いたげな表情をしていた。
「依頼自体は、シュユさんの万年筆です。何でもすごく高級で、価値あるものだとか」
「万年筆、ですか」
その言葉に、少女は少し考え込むような素振りを見せた。
「縁起の良い名前ですよね。私は好きです」
「万年筆? ああ、万年、ですか」
「一生ものの付き合いって、素敵だと思います」
ここでの生活が長くなり、彼女も自分の感情を露わにすることが増えていた。
しかし、”永遠”に絶対の価値を見出すその性格は、相変わらずだ。
私は全ての支度が終わったことを再度確認し、同じく支度を終えた少女に呼びかける。
「行きましょうか、トワさん」
「何万円かするそうですよ、トワさん」
「万年筆が、ですか? そう珍しいことでもないと思います」
一生ものの付き合いになるわけですから、と強調する少女。万年筆は、高いものは相当するとは知っているが、日用品に殆ど金をかけずに生活してきた身には理解できない。
少女は教会で手に入れたデジタルカメラを、ひもを通して首から掛けられるようにしていた。屋敷までの行程でも、虹の輝きを放つ街の中で相変わらず大量の写真を撮る。
「あ、見えてきましたよ、あれが目印の」
時計塔です、と言おうとした瞬間。
辺りを大きな風が吹き抜けた。
「……え!?」
思わずランタンを取り落としそうになりながら、私は驚愕の声を発する。
この街は、完全に”止まった”街なのだ。今まで、風が吹いたことなど一度も無い。
今起こったことが、現実のものか反芻している間に……周囲の状況は、完全に元に戻っていた。まるで風など、初めから吹いていなかったかのように。
「トワさん、今、何か、風が……トワさん?」
隣にいるはずの少女から、返事はなかった。
その目は、じっと時計塔の頂上を見つめている。氷漬けになった時計塔は、その針を動かすこともせずに眼前で不気味に佇んでいた。
「どう、しましたか」
「……ああ、すみません、少し。行きましょうか」
トワは私の言葉に我を取り戻したように、屋敷に向かって歩き始めた。
対する私は吹き付けた風のことも忘れてしまって、彼女の代わりのように時計塔を見ていた。
「この家、ですよね」
「……間違いありません、ここがシュユさんの家です。……大きいですね」
私達は、端が遠くに霞んでしまうほどの大きさの屋敷に対面していた。資産家であった彼が、妻と二人で住むために買い取った……彼らの感覚は、やはり私には理解できそうにない。
「じゃあ、早速扉を溶かしましょうか」
「……鍵がかかっているのでは?」
「え?」
少女の言葉に、私は取り出したハンマーを取り落としてしまった。
そういえば確かに、氷を溶かしたとしても扉には元から鍵がかかっている筈だ。今まではどうしていたのだったか?
「ああ、今回は依頼人が本人じゃないから……」
依頼人に鍵を受け取っているのが普通だった。長月老人には内緒の依頼ということで、用意するのを失念していたのだ。
「どうしますか?」
「……仕方ありません。きっと……大丈夫です」
私はトワに指示を出して、近くの窓ガラスの氷を溶かし始めた。
気のせいか、普段相手にしているものよりも格段に厚みがある気がした。氷を砕く音と共に耳に絡みつく話し声も、どこか密度が濃い。
窓を覆う氷がある程度溶けたのを確認して、私はバッグからガムテープを取り出してその場所に貼り付ける。
「シュユさんは……厳しそうだなあ」
「依頼人の責任ということにしておきましょう」
依頼に対して、彼女は私よりもドライだ。少女にとって、この仕事はあくまで知的好奇心を満たすためのものでしかないからだろう。
「じゃあ……離れていてくださいね」
周囲の安全を確認してから、私は窓目掛けてハンマーを振り下ろした。
静寂が満ちた空間に、ガラスがひび割れる音が鳴り響いて消える。
そうして出来上がった穴は、私でも身体を通せそうな大きさだった。私は縁に残ったガラスを取り払いながら、慎重に屋敷の内部に入り込む。
「トワさん。じっとしていて下さいね」
「……はい」
妙な間の後、少女は私の両手に身体を委ねた。私は先ほどよりも注意を払いつつ、その小さな身体を持ち上げる。
「よし……と。大丈夫ですか?」
「は、はい……大丈夫です、セツナ──」
少女の声が、そこで不意に途切れた。私は不審に思って振り返る。
「トワさん?」
「──さん。ええ、大丈夫です。万年筆を探しましょう」
そこに佇んでいたのは、いつもと変わらぬ様子の少女だった。
先ほどから、どうも何かと様子がおかしい。私は内心首を傾げつつも、言われた通りに屋敷の捜索を始めた。




