「愛するって、どういうことなんだろう。」
金曜日。
一年も、もう半分が過ぎようとしている。
俺は中庭のベンチに座り、木陰の中でぼんやりとしていた。
誕生日まで、あと一週間。
この半年――特別なことなんて、ほとんど何もなかった。
けれど……
一つだけ、少しずつ変わっていることがある。
アジアとクンゼの距離が、前よりも確実に近くなっている。
休み時間になると、二人が話しているのをよく見かける。
時々――手を繋いでいることもある。
……なのに、まだ正式に付き合っているわけじゃないらしい。
クンゼに、まだその覚悟がないのか。
それとも、アジアが少しずつ慣れている途中なのか。
……たぶん、その両方だ。
無理もない。
二人が出会ったのは、ほんの今年のことなんだから。
アジアは、俺が知っている中でも数少ない――
静かで、あまり自分を表に出さないタイプの子だ。
そして何より……
真っ直ぐに、人を愛する。
――あいつは。
一年前、こう言っていた。
「たとえ、あなたの心が誰かのものになっても……それでも、私はあなたを愛し続ける」って。
……
失ったことが、今でも痛い。
けど同時に――
少しだけ、救われている自分もいる。
親友を支える、っていう目的は……果たせたから。
本気で俺を想ってくれていた人と、
一緒にいることだってできたはずなのに。
……それでも、別の誰かに囚われていた俺は、
その選択を間違えた。
けど――
きっと、全部に意味がある。
……そう思うしかない。
綾恵は、相変わらず俺と話そうとしない。
何をしたのかも、分からないまま。
それが――思っていた以上に、きつい。
……たぶん、原因は彼氏のことだろう。
「私のせいで、面倒なことに巻き込みたくない」
あいつは、そう言っていた。
前みたいに、また普通に話せたら――
そう思うこともある。
けど……
最近は、夏希と過ごす時間のほうが増えている。
一緒にいると、不思議と落ち着く。
……いや、正確には。
落ち着く瞬間が、ある。
その静けさは、何の前触れもなく消えることもあるけど。
それでも――
綾恵と一緒にいたときみたいな感覚とは、どこか違う。
それに、もっと厄介なのは――
あの時の気持ちを、
もう、はっきりと思い出せないことだ。
少しずつ、薄れていく。
まるで、内側から何かが消えていくみたいに。
……たぶん。
綾恵に抱いていた感情のほうが、
ずっと強かったはずなのに。
なのに、どうして――
こんなにも遠く感じるんだろう。
どうして、俺は――こんなふうなんだ。
そのとき、
見覚えのある男子が、女子と一緒に歩いているのが目に入った。
二人は、手を繋いでいた。
それを見た瞬間――
胸の奥が、ざわついた。
言葉にできない、不快感。
――キーンコーンカーンコーン。
チャイムの音が、思考を遮った。
俺は教室へ戻った。
しばらくして。
授業中、クンゼが紙を投げてきた。
開いてみると、こう書かれていた。
「放課後、買い物行くけど来るか?」
顔を上げると、クンゼと目が合った。
俺は、軽く頷いた。
それからは――特に何も起こらなかった。
授業が終わるまでは。
綾恵が荷物をまとめて、教室を出ていくのが見えた。
あの、どこか遠くを見ているような――
寂しげな表情。
彼氏がいるって聞かされた、あの日から。
……ずっと、変わっていない。
「おい、行くぞ」
クンゼに呼ばれ、俺たちは学校を出た。
道を歩きながら、適当に学校の話をしていたが――
不意に、クンゼが口を開いた。
「なあ、樹……」
どこか探るような声だった。
「なんだよ」
「最近さ、お前と綾恵……前みたいに一緒にいないよな」
少し間を置いて、続ける。
「なんで、あんなに距離置いてるんだ?」
……やっぱり、気づいてるか。
たぶん、あいつだけじゃない。
クラスの連中も、もう分かってるはずだ。
この距離は――もう隠せない。
……どうする。
本当のこと、言うか?
何も分からないって。
ある日突然、離れていったって。
……それで、傷ついてるって。
――いや。
ダメだ。
そんなの、見せたくない。
同情されるような自分には、なりたくない。
「正直、俺にも分からない」
そう答えた。
「綾恵にも、綾恵なりの理由があるんだろ。
別に、喧嘩してるわけじゃないし」
クンゼは、黙って俺を見ていた。
言葉の奥を、探るみたいに。
「……本当に?」
一瞬――
ここで迷ったら、全部崩れる気がした。
「……ああ。本当だ」
視線を逸らす。
そのまま、また歩き出した。
けど――
会話が終わった気は、しなかった。
ただ……
避けただけだ。
そのまま、俺たちは歩き続けた。
店が見えてきた頃――
また、あいつが目に入った。
さっき、休み時間に見かけたあの男子。
……今度は、別の女子と一緒だった。
抱き合っている。
何でもないことみたいに。
それが当たり前みたいに。
「なあ、クンゼ……」
小さく声をかける。
「ん? どうした」
俺は、さりげなくそっちを指さした。
「あいつ……さっき、違う子と一緒にいなかったか?
休み時間、手繋いでたの見たんだけど」
クンゼは視線を向けて、すぐに頷いた。
「ああ……あれは別だな」
驚いた様子はなかった。
……それが、逆に引っかかった。
「でも、ああいうのって珍しくないぞ」
クンゼは、淡々と言った。
「ここでも……他の場所でも」
「……普通、なのか?」
「ああ」
迷いなく答える。
「真剣な関係を求めてないやつもいる」
少しだけ間を置いてから、続けた。
「一緒にいられればいい、とか。
遊びでもいい、とか。
……一人じゃなければ、それでいいってやつ」
責めるような口調じゃなかった。
ただ、事実を並べているだけだった。
「で、うまくいかなくなったら――」
「……すぐ、次に行く」
「全員がそうってわけじゃないけどな」
「でも、珍しくはない」
「……そのほうが、楽だからな」
「深く入り込まなくて済むし」
「終わっても、そこまで傷つかない」
俺は、少しの間、前を見たまま黙っていた。
それから――
「それで……満たされるのか?」
クンゼは、すぐには答えなかった。
「……人によるな」
ようやく、そう言った。
「それでいいってやつもいる」
少しだけ視線を落とす。
「深入りしなければ……成り立つ関係もある」
嬉しそうには聞こえなかった。
……ただ、現実を受け入れてる声だった。
「でも――」
「無理なやつもいる」
「どれだけ割り切ろうとしても……結局、空っぽになる」
胸の奥が、わずかにざわついた。
「……なんでだ?」
クンゼは、迷わず答えた。
「本当は、もっと求めてるからだろ」
一拍置く。
「簡単に代わりがきかないものを」
俺は、一瞬だけ視線を落とした。
それから――
「……お前は?」
クンゼは、小さく笑った。
……感情のない笑いだった。
「俺は無理だな」
「好きになったら……どうでもいいふりなんてできない」
……それは、すぐに信じられた。
「だから、ちゃんとした関係のほうがいい」
「面倒でも」
「傷つくとしても」
数秒の沈黙。
そして、ぽつりと――
「結局さ……」
「何人といたかより――」
「誰と一緒にいられなかったかのほうが、残るんだよ」
……何も言えなかった。
ただ、その言葉だけが――残った。
店に着いて、買い物を済ませた。
見た目は、いつも通りだった。
……でも。
クンゼの言葉が、頭から離れなかった。
何度も、何度も繰り返される。
……まるで、残響みたいに。
向き合いたくない何かを、触られたような感覚だった。
別れて、俺は家に戻った。
ドアの前に立つ。
……まだ、消えない。
あの感覚が。
中に入って、いつも通りのことをする。
腹が減っていた。
幸い、母親が出かける前にご飯を用意してくれていた。
あとは、何か適当に合わせればいい。
台所に立つ。
手を動かしている間だけは――少しだけ、気が紛れた。
時間が過ぎていく。
そして、ようやく出来上がった。
皿の上を見る。
大したものじゃない。
……それでも、自分で作ったものだった。
食べようとした、そのとき。
——ドアを叩く音がした。
手が止まる。
コンロから離れて、窓のほうへ向かう。
誰だ――
そう思って、外を覗いた。
そして――




