第六章 英雄譚-7
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草の葉に鼻のあたりをくすぐられて、御影は薄っすらと目を開けた。
頭蓋骨の中で鐘が絶え間なく鳴り響いているように、頭が痛む。右手でわしゃわしゃと髪をかき回し、彼はゆっくりとその場に立ち上がった。
ルーク・エイカーが血まみれの手袋を外して放り捨てているのと目が合う。彼の足元へと視線を落とすと、マイケル・スワロウが倒れたまま動けなくなっているのが見えた。
「……作戦通り……だが……」
「何か不満なのかい?」
「マジで勝ったのかよ。しかも無傷で。四月一日にも、もっと手助けしてくれれば……」
「私だってそうしたかった。だが、私は並の超能力者以上に、あの少女との相性が悪い。加えて政治的理由で介入できなかったというのは、何度も言った通りだ。ザン・アッディーンが私に対抗する力を持っている以上、迂闊なことはできなかった」
「ああ、はいはい。そうですかそうですか」
御影が立てた作戦は、『マイケル・スワロウを反則負けさせ、動揺しているところに奇襲をかける』という、酷く単純なものだった。
もっとも、最初はルークが前線に出ることなどまったく考えていなかった。治安維持隊の能力者軍団による奇襲か、ザン・アッディーンを呼び戻すことを考えていた御影に、ルークの方から申し出てきたのだ。『私が彼を倒す』、と。
「聖天祭のルール上は、君の、否、君達の勝利だよ御影君。これはエイジイメイジア史上初の快挙だ。もっと自分を誇っていい」
「望んでいた通りの決着ではなかったけどな……」
「それこそ、エゴイズムが過ぎるというものだろう。君達二人の間にどういった因縁があったかは……まあ、今は聞かないでおこうか」
「……」
「さてさて。一応は部外者である私がちょっかいを出してしまったからね。これから先、少し荒れることになりそうだ。治安維持隊は本格的に私のことを締め出すだろう」
「そりゃ、ご愁傷様だな」
御影は暫くの間、うつ伏せのまま動かないスワロウことを見下ろしていたが、やがてゆるゆると首を振って二人に背を向けた。
「仲間のところに行くのかい?」
「……まあな」
「止めはしないよ。これは祭りだ。対内的にも対外的にも、そう処理されることだろう。だから君にだって、喜びを分かち合う権利がある」
「余計なお世話だ」
ボロボロになった上着を脱ぎ棄てて、ズボンのポケットに手を突っ込み、御影は草原を踏みしめるようにして歩いていく。そのまま森を抜けて、アスファルトと地面の境界線が見えてきたところで、彼はホログラムウィンドウを出現させた。
慣れた手つきで、通信を繋ぐ。画面に映し出された褐色の少女に、彼は淡々と言った。
「悪いエボ。先に帰っててくれないか?」
『開口一番にそれとか、ご挨拶ね。少しぐらいねぎらわせなさいよ。あと殴らせろ』
「……」
『ハア。アンタってホント、食えない奴よね。それで? 用件は何?』
「あの白の詐欺師と、色々調整しなくちゃいけなくなってな」
『ああ。いつものあれね。じゃ、私たちは先に戻っているわよ。マスコミとかは適当にあしらっておくから』
「ありがとう」
『素直にお礼を言うとかやめてよ。気持ち悪いじゃない』
「……そういうとこだぞ、お前」
御影がそう言うと、エボニーは短く笑って通信を断ち切った。
誰もいない道路の真ん中で、一人立ち尽くす。顔を上げると、目の前にエンパイア・スカイタワーの瓦礫の山が見えた。
また、ホログラムウィンドウを出現させる。彼は一度大きく息を吸い込むと、迷いのない動作で通信を繋いだ。
「聞こえるかウォーレン」
『はい御影様』
ウィンドウの中で、執事服を着た老人が頷きを返してくる。
「レイフは無事か?」
『ええ。……なぜ、私が彼の治療をしているとおわかりに?』
「勘だ」
『そうですか』
「それで? どうやって聖天祭の会場に?」
『正規の手続きをし、医療班として参加いたしました。いくつかの伝手がありまして』
「お前は色々と凄すぎだ」
御影は両手をポケットに突っ込んだまま、無人の街を再び歩き始めた。
「どこに行けばいい?」
『おっしゃっていることの意味がわかりかねますが』
「ここまで来てはぐらかすな」
『…………』
ウォーレンは迷うように目を伏せいていたが、やがて首を横に振った。
『ご自身でお探しになるのが良いかと』
「そうかよ。ああ、そうそう。明日からお前は御影家の執事に復帰だ。これ命令な?」
言うだけ言って、御影は通信を断ち切る。
彼はフンと鼻を鳴らすと、両目を瞑って、意識を集中させていった。
空気の動き。空間の歪み。それらも重要だが、何より、白いキャンパスに墨が一滴たらされているような違和感を見つけることが重要になる。
調和の保たれた能力世界に唯一存在する、特異点を。
一歩、一歩、慎重に足を進める。目を瞑りながらも自らの位置を正確に把握し、御影は歩き続ける。
十数分ほど歩いたところで、額がむず痒くなって、御影は目を開けた。
ミュリエルが半壊させた、公理議事堂の姿が目に飛び込んでくる。
気配を感じて前庭の奥へと目を向けると、レイフ・クリケットが担架のような物のうえに横にされているのが見えた。御影がスワロウと戦っていた時もあそこにいたのだろうか。
「……灯台下暗し、って奴か?」
近寄ってみるも、意識を取り戻す気配は無い。少し離れた木陰にサミュエル・ウォーレンが直立不動で控えていて、御影はクスリと笑った。
「お疲れさん」
「ありがとうございます。御影様も……本当に……」
「バーカ。本当に疲れるのはこれからだ」
「……そうですか」
踵を返して、議事堂の正面玄関へと向かう。御影の住む邸宅を思わせる大扉を通り抜けて、大ホールへと足を踏み入れた。
偶然かどうかはわからないが、階段の構造等も御影邸に似ているような気がする。巨大な赤絨毯に、シャンデリアのような大きな照明。暖色系の明かりが御影を照らしている。
もちろん気のせいだ。そんなことはわかっている。
御影の家は確かに豪奢だが、あの場そのものには、『広い』こと以外意味がない。
らしくもなく、あるいはいつも通り、感傷的になってしまっているだけだ。
大階段を昇り、二階の廊下出入り口まで来たところで、またあの頭痛が襲って来て、御影は扉をくぐったところで膝を着いた。
何度か大きく深呼吸をしながら、壁に両手をついてその場に立ち上がる。そのまま足を引きずるようにして、前へ前へと進んでいく。
足を踏み出すたびに、視界が歪んでいくような間隔に襲われる。
全身が、燃えるように熱い。これはスワロウとの死闘によるものか、あるいは、この空間が異常な故か。
それとも。
御影の脳が認識を拒むものが、この場に存在してるのか。
後ろにあった扉が、勢いよく開かれた。
中から人影が飛び出し、こちらへと走って来る。何か棒状のものを突き出してきたその人物の方へと、彼は無言で振り返った。
「……ッ!?」
一瞬発生した隙を突いて、相手の手をとって捻り上げる。
警棒状のスタンガンが襲撃者の手から落下し、二人の間を転がっていった。
「話をしよう。
……――金堂望」
アウタージェイルリーダー、金堂真の一人娘。対超能力者用人間兵器。能力世界の支配から唯一逃れた、鳶の髪の少女。
長い沈黙の後に、少女は肩を落として全身の力を抜く。
御影が手を離すと、彼女は泣きそうな顔で言った。
「いつから私のことを疑っていたの?」
「最初からだ」
「だから、それって……」
「四月一日からだよ。書斎で初めて言葉を交わしたときから、俺はお前のことを疑っていた」
流石に予想外の答えだったのか、彼女は両目を大きく見開く。
御影はクスクスと笑うと、おどけるように両手を軽く広げた。
「もちろん、お前が黒幕かもしれない、なんて疑っていたわけじゃない。ただ一つ、確信があった。お前が何か、嘘を吐いているってな。俺に嘘は通じねえ」
「……」
「時系列を逆にして整理するか。まず、マイケル・スワロウの裏にお前がいるかもしれないという可能性に思い当たったのは、そうでなければレイフ・クリケットの敗北に説明がつかなかったからだ。レイフは最優不敗の英雄だ。だが、そんな奴に膝をつかせた人間が一人いる。他でもない、お前だよ。四月一日。レイフはお前の前で能力を発動し、半ば自滅する形で一時退場した。今回も同じだ。恐らく、奴が能力を発動している姿をお前が陰から目にし、隙を突く形でスワロウが攻撃したときには目を瞑っていたんだろう」
「……正解。そうでもしなければ、彼は勝てなかった」
「お前が聖天祭のフィールドにいるはずがないと一瞬考えたが、それも思い込みに過ぎなかった。お前にはフィールドの条件設定なんて働かない。それどころか、お前の行動の一切が記録されることがない。そこで気が付いた。もしかしたらお前は、俺が知っている以上に、家の外を出歩いていたんじゃないかってな」
「位置探査システムは私には働かない。私と誰かの会話も、相手のまったく意味の無い独り言として記録される。ウィレミナ・シェイクスピアの捜査の手は、私には届かない」
「八月。俺の家に生徒会長について警告しに来たラン・シャオナンのジャンパーに、盗聴器が仕掛けられていた。あれもお前の仕業だろう。考えてみれば、お前以外に仕掛ける機会のある人間なんていなかった。家に取り付けられていた盗聴器や監視カメラの類も同じだ。一体いつ誰に侵入されたのかと思っていたが、何のことは無い。俺が寝ている間に、俺の家の住人が仕掛けて回っていただけの話だった。それで一度はウォーレンを疑った」
「御影は私に対して、色々と隠していた。でも私は、それを知りたかった」
「七月七日。ボクシは何者かの依頼に従い行動していた。彼女は悪夢の七夕事件の真犯人を追っていたが、それにしては六月末の行動が変だった。俺に対する精神的攻撃だよ。単なる嫌がらせだと思っていたが、俺を戦場から遠ざけるために心を折ろうとしたと考えれば説明がつく。なぜなら五月に、アイツは俺を助けているからだ。テクラ・ヘルムートによる学校の支配を、最小限に抑えることで。ボクシは俺を守るように依頼されていた」
「彼女には本当に感謝している。でも……」
「序列二位と真っ向勝負し、一般人でありながら超越者の領域にいることを証明してしまった。それによりAGEに目を付けられ、行動を封じられたんだろう。時系列が前後するが、マイケル・スワロウについても話そうか。ボクシと入れ替わるようにしてお前の味方になったヤツがお前と初めて接触したのは、六月末、俺の家が襲撃を受けたときだ。あのとき、襲撃者はボクシによって迎撃されたが、現場に向かうよう元帥に指示されたスワロウがボクシと鉢合わせてしまった。そこで何らかの会話があり、ヤツはお前の事情を知り……そして俺が、ルーク・エイカーに記憶改竄までされていることを知った」
「彼はとても怒っていたよ。記憶はその人間の核になるものなのに、って」
「ったく。どこまでも甘い男だ。話をボクシに戻そう。彼女は元々公理評議会の下についていたが、五月には評議会を裏切っている。つまり、四月から五月の間に何かあったってことだ。一番怪しいのは、四月一日。あの時奴と接触したのは、俺、エボ、そしてお前の三人だ。俺は別に依頼主でもなんでもない。エボは人の手を借りるような奴じゃないし、動機がない。というか、もうここまで来れば、ボクシの依頼主がお前であることは疑いようがない」
「やっぱり御影は凄いね。でも、わからない。四月一日から疑っていたって……」
「だから、お前が嘘を吐いているのがわかっていただけの話だ。最初はただそういう印象を持っただけだったが、お前が読んでいた本の内容がわかったことで確信に変わった」
「……ッ」
「ガキのころ俺が夢中になった本だ。あれは……」
御影が書斎に入ったとき、彼女が食い入るように読んでいた、あの本は――。
「――少女のために、英雄が戦う物語だ」




