8. 「空を往く、〝1000年前〟と同じ空を」
草原に影が堕ちる。
春の柔らかい陽射しと風を受けていた小さな花々達が、黒い影の薄布を被せられて冷えていく。
大人達はゴクリと唾を飲み込み、村の少年少女達は歓声を上げる。
「すげぇ·····」
驚きのあまり口元に笑みを浮かべて、アベルは空の〝それ〟を、目に焼き付ける。
見た絵よりも、聞いた話よりも、遥かに圧倒的な〝天空の巨人〟が、空に浮かんでいた····。
重みのある岩の、ザラ付いた灰色の肌を春の光で暖めて、〝天空の巨人〟は、その口を大きく開いた、けったいな顔を地面に向けている。
これは····なんなんだ?
声を上げることも無く、拳を握ることも無く、アヴィスは止まりかけた頭で呟いた。
動悸が激しくなり、瞳孔が開く。
まるで貧血にでもなったかのような·····。
「あぁ···あ゛あ゛あ゛·····」
「···?どうしたアヴィス」
···行かねば。
煤けたオレンジ色の松明の光が、滑らかな石の廊下の壁を淡く照らす。厳しくも決して派手ではない装飾が施された木の扉を開け、その奥の奥の奥の··········
奥に·····。
◇◇◇
「大丈夫かー?」
母とアベルに顔を覗き込まれて、アヴィスは気だるげに呻いた───。
「どうしたの?具合悪い?」
「いや、ちょっと」
····。あれは。
視線を上げて、空の巨人を見上げる。
先程までより、かなり左の空に移動した〝天空の巨人〟は、相変わらず、その奇妙な顔面を地面に向けていた。
『巨人の中?』
何か·····とてつもなく、懐かしくて、忌まわしくて、愛しい────····
「お母さん」
「ん?····どうしたの」
誰の顔も見ることなく、上体を起こしたアヴィスが、呟いた。
「俺、旅に出る」
何かに取り憑かれたようなアヴィスの顔を見て、母は言った····
「行ってらっしゃい。」
◇◇◇
異常な程、行動は早かった。
心の底から湧いてくる高揚感と緊張····そしてもう一つ、名前の分からない感情の入り交じった、不思議な感覚が、アヴィスを急かしていた。
『奥の奥·····』
剣の輝きを確かめ、音を立てて鞘に収める。
少しの食糧と、少しの路銀をリュックに詰めて、隕石でできた剣····〝ウィングス〟と名付けたそれを腰に吊るした。
〝天空の巨人〟を見たそのすぐ翌日····。
驚きの声と、気でも狂ったかと心配される声を背に、信じられないほどあっさりと故郷の村を飛び出した。
古今東西、ここまであっさりと故郷から出立した者は居ないだろうと思われる程だった。あまりに急だったので、アヴィスが村を出た後も、村人の3分の2は何が起きたのか分かっていなかった。
「おいアヴィス···勢いで飛び出してきちゃったけど、道分かってんのか?」
───確信があった。
自分の行く先に、〝天空の巨人〟は待っていると。自分は、引かれているのだ。
何も分からないままに。
アベルにハッキリと頷いて、アヴィスは朝の光に照らされた大地を踏み付ける。
硬い土に、アヴィスの履いた靴が薄らと模様を刻む。
アヴィスの旅が始まった。




