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第20話:ドラゴンと枕

 「着いたよ。ヨナが手配してくれた宿はここみたいだね」

 ある建物の前でクロとエーギルは足を止めた。

 

 薄橙色の街灯に柔らかく照らされる、白亜の壁が美しい重厚な造りの建物。

 街の中心部から少し離れたところにあり、どこか隠れ家のような佇まいがある。

 外壁には風格が漂っており、立派な老舗のホテルであることがうかがえた。


 チョコレート色の木目が美しい重厚なアーチ型の扉を開けると、そこは大広間だった。

 ワインレッド色の絨毯とカウンターにいる白髪の執事が二人を出迎えた。

 穏やかな暖炉の火と重厚な家具が、空間に深みを与えていた。


 絨毯のしっとりと包み込まれるような歩き心地に、クロは緊張した。

 クロは正直、RPGに出てくるような伝統的な宿屋を想像していたのだ。

 思わず横にいるエーギルをチラリと不安げに見るクロ。


 大丈夫だよ、とエーギルは笑顔で頷いた。

 「従魔と一緒に泊まれる部屋を手配した」とヨナは言っていた。

 ここならば、普通の宿屋よりも防音対策がしっかりしている上に、従業員の口が堅い。

 もし何があっても対処できるよう、ヨナはここを選んだのだろう。

 

 白髪の執事に案内された部屋は、離れにあるコテージだった。

 クロは彼が一切足音を立てていないことにふと気づいて、つい気になって耳を立てたが、やっぱり聞こえなかった。

 ドラゴンの聴覚でも聞こえないなんて、何者なんだこのじいさん。

 

 コテージ内はとても広く、5人くらいは余裕で泊まれそうだった。

 庭には噴水まであった。おそらく庭は従魔用の宿泊スペースだろう。噴水は従魔用の飲み水か。

 生垣で囲まれた庭は外界から完全に遮断されていて、まるで秘密の隠れ家のような雰囲気だ。

 万が一クロがドラゴン姿になっても、多少は問題なさそうだ。


 そんな風にエーギルが感心するその横で、クロはキングサイズのベッドに元気よく飛び込んだ。

 たぶん庭は使う機会がなさそうだな、とエーギルは苦笑した。

 

 「おいエーギルすげえぞ!!ベッドもいい感じだが何よりこの枕が最高だ!!生地の肌触りがいいし、程よい沈み具合に大きさと重み……困ったな、褒めるポイントしかない」

 

 クロは大興奮で熱弁しながら、枕を何度も撫でたり揉んだり抱きしめたりしている。

 時折枕をポムポムと叩いて「ムフー!」と嬉しそうに歓声を上げる。

 まるで宝物を見つけた子供のように、枕を抱きしめて離さない。

 クロの尻尾はずっとご機嫌で、大きくしなるように揺れている。

 頭上にあるアイマスクの目までニッコニコだ。


 「そんなに気に入ったの?かわいいねぇ」

 そんなクロの様子をエーギルは微笑ましく見ている。

 

 (ドラゴンの生活環境に枕はないから、久しぶりの柔らかい枕が相当嬉しいのかな?)

 エーギルははじめそう思っていたが、どうやら違うようだ。

 久しぶりとかそれ以前に、ただ単純に枕の質の良さに感動しているだけらしい。

 

 クロはいつのまにかソファからもクッションを集めており、尻尾でぎゅっと抱き抱えていた。

 枕やクッションに囲まれてすっかりご満悦だ。

 ドラゴンは巣を作る習性があるので、こうして柔らかいものに囲まれていると、安心するのかもしれない。

 クロは満足そうに目を閉じている。

 

 枕だけでこんな楽しそうに過ごせるなんて凄いな、と驚きつつも、ゆるく頬が緩むのをエーギルは感じた。

 クロの無邪気な姿を見て、自分が抱えている重責を一瞬忘れそうになった。

  

「クロは本当にかわいいねぇ。そうだ、さっき買った食パンは明日の朝ごはんにする?」

 エーギルはテーブルに置いていた紙袋を持ち上げながら尋ねた。

 

 その紙袋には、途中で立ち寄ったパン屋でクロにおねだりされて買った食パンが一斤入っている。

 もしこれを朝食にするなら、ホテルのメイドに渡して切ってもらおうと思ったからだ。

 トーストしてもらうのも良さそうだ。


「いや、今食べる。おやつだ!」

 クロは目色を変え、抱えていた枕とクッションを放り投げてベッドから飛び出した。

 そのぐうたらとは程遠い俊敏な動きに、エーギルは腹を抱えて笑う。

 

「さっき巨人盛り食べたばかりなのに凄いなあ……宿の人に切ってもらうから待っててね」

 

「いらん、丸齧りする」

 エーギルが抱えた紙袋を、クロがひょいと摘み上げた。

 

「丸齧り!?食べづらくない?」

「食パンを丸齧りするのが、前世から夢だったんだ」

 ガサガサと紙袋を開いて現れた食パン一斤を見て、うっとりとした表情を浮かべるクロ。

 

 「どうしてそれが夢だったの?バケツプリンならまだわかるけど……」

 

 「子供のころ見た絵本に、大きなパンが出てきたんだ。それをまるごと食べていく様子が、あまりにも美味しそうでな……」

 目をキュッと閉じるクロ。どうやら美味しくて幸せな世界にいるようだ。

 どうして絵本で見るパンやホットケーキはどうしてあんなに美味しそうなんだろうな、とクロはしみじみと言った。

 その口元からはよだれが少し漏れている。

 

「ああ、なんかわかる気がするかも。それで食パンを一斤丸齧りする夢か……」

 エーギルはまたとろけるような笑顔で「クロは本当にかわいいね」と言った。

 

 また出たな、エーギルの「かわいいね」攻撃。

 クロはジト目でエーギルを見た。

 「宿に着いてからずっとかわいいねしか言ってないぞ」と呆れながら、大きな口で食パンに齧り付くクロ。

 齧り付いた瞬間、クロの顔がぱっと明るくなった。

 

 「うめえ〜!!異世界でも食パンは食パンなんだな、面白い」

 食パン一斤がみるみると短くなっていく。

 

 「ドラゴンライフを満喫してるねぇ」

 「せっかく異世界に転生したんだから、楽しまないとな!」

 


 屈託なく笑うクロを見て、エーギルはまた温かい気持ちになった。

 

 ……クロは不思議なくらいに甘やかしたくなるな。

 人ではなくドラゴンだから余計にそう感じるのだろうか?

 

 どのような経緯で、俺たちがこの世界に転生したのかは分からない。

 しかし、前世で彼がドラゴンに転生できるよう願ったのは自分だ。

 結果的に自分がこの世界へ連れてきてしまったようなものだ、とエーギルは思っている。

 

 竜殺しと呼ばれるエーギルだからこそ、ドラゴンにとってこの世界がどれほど窮屈か知っている。

 

 彼を災厄にさせないという勇者としての責務。

 前世で転生を願ってしまった親友としての責任。

 そして今世の親友として、クロを守ろうとエーギルは心に強く誓った。

 

 クロ、どうか君の進む道に幸多からんことを。


 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 クロは食パン一斤を食べ終えて一息ついたところで、ふと思った。

 ──そういえば自分の顔をちゃんと見たことがないな。ドラゴン姿も、人姿も。

 

 ここはホテルだ。洗面所におそらく鏡があるだろう。せっかくだから、自分の姿を確認しておこう。

 ドラゴンの生活環境には鏡なぞなかったので、クロは自分の容貌をほとんどを知らない。

 エーギルは武器の手入れをしている。確認するなら今か。


 クロはいそいそとベッドから起き上がり、バスルームと思われる扉のドアノブに手をかけた。

 その扉は結構年季が入っていたので、少しはガタつくかと思ったが意外となめらかに開く。

 金具をよく見るとネジは一本も使われておらず、前世の世界と全く技術が異なる事は明らかだった。

 やはりこういうものや武器は、ドワーフが作っているのだろうか?

 

 

 クロは鏡を見た。

 鏡には、前世から変わらない、自分の顔が映っていた。

 アイマスクを被った黒髪黒眼の男。

 エーギルが言っていた通り、アイマスク以外は前世と全く同じだった。


 思わずクロは自分の顔に触れた。

 頬に伝わる指の体温や感触が夢ではないことを証明していた。

 

 前世の死因が過労死だったことを思い出した。

 毎日、満員電車に揺られて会社へ向かう自分。徹夜で仕事をしていた自分。

 そんな日々から解放されたはずなのに、複雑な気持ちになってしまった。

 ドラゴンになりたいという夢が叶ったはずなのに、心の奥底には深い虚無感が広がっていた。


 顔や体型は前世と全く変わっていないが、目の下のクマが少し濃いのが気になった。

 そのクマのせいでちょっと怖い雰囲気になってしまっている。

 前世は忙しくて気にする余裕なんてなかったが、転生後もこうしてしっかり残るとは……。

 ちゃんと睡眠をとっておけば良かったな、とクロは思った。

 

 そして頭上のアイマスクには、なぜか目が描かれていた。

 何となくアイマスクの位置が気になって直していると、その目の模様が気になった。

 

「そういえば、なんでこのデザインなんだ?自分で作り出したやつだけど、デザインまでは考えていなかった気がするぞ」

 

 アイマスクをよく見ようと思って外すと、目の模様がフッと消えて無地になった。

 おでこに不思議な違和感を覚えて、前髪を上げてみると額に眼が2つあった。

 それは明らかに人の眼ではなく、爬虫類独特の細長く鋭い瞳孔が入った深いアメジスト色の瞳だった。


 「な、な……」

 

 クロは言葉を失った。

 その眼はあまりにも禍々しく、とても自分の眼とは思えないほど、人間のものとかけ離れていた。

 もはや作り物のようにも見えてくる。

 

 変化スキルの失敗だろうか?

 しかし体には全く違和感がない。変化スキルに何かが起こったのだろうか。

 

 ……とにかくここは異世界だ。

 元いた世界の基準で考えてはいけない。

 ドラゴンに転生したのだから、これも自分の体の一部だと捉える方が自然だろうとクロは考えた。

 

 何より額の眼は、自分の眼と連動して動いているようだ。

 額の眼も自分の体の一部として難なく動かせ、普段より視界が広くなったような気がする。


「もし俺がドラゴン姿だったら、こんな感じの目なのか?」

 クロは額の眼を見てそう思った。

 

 眼が合計で4つあるのは、ドラゴン姿と何か関係があるのだろうか?

 ますます自分のドラゴン姿を確かめなければ、とクロは思った。


 さて、どうやって自分のドラゴン姿を確かめようか?

 このまま安易にドラゴン姿になったら、勢い余って街を壊しちゃいそうだな。

 スモールサイズでドラゴン姿に戻れるのが一番いいんだけどな……。

 

 変化スキルを身につけたとはいえ、細かいコントロールはまだできない。

  

 時間のある時にサイズ変化の練習をしてみよう。

 いつかスモールサイズでドラゴン姿になれたら、エーギルの肩に乗せてもらうのも悪くないな。

 

 色々考えて、クロは頭部だけをドラゴン姿に戻してみることにした。

 今も尻尾だけを出しているから、頭部も同じ感覚でいけるはずだ……。

 

 可能な限り人の頭に近い大きさになるよう、慎重に調整しながら頭部の変化を解く。

 思いのほか繊細な調整が必要で、かなり集中力がいった。

 

 「……っとこんなもんかな」

 

 俺は改めて鏡に映った自分を見た。

 頭だけがドラゴンなのは異様な光景だったが、こうして自分の貌を確認できただけでもクロにとってはかなり大きかった。


 「……おお、本当に眼が4つある。確かにこりゃ、怖いな」


 鏡に映るドラゴンの貌はどこからどう見ても、まごうことなき邪竜だった。

 

 うっすらと紫色がかかった黒曜石のような黒鱗に、紫色に発光する2つの鋭い大角。

 顎を開くと鋭い牙が無数に並んでおり、舌はヘビのように先端で二股に分かれていた。

 そして眼は先ほど額にあったものと、全く同じかたちの眼が4つあった。

 左右に2つずつ、合計4つの眼が並んでいる。まるで昆虫の複眼のようだ。

 

 まさか自分の眼が4つあるなんてな。

 自分の体の事となると意外とわからないものだ。


 ……それにしても、ドラゴンでも寝不足になることもあるのか。

 皮膚が黒いから少しわかりにくいが、眼の下が他のところより黒ずんでいた。


 俺の変化スキルは、器官自体を人間のパーツに置き換えて変化させているみたいだ。

 そのため、4つある眼をどこかに置き換える必要があり、その結果がアイマスクの眼だ。

 アイマスクを外した場合は額に眼が追加される仕様らしい。

 

 なるほど、質量保存の法則的なアレか。

 もう少し変化の練習をすれば、額の眼を別のところに移すとか面白いことができそうだ。

 それができるまでは、人前でアイマスクをなるべく外さないほうがいいな。

 


 クロがしげしげと鏡に映った自分ドラゴンヘッドを眺めていると、バスルームのドアが開いた。

 バスルームに入ってきたのは、エーギルだった。

 クロがずっとバスルームから出てこないので心配になって様子を見に来たらしい。

 

 ドラゴンヘッド状態のクロを見たエーギルは、アホ毛ごと固まっている。


 「……クロ、それはどうしたの?変化スキルの不調とか?」

 エーギルはすぐに冷静さを取り戻した。

 

 クロはつまらなさそうに肩をすくめた。どうせならエーギルの驚く顔が見たかったぞ。

 「違う違う。今まで自分の姿をまともに見たことが無かったんでな」


 どうだ?とふざけて聞いてみたら、「人前でそれをしたら魔物と間違われて大変なことになりそうだから、絶対外ではしちゃダメ!」とエーギルに釘を刺されてしまった。

 

 「そうかぁ、そんなにヤバい姿なのかぁ」

 クロがそう呟きながら呑気に自分のドラゴンヘッドを触っていると……。

 

 「真っ先にギルドに討伐依頼が来るかもしれない。もしそうなったら、俺、断れないんだ」

 勇者という職業には制約があり、ギルドや国からの依頼は絶対に断ることができないのだという。

 ドラゴン関連の依頼はエーギルを指名してくることがほとんどらしい。

 勇者ってそういうところがちょっと理不尽だよね、とエーギルは複雑な表情で言った。

 このタイミングで騒ぎになったら、王都行きどころではなくなるかもしれない。

 

 それを聞いたクロは慌てて人間の頭に戻した。

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