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第19話:長い長い羊皮紙の領収書

 話し合いの末、二人はヨナの護衛として一緒に王都へ行くことが決定した。


 気づけば夜が更けていた。そのまま食堂で夕食をとることにした。


 「こんな数字を書くのは初めてだ」

 そう言うと店主は苦笑いを浮かべながら、長い羊皮紙に記された領収書をエーギルに手渡した。

 エーギルは、長い領収書に目を丸くした。

 店長はこれでもサービスした方だと言っていたが、それでも家ひとつは買えそうな金額だった。

 エーギルは、クロの食欲の深さに改めて驚愕した。

 

 その隣でクロは山盛りの料理を平らげ、満面の笑みを浮かべている。


 ヨナは愉快そうに肩を揺らし、「この数字のおかげで報告書を詳細に書く手間が省けた」と言った。

 請求はすべて王国が負担。この金額がエーギルの新しい相棒の存在を雄弁に語ってくれるだろう。



 

 明日の待ち合わせ場所を決めると、彼らは食堂を後にした。

 長髪を翻してギルドに戻るヨナの背中を見送りながら、クロとエーギルは宿へ向かった。

 落ち着いた赤茶色のテラコッタの上に、二人の足音が響く。

 


 日中は活気あふれるラルツィレの街だが、夜になるとさすがに静かだ。

 ときどき路地裏から漏れ聞こえる笑い声や、どこか懐かしい木槌の音。

 そして、どこからともなく漂ってくる食欲をそそる香ばしい焼ける匂い。

 森にいた頃とは大違いだ。

 いま自分は旅して街を歩いているのだと、クロは改めて実感する。


 (俺は末長く安心してぐうたらするために、こうして旅しているんだしな。最楽ルートでぐうたらエンドを目指すぞ!)

 

 夕方とても賑やかだったこの市場も静まり返っている。

 市場に並んでいたどの食べ物も美味しそうだったな。

 宝石のように鮮やかな果物や野菜の数々を、クロは瞼の裏に思い浮かべてうっとりと目を閉じた。

 

 そんなクロの様子を見たエーギルは、胸が暖かく満たされるのを感じた。

 夜風が爽やかに彼らの頬を撫でた。


 宿まであとどのくらいだ?とクロが尋ねた。

 「あと少しだよ。向こうの角を曲がればすぐそこだ」


 前世ぶりの宿。屋根と壁があり、ベッドがある。きちんとした寝床に、クロの胸は期待と興奮でいっぱいだった。

 落ち着きなく揺れる尻尾を抑えられない。

 「この世界の宿はどんな感じなんだ?」「ベッドはあるのか?」「どんな寝心地なんだ?」と、クロはまるで遊園地に初めて行く子供のように無邪気にエーギルに何度も訊ねた。

 そんな愛らしいクロに頬を緩ませながら、ひとつひとつに律儀に返すエーギル。


 

 「それにしても宿の手配もしてくれるなんて、思わなかったぞ。副ギルドマスター、有能すぎる!」

 エーギルへの質問を一通り終えると、感動した様子でクロは言った。


 (ん?あれで副?じゃあギルドマスターはもっと大変なのか?)

 自分の言葉で過労死した前世をふと思い出したクロは、思わずブルリと身震いした。

 

 「ヨナは確かにとても優秀だけど、宿の手配はギルドの仕事じゃないよ。あいつが勝手にやってるんだ」 

 

 「え?」クロは思わず間抜けな声が出た。


 ヨナはああ見えて面倒見が良いんだ、とエーギルは言った。

 「昔からいつも俺の世話を焼いてくれるんだよ。ヨナがギルド職員になったのも俺の力になるためだって」

  エーギルは星空を見上げ、懐かしそうに目を細めながら言った。

 

 「……ふーん?」

 それを聞いてクロのヨナに対する印象が少し変わってきた。

 

 クロは、前世エーギルと幼馴染だった。さらに転生した今もズッ友だぞ!

 なぜだかヨナに対してそう張り合わずには居られない気持ちが、ムズムズとクロの胸の底から滲んできた。

 しかし今この場にいない奴と張り合ってもな……そう思い、クロは話題を変えることにした。

 

 「なぁ。さっきヨナは結構強いって言ってたけど、あいつも戦えるのか?」

 あの女王然としたヨナの戦う姿が、どうもクロには想像できなかった。


 あの高いヒールも、長いコートも、実戦向きじゃないだろう。

 魔法を使ったり、後方で指揮を飛ばしたりするのだろうか?と頭をひねる。

 

 「うん、結構強いよ。ステゴロで戦うんだ」

 エーギルは両手で拳を固めながら悪戯っぽく笑みを浮かべた。

 

 「ステゴロ……素手でか!?」

 予想だにしなかったその組み合わせに、クロはますますヨナの戦う姿が想像できなくなった。

 上品な香水の香りを漂わせる優雅なヨナ、汗臭く拳で語る男たちの姿。その二つがどうしても結びつかない。

 それでも納得できるところはあった。

 (そういえば、体に厚みがあるというか……妙にガタイが良かったな)

 

 「ヨナのあの綺麗な顔でステゴロなんて、想像もできないだろう?」

 くるくると表情を変えながら考え込むクロを見て、エーギルはクスクスと笑う。

 

 水滴ひとつでも重たく花弁を揺らす清楚な百合が、突然荒々しい猛獣へ豹変する。

 それほどのギャップが、彼にはある。


 「彼はドワーフに育てられたんだ。『護身術を身につけろ』って、ハンマーの代わりに拳で鍛えられたんだって」


 ドワーフは代々、親からハンマーを受け継ぎ鍛錬を積む。だが、孤児だったヨナにはそれがなかった。

 エルフは古くから人攫いに狙われやすい。ヨナの養父はそれを憂い、護身のため、あらゆる格闘技をヨナに叩き込んだ。

 ヨナの養父いわく、「いつでも手元に武器があるとは限らん。結局は殴れる奴が一番強い」


 ヨナは元々並外れた怪力を持っていた。それに加え、エルフならではの身軽な身のこなし、ドワーフ仕込みの荒々しく大胆な拳闘術。彼の村ではヨナの右に出る者はいないほど強いという。

 その強さゆえ、キャラバンの護衛から傭兵、そしてギルドへと身を移し、ついには副ギルドマスターの地位にまで上り詰めた。

 


 「人は見かけによらねえな……大出世じゃねえか」

 クロは思わず驚きのため息を漏らした。

  

 「それにギルドでは冒険者同士の喧嘩が絶えないから、拳の方が手軽で良いんだってさ」


 あのヨナの突き刺すような眼差しや、優雅な見目とはかけ離れた乱暴な言葉遣いがクロの頭に浮かんだ。

 それは彼が数々の修羅場を潜り抜けてきた証なのだろう。

 そんな奴と一緒に旅できるのか。道中でヨナが戦う姿を見られるかもしれない。

 クロは三日後の出発がちょっと楽しみになった。


 クロの尻尾はゆっくりと膨らむ期待を表すように、テラコッタの上でゆったりと大きく揺れた。

 街灯のオレンジ色の灯りが、尻尾の黒鱗をなぞるように艶やかに照らした。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 


 時は数刻遡る。

 ラルツィレ支部副ギルドマスターの執務室のドアを叩く音がした。

 

「入れ」と、ヨナは机の上の書類から顔を上げずに言った。

 その声とほぼ同時に、ドアの近くで控えていたヨナの執事ルーカスが、滑らかな動作でドアを開く。

 ヨナの背にある大窓から差し込む柔らかな光が、執務室全体を明るく照らしている。


 入ってきたのはいつもの連絡係だった。

 柔らかな深緑の絨毯を踏みしめながら、机の前に立つ。

 

 「調査任務に出ていたエーギル殿がさきほどラルツィレに戻りました。真偽は不明ですが、彼がドラゴンを従魔にしたという証言があります」


 ヨナは書類から顔を上げた。連絡係の男は続けた。

 「彼はいま『冒険者の胃袋』で、謎の男と一緒に食事をしているようです。いかがなさいますか?」

 

 それはギルドの近くにある食堂の名前だった。エーギルはその店の常連だ。

 

 「謎の男?」

 ルーカスがすかさずヨナの代弁をするかのようにそう聞き返すと、連絡係は無言で頷いた。

 

 「ギルドの名簿にもどの記録にもなく、名前も素性も不明です。黒いロングコートを着た、黒髪黒目の男。黒い尻尾があるヒト系獣人です」

 

 ヨナは手に持っていた書類を置き、ルーカスにいくつか指示を出すと速やかに執務室を出た。

 

 エーギルは基本的に誰かとつるまず1人で行動していた。

 彼にかけられた竜の呪いが周囲を不幸にするため、エーギルは一人でいることを選んだのだ。

 そんなエーギルが誰かを連れてくるのは初めてだった。


 部下に探らせる手もあったが、ヨナはどうしても幼馴染として自分の目で確かめたかった。

 

 窓からの光が床にまばらに並ぶ、ギルドの長い廊下にヨナの鋭い靴音が響く。

 重厚な木製のドアが立ち並ぶ廊下でヨナの姿を見たギルド職員たちは、恐れを隠せない表情で海が割れるように次々と道を譲った。

 

 廊下をゆくヨナの長い金の髪の上を、窓の影が厳かな音楽を奏でるハープのように流れる。

 ヨナは知らず知らずのうちに、数百年前のある日を思い出していた。

 

 

 ───それは、エーギルが決意に満ちたまなざしで打ち明けてくれた日のことだ。


 「ヨナ、俺は世界を守るために勇者になる。あと何日かしたら修行の旅に出るよ」


 世界を滅ぼす巨大な黒竜の存在と、自分がその黒竜と戦う運命にある事をエーギルは語った。

 まるで何百年も前からもすべて決まっていたかのような口ぶりに、ヨナは息を飲んだのをよく覚えている。


 『聖痕を持つ者は数奇な運命を辿ることになる。』

 彼の聖痕を見るたびに、ヨナの脳裏によぎるその言葉。それはいつか読んだ本にあった言葉だ。

 最高神エウリジの聖痕を持つエーギルはどのような人生を辿るのだろう?ヨナは胸騒ぎがする。

 数奇な運命──その言葉が持つ響きには、平穏な未来ばかりがあるとは全く思えなかったからだ。


 ……エーギルが修行の旅に出てしばらくすると、エーギルの名声が少しずつ出始めた。

 街に出ると広場の吟遊詩人が、無名の竜殺しの英雄譚を声高らかに歌っていた。

 それは、数多のドラゴンを単騎で打ち倒さんとするエーギルの勇姿を勇ましく歌いあげるものだった。

 広場の人々は、新たな英雄の誕生に胸を躍らせ熱狂の声を上げた。

 大小さまざまなコインがちゃりちゃりと音を立てて、帽子へ吸い込まれていくのを、ヨナは横目に通り過ぎた。

 

 エーギルはきっとそう遠くない日に勇者になる。そして、数百年後には御伽噺の常連になるだろう。

 いつも一緒にいたあの幼馴染が随分と遠い存在になってしまったものだと、苦く笑ったものだ。

 鈍く光る銀貨の色が、出発の朝に見たエーギルの銀髪とかぶって見えた。

 

 

 ヨナは足をぴたりと止めた。気がつけば、『冒険者の胃袋』にもう着いていた。

 周りの景色も、通り過ぎた人の顔も、何もかも目に映っていなかった。

 いくら考えても、エーギルが連れてきた男に全く見当がつかなかった。


(……まぁ、どのみち会えば分かることか。)


 ヨナはドアに手をかけてゆっくりと開いた。

 軽やかに入店のベルが鳴る。ヨナは、終末を迎えた時に鳴るという天界の鐘を思い出した。

 運命的な何かを感じた。

 

 そして、その男はエーギルの隣にいた。

 その男は、目の前で巨人盛りをぺろりと完食してみせた。

 

 妙に食べ方が綺麗で品があったので、どこぞの貴族を匿っているのかと思った。

 報告通りの姿をしたその男は、クロと名乗った。

 

 その正体が噂のドラゴンだと知って、ヨナはますます驚いた。


 黒髪黒目はこの地では非常に珍しく、一度見たら忘れられないだろう。

 暗く沈んだ目に黒いロングコート、そして頭上の妙なアイマスクが印象的だった。

 知能もランクも相当高いドラゴンのようだ。

 

 彼が纏う魔力は黒く、よりにもよって闇属性らしい。

 クロの黒い瞳は、まるで奈落の底を見ているようだった。

 過去の経験から、ヨナは闇属性の魔力を警戒していた。

 

 闇属性のドラゴン……過去のエーギルの言葉が脳裏をよぎった。

 エーギルがずっと探していた、世界を滅ぼす黒竜。

 まさか。


 ギル、お前は何を考えている?

 そんな不安が、ヨナの胸中をよぎった。


 仮にも光の勇者であるエーギルがこのドラゴンになぜ心を許すのか、理解できなかった。

 聞けば出会ってまだ1ヶ月にも満たないというから、なおさらだ。

 

 ……今回の王都行きでこいつが一体何者なのか、この俺が見極めてやろうじゃねェか。

 そう密かに拳を固めていたが、その警戒心は早々に薄れた。

 

 当のクロは無邪気にデザートを何皿もおかわりして幸せそうに頬張っている。

 そんなクロを見て、ヨナはなんだか色々と馬鹿らしくなってきた。

 ああ、多分こいつは何も考えていない。

 

 店に潜ませていた密偵や店長からの報告、ナイフやフォークの置き方、綺麗に重ねられた皿、店員への態度。

 そしてクロの頭上にある妙なアイマスクは、ころころと変わる表情で彼の心情を雄弁に語る。

 クロのさまざまな行動から善性が滲み出ていた。

 そんなクロだからこそ、エーギルは心を許したのかもしれないとヨナは思った。


 不思議そうな顔でこちらを見るクロに、ヨナは優しく微笑んだ。

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