直轄地のお茶会4
「……ファティ、そなたは知っているだろうが」
「はい、旦那様」
様々な準備を瞬きのスピードで終わらせてくださった旦那様と迅速な許可をくださった陛下のご協力もあり、私達は日暮れに登城の許可をいただけた。
問題は侯爵領から帝都まで飛ばしても二日程は掛かるということ。
それまでお嬢様の体調が持てば良いけれど……なんて、考えたくもないことを頭の片隅へ置いていれば、旦那様とファティが何かを話し込んでいた。
「……しかしそれでは、ヒルマが」
「すまない。流石に人数を増やす訳にはいかないんだ。そうなると勝手を知っているファティの方が適任なのではないかと陛下が」
「どうかされたのですか?」
私のことで何か、と首を傾げれば、二人は気まずそうに一瞬視線を交わしたあと、旦那様が口を開いた。
「ヒルマ。詳しくは話せないが、ミーナを救うために一人残ってくれと言ったら……」
「旦那様のご意向通りに応じるまででございます」
「……すまない」
詳細はわからない。しかし、それが火急の事態を抜け出すきっかけとなるのなら、私の意思など存在しなくて良い。
「私達は別で先に向かっているがヒルマ、そなたが登城する権利も得てはいる」
「かしこまりました。お見送りの後、すぐに出立させていただきます」
「ああ、頼む」
それから一息もつくことなく二人は屋敷を後にし、私も早馬に跨る。
途中、一本道であるはずのこの道筋で、二人とすれ違うこともなく帝都へ着いたことに不思議な感覚を覚えながら。
気付けば、意識は浮遊していた。
真っ暗の中、ぼんやりと次々に浮かんでくる断片的な記憶。
本のページを捲るように流れていく記憶達は確かに覚えがあって、わたしはぼうっとそれを眺めていた。
どれほど、この場所にいるのだろう。
この、何もないけど不思議と不快ではない空間にはわたししかいなくて、ある情報は閉ざされていた記憶達だけ。
朧な意識と鮮明な記憶達が相反して、深い泥濘の中を泳いでいるようだった。
でも決して、居心地は悪くない。
静か過ぎるほどの静寂は記憶へ没入させて、夢を見ているような心地が続くから。
愛されていた記憶。なくしてしまった記憶。忘れかけていた母と父の顔を、声を、姿を。
ずっとずっと追い掛けていけるのは本当に、幸せで。
「……っ」
見たくない。
怖い記憶には、蓋を使しよう。
痛いことは、忘れてしまおう。
何度も何度も出てくるあの記憶達を拒絶して、わたしは過去の幸せだった記憶だけを辿る。
『ミーナ』
柔らかく微笑む母の笑顔が好き。
『ミーナ』
優しく、撫でてながら抱き締めてくれる父の温かさが好き。
『ミーナ』
二人と一緒にいられた時間が、わたしは本当に大好きだった。
『お嬢様』
『ミーナ』
『ミーナ様』
だけど時折誰かが、わたしのことを呼ぶ。
こっちにおいでと。
でもいやなの。
そちらへ行ったらもう二度と、ここには戻ってこられないとわかっているから。
「お嬢様……」
誰かが、ずっと泣いているような気がする。
「ミーナ」
そんな顔、しないで欲しいのに。
……ま。
…ぁ…ぃ。
お…い…さ…。
わからない。
顔も名前もわからない。
でもその人達のことを思うと、この居心地の良い空間から出なくてはならない気がして、胸がざわめく。
『ミーナ』
あたたかいの、ずっと。
ここにいたいの、全部忘れたまま。
『ミーナ』
「ミーナ様」
名前を呼ばれ、記憶を辿るために駆けるわたしの手を、誰かが掴んだ気がする。
「だめだよ、ミーナ様」
闇に溶けてしまいそうな艷やかな黒髪。
丸くて小さい、幼子の手。
「そっちに行っては、だめだよ」
子供特有の甲高い声が、わたしを諭す。
ねえね、と手を引っ張り、話し掛けられる感覚は何処か懐かしいから。
安心と焦燥に、胸を抱く。
甘い夢を見ているだけなんだとも、薄々気が付いているのに。
気怠い重さから、抜け出すことを選べない。
『ミーナ』
母が呼ぶ。
『ミーナ』
父が手を招く。
ぎゅっと手を引く少女の指から手先を抜き、そちらへ歩き出そうとしたとき。
不意に裸足の足元を、何かが掠めた。
「……ねこ?」
見覚えのある気がするその黒猫はわたしの足元でくるくると周り、何かを伝えるかのようにじっとこちらを見つめる。
夜明けのように静謐で、厳かな静けさを持つその金色に射抜かれると、何故か気が逸る。
「にゃ」
くるりくるり足元を回る黒猫に触れる度、ちりちりと頭の奥で記憶が弾ける。
「……みんなのところに、戻らなきゃ」
そしてふと、思い出す。
今まで思考の奥深くへと眠っていたみんなのことを。
大好きな両親を失い、全てを忘れてしまってもなお支えようとしてくれているみんなのことを。
『ミーナ?』
母と父が傍へ来ないわたしに首を傾げている。
おいでと、手を広げている。
「……ミーナ様」
わかっている。わかっていた。
ここはもう、何処にも繋がらない場所だって。
知っていたのだ。
「お父様、お母様」
二人はわたしが望むように振る舞ってくれる幻想。
だから最後に二人の手を取り、告げる。
「……ありがとう。行ってきます」
戻らなければならないのだ。
わたしのことを待っていてくれるひとたちが、いる限り。
『そう、決めたのね。それならば……行ってらっしゃい』
『私達はいつまでも、お前達を見守っているよ』
都合のいい解釈かもしれない。でも、生きていたらそう見送ってくれるんだろうなと思いながら、わたしは二人に背を向け、てとてと歩き出している黒猫を追う。
『……ノラ、ありがとう』
「約束だからな」
尻尾に近付く度霞んでいく意識の中、最後に母が誰かと話しているような気がして。
振り返れば月光のように冴えた金色が、こちらを見据えていたような気がした。
「……ミーナ!」
差した日に目を焼かれている気分を味わいながら、わたしはお爺様に抱き締められている現状を把握した。
「お、じ……?」
声色からして随分と慌てているのが伝わって来るから、大丈夫だと伝えようとしたけれど声が上手く出ない。
「旦那様、ひとまずこちらをお嬢様へ」
「あっ、ああ、すまない。すまないねミーナ、水は?」
一人では身体を起こすこともままならず、何故か震え上手く物を掴むことの出来ないわたしに代わり、ファティが手を添えて水を飲ませてくれる。
「良かった、本当に……」
両の手をきつく握り込ませ、感慨深くそう漏らすお爺様と物憂げに首肯するファティ。
状況が把握出来ないまま二人から抱き締められ、最後の記憶を辿る。
「……っ、お、お爺様……!」
「大丈夫だ、茶会のことなら何も心配はいらないよ」
申し訳ありません。
喉につっかえて留まってしまった言葉を、お爺様が拾い上げてフォロー入れてくださる。
「それよりも、ミーナ。お前は一週間近くも目を覚まさなかったんだ。何も心配しなくていいから、今はただ休んでいてくれ」
「いっ、しゅ……?」
申し訳ありません。本当に申し訳ありませんとぐるぐる巡る思考を止めたその期間。
「そうだ、一週間だ。話さなければならないことは互いにあるだろうが、今日はもうこのまま大人しく過ごしてくれ」
私がいては邪魔だろうから、とわたしを気遣う言葉だけを残して部屋から去っていくお爺様。
「……ファティ、ここは?」
「こちらは貴賓室でごさいます」
「……どちらの、方の?」
きらびやかな、けれども決して下品ではなく品のある調度達がお爺様を見送る際にやっと視界に入り始め、ここが侯爵邸ではないことを悟る。
「……皇城の外れに位置します宮殿でございます。今はもう、何方様もお使いになられてはおりません」
皇城。宮殿。外れ。
色々処理しきれなさそうな情報が告げられ、わたしは更に状況が把握できなくなる。
何故そのようなところへ自分がいるのか、そもそも一週間寝込んでいたとは……などと思考するも、どう考えても今は情報を共有する気はないであろうファティを見上げ、わたしはそっと身体をベッドへ沈めた。
「……」
どうしてだろう。
この部屋はすごく、落ち着く気がする。
部屋のテイストがかつての自室と似ているからだろうか?
深緑と、ブラウンが基調となった部屋。
かつて帝国ではこのような重さのある色で室内を飾るブームがあったのかしら、なんて考えていれば自然と瞼は閉じていった。




