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ユートピア・アラート 〜超能力少年と不可思議少女の世界革命〜  作者: 赤嶺ジュン
ユートピア・アラート2 ファイアドール・ユアセルフ
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第三章 悪意-5





 上半身を中心とした火傷が、じくりと痛む。


 気持ちとしては今すぐにでも大講堂に向かいたいところだったが、もうかなり消耗してしまっている。包帯で塞がれた右目のみならず、左の方も開いているのが限界に近づいてきていた。


 御影奏多は左腕の力が完全に抜けた状態で、よろよろとおぼつかない足取りで正面玄関から校舎の外へと歩み出た。


 それと同時に、御影の周囲に計三色の過剰光粒子が舞い散った。


「ああ、クソ! まだいたか!」


 校舎内で仕留めたのが五名。元の予測が十名前後だったのだから、まだいたとしてもおかしくはなかった。その可能性に完全に思い当たらなかったのは、ひとえにテクラ・ヘルムートの居場所を突き止めたことにより生まれた気のゆるみだ。


 正面から一人。左右から二名。こちらを囲むようにして迫ってくる。御影は超能力を展開しようとし……気がついたときには、その場に両ひざをついていた。


「…………」


 体がまったく言う事を聞こうとしない。


 この程度の負傷は、四月一日のそれには遠く及ばない。その、はずだ。そう思わなければ、やっていけない。やってられない。


 周囲に青の過剰光粒子が出現する。前方の生徒が地面に両手をついた途端、地面が御影に向かって線上に隆起し、爆発していく。右側の者はこれまた地面から複数本の銀に煌く剣の群れを生やしていった。左側は気流の動きが怪しい。シャーリーと同じく特定の気体を操る能力者か、はたまた別の何かと見るべきか。


 御影は目を強く瞑ると、周囲の気体の動きへと意識を集中させた。


 そして、その乱入者に気がついた。


 一台のバイクが、こちらにむかって疾走してくる。正直乗り手の正気を疑うほどのスピードだった。


 さらに言えば、夜闇でわかりづらいが、空気の動きでバイクの周囲を複数の物体が飛翔しているのがわかる。まず間違いなく、乗り手は超能力者だ。


 凄まじいエンジン音が近づいてくるのに集中力を乱されたのか、三人の能力が暫し停止する。それと同時に、治安維持隊のものらしきバイクが校舎前の十字路でその身を横にし、タイヤと進行方向の向きを変えることで強制的にブレーキをかけ、強烈な摩擦音を上げながら静止した。


 予備動作もないまま、バイクの上から治安維持隊の制服に身を包んだ一人の男が宙へと飛ぶ。彼は灰色の過剰光粒子を纏いながら、一瞬で御影の元に辿り着くと、御影の体を右手で抱きかかえ、上方へと跳躍した。


 およそ人の脚力では実現不可能なスピードで、二人は校舎の屋上へと向かっていく。すぐ下で、三人の能力がぶつかり合い、爆散する音が聞こえた。


「よう、少年。随分と嫌われているみたいじゃないか」


 校舎の一番高い場所から伸びるアンテナを掴み、その男はコンクリートに降り立った。屋上よりも更に上、と言うべきか。屋上の出入り口となっている場所の上に二人はいた。


 男が御影の体を解放する。かなり強い力で引っ張られたため、火傷の影響もあり肺の底から響くような咳を繰り返す御影に、男はヘルメット越しに言った。


「悪いな。少し乱暴だったか」


「いや、助かった。アンタの能力は……磁力か?」


「ほう。どうしてわかった?」


「そりゃあ……『それ』を見れば、大体予想はつく」


 そう言って御影は、男の後ろの空間を指さした。

 そこには、明らかに鉄製の物体が数多く浮遊していた。分かりやすい所から言えば、鉄パイプにマンホール、さらには数丁のライフル銃、道路標識などがあげられる。工事現場にありそうなデブリも幾つか浮遊していた。


「なあ。まさかとは思うが、そのマンホールとか道路標識とかって……」


「ここに来る途中で拾ってきた。能力で」


「……だよな」


 誰かが下水道に落下したり、交通事故が起きたりしないことを切に願おう。

 ちなみに蛇足だが、道路標識や看板はなにもホログラムだけではなく、古来からの鉄製のものも存在する。あれはあれで電力消費などの問題も多々存在する。


「さて。下の連中がなかなかに厄介そうだし、そろそろ片づけるとしよう」


「待て。お前、一体何者だ?」


 御影の問いかけに、男がヘルメットを頭から取る。亜麻色の髪を夜風に揺らし、どちらかというと白が強い肌を月光に照らされながら、彼は御影に向かい言った。


「治安維持隊少尉、ティモ・ルーベンスだ。お前のことはジミーから色々と聞いてるぜ、御影奏多!」


 自己紹介が終わるや否や、彼の周囲に浮かんでいたもののうち、鉄パイプや道路標識など、棒状の比較的殺傷力が低そうなものが眼下の三人をめがけて飛んでいった。


 新体操のバトントワリングを見たことがあるだろうか?


 バトンと言っても、よく連想される陸上のリレーで使われる筒のことではない。もっと長い金属の棒を自由自在に操り、空中や体の周りで回転させることで観客を魅了する、とても一般人がまねできないような、高度な競技だ。


 御影奏多の眼下で展開されるそれは、さながら透明なバトントワラーたちが、鉄パイプや道路標識と共に舞い踊っているかのようだった。


 鉄製の棒が、空中を回転しながら三人の生徒の周りを飛び回り、彼らを翻弄する。派手な動きをする道路標識を囮に使い、そちらに目を取られた男子生徒の顎を、回転する鉄パイプがしこたまにうつ。


 校舎前の空間に灰色の過剰光粒子が出現してからものの数秒もしないうちに、御影を襲撃しようとした三人は地上に倒れ伏していた。


 それを確認したルーベンスが、右手をそちらへと向ける。その途端、彼の周りに浮いていた比較的質量の大きな鉄製品の群れが三人の元へと飛び、上からゆっくりと覆いかぶさることで、彼らの体を拘束した。


「……重すぎたりしないよな?」


「彼らの体を損傷するほどじゃない。そこら辺の加減は、俺も心得ているつもりだ」


 彼らを襲った鉄パイプの群れが自分のところに戻ってきたのを確認し、ティモ・ルーベンスは御影奏多に向き直った。


 上半身がくまなく包帯で覆われ、顔の包帯の隙間から痛々しいやけどの跡が見えた。平静を装っているが、時折表情が苦痛でわずかに歪むのが簡単に見て取れた。


 ルーベンスはため息を吐くと、左手を上げ、彼のすぐ近くへと一畳ほどの大きさの鉄板を飛ばし、膝程の高さで静止させた。


 それが意味することを察知したのか、御影は小さく頷くと、おそらくは体にかなりのがたが来ているにも関わらず、かなり滑らかな動作で鉄板の上に飛び乗り、縁を両手で掴んで体を支えた。それを確認し、校舎の頂上から地面へと飛び降りる。ルーベンスは軍服の下に仕込んだ鉄製の手甲やらすね当てやらに加え、御影の乗る鉄板を校舎の基礎である鉄骨を磁化したものと磁力の線でつなぐことにより重力の影響を緩和しながらゆっくりと下に降りていった。


 地面が近づいた途端、御影が鉄板から飛び降りる。ルーベンスは彼に背を向けると、先ほど取り押さえた三人の様子を確認しつつ言った。


「御影奏多。お前はテクラ・ヘルムートと敵対していると考えていいか?」


「まあ、そういうことになるな」


 予想通りの答えに、ルーベンスもまた頷きを返す。先ほどこことは別の建物で何人かを取り押さえ尋問した際、自分が御影奏多でないことに驚きの声を上げていたからこそ、ルーベンスは真っ先に彼を助ける選択をしたのだ。


「お前とエボニー・アレインが幼馴染だってことは知っている。今日の治安維持隊がまったく頼りにならなかったことも否定しない。だが、ここから先は俺たち大人の仕事だ。安心しろ。テクラ・ヘルムートの身柄は、俺が必ず――」


 そこまで話したところで、ルーベンスはぞわりと背筋に冷たいものが走るのを知覚した。

 反射的に、御影奏多の方へと振り返る。それと、御影が彼に肉薄し、足払いをかけてきたのが同時だった。


「――な!?」


 たまらず、背中からその場に倒れてしまう。御影奏多はさらにそこからルーベンスに馬乗りになると、右手の人差し指と中指を立て、躊躇いなくルーベンスの両目を狙って突き出した。



  ※  ※  ※  ※  ※



 大講堂。一般的な体育館に倍する建物の中央部で、エボニー・アレインとテクラ・ヘルムートは向かい合う。


 共に同じ事件に巻き込まれ、両親を失い、それでいてまったく真逆の人生を辿ってきた。起源が同じでも、そこからの過程がまるで違う。だがどうしようもなく、疑いようもなく、二人が共通のものに対し強烈な憎悪を抱いていた事は間違いないと、テクラは確信していた。


「学生警備に被害者三人中二人が集ったのは、偶然の要素も強いでしょう。かなり活動がきついボランティアのような隊に、あえて入ろうと考えるほど意志の強い生徒が、あなたたちぐらいしかいなかったことも影響しているかもしれませんが」


「……まあ、そうでしょうね」


「しかし、不思議ですね。あなたの在り方に、私は深い納得を感じています。ですが、リサ・リエラさんはどうにもわかりづらいです」


「あの子は色々と特殊なのよ。誰もが私たちみたいに、単純なわけじゃないわ」


 単純。二人の人生は、あまりにも簡単かつ明瞭だと、エボニー・アレインは言い切った。


 それに対しては、テクラもまた異論はない。


 自分は、与えられた不幸に圧し潰され、誰かに縋る道を選んだ。


 彼女は、与えられた不幸をはねのけて、誰かを導く道を選んだ。


 テクラ・ヘルムートは弱く、エボニー・アレインは強かった。言葉にしてしまえば、ただそれだけの話だ。反対でありながら、反転しているだけにすぎない。彼女を前にしていると、あたかも鏡と相対しているかのような錯覚に襲われる。


 だからこそ、強く惹かれる。その手を、繋ぎたくなる。境界線上に立つことさえできれば、二人は誰よりも互いをわかりあうことができる。


 同じ傷を、共有できる。


 テクラ・ヘルムートには、今の今まで己の感情を共有できる人間が一人もいなかった。家族も友達もおらず、愛情は常に向こうからの一方通行だ。自分の傷を癒すことを求める人はいても、癒そうとしてくれる者など、誰一人としていなかった。


「……あなたが、欲しい」


 むき出しの欲望が、口からこぼれ出る。


 エボニー・アレインは驚いたように軽く目を見開くと、苦笑しながら言った。


「同じ女の子に告白されるのは、これで何度目かしら」


「いえ。別に、そこまで重くとらえなくていいんですよ。ただ私は、私をわかってくれる人が欲しかった。そして、やっと始まりが同じ人に会うことができました」


 テクラは満面の笑みを浮かべて、自分より背の高い少女へと右手を差し出した。


「できればリサ・リエラさんともわかりあいたいですが、まずはあなたからです。私の手を、とってくれませんか?」


 一人でも、絶望的な状況から逆転することができたのだ。支配する自分と、先頭に立つエボニー・アレイン。二人ならきっと、何でもできる。


 何もかも、自分たちの思い通りにすることができる。


「どうか、一緒に私の願いを叶えてください。エボニー・アレイン」


 エボニーの顔がにわかに真剣さを帯びる。その変化を見るだけで、胸が高鳴るのがわかった。

 誰かに本物の敬意をもって向かい合ってもらえる感覚。人に背を向け続けることしかできなかったテクラには、今まで味わえなかったものだ。


「いいわよ、テクラ。あなたの願いを叶えてあげる」


 彼女は先ほどは別種の、柔らかな慈愛に満ちたほほえみを浮かべた。


 頬が、熱くなる。ああ。確かに、彼女の言う通りだ。これが、世間一般的に解釈されるものかはわからない。ただ、まず間違いなく、自分はエボニー・アレインを『愛して』いる。


 テクラの右手が、黒褐色の両手に包まれる。そのことに陶然とする彼女に、エボニーは続けて言った。


「あなたの望みは、よくわかっている。それをちゃんと、言葉にしてみなさい? 今まで逃げ続けたことも、騙し続けたことも全部、それで許してあげるから」



  ※  ※  ※  ※  ※



 御影も、ティモ・ルーベンスの両目を完全に潰すつもりはなかった。


 ただ、しばしの間彼には戦闘不能になってもらう必要性があった。たとえそれで彼に後遺症が残ろうとも、御影にはそれにも増して優先すべきことがあった。


 だが結局のところ、その心配をする必要性はなかったのだろう。そんな甘い考えがあった時点で、今のような事態になっていることは当然の結末だったと言える。


「どういうつもりか話してもらおうか、御影奏多!」


 自分の目のすぐそばで静止している御影の指を睨みつけながら、ティモ・ルーベンスが怒声を上げる。御影がそれ以上動けない理由は単純で、ルーベンスの左腕が御影に向けられ、軍服の袖の中から飛び出てきた鉄製の串が御影の喉元に突きつけられているからだ。


「四月一日の件からしてただのガキじゃねえとは思っていたが、随分な真似をしてくれるじゃないか! 自分が何をしているのか、わかってんのか!?」


「……」


「いっそのこと試してみるか? お前の指が俺の目を潰すのが先か、俺の串がお前の喉を貫くのが先か!」


「……」


「このままだんまりを決め込むなら、俺は本気でお前を殺しに行くぞ、御影奏多!」


 軍服の袖からのぞく手甲の中から、数本の針が飛び出てきて、串の周りに並んだ。


 新たな武器の出現に、御影はまったく反応することができなかった。これは、お前が動くよりも先に息の根を止められるという脅しであるのと同時に、まだ対話をする余地があるという宣言でもある。主導権は完全に、ティモ・ルーベンスに移っていた。


「……降参だ」


 御影は噛みしめた歯の間から絞り出すようにしてそう言うと、ルーベンスの眼前から指を離し、その場に立ち上がって両手を上げた。

 武器をしまってルーベンスが体を起こし、軍服についた土埃を払いながら、こちらと慎重に距離を取る。御影が完全に戦意を消失していると判断したのか、彼は肩の力を抜いて笑った。


「どうやら大人というものを舐めていたようだな、クソガキが」


「大人を舐めているかは知らない。だが、お前を軽んじていたことは認める。……申し訳ありませんでした」


「……お、おう?」


 先ほど自分を攻撃してきた人間が突然丁寧に頭を下げてきたのに驚いたのか、ルーベンスが人差し指で頬をかきながら微妙な顔をする。だがすぐに、御影の目に未だ自分に対する敵意があるのを見て取ったのか、表情を厳しいものにした。


「俺を信用できないのはわかる。実際、俺が行ったところで何の解決にならないかもしれない。……だけど。治安維持隊の人間であるお前に、行かせるわけにはいかない」


「俺が治安維持隊の人間だから、信用できないって事か?」


「ああ、そうだ。なぜなら、治安維持隊の第一目的は、個人の命を守ることではなく、社会の安寧を保つことだからだ」


「……否定はしない」


 御影の指摘に、ルーベンスが腕を組んで頷く。御影は彼の立ち位置が大講堂と自分の間であることを歯がゆく思いながら、続けて言った。


「時間がない。理由を、手短に話す。だから……どうか、彼女の相手は、俺一人にまかせてほしい」



  ※  ※  ※  ※  ※



 大講堂にて。

「すみません。具体的な望みをと言われても、うまく言葉にできません」


 エボニー・アレインの問いかけに、テクラ・ヘルムートははにかみながら言った。


「でも、それは今から二人で見つけていけばいいんじゃないでしょうか」


「……何を言っているのかしら?」


「え?」


 どくん、と。心臓が跳ね上がるのがわかった。


 二人の間にある空気が、急速に重みを増していくような、そんな気がする。


 この感じは、知っている。テクラ・ヘルムートは、この肌をひりつかせる熱から逃げるために、今の今まで、周りにいる人間の全てを操ってきたのだから。


「望みが何か分からない? 決心がつかないだけかと思っていたけど……まさか、今まで考えもしなかった、なんて寝ぼけたことを言うつもりじゃないでしょうね?」


 これは、怒りだ。


 つい先ほどまで柔らかな慈愛を見せていた筈のエボニー・アレインが、こちらを圧するほどの怒気を放っている。


「……え? ……え?」


 何を間違えたのかが、わからない。


 失敗はしていないはずだ。個人差はあれど、自分の能力は今の今まで全ての人間に働いた。彼女の愛情を、自分は勝ちえている。


 なのに。なぜ自分は、エボニー・アレインから、むき出しにされた刃のような敵意を向けられているのか。


 ……なぜ彼女は、ジーンズのポケットからライターを取り出し、こちらに向けているのか。


「まったく。やっと、理解者を得られたと思ったのに」


「……エボニー、さん? ……その……どうして?」


「それとも、自分で気がついていないのかしら? それはそれで許せないけど、言葉にすれば何かが変わるのかしら?」


 無意識に後ずさりしてしまう。それを追いかけるようにエボニー・アレインはテクラへと一歩足を踏み出すと、眉間に皺を寄せて言った。


「私たちは誰かを助けるべき立場でありながら、一番大切な人を守れなかった。だから……その贖罪として、炎の中で永劫とも思える苦しみを味わいながら生を終える。それが、私たちの共通の望みでしょう?」


「……そん、な!」


 激甚な恐怖に、唇がわなわたと震える。


 そして、このとき、この瞬間になって、テクラ・ヘルムートはようやく自分の過ちに気がついた。


 確かに、起源は同じだ。二人共に、憎悪の炎によって最愛の人を失った。しかし、それでも。それでも……彼女と自分とでは、致命的な違いがあるのだと。


「私たちは苦しむべきなのよ。お母さんもお父さんも……生きたまま火に焼かれて死んだ。それがどんなに苦しい事だったのか、私は誰よりも知っている。だから……だから……私は……あなたはッ!」


「……嫌! イヤァァアアッ!」


 目の前の存在を否定する悲鳴がテクラの口から迸り、彼女はエボニー・アレインに背を向け、出入り口に向かって走りだした。


 だが中ほどまで行ったところで足がもつれ、その場に転んでしまう。床に這いつくばった状態でエボニーの方を見上げた彼女は、言葉も無くその場に固まった。


 彼女の表情が、まるで変わっていない。


 それは、未だ怒りをこちらに向けているという意味では断じてない。この場に来たとき、最初に見せていた親愛の念を、彼女はそのまま自分に向けていた。


 今まで目にしていた物に対する認識が、ガラガラと音を立てて崩れていく。


 今までテクラはずっと、エボニー・アレインがこちらに見せる愛情を、セミナーや明けの使いにいた者達のそれと同一視していた。


 だが、テクラ自身が悟っていたように、彼女は誰よりも『強い人間』だった。彼女の周りにいた人間とは別種であり……また、一般的価値観からも遠く外れた少女だった。


「大丈夫。私は人体焼却については専門家よ。人体の何パーセントを焼けば死に至るか。どの部位を焼却されると致命的なのか。どれくらいの苦痛が対象を襲うか。私はそれらを全て、感覚として理解している。だから、ええ。一番苦しむ死に方をさせてあげるわ」


 テクラは床にへたり込んだまま、動くことができなかった。


 体がまったく動こうとしない。恐怖にすくんでしまっている。それでも。それでも、どうにかして彼女を説得しなくてはならない。


 この狂気に満ちた会話の、穴をつかなくてはならない。彼女の思考回路は通常時の数倍の速さで駆動し、そして、その矛盾に気がついた。


「ありえない。そんなことは、ありえない!」


「何がよ?」


 エボニーがきょとんとした顔で首を傾げる。この期に及んでまだ、彼女が『普通の少女の顔』をできることに怖気を覚えつつも、彼女は必死にエボニーを睨みつけた。


「人を焼くことについて、あなたが詳しいはずがない! ましてや、人をどれくらい焼けば死ぬかを感覚的に理解するだなんて、一体何人焼き殺せば……」


 ……そして。そこまで言ったところで、彼女は。


 エボニー・アレインが、真に狂人たる所以に、気がついた。


 ……気がついて、しまった。


「まさか……」


 脳の理解が、まるで追いついていない。恐ろしさを感じる暇もない。


 ただただ、受け入れがたい。生きている人間が、そんなことをするなんて、信じられない。


「アレインさん。あなたは……かつて、自分を焼き殺そうとしたんですか?」


 ――歪む。


 彼女の唇が、欠けてしまった月の形に、曲がる。


「ええ、そうよ」


 エボニー・アレインはテクラの疑問をあっさりと肯定し、いつもと何も変わり無い、正気すぎて狂気じみたようにしか感じられない声で続けた。


「私は私を許せなかった。だから私は、両親と同じように、炎の中で死のうとしたのよ」


 エボニー・アレインという人間を誰よりも憎悪するのは、エボニー・アレイン自身だった。


 ……これは、本当にただ、それだけの物語。




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