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ユートピア・アラート 〜超能力少年と不可思議少女の世界革命〜  作者: 赤嶺ジュン
ユートピア・アラート8 エゴイズム・フェスティバル(後編)
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グリーン・レインボー -3





「アル! ちょっと来て!」


 リビングからの呼び声。

 キッチンで立つ俺の前には、様々な紅茶の葉が入った瓶が並べられている。名前だけでも知れば興味がわいてくるかと思っていたが、そうでもなかった。紅茶を淹れるのは広義では料理であり、料理とは科学だ。科学には道具としてしか興味がない。


「今行く」


 瓶を棚に手早く戻し、リビングへと移動する。ウォーレン家は古式ゆかしい木造の住宅で、廊下では足を踏み出す度に床が軋む。カタリーナはこの音に敏感だ。俺が部屋に入る前から、こちらのことを待ち構えている。


 ピアノの前から、老婆が微笑みかけてきた。椅子が揺れる。キィキィ。しわくちゃの骨ばった手が、窓の向こうを指差す。


「庭の手入れをしてくれないかしら。雑草を抜いてほしいの」


 俺は素直に頷きを返す。昨日、一昨日と同じように。サンダルに素足を通し、太陽光が降り注ぐ小さな庭へ。同じ高さで揃えられた芝生。丁寧に手入れされた花壇。俺がするべきことは何もない。


 後ろから期待の視線を感じる。花壇の脇にしゃがみ、苔ほどしかない小さな雑草を指で摘まんだ。


 首の後ろが熱い。じりじりと、炙られる。額に浮かんだ汗をぬぐう。爪にこびりついていた土が剥がれ、風に飛ばされた。


 庭を囲むフェンス。その向こう側。一面のぶどう畑が広がっている。ワイン工場が数多くあるらしい。近頃はそれ目当ての観光客が増えているのだそうだ。俺は酒が飲めない。だから、この風景は緑にしかなりえない。


 適当なところで切り上げて、家の中に戻る。カタリーナは軽く船を漕いでいた。もう少し手を抜いても良かったかもしれない。洗面所に移動し手を洗う。冷水が肌を滑る感覚。気持ちいい。ほう、とため息を吐く。


「アル! アル!」


 またしても、呼び声。ハンカチで手を吹きつつ、リビングへ。揺れるロッキングチェア。カタリーナが柔らかな笑みを浮かべる。


「絵本を読んであげるわ」


「……」


 彼女は一体、どこの時間に住んでいるのか。わからない。立ち尽くす。その間に、彼女はホログラムウィンドウを出現させていた。


 何となくの違和感。カタリーナ・ウォーレンという女性には似合わない電子機器。きっとこれは、俺の勝手な思い込みによるものだ。紙よりも電子ペーパーが主流となった以上、彼女がウィンドウを使わない理由はない。


 それでもやはり。俺にとっての読書、読み聞かせは、紙によるものだ。ふと脳裏によぎる。机の前で背中を丸める父。彼の横には、分厚い本がうず高く積まれている。母が読む絵本を無視して、俺はその本をじっと見つめる。奏多には難しすぎるわよ、と、困ったように笑う母。父が振り返る。その本には何があるの? 俺は問いかける。面白い質問だね、と、父は眉一つ動かさずに言う。


「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました」


 追憶の世界から、絵本の幻想へ。俺は彼女の前で膝を抱える。なるべく小さくなるように。下から、彼女の顔を見上げる。


 老婆は語る。フィクションに住む老夫婦の話を。この家では、非現実が現実味を帯びている。糸が見える。俺の手の甲に。肩に。脚に。俺という人間を操るための糸。どこにもつながっていないのに、俺はその糸に従っている。


「あ……」


 話が途中で途切れる。彼女の目の中に、俺はアルフ・ウォーレンの虚像を見る。


 だらりと、老婆の両手が投げ出された。ウィンドウは主人公が老夫婦の元から去るところで止まっている。こうなってしまうと、何を言っても反応しない。口の端から唾液が垂れているのを、ティッシュで拭ってやる。ゴムの人形のような感触だった。


「ヘルパーさん」


「はい。ただいま」


 初日にこの家の前で顔を合わせた女性が、リビングに入ってくる。カタリーナの様子を見て、彼女は深く頷いた。


「あとはお任せください」


 ヘルパーが微笑む。月額六万の営業スマイル。小さく会釈を返す。自分の部屋、アルフ・ウォーレンの部屋へと移動する。


 空の棚にタンス。傷しか残されていない机。残されているのは、彼が使用していたベッドくらいか。羽織っていたジャケットを脱ぎ、クローゼットにしまう。誰も使わない服がつまったクローゼット。


 窓の外へと視線を移す。一面のぶどう畑。麦わら帽子をかぶった老人たちが、ぶどうを摘んでいるのが見えた。


「今の時代に手摘みか。どんな高級品だよ」


 質は問題ないのだろう。人間による作業で作られた。その事実こそが重要なのだろう。


 だが、方法が確立されているのならば、機械の方が圧倒的に効率も品質も勝つだろう。どちらにせよ、それが機械的な作業であることに変わりはないのだから。


 淡々と。淡々と。ぶどうを摘み続ける。


 繰り返し。繰り返し。ありとあらゆる要素に翻弄されながら、まったく同じ作業を。


「それに何の意味がある」


 俺の声は、彼らには届かない。自分自身にも。それはわかっている。わかっているつもりだった。


 きっと。機械的でなくとも、行為に意味が伴うことはない。何度も何度も繰り返した確認作業。サミュエル・ウォーレンの提案に、少しでも感じるものがあった時点で、俺の負けは決まっていた。


 ベッドの上に身を投げ出す。埃が舞い散るなか、俺はあの歌を口ずさむ。無意味と有意味の歌。その断片を。


 ピアノを弾きたいと、強く思った。



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