第五十三話 私の祈りは、通じたのだろうか
驚きのあまり、ステュクスは声を上擦らせ、口をぱくぱく開けていた。
「エ、エレーニ、自分が何を言っているのか、分かってる? 私の前で、嘘は通用しないよ?」
私は胸を張って応答する。
「差し出す対価ならば、このくらいは必要かと思います」
「そうだけど、そうじゃなくて……だって」
「私が子を産めないと分かれば、きっとサナシス様の愛は私へ向かなくなるでしょう。でも、サナシス様が何もかもを恨んでしまうよりは、ずっといいではありませんか」
「エレーニ、それは叶えられません。サナシスが悲しむわ」
「いいえ。私は神託のとおりサナシス様の妻となりますが、王族であれば他に跡継ぎを産むための妃を用意できるはずです。そちらで、サナシス様は幸せになるでしょう。サナシス様は何も知らなくていいのです。何もかもを恨むよりは、ずっと」
私は一気にそこまで言って、ふうと息継ぎをした。
そもそもだ。私は、この王城に来て、この数週間だけでもサナシスにとてもよくしてもらった。溺愛、と言ってもいいほどに、気遣いをしてもらった。私の今までの人生の中で、もっとも充実している時間だっただろう。私はすでに幸せをもらっているのだ。ならば、お返しをしなければならない。たとえ、それが私の残りの人生を使ったものであっても、それ相応のものをすでにもらっているのだ。
サナシスのため。その一点は、譲らない。そしてそれを、サナシスを愛するステュクスが見逃せるはずがない。
ステュクスは困惑していた。私を説得しようと、必死だ。
「エレーニ、あなたは知らないだろうけど、ヘリオスは半年後に死ぬのよ。たった半年、それだけのために加護を与えるの? あなたの一生涯残る傷と引き換えにする価値があるというの?」
愚問だ。私は笑う。
「サナシス様が喜ばれるなら、それでいいではありませんか。主神ステュクスよ、あなたはサナシス様を第一に考えておられるはずです。ならば、何が最善の手かもお分かりのはず。それとも、私の覚悟をお疑いですか?」
もう、ステュクスは私の言い分を無視できない。
すべてはサナシスのため。その建前を、本音を、絶対にステュクスは無視できない。私が嘘を吐いていないことも、本気であることも、神ならば分かっているだろう。
神に似つかわしくなく、ステュクスは天を仰いでいた。そして、ぶつぶつ何やらつぶやいている。
「今からモイライをぶん殴って……ヴィーナスの加護も足して、何やかやで十年くらい? うーん、それが限度、かしら」
何やら聞こえてきた言葉は物騒だったり、よく分からなかったり。
しばらくして、ステュクスは背筋を正し、私のほうへ向いた。
「こほん。分かりました、エレーニ。あなたは自分を犠牲にするのはおやめなさい」
ステュクスは何だか神らしいことを言っている。私はそんな不敬なことを思ってしまった。
「大体、私の巫女なんだから、私が望んで不幸にしたいわけがないじゃない。他の方法で対価は支払ってもらいます、ただしそれはヘリオスにやってもらうことが筋です。ヘリオスに加護を与えるのだから、ヘリオスが支払う。そういうものです」
「しかし、何を支払うというのですか? もしヘリオス様に」
「大丈夫大丈夫。とにかく、ヘリオスがいなくなればサナシスが悲しむ、ということでしょう? なら、各神々に相談して譲歩を引き出すわ。それでもさすがに百年の天寿を全うさせて、とはいかないから、そこは約束できないけど」
すでに、ステュクスは私に対して大きな譲歩をしてくれている。そこまでしてくれるとは思ってもみなかった、私は本来大らかな大河の神母であるステュクスの本分を見た気がした。
ステュクスはやっと、微笑む。
「あなたの思い描く最善の未来は来ないでしょう。でも、次善の未来には手が届くはずよ。それでいいなら、私はヘリオスに加護を与えるわ」
十分だ。私は、頷く。
「サナシス様のためになるなら、思し召しのとおりに」
ステュクスは私に近づき、頭を撫でた。仕方のない子だ、と言われているようだった。
私の祈りは、通じたのだろうか。きっと、ステュクスの心を動かしたのだと信じて——私は、意識を取り戻した。




