第三章 悪意-4
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トウキョウ超能力発現セミナーの跡地を、御影奏多は疾走する。
いくつも立ち並ぶ白色に塗られた建物の群れは、まだ全て真新しい。だがそこは、議論の余地なく廃墟と呼ぶしかない場所だ。
少なくとも、一ヶ月以上使用されていなかったことは間違いない。更地にされていないのは恐らく、セミナー側の最後の抵抗だろう。悪あがきと言えばそれまでだが、お陰で随分と手間を取らされることになった。
『……これだけ広いと、あのメンヘラ女がどこにいるかわからねえな』
建物と建物の間に渡された、ガラス張りの橋の下を潜り抜け、御影は舌打ちを一つした。
テクラ・ヘルムートの自己顕示欲が高いことは、ほぼ間違いない。そうでなければ、セミナーの外にまで手を出そうと考えたりはしないだろう。明けの使いの話しぶりでは、どうやら宗教団体の救世主を気取っていたようだし、単純に考えればセミナーの所有する建物のうち、もっとも豪華絢爛な場所にいると考えるのが正しい。
『ウォーレンを襲った以外の奴らは……クソ。建物に隠れてんな、これ』
御影奏多は、第一高校では最強の人間兵器だ。しかしだからこそ、その対策のための研究は進められている。
一番手っ取り早いのは、御影に対し室内戦を挑むことだ。それだけで、御影の最大の武器である、自然の風を利用した空気の『槍』が使えなくなる。おまけに、建物内の空気の動きは外からでは感知しづらく、居場所を特定できないというおまけつきだ。
幾つも立ち並ぶ街灯の光から暗闇へ、また光の中へと順番に飛び込んでいきながら、御影は頭をフル回転させていく。詳しい居場所までは特定できないが、計二つの施設に敵勢力が集中しているのがわかる。建物内の空気に変動が見られる以上、まず間違いない。さらにもう一つの集団がウォーレンを迎え撃つべく移動しているのがわかったが、そちらは向こうに任せることにした。正直、離れた味方をサポートするほどの余裕はない。
特設クラスのメンバーは、計四十名強。ウォーレンが仕留めたのは、その約四分の一。単純計算で、一つの建物に十人前後の超能力者がいることになる。
「――ッ!?」
そこまで考えたところで、御影は強烈な頭痛を感じ、慌てて気流を前方から吹かせて自分の体にブレーキをかけ、一度その場に立ち止まった。
膝が勝手に笑い出し、たまらずその場に片膝をついて蹲ってしまう。これは、別にノゾムの能力阻害によるものでも、何でもない。ただ単純に、御影の限界が近いという事だ。
超能力の使用にも、体力を使用する。特に精神面の摩耗は酷い。イメージだけで超常現象を起こしている以上当然と言えば当然だ。今の御影は、心身共に疲弊しきった状態だった。
『いや。やっぱり、あの女の影響か。アイツの前で能力をあれだけ使用すれば、当然こうなる』
これから少なくとも第一高校の精鋭十人以上を相手に大立ち回りをし、かつエボニー・アレインと対峙しなくてはならない以上、体の多少の不調は無視せざるを得ない。
だからこそ、最初の計画ではノゾムを連れていく予定だった。だが、それはできない。彼らは自らの力に誇りを持っている。それゆえ、基本は超能力しか使ってこないが、理屈はともかくそれが通じないと分かれば、もっと有効的な手段を用いてくるだろう。
……第一高校を襲撃して来た者達が火器を使用していた以上、このセミナーに武器庫が隠されていない保証はない。それを用いられた場合、御影ではノゾムを守り切れない。さらに言えば、余りノゾムの力を使いすぎると、治安維持隊にまた目をつけられる可能性もある。
「ハハハ! 無様だな、御影奏多! その怪我はどうした? どこかで転んだのか?」
御影が元から目的地としていた建物、どうやら授業用の校舎らしき巨大な建物の前から、少年の高笑いが聞こえてきた。
足に力を入れて、ゆっくりとその場に立ち上がる。御影は両手を広げると、彼、ロイド・ウェブスターに向かって、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「ちょっと、幼馴染とじゃれ合ってな。お前も気をつけろよ、学級委員。軽い気持ちで女性に触ると、火傷するぜ?」
「……何の話だ?」
ロイド・ウェブスターの笑みが消える。どうやら、挑発に対する耐性は驚くほど低いらしい。
御影はロイドの後ろにある建物へと視線を移した。四階建ての校舎は、イメージとしては小学校のそれに近い。ただ、戦場としてはかなり広い。中に一度入れば、全員を仕留めるのにはそれなりの時間を必要とするだろう。
「あの爺さんは、何者だ? 一定範囲の人間に過度の精神的ストレスを与える超能力者とか、そんな感じか?」
「素直に怖いって言えよ、学級委員。お前が気にしているのは、ウォーレンの前に出していたのは自分の分身であったにも関わらず、お前自身にダメージがいったこと。つまりお前は、ウォーレンが自分の居場所を突き止める能力を持っているのかと、恐れている」
「……」
御影の指摘に、ロイドは肯定も否定もせずに目を細めた。
彼は御影の前に堂々と姿を現しているわけでもなんでもない。その証拠に、目の前にいるロイドの体がある場所を風が普通に通過しているのがわかる。
「穴熊を決め込む臆病者が。後ろの建物に隠れている奴らと一緒に引きずり出してやるから、首を洗って待っていろ」
「ほう。よく言った。ならば開戦と行こうじゃないか、御影奏多!」
ロイドの叫びが終わるや否や、校舎正面玄関の自動ドアが外れ、おそらくはガラス製であろう巨大な板が二つ、ロイドの分身を貫通し、御影に向かって飛んできた。
御影は包帯で隠れていない左目を瞑って、視覚情報を完全に遮断し、周囲の気体の動きに全神経を集中させた。
神経回路が、体から飛び出し、周囲へと拡散されていくような感覚。思考が研ぎ澄まされ、体感としての時間が引き伸ばされていく。
数万の気体分子をかき分け、二つの板状の物体が御影に迫る。だが、慌てる必要は無い。どのように体を動かし、投擲物を避ければいいのか。それは全て、空気の流れが知っている。
物体にぶつかった気体は、何もない空間へと逃げていく。それにより生まれるのが風であり、御影が進むべき道だった。
足をわずかに動かし、バランスを崩さない程度に上体を傾ける。その直後、御影の体を掠めるようにして、透明な板が地面に激突した。
御影の左目が見開かれる。それと同時に強烈な風が吹き荒れ、御影の体を前方へと吹き飛ばし、御影はそのまま校舎の内部へと疾走した。
扉の無くなった出入り口を走り抜け、玄関ホールへと侵入する。そこは吹き抜け構造になっていて、四階の天井までの空間を巨大な柱が貫いていた。
おそらくは三階の廊下から、赤や青、黄など、色とりどりの炎が飛び出て、御影の元へと走る。だが、御影がそちらに左手を向けた瞬間、その先の一点を目指してホール内の空気が集まっていき、炎がその場に吸い込まれ、そして消えた。
局所的な真空を作り出すことにより、ありとあらゆるものをそこに吸い込ませる荒業だ。正直燃費がかなり悪いためあまり使えないが、室内ではこういう荒業を駆使する必要がある。
御影はそのまま跳躍すると、そのまま中央の柱に足をつけ、垂直方向へと駆けあがった。
自動ドアが無くなった玄関から、甲高い音を上げながら風が吹き込み、御影の体を上方へと押し上げる。御影は二階を過ぎたあたりで柱を蹴り飛ばし、宙で体を縦方向に一回転させて、三階の廊下に着地した。
「嘘でしょ!?」
吹き抜けからこちらへと攻撃してきた、頬にタトゥーを入れた少女と目が合う。彼女は懐からコルク栓がつけられた試験管を取り出したが、それを御影に向かって投げつける寸前に、御影が発生させた強風をもろにくらい、廊下を転がっていった。
彼女の近くで試験官が割れ、色とりどりの炎に彼女の体が包まれ、悲鳴が響き渡った。
「馬鹿かアイツ!?」
あまりのことに瞠目してしまう。御影は周囲を見渡し、近くにあった消火器を引っ掴むと、うっかり左手で栓を引きかけて舌打ちし、今度は右手で栓を抜いて、取り付けられたホースの先から飛び出る白い粉を全て少女の体にぶちまけた。
頭からつま先まで真っ白に染まった少女が、廊下に横たわったまま咳を繰り返す。思わずため息をついてしまった御影は、次の瞬間、すぐ隣にあった教室の壁の表面が泡立ち始めたのを目にして、またもや目を見開くことになった。
「クッソ!」
慌てて背中から倒れるようにして後退する。直後、壁に大穴が空き、教室の中から大量の液体があふれ出て、床で煙を上げた。
硫酸だか硝酸だか王酸だか知らないが、取り敢えず『材料』さえあれば強酸性物質を量産できる危険人物が教室内にいるらしい。
御影はつい先ほど助けた少女にまで酸がかかっていた可能性に歯ぎしりをして、教室後方の扉を蹴り倒して中に入った。
「ヒッ!?」
今度は舌にピアスをした女が、御影の姿を見て悲鳴を上げる。大穴が空いた壁の近くには瓶の破片らしいものが散乱し、彼女の隣の机にはまたいくつかの瓶が置かれていた。
彼女の手が、瓶の一つへと伸びる。御影は舌でぺろりと唇を舐めると、意地の悪い笑みを浮かべた。
「外にいたお前の仲間が酸を食らって、なかなか愉快な姿になってるぜ?」
「嘘!?」
「嘘だ間抜け」
一瞬体を硬直させた隙をつき、少女の体に全力の蹴りを入れる。いくつかの机をなぎ倒して倒れ伏した彼女から、無事だった瓶の群れへと視線を移し、彼は舌打ちを一つした。
「そんなに大事な仲間なら、巻き込む可能性ぐらい考えろ」
「……カ……ハッ!?」
「じゃあな、舌ピアス。悪いが、お前が女だからといってかける情けはどこにもない」
顔を苦痛に歪めて四肢を痙攣させる彼女に背を向け、御影は教室の外へと飛び出す。超能力である以上、世の理を多少は外れることもある。もしかしたら彼女の能力は、酸の大量生産ではなく、その効果を倍増させるものだったかもわからない。どうでもいいが。
御影は廊下を走りながら、ギリギリと歯噛みをした。吹き抜けまであり、建物内の空間的なつながりがかなりあるにもかかわらず、敵の位置がわからない。どうやら教室内に隠れることによって、気体の動きを乱すのを避けているらしい。
これが、御影の能力の致命的な弱点の一つだ。区切られた空間の量が増えるほど、敵の気配探知の精度が下がる。
「やあ、御影奏多」
「――ッ!?」
誰もいない筈の空間から男の声が聞こえてきて、御影は思わずその場で足を止めた。
声の方へと視線を向ける。廊下突き当りのホール中央部で、こちらを見てせせら笑うロイドの姿を見て、御影は唇を噛みしめた。
『やられた! 気体の流れを掴むのに集中しすぎた!』
ロイドが幻影使いであることは分かっていた筈なのに、何の無い空間から人の声が聞こえてきたと動揺してしまった。
彼の役割は足止めだろう。つまり、御影が丁度立ち止まったところに罠が仕掛けられていると考えるのが自然だ。
また教室の中からの攻撃かと壁の方向に目を向けた御影は、次の瞬間、すぐ下の階の教室から人が出てきたのを感知した。
『二階! そう来たか!』
逃げる暇はなかった。
下から突き上げられるような感覚と共に、一瞬御影のいる廊下が隆起し、音を立てて崩れ落ちた。
途中でへし折れた鉄骨とひび割れたコンクリート片と共に、御影は階下へと移動する。なんとか瓦礫のないところに着地することに成功した御影は、丁度そのフロアにいた、拳を天井の方へと向ける姿勢を取っていた男子生徒に向かって右手を振った。
二本の風の筋が、螺旋を描くように絡み合い、男子生徒の体に突き刺さる。おそらくは能力で天井を破壊した張本人であろう彼は、錐揉み回転しながら宙を舞い、廊下の途中で落下してそのまま動かなくなった。
だが、御影を待ち受けていたのは、一人ではなかった。
「加速せよ!」
また新たな男子生徒の掛け声と共に、御影の後ろに散乱していた瓦礫の群れが、御影の後頭部を正確に狙う形で直線上に宙を飛んだ。
その場に屈むことで瓦礫を交わし、立ち上がりざまに後ろを振り返る。そこで御影は、自分のすぐそばまで、かなりがたいのいい男が迫ってきていることに気がついた。
彼の拳が、胸元へと迫る。反射的に右手を出し、掌で拳を受け止めた御影は、男の分厚い唇が笑みの形に曲がっているのを目撃し全身が総毛だった。
「終わりだ、御影奏多」
「――ッ!?」
突如、全身から力が抜けていくのがわかった。
体を動かす大切な何かが、男の手へと吸い込まれていくような、そんな感覚。
『ドレイン! コイツ、相手の体力を吸収して自分の物にする奴か……ッ!』
第一高校四学年の中でもそれなりの実力者なので、御影にも覚えがあった。流石特設クラスのメンバーというべきか。
たまらずその場に両ひざをついてしまった御影の体に、彼の右足が食い込む。体がくの字になるほどの衝撃に、御影は瓦礫を蹴散らしながら廊下を転がり、壁にぶつかって制止したところで、たまらず吐血してしまった。
口いっぱいに鉄の味が広がる。薄ぼんやりとする視界の中で、瓦礫を『加速』させた男子生徒と、どう見ても成人男性にしか見えない少年がこちらに走ってくるのがわかり、御影は両目を大きく見開いて叫んだ。
「なめんな、雑魚ッ!」
校舎の外にある空気がうねり、一つに束ねられ、窓を突き破って御影の隣の教室内を走り、教室の扉を吹き飛ばした。
真横から飛んできたドアが直撃し、『加速』の男子生徒がたまらず廊下を転がる。御影は何とか上体を少しだけ起こすと、両手で後ろの壁を押し、拳を自分の方へと突き出していた男の股の間を潜り抜けるようにして廊下の上を滑った。
左手まで使った全身をばねにするような運動に、体が悲鳴を上げるのが分かる。左手を庇いながらその場に立ち上がった御影は、ドアの下から『加速』の少年が這い出てくるのを目撃した。と同時に、彼の体が何の前触れもなく宙を飛び、彼は空中で拳を構える動作をした。どうやら、自分の体を先ほどの瓦礫と同じ要領で『加速』させたらしい。
後ろからは、例の筋肉男が、右手を開いてこちらに迫るのがわかる。御影は薄笑いを浮かべると、彼の手が自分の頭に触れそうになった直前でその場に屈んだ。
近接戦闘で御影の能力の長所を上げるとするなら、やはり目に見えない場所も気体の動きで把握できる点だ。敵にとってみれば背中にも目があるような動きをされることになり、これが案外馬鹿にならないレベルで相手の意表を突くのに役に立つ。
「……え?」
後ろから走ってきた男が、間抜けな声と共に、御影の体に足を取られつまずいた。そしてそのまま……加速の少年がつき出した拳が、もろに彼の顔に直撃した。
鼻から血を吹き出しながら、男の体が廊下に倒れる。目の前で唖然と口を開く少年に対し、御影は立ち上がりざまに、右拳を彼の鳩尾に叩き付けた。
「……ガッ!? お前……近接戦闘は……苦手……じゃ……」
「苦手だからウォーレンと訓練してんだよ。弱点の対策をしないわけがないだろうが」
「クソ……。や……と……勝て……」
何かを悔やむように顔を歪めた少年は、そこまで言ったところでガクリと全身の力を抜いて、御影の方へと倒れてきた。
それを体を横に動かすことで無慈悲に避けつつ、御影は右手をズボンのポケットに突っ込み、瓦礫の間を縫うようにして廊下を進む。いくつめかの教室に来たところで、御影は一度立ち止まると、裂帛の気合と共に、隣にあった教室の扉を蹴り倒した。
引き戸が大きな音と共に倒れ、教室の中からそれに倍する悲鳴が聞こえてくる。御影は不機嫌そうに顔をしかめて、ドアを踏みつけてその教室に入った。
学習用の机が並ぶ教室で、一人の少年が顔を青ざめさせている。御影は見る者を圧する狂暴な笑みを浮かべた。
「見つけたぞ、『本体』」
「……ヒッ! ヒィィッ!」
彼、ロイド・ウェブスターは、後ずさりしようとして置いてあった椅子に足を取られ、複数の机を巻き込みながら後ろに倒れた。
大股でロイドに近づき、右手で彼の胸倉を掴んで立たせる。彼は今にも泣きそうな目で御影を見ながら、口を開いた。
「ど……どうして……」
「どうしてここにいるとわかったか? 分身の出た位置から大体このあたりかと検討をつけていたのもあったが、いくら壁越しでも、それだけ息を乱していれば気づくわ」
近くにあった窓に、ロイドの体を叩きつける。衝撃にうめき声を上げるロイドに、御影は低い声で問いかけた。
「テクラ・ヘルムートはどこにいる?」
「へ。残念だったな。ここには……」
「いないんだろ? そんなことだろうと思っていたよ」
ロイドの高級感漂うベストを掴む力を強くする。御影は彼に一歩近づくと続けて問いかけた。
「俺はお前を捕らえるために、あえて誘いに乗ったんだよ。分身を出す能力は確かに強力だが、本体を探し当ててしまえば、他の超能力者よりも取り押さえるのは楽だと思ってな。さて、もう一度問おうか。テクラ・ヘルムートはどこにいる?」
「……」
「だんまりか。なら……」
御影は一度ロイドの胸倉から手を放すと、咳込む彼の顔面を掴み、後頭部を窓に叩き付けた。
少しだけ、ガラスに亀裂が入る。荒い息が掌をくすぐってくるのを感じながら、御影は右手の親指と人差し指を使って、ロイドの右目を見開かせた。
ロイドの全身が、恐怖に強張るのが感覚で分かった。
「何をす……」
「こうするんだよ」
言葉と共に、包帯にくるまれた左手の親指を、ロイドの眼球に押し当てた。
今までのそれに倍する、絶叫に近い悲鳴が、教室内に木霊する。まだ眼に指をのせているだけにすぎないが、それでも痛みと恐怖はかなりのものであるはずだ。
「テクラ・ヘルムートはどこにいる! 答えないなら、このまま眼球を抉り取るぞ!」
「お前……正気じゃ……ないッ!」
「正気も正気だよ。少なくとも、あの女よりはよっぽどな!」
御影はそう言ってせせら笑うと、目を押す力を少しだけ強くした。
指の下で、思いのほか固い球体が、少しだけ歪むのが分かる。後から後から出てくる液体に、包帯の表面が濡れ、火傷をした場所に触れて少ししみた。
「大講堂! 大講堂に、彼女はアレインと二人でいる!」
「大講堂? そりゃどこだ?」
「正面玄関から出て右! 二つ目の角をもう一度右だ! わかったら指を離せ!」
「お前が嘘をついていないという保証は――」
「こんな状況で嘘なんてつくかよ! 頼むから、もう許してくれ! お願いだ!」
「敵に情けをかける馬鹿がどこにいるんだ、阿呆」
「……あ」
御影の宣告に、ロイドの震えが完全に止まった。
口が半開きになり、強く引き結ばれ、また開く。
ロイドは左目の焦点をどこか遠い方にずらして、ポツリと呟いた。
「助け……て……」
「嘘だ間抜け」
「……へ?」
御影はロイドの顔から両手を離すと、彼に背を向けた。後ろで、ロイドが力なく崩れ落ちる音がする。もう彼に、戦意は残されていないだろう。
大講堂。なるほど確かに、目立ちたがり屋のテクラ・ヘルムートにはふさわしい場所だ。
御影は右手を強く握りしめると、全身に走る痛みを歯を食いしばることで無視し、教室の出入り口へと走り出した。
※ ※ ※ ※ ※
トウキョウ超能力発現セミナー大講堂。一般の学校の体育館以上の大きさを誇り、セミナー中の人間を集めてもまだゆとりがあったその場所は、テクラ・ヘルムートにとっては屈辱の場所でもあり、栄光の象徴とも言える場所でもあった。
最初にステージ上に立たされ、何百人といる生徒の前で超能力のパフォーマンスをさせられたときには、緊張で能力を発動することすらできず、聴衆から罵声を浴び、その夜は家でおじさんに散々殴られた。
だがそれから数ヶ月で、テクラは全ての生徒から賞賛を受ける立場になった。ちょっと手品に近いことをするだけで皆が歓声をあげ、彼女の横でおじさんは『テクラ・ヘルムートについていけば何も問題はない』と熱弁をふるった。
だけど、おじさんに対する憎悪の念を無くしたわけではなかった。最後にセミナーを潰したのは、彼に対するささやかな復讐だった。一つの巨大な組織を潰すことは、彼女にとっては既に造作もないことだった。
「それで?」
エボニー・アレインの問いかけに、テクラは現実へと引き戻された。
だだっ広い空間の中央部で、彼女たち二人は向き合う。二階席の後ろに並ぶ矩形の窓からは月明かりが射し込み、テクラの姿を光の中に浮かび上がらせ、エボニーの顔を影の中へと沈めていた。
「今まで散々あなたの過去話を聞かされてきた訳だけど、結局何が言いたいのかしら?」
エボニーがこちらを突き放すような口調で言う。一ヶ月前なら傷ついただろうが、今のテクラにはそれが親愛によるものだということがよくわかった。
テクラがエボニーと過ごしたのは、何も今日一日だけではない。四月の半ばから二週間以上、彼女の世話になっている。彼女の性格は、ある程度把握済みだ。
彼女に関しては、特に念入りに能力を使ってきたが、今日一日はいつにもまして彼女に集中した。その影響でグレッグを始めとした学生警備のメンバーを自陣に加えることには失敗したが、元々たった一日で彼らの心を掴むのは難しいとわかっていた。
さらには、この講堂でした会話。自分の過去を語るのは、他者からの同情を勝ち取る際の常套手段だった。話していて、自分でも泣きそうになってくる。テクラ・ヘルムートと言う人間が数多の人間の愛を勝ち取ることは当然の権利であり、今までの苦難に対する報酬だ。
でも。他の誰よりも、エボニー・アレインからの愛情が欲しい。
「私はあなたと、お友達になりたいんです。私たちは同じだ。あなたは私とわかりあえる、数少ない貴重な人間です」
「随分と強調するのね」
「当たり前でしょう。だって……」
テクラ・ヘルムートは、すっと笑みをひっこめると、エボニーの顔をじっと見つめた。
「学生警備初期メンバーである、エボニー・アレインと、リサ・リエラ。あなた方二人は、私と同じく、超能力者親族焼き討ち事件の被害者なのですから」




