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ユートピア・アラート 〜超能力少年と不可思議少女の世界革命〜  作者: 赤嶺ジュン
ユートピア・アラート2 ファイアドール・ユアセルフ
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第三章 悪意-3





 エンパイア・スカイタワー最上階。

 治安維持隊元帥、ヴィクトリア・レーガンは、部下たちが中央エリアでの騒動の収拾に奔走する様子を眺めながら、後ろに控えるザン・アッディーンに問いかけた。


「話を整理しようか。第一高校に攻めてきた連中の目的は、テクラ・ヘルムートの奪還だった。学生警備を中心としたメンバーがその撃退に成功すると同時に第一高校を脱出。だが直後に、明けの使いから接触され、さらにはHUROSTとかいう予算殺しの襲撃を受けたと」


「そして、それを裏で手を引いていたのが、実はヘルムート本人だった。彼女は環境系の超能力で精神系と同じことをし、今や第一高校の主要戦力を手中に収めている。それが、学生特別警備隊のグレッグによる通報をまとめたものになる」


「ただし、その情報を受け取った治安維持隊は懐疑的、か。そりゃそうだよな。ヘルムートの能力の使用方法がぶっ飛んでるし、なにより、治安維持隊がその女の異常性を見抜けなかった、あるいは担当者が逆に操られていたことを意味するんだからな」


 本当に、優秀な部下に恵まれたものだと、もはや笑うしかない。

 ヴィクトリアは人差し指でこめかみを叩きながら、後ろに立つアッディーンの顔を見上げるようにして言った。


「その学生警備一人の報告だけだしな。特殊部隊を動かすには少し弱いし、この混乱の中現場から人を動かしたら絶対問題が出る」


「ならばどうする?」


「簡単な話だ。こういう事態に備えて用意しておいた、あの暇人に働いてもらう」


 彼女は姿勢を元に戻すと、パチンと指を鳴らし、近くで作業していたケース・ニーラント少将の注意を引いた。


「ニーラント。第一高校四年生、テクラ・ヘルムートのアカウントナンバーの開示を公理評議会に要求し、早急に居場所を突き止め、私に報告しろ。質問はするな」


「……了解しました」


「アッディーン。ヘルムートの居場所が明らかになり次第、待機させていたティモ・ルーベンスの部隊に連絡。彼女の身柄を抑えろ」


「しかし、もし報告が本当なら、第一高校でも最優秀とされるクラス全員が彼女の味方をしているのだろう? 派遣する超能力者がルーベンス少尉一人で大丈夫なのか?」


「レイフが行方不明で、ディランが何故か満身創痍で発見された以上、この状況で頼れるのはルーベンスただ一人だ。アイツも、学生相手に不覚を取るほど衰えちゃいないだろ」


 彼女は胸の下で腕を組むと、微苦笑を浮かべて天井を見上げた。


「やれやれ。一度は袂を分かったあの男に、私は後何度頼ることになるんだろうな」



  ※  ※  ※  ※  ※



 夜の街を、一台のバイクが疾走する。

 それにヘルメットすらつけずにまたがる彼女、エボニー・アレインは、夜風にポニーテールをなびかせながら、脇に浮かぶホログラムに話しかけた。


「つまり、私は取り敢えずその、セミナーが入っていた建物に行けばいいのね?」


『ええ。到着を楽しみにしてますよ、アレインさん。いろいろと、話したいことがあるんです』


「私もよ。……それにしても、随分と格好が垢抜けたわね」


『そうですか?』


 エボニーの指摘に、テクラ・ヘルムートがウィンドウの中で少しはにかむ。その姿は、エボ―から見てもなかなかにかわいらしかった。


 まったく手入れされていなかった髪はピンを使って綺麗に整えられ、前髪が後ろに回されたうえにあの厚底の眼鏡が無くなり、顔の露出面積が広くなって一気に明るい印象になっている。服装もトップスにミニスカートとかなり冒険をしているが、よく似あっている。とどめに白のカラーコンタクトをつけた彼女は、今までとは別人のようだった。


『アレインさんが叱ってくれた女子生徒が選んでくれたんですよ』


「あの子たちが。どう考えても不良生徒だと考えていたのに。愛されているのね、アンタ」


 エボニーは無言でバイクを傾け、交差点を右に曲がった。

 その所作の一つ一つに目を輝かせる彼女は、夢を見ているかのような口調で言った。


『ええ。でも私は、彼らに愛情を向けられたところで、嬉しくも何ともありません』


「アンタを助けてくれる人たちは、友達じゃないのかしら?」


『彼らはただの駒ですよ。目的を達成するための、道具にすぎません』


「それもそうね」


 テクラ・ヘルムートのどこまでも冷たく、非人道的な言葉に、エボニーは特に抵抗を覚えることなく首肯していた。


 脳が麻痺している。思考が、うまくまとまらない。


 だが、エボニー・アレインにとって、そんなことはどうでもいいことだった。


 テクラ・ヘルムートのことが愛おしい。と同時に、哀れに思う。どこまでも自分に近く、どこまでも反対な彼女の願いは、かつての自分のそれと同じものだった。


 それを叶えるためなら、たとえどんなものであっても犠牲にして見せる。立場も、友情も、何もかもを、ためらいなく捨てられる。


 理屈も理論も、どうでもいい。ただこの、前から吹き付けてくる風にすら消すことのできない、胸の内で燃え盛る炎がある限り、エボニー・アレインはどこまでも進むことができる。


 その先に地獄があるのなら、そこに飛び込むことこそが本望だ。


 テクラ・ヘルムート。誰にも愛されなかった少女と共に、血の池の底まで沈んでみせよう。


『アレインさんには、私の専属ボディーガードをしてもらいます。特設クラスのメンバー総出でも、彼に勝てるかどうかは五分五分ですから』


「彼?」


『御影奏多。私は彼を、憎悪します。どんな手段をつかってでも、私は彼を否定する』


「……」


 どうやらあの幼馴染は、こんなところでも恨みを買っているらしい。学校では全方位に喧嘩を売っていたのだからそれもわからなくもないが、彼と同じくほとんど登校していなかったテクラとどこで接点があったのかがわからない。


 まあでも、そんなことはどうでもいい。彼が怪我をおして自分を止めに来るという、万が一の可能性がほぼこれでゼロになったと、そう考えればいい。


「もうすぐ到着するわ。そしたら、お話ししましょうか」


 彼女は唇の間からちらりと犬歯を覗かせて、バイクのアクセルを踏み込む。渋滞で止まり気味の車の群れを軽やかに置き去りにして、街の明かりの密度が薄くなる方へと彼女は突き進んでいった。


「私たち、とても気が合うみたいだから」



  ※  ※  ※  ※  ※



 エボニー・アレインにだいぶ遅れを取る形で、黒のリムジンがアスファルトの上をひた走る。サミュエル・ウォーレンが運転するその車の後部座席に、御影奏多は腰かけていた。


 下半身はウォーレンの用意した黒の長ズボンに着替えていたが、上半身は完全に服を取り払われ、代わりに包帯で隙間なくくるまれていた。顔ですら、火傷を負った右半分が包帯で隠されている。普通の車と違い、シートは完全に向き合う形になっていて、御影と反対側に座るノゾムが、何故だか顔を少し赤らめて御影のことをじっと見つめていた。


「……何だよ」


「いや。ミカゲン、結構鍛えてるんだなあって」


「ミカゲンって呼ぶな、御影でいい」


「包帯で隠されているけど筋肉の形がくっきりわかるって、相当な萌えポイントだよミカゲン! 腹筋凄い割れてるし! 何かエロいし!」


「さっきからそればかりだなテメエは! ぶっ殺……」


 そこで咳の発作に襲われ、御影は力なくシートの上に倒れ伏した。

 運転席のウォーレンがこちらを振り返り、こちらをたしなめるように言った。


「無理はなさらないようにと、そう言ったばかりではありませんか。ひとまずの応急処置と、鎮静剤で体を誤魔化しているだけです。動けば動くほど、反動は大きいですよ」


「……そう……言われてもなあ」


 これから派手な戦闘になるのは間違いないし、何より今のは完全に不可抗力だ。というか、何より目の前のドスケベワンピースが悪い。


 御影はノゾムの目から逃れるべく、近くに置いてあった紺のパーカーを包帯の上から羽織りながら、運転席のウォーレンの後ろ姿へと目を向けた。


「なぜ、コイツを外に連れ出した?」


「……」


「説明したよな? ウォーレン。コイツは治安維持隊に追われているって。助けてくれたのは感謝するが、それとこれとは話が別だ」


「御影。ウォーレンさんは、何も悪くないんだよ? 私が頼み込んで……」


「お前はちょっと黙ってろ。話がシリアスじゃなくなる」


「理由が何か変なんですけど!?」


「フィールド条件設定と、公理評議会の保護が無ければ、あの掘立小屋が爆撃で吹き飛ばされていてもおかしくない。そう説明したよな?」


「掘立小屋って! そう思うなら、さっさとノゾムをあの家に住まわせてよ! 養ってよ! だらけさせてよ! それが世界の法則でしょう!?」


「だからてめえは黙っ……」


 またもや体が不調を訴え、御影はシートの上に倒れ伏した。

 何が恐ろしいかと言えば、体にまったく痛みがないという事実だ。いや、もっと言うなら、上半身の感覚がほとんど麻痺している。特に左腕は感覚がないどころか今は動かすこともできないため、義手を取り付けているような気持ちになってきた。


「ご自分がどれだけ危険な状態なのか。御影様ならわかるでしょう?」


 ウォーレンの指摘に、御影は何も答えることができないまま横になっていた。左頬に当たるシートが、ひんやりと冷たい。ふと視線をノゾムの方へと移すと、顔は笑っていても目の色が明らかに不安の色で陰っているのがわかった。


 窓の向こう側で、夜空の前をいくつもの街灯の光が横切っていくのが見える。それをぼんやりと目で追う御影に、ウォーレンは続けて言った。


「御影様。詳しいことはわかりませんが、四月一日にあなたは、相当な無茶をしてノゾム様を助けた。それは確かですよね?」


「助けた、と言えるかどうかは……」


「少なくとも、ノゾム様から見ればそうですよね?」


「うん、そうだね」


「……」


 御影が半目になってノゾムを見つめると、笑みをひっこめてそっぽを向いてしまった。どうやら、自分をとがめるような御影の視線が気に食わなかったらしい。


「いいですか、御影様。あなたが自己嫌悪の塊であることは、私も存じています」


「まあ、そうだな。御影奏多という人間を誰よりも憎悪するのは、御影奏多自身だ」


「……そこまでですか」


 なぜか、ウォーレンとノゾムが揃って俯いてしまった。

 御影としては、彼らが自分の言葉を疑問に思うことの方が不自然であり、不可思議だった。ノゾムは百歩譲って理解できるにしても、ウォーレンが報酬も受け取らず、自分にこんなにも良くしてくれる現状は良くないとは思う。それに甘えている以上、文句は言えないが。


「いいですか、御影様。あなたが自分をどれだけ憎もうがそれはあなたの自由です。ですが、客観的に見て、あなたの身を案じる者がいることは事実です。この私や、ノゾム様のように」


「だからクソアマは……」


「ノゾム様を連れ出す許可は、ルーク様から頂きました。議事堂の件が解決すると同時に、連絡を取れるようになりましたから」


「良く許可が下りたな」


 あの白い詐欺師の、人を食ったような笑みを思い浮かべて、御影は顔をしかめた。

 流石にこの件にはノータッチのはずだが、何もかもを見透かされているような気がして腹が立つ。周囲が止める中、あっさりそれを許すのもどこか気に食わない。


「そのルーク様から伝言を預かっております。『ハハハ。やっぱ御影君は馬鹿だなあ。嫌がらせにノゾムちゃんを連れてっていいよ。後、精々死なないように頑張れって伝えといて』」


「アイツマジ死ねよ!」


 口調まで完全に再現された。これはまず間違いなく、ウォーレンの悪意も入っている。

 というか、嫌がらせで連れてけってどういうことだ。マジでそれが理由か。あるいはそれも嘘か。一応味方の癖にこちらを混乱させるとはどういうわけだ。


「ですが、私たちがここにいるのは、あなたに嫌がらせをするためではありません。ええ。大分腹が立ったので色々しましたが、それはノーカンです。ノーカン」


「……オイ」


「と同時に、私たちには御影様が命を懸ける理由を知る権利があります」


「そうだよ、ミカゲン。ちゃんと話して」


 ノゾムが視線を再び御影の方へと向け、会話に参加した。


「御影はいつも、大切なことを最後まで喋ろうとしないよね。悪い癖だよ」


「いつもって……俺とお前、四月一日を除けば週何回かしか顔合わせてないよな」


「それだけあれば十分だよ。ノゾムにだって、御影が無理をする理由を知って、その手助けをする権利はあるんだから。べ、別に報酬として、御影家に移住とか考えてないんだからね!」


「それツンデレじゃなくて、願望だだ洩れてるだけだからな!?」


 御影は一つ大きく舌打ちすると、慎重に上体を起こし、右手で髪をわしゃわしゃと掻きまわした。

 目の前のノゾムと、バックミラーに映るウォーレンの顔へと、順番に目を向ける。御影はいつもの癖で足を組もうとして失敗しながら、ため息交じりに言った。


「本当なら、誰にも話したくなかった。二人共誓ってほしい。俺が今からする話を、未来永劫誰にも明かさないと」



  ※  ※  ※  ※  ※



 ティモ・ルーベンスは下っ端だった。ヴィクトリア・レーガンに目をつけられてから、彼女の元で様々な雑用をこなしてきた、哀れな道化だった。


 少なくとも、本人の認識はそうだ。ただ、そんな下っ端に甘んじていたとしても、プライドというものがある。具体的には、あの小生意気かついらぬ仕事を増やしやがる地味なおっさんの尻ぬぐいはしたくない、と言った具合だ。


「それなのに、またジミーの馬鹿のために走ることになるんですね知ってました! 畜生!」


『……今回に関して言えば、彼はよく働いたんじゃないか。いや、これは私の勘だが。何の理由もなく病院に担ぎ込まれるとは思えない』


 やけくそ気味に叫びながら治安維持隊のバイクを一人走らせるティモ・ルーベンスに、ザン・アッディーンの姿を映し出したホログラムウィンドウが追随する。

 ウィンドウの言葉に、ルーベンスは眉をひそめて叫び返した。


「あれ。レイフから連絡が入ってないのか? アイツ、特別少年裁判所に監禁されてたんだよ。まあ、半分わざとだろうけど。逃げようと思えば逃げれたはずだし」


 お陰で、元同僚であるレイフに、情報管理局の人間を紹介することになってしまった。四月に続いて上の命令も無しにタダ働きさせられた知り合いの幸運を祈りたい。


『裁判所? 詳しい話は聞いてないのか?』


「本人の目が覚めたら直接聞いてくれ。これ以上の面倒ごとは御免だ」


 バイクのエンジンが唸り、走るスピードが明らかに規定速度を超える。ついでに信号も時折無視して、宙に浮かぶホログラムの広告群を次から次へと置き去りにするルーベンスを見て見ぬふりをしつつ、アッディーンが淡々と言った。


『まあいい。とにかく何が起きているかわからない以上、テクラ・ヘルムートの身柄を抑えることを第一に考えてくれ。一応言っておくが、殺しはするなよ?』


「面倒には慣れている。他に情報は?」


『第一高校の者たちが操られているが、極力傷つけるな』


「最高だ。そこんじょらのブラック企業が裸足で逃げ出す」


 転職サイトの広告の中から、女優がこちらに笑いかけてくる。中指を突き立ててやりたくなったが、生憎とそんな余裕はなかった。


『部下はいないのか?』


「邪魔だから置いてきた。言っておくが、こちらの実力を把握してなお抗ってくる馬鹿の面倒をみるほど、俺もお人好しじゃないからな」


 突然の狂暴な宣言に、ホログラムが黙り込む。その隙に彼は右手を一瞬ハンドルから離し、通信を切断した。


「やれやれ。治安維持隊を相手にするのも、楽じゃない」


 思わずそんな泣き言がこぼれてしまう。七年前にやはり退職すべきだったかと本気で悩みながらも、彼はヴィクトリアからの指令を完遂すべくアクセルをさらに踏み込んだ。



  ※  ※  ※  ※  ※



 トウキョウ超能力発現セミナー跡地。

 中央エリアは当然のことながら地価が高く、狭く背の高い建物が密集して立つ傾向にある。沿岸部に行けば当然工場施設もあるにはあるが、少なくとも主要エリア近くにそんなものがないことは確かだ。


 だが、中央エリアの比較的はずれに位置するとは言え、そのセミナーの敷地面積は異様なほど広い。おそらくは、御影家の庭の半分くらい広さはあるだろう。……比較対象を間違えたせいでどうにも狭く思えてきたが、一ブロックのほとんどを占有しているのだから。広いことは間違いない。


 しかも基本雑木林が広がるだけの御影家とは違い、ここには様々な施設がこまごまと建っている。校舎のみならず、地方出身者用の寮、生徒職員用の食堂ほか、図書館まで置いてあるのだから、当然と言えば当然だ。


 ここまで規模が大きくなると、治安維持隊もなかなか手を出すことができなかったはずだ。それが割とあっけなく潰れたという事は、やはり、テクラ・ヘルムートが一枚かんでいると考えるのが自然だろう。


 セミナー跡地の正門前に、黒のリムジンが停車する。第一高校のそれと同じぐらいある、金属製のいやにメカニックな門が完全に開かれているのを見て、御影は一つ舌打ちした。


「舐めてくれたものだ。正面から堂々と入ってこい、ってことだろう」


「そうでしょうね。では、作戦通りに」


 ウォーレンの呼びかけに御影が頷きを返すと、彼は運転席から外に出て、単身セミナーの敷地内へと歩いて行った。


 白を基調とした、真新しい雰囲気を醸し出す洒落たデザインの建物へと、ウォーレンはのんびりと歩いていく。御影は隣にいるノゾムがしっかりと目を瞑っているのを確認し、ウォーレンにホログラムによる通信を繋いだ。


「そちらの声が、聞こえるようにしてくれ」


『了解しました』


 短い応えと共に、ウォーレンの傍に出現したウィンドウが、数秒もしないうちに消滅する。どうやらあのご老人、コンピューターにも強いらしい。


「……本当に何者だよ、あの爺さん」


 御影が何度目か分からない感嘆の声を漏らすのと、ウォーレンが門から丁度十メートルほど入ったところで足を止めたのが同時だった。


 夜風が、正門から伸びるメインストリートの脇に植えられた街路樹の葉を揺らす。その音をウォーレンのつけているウェアラブル端末(白の蝶ネクタイ型)がしっかりと拾っているのを確認した次の瞬間、彼の目の前に何の前触れもなく一人の少年が出現した。


『これはこれは、ご老人。こんな夜分に、どのようなご用向きで?』


 どこか芝居かかった、妙に鼻に突く声が御影の前に浮かぶホログラムから聞こえてくる。そういえば、この『音声』はノゾムには聞こえてるのかとまったく関係ないことを考えていると、ウォーレンが彼に向かいおどけた口調で返事をするのが聞こえてきた。


『それはこちらのセリフですよ、ロイド・ウェブスター。高校生が立ち入り禁止のこの場所で、一体何をしているのですか?』


『……ッ!?』


 ロイドと呼ばれたワイシャツの上から黒のベストを着た少年が、一歩後ずさりするのが見えた。御影すら知っていなかった彼の名前をなぜウォーレンが知っているのか。もっとも、御影は人の名前と顔に関しての記憶力は絶望的だが。


「……ノリノリだね、ウォーレンさん」


 御影の隣で、ノゾムがぼそりという。どうやら通信の声は聞こえているらしい。


「クソアマ。ウォーレンの声は、どこから聞こえる?」


「腕時計からだと思うけど?」


「なるほど。スピーカーはこっちにあるけど、音の聞こえてくるのがホログラムの方向からだと誤認させられているというわけか」


 いろいろと興味深くはあるが、どこまで自分の感覚がメディエイターによりいじられているのかと思うとぞっとする。考えてみれば、フィールド条件設定だって、悪用すれば人間を拘束することすら可能だろう。だからこそ、色々と制約があるのだろうか。


 管理社会の最大の強みは、良くも悪くも管理される側がそれに慣れてしまう点にある。


『……爺さん。アンタ、何者だ?』


『ただの執事ですよ。あなたの名前も、たまたま存じ上げていただけの話です』


『執事?』


『ええ。御影様の、ね。つまりは、あなた方の敵です』


 ウォーレンの言葉に、ロイドの発する気配が警戒のそれへと変わった。


 確かにノゾムの言う通り、ウォーレンさんはかなりノリノリだった。燕尾服に白いひげに、髪も白い物がまじっているのが逆におしゃれと、存在自体が冗談みたいなこともあいまって、ものすごく『漫画の強キャラ』が似合っている。ちなみに、そういう風に演じろと言ったのは御影奏多その人だった。


『なるほど。つまり、後ろの車に御影奏多が乗っていると。執事にリムジンとは、アイツも随分と成金な趣味をしている』


『あなたが言えたセリフですか? 失礼ながらその恰好、学生にしては少々シャレすぎですよ。服の良さだけが独り歩きしている状態です』


『それこそ、燕尾服のアンタに言われたくはないね』


『ハハハ。これは一本取られましたな』


 ウォーレンはそう高らかに笑い、少しだけ立ち位置をかけると、突如右手を上にあげた。


「クソアマ!」


 それに反応する形で、御影がノゾムへと呼びかける。

 ノゾムは今まで閉じていた目をパチリと開けると、運転席の方へ身を乗り出すようにしてウォーレンの方を凝視した。


 その途端、ロイドの背後で様々な色の過剰光粒子が一瞬だけ出現し、そしてすぐに消えた。あちらこちらから、苦悶の声が聞こえてくる。


『……な……に!?』


 ロイドもまた額を抑え、うめき声を上げる。やがて彼の全身がだんだんと揺らぎだし、背景に溶け込むようにして虚空に消えた。


「わーお! 今の何? 幽霊?」


「似たようなものだ。思い出したよ。ロイド・ウェブスター。自分の分身を作るだけの小物だ」


「容赦な!」


 ノゾムと一緒になって騒いでいるうちに、ウォーレンがこちらへと振り返り、ホログラムを出現させた。数秒後通信が繋がれ、彼にしては珍しく感情的な声が聞こえてきた。


『いやはや。超能力妨害能力など、今の今まで半信半疑でしたが。なるほど、治安維持隊がノゾム様を危険視していたのもうなずける話です』


「こればかりは、実際に見てもらわないとな。原理については俺も知らないから聞くな」


『知ってしまったらなかなか面倒なことになりそうです。四月一日の、御影様のように』


「……」


 全部お見通しだと言わんばかりのウォーレンの得意げな顔に、御影は苦笑を返す。ルークがどれほど情報を彼に開示しているかわからないが、案外あの詐欺師が御影家執事に足元をすくわれるという痛快な展開が、これからあるかもわからない。いや、流石にそれはないか。


 そんな馬鹿なことを考えていた御影は、気流の『監視網』が無数の反応を送ってきたのを感知して、大きく目を見開いた。


「ウォーレン!」


 慌ててウォーレンに呼びかけるのと、特設クラスの生徒たちが十数人、物陰から飛び出しウォーレンの方へと駆けだしていくのが同時だった。


 まずい。これは、非常にまずい。


 ウォーレンが能力を阻害する能力を持っていると相手に誤解させ、彼を警戒させるのが目的だったが、まさか物理で殴りに来るとは思っていなかった。


 危ない。非常に危険だ。具体的に言うと、たった数十人では、サミュエル・ウォーレンの相手にもならないことを、御影は嫌と言うほど知っていた。


『ご安心を、御影様。ちゃんと手加減は致しますので』


 ウォーレンが襲撃者たちに背を向けたまま、通信を切る。

 それとほぼ時を同じくして、先頭の男子生徒の両手が、ウォーレンを取り押さえようと彼の背中へと伸ばされた。


「ウォーレンさん!」


 一応はクラスメイトである彼らに対する憐みでため息をつく御影の横で、ノゾムが悲鳴を上げる。

 それが聞こえたのかどうかはわからないが、ノゾムの呼びかけにウォーレンが微笑みを返し、そして、その姿が文字通り掻き消えた。


 リムジンまで聞こえてくる打撃音。そして、悲鳴。


 さらに次の瞬間、誇張でもなんでもなく、計五名の男子生徒が真上に飛ばされ、地面に落下するや否や、ぐしゃりと潰れて動かなくなった。


 戸惑う生徒たちの間を、黒色の風が駆け抜けていき、次から次へと生徒を投げ、殴り飛ばし、足払いをかけ地へと叩き付けていく。


 ノゾムが今度は、あんぐりと口を開いて驚きの叫び声を上げた。


「ウォーレンさん!?」


「うわあ。張り切ってるなあ。もう歳なのに」


 どこか悟り切ったような表情で、御影は諦めのため息を吐いた。


 何を隠そう、サミュエル・ウォーレンはありとあらゆる体術を極め、過去様々な大会で優勝をかっさらっていった超武闘派だ(マジかよと思って過去の記録を調べたところ、マジだった)。御影の体術の師匠でもあるが、正直あのレベルには一生辿りつける気がしない。


「全部終わったなら、無理やりでも休ませないとな」


「……それ。ミカゲンが一番言っちゃいけない台詞だよね」


 ノゾムが半目になって、御影を睨みつけてくる。瞬く間に襲撃者の大半が戦闘不能になったことを確認した御影は、無言でリムジンのドアノブに手をかけ、一気に開け放った。


 車の外へと、一歩踏み出す。そのまま元セミナーの敷地内へと駆けだそうとした寸前、車の中からのばされた少女の手が、御影の着るパーカーの袖を掴んだ。


「待って。どこ行くの?」


「……」


 ノゾムの問いかけに、御影は彼女に背を向けたまま答えない。彼女は袖を掴む力を強くすると、こちらを責めるような口調で言った。


「ウォーレンさんが危険だと思わせて、それを囮に私と御影でリムジンを使って奥に行く。そのまま超能力がほぼ無効化された空間で、二人を取り押さえる。そうだったよね?」


「……ああ。確かに、そう言ったな」


「じゃあどうして、ノゾムを置いてどっかに行こうとしてるの?」


「決まっているだろ? 俺が大嘘つきであることは、お前だって百も承知だろうが」


 御影の言葉に、後ろでノゾムが表情を硬くするのが、手に取るように分かった。

 こんな短い付き合いでも、大体は察せられてしまうのが、我ながら呆れるしかない。普段は振り回されっぱなしだが、こういうときの彼女は実に単純だった。


「ノゾム……また、御影の役に立てないの?」


「……なあ、クソアマ。それじゃあ、逆に聞くけどよ」


 御影はノゾムの手を振り払い、彼女の方へと振り返ると、唇を凶悪に捻じ曲げて言った。


 彼女の心を、殺す言葉を。


 何のためらいもなく。


 嘘つきの口で、嘘偽りない問いかけを。


「お前を命がけで助けた俺が、お前が少しでも傷つく可能性を許容すると、本気で思っていたのか?」


 ノゾムのまつ毛が、小刻みに震えだす。

 その整った顔を項垂れさせて、表情を鳶のベールに隠し、彼女は泣きそうな声で言った。


「それは……それは、卑怯だよ、御影!」


「阿呆。そんなのは、今更だろうが」


 ウォーレンを襲撃した生徒たちが一人の例外もなく地に倒れ伏したのを確認し、ウォーレンがこちらへと顔を向ける。

 御影がノゾムから離れるように一歩後ずさりをすると、彼女は唇を強く噛みしめ、両の拳を握りしめて御影のことを睨みつけた。


「一人では行かせない! ノゾムがいれば、御影は能力が使えない! ウォーレンさんと協力すれば……」


「それはどうかな?」


 御影は右の掌を上に向けると、一瞬目を瞑った。

 イメージするのは、小規模なつむじ風。手の中にある空気の一粒一粒が、円運動をする様子を強く思い浮かべる。


 すると、あの懐かしい感覚が襲ってきた。


 頭蓋骨が割れたのかと錯覚するほどの、強烈な頭痛。炎で直接肌を焼かれたときとはまったく別種の、魂を直接傷つけられるような、言葉として言い表せず、感覚として表現できない、存在否定の痛みが襲い掛かってくる。


 両目が見開かれ、苦悶の叫び声が後から後から喉を駆け上がっていく。


 ノゾムの顔が一瞬恐怖に歪み、そして、御影が何をしているのかをはっきり理解したのか、今度は驚きと怒りで顔を彩り、こちらを睨みつけてきた。


 御影の要求していることは、至極単純だ。


『これ以上俺を苦しめたくないのなら、さっさとその両目を閉じろ』


 極小の透明な粒が、ノゾムの眦から溢れ、御影の発生させた風に吹き飛ばされ、虚空へと消えた。


 わなわなと、彼女の唇が震える。やがて彼女は、これ以上は耐えられないというように、両目を強く瞑って叫んだ。


「御影の馬鹿ッ!」


 それに対し。


 御影奏多は。


 傍若無人を気取り、唯我独尊と見せかけ、孤独に価値があると自らを騙し続けた、愚か者は。


 あまりにも卑怯で、稚拙な言葉で、それに答えた。


「ありがとう」


 風が、吹き荒れる。


 全ての気体を味方につけ、半径数百メートルの空間にある空気を、己の体を加速するためだけに用い、御影は一陣の風に乗って、ウォーレンのすぐわきを抜け、セミナー跡地の奥へと突き進んでいった。


 時刻は、午後七時三十分。


 くしくも、かつて子供の日と呼ばれた、二三九九年の五月五日。徹頭徹尾子供が主役で、どこまでも子供じみた一連の騒乱は、最終局面へと突入する。


 二人の狂気じみた意志がぶつかり合う、最終決戦にして最大の『殺し合い』が、今、幕を開けようとしていた。




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