第五話『命の沙汰は時次第』 1
金も命も時間も、有限だ。
「あっ……」
夜の屋根裏部屋。ランタンの明かりの下、ボールペンで”記録ノート”に何かを書き込んでいた少女が短く声を上げた。
ランタンに油を継ぎ足していた私は、その声に顔を上げる。
「どうしましたか? トワさん」
「インクが……切れてしまいました」
少女は紙の余った部分に何度もペン先を押し付けるが、効果はなかった。本当に使い尽くしてしまったのだろう。
「今度、持ってこないとな……取り敢えずは、私のを使ってください」
「……すみません。ありがとうございます」
私は私物が入ったバッグからボールペンを取り出し、彼女に与える。
この少女──《霜月トワ》にとって、記録することが何よりも大切なことだと知っているからだ。
そのまま私は毛布に包まって、短い眠りの時間を過ごした。
「定期報告に来ました」
目覚めた私は、すぐに所長室に向かった。一声かけ、ノックをする……前に、扉は勢いよく開く。
「あ、シュユさん……おはようございます」
中から出て来た老人は、《長月シュユ》。この研究所で暮らす人々の配給を管理している資産家だ。
彼は私の姿を認めると、いつも不機嫌そうな顔を更に歪める。
「おい、もう少し食糧を持って来れないのか。ここにいる十何人、賄える量ではないぞ」
「……申し訳ありません。頑張ります」
彼はうんざりとした顔で、上等そうな生地の手袋を嵌めた手を顔の前で振り、そのまま忙しそうに何処かに行ってしまう。
部屋の中で椅子に座って、気の毒そうな顔をする男性の顔が私の視界に入った。私はそのまま所長室に立ち入り、丸椅子に腰かける。
「やあ、セツナ君。……すまないね、君にも都合はあるだろうに」
「いえ、大丈夫ですよ」
どうやら先ほどの長月老人のことを言っているらしい。
「私達も君の仕事を手伝うことが出来ればいいのだが……氷の中から物を傷つけずに掘り出すのが、あそこまで難しいとは思わなかったよ」
生物学ではなく地質学でも専攻すれば良かったなとぼやき、彼は遠くを見つめるような表情をする。
「シュユさんに悪気があったわけではないと思います。彼が、《箱舟》と私達のことを大切に思ってくれているからこそだと」
「そう、だね……彼だって、悪人じゃあない。実はね、最近《春祝祭》は運営予算が厳しかったんだ。でもそんな時、彼が寄付をしてくれた」
「寄付、ですか」
「そう、そうして私達は《春祝祭》を続けることができたんだよ」
笑顔で語る所長の言葉を、私は驚きを以って迎えた。彼は資産家として成功するにあたり、法には触れないがあくどい手段に訴えることもあったと聞いたことがあったからだ。
「ただ、まあ、あんな風に振舞われるのも色々と不安だがね……そうだ!」
ゾウジは、突然何かを閃いたように大きな声を出した。私は思わず肩をすくませる。
「ど、どうしたんですか」
「セツナ君、一つ頼まれてはくれないかな? 《発掘人》として」
《発掘人》。私が行っている、仕事の通称だ。
氷の中から、依頼主が求める思い出の品を持ち帰る。それが、この街で私がし続けてきたことだった。
「えっと……ゾウジさんが?」
「いや、長月さんのことだ。実は彼は──」
ゾウジが語ったことは以下のようなものだった。
長月老人は常日頃から、食料や生活用品の出納帳を付けている。そんな彼が、ある日呟くことがあったという。
『こんな安物のボールペンで書くのは苦痛だ……アレがあればな』
「で、気になったから聞いてみたんだ。そしたら彼、前までは『エベレスト』とか言う、ドイツの高級ブランドに特注で作らせた金細工の万年筆を愛用していた、と。なんたらテッシュ149とか言ってたような……」
「万年筆?」
「アレを無くしたのはとんでもない損失だ、と言っていたから、こんな世界に金も何も意味はないだろう、と返したんだが……すごい勢いで怒鳴られたよ。アレは世界に二つとないものだ、素人が価値を計れるものではない、とね。何万円もするらしい。確かに、私には理解できない世界だ」
「それは、また……」
本人にとって、よほど価値のあるものだったのは確かなようだ。数万円の価値のある筆記具……ゾウジの言う通り、全く別の世界の話を聞いているような感覚だ。
「妻は、こういうのに詳しかったなあ。……いや、蛇足だったね。というわけで、彼にその万年筆を持って行ってやれないか? もちろん、報酬は私が出そう。彼が自分から、そんな事を言うとは思えないからね……」
「確かに……そうですね。分かりました。シュユさんの家は、確か時計塔の目の前でしたよね?」
「そう。この街で一番大きなお屋敷だよ」
仕事を請け負った私は、一例をして所長室を立ち去る。去り際にもゾウジは、
「申し訳ないね、私の都合に巻き込んでしまって」
と申し訳なさそうに繰り返していた。
「大丈夫ですよ」
そう返事をしかけて、私は少し悪戯心を沸かせて言葉を繋いだ。
「報酬さえ貰えば、何だってします」




