第一話 人間ほど醜い生き物はいない
「どうか、お許しください!」
玉座の間に男の悲鳴が響く。
皇帝カイゼル・ヴォルグレイヴの前で、一人の貴族が額を床に擦りつけていた。
「私は決して裏切るつもりなど……!」
口ではそう叫ぶ。
だが、カイゼルの耳には別の声が聞こえていた。
(くそっ……! この化け物め! 早く死ね! 死ねば帝国は俺のものになるのに……!)
「……。」
やはりか。
また同じだ。
忠誠を誓う口とは裏腹に、心の中では呪詛を吐く。
カイゼルは静かに立ち上がった。
「お前は三日前、西方侯爵と密会したな。」
男の顔色が変わる。
「な、何のことでしょう……!」
(バレてない……! 証拠なんてあるわけが——)
「ある。」
男の言葉を遮る。
「余の前で嘘は通じん。」
剣が一閃した。
鮮血が玉座の間を赤く染める。
その場にいた貴族たちは誰一人として声を上げられなかった。
恐怖で震えている。
だが、その心の中では——。
(残虐な暴君……。)
(いつか殺してやる。)
(化け物。)
(早く死ね。)
……くだらない。
人間とは、どうしてこうも醜い。
口では忠誠。
心では裏切り。
笑顔の裏では嫉妬。
涙の裏では歓喜。
カイゼルは幼い頃から、人の心が読めた。
最初は祝福された能力だと思っていた。
しかし違った。
知れば知るほど、人間が嫌いになった。
唯一信じていた乳母ですら。
(皇子さえいなければ楽なのに。)
そう思っていた。
その日から誰も信じなくなった。
情を捨てた。
裏切る者は殺す。
逆らう者は殺す。
敵はもちろん、味方であっても例外ではない。
そうしていつしか、人々は彼をこう呼ぶようになった。
――暴君陛下。
「陛下。」
側近のアルベルトが一歩前へ出る。
「処理は終わりました。」
「ああ。」
「ですが……一つ、ご相談がございます。」
「申せ。」
「陛下も二十七歳になられました。」
その言葉だけで内容は察した。
「妃の件か。」
「……はい。」
帝国には古くからの慣例がある。
二十七歳までに皇后を迎えること。
皇帝といえど、完全には覆せない。
「好きに選べばよいではありませんか。」
「嫌だ。」
即答だった。
「どうせ全員同じだ。」
「余の権力が欲しいだけ。」
「皇后になりたいだけ。」
「誰一人、余自身を見てはいない。」
アルベルトは苦笑する。
否定できなかった。
「でしたら、妃選出パーティを開かれてはいかがでしょう。」
「帝国中の未婚の貴族令嬢を集め、自ら選ぶのです。」
「……。」
面倒だ。
だが断れば、貴族どもが騒ぐ。
それもまた鬱陶しい。
「いいだろう。」
カイゼルは玉座へ座り直す。
「帝国中に触れを出せ。」
「未婚の貴族令嬢は、全員参加だ。」
「はっ!」
アルベルトが頭を下げる。
数日後。
帝国中に知らせが駆け巡った。
『暴君陛下が皇后を選ぶ』
その知らせに、貴族たちは歓喜する。
誰もが恐れる暴君。
それでも皇后となれば、この国で最も高い地位を得られる。
欲望に満ちた笑顔が帝国中に広がっていく。
もちろんカイゼルには、その本音が手に取るように分かっていた。
「……醜い。」
そう呟いた彼はまだ知らない。
この世でたった一人だけ。
心と口にする言葉が、一言一句違わない少女と出会うことを。




