策と始まり2
「……お嬢様と離れることになった後、私達はダルスサラム公爵家からの推薦状を得て王城へ勤め始めました。ベルホルトは執事へ、ファティと私はメイドに。イリーナお嬢様とフィデリオ様へお仕えしていた者達は同じく王城勤務となった者が多く、たまに集まってはお嬢様の話をしていました」
一月、二月、三月と。
「ベルが国王の側近に、ファティがメイド長を任されるようになった頃。……本当に偶然に、私達はお嬢様をお見掛けしました」
何一つの音沙汰もないまま、ただ身を案じていただけの私達に突き付けられた現実。
「次期王妃候補を決めるパーティが開かれ、そこには当然ダルスサラム公爵家の令嬢も呼ばれていました。本来であれば新人の私達はそのようなパーティに参加出来ようもなかったのですが、その時期に丁度使用人達が流行り病に罹っていたこともあり、別棟のメイド長であったファティとその下にいた私は特別に給仕を任されて……そこで、人形のように張り付いた笑みを浮かべるお嬢様を、お見掛けしたのです」
従姉妹よりも前に立つことは許されず、他のご令嬢が殿下と話をされる中、ぴくりとも動かずに壁際に沿って微笑みを浮かべて立つお嬢様の、お姿を。
「理解、しました。公爵の思惑、人柄、全て。私達をお嬢様から引き離し、孤独にさせることで不安を煽り楽しんでいたこと。そうしてお嬢様を虐げて次期王妃候補から引き摺り落とし、実の娘を王妃候補へ据えた後、王城という場所へ推薦した自分に恩がある私達を傍に付けさせることで更にお嬢様を孤立させようとしていたこと」
たらり、と肌を伝う何かの感覚に握り込んでいた拳を開けば、くっきりと爪痕の残る手のひらに血が伝う。それをハンカチで押さえ、昂る感情を抑えるために一息吐いてから、続ける。
「その事実を知ってから、私達は何とかお嬢様に接触出来ないかを考えました。公爵家の使用人は全て入れ替えられていましたが、お嬢様に同情していた者達を数名見つけて便宜を図ってもらい、手紙を届けてもらうことには成功しました。けれどもそれも一月に何回か、時には二月以上お返事がないことあり、綴られる言葉はいつも私達のことを聞くばかりで……お聞きしても、何も変わらない、心配しないで欲しいと一言。公爵家へ直接訪れてお嬢様のご様子を確認したくとも毎回ダルスサラム公爵にまだ心配だからと要望を退けられ、歯がゆくただ時折王城で開かれる次期王妃候補を選択するパーティに参加するお嬢様を遠目に見ることしか出来ませんでした」
一度目は、給仕に参加出来た。しかし二度目以降は定例通り王城勤めの歴が長い古株の使用人達が給仕に付き、新人の私達が出来ることは会場まで飲食を運びその間に扉の奥に見えるお嬢様を見つめることだけ。
公爵家の使用人でもない、ただの王城勤めの新人が公爵令嬢と接触出来る機会など、存在しなかった。
「私達が正式にお嬢様と対面を許されたのは、それから三年余り経った頃。次期王妃候補となったお嬢様達ご令嬢の中が本格的に次期王妃を決めるために城にて住み込み、王妃教育を学ぶ。そんなお嬢様方の身の回りの世話を担う役割を任されたときでした」
その時期は、丁度ベルホルトが国王補佐に、ファティは筆頭メイド長に就いた頃。
以前よりもずっとお嬢様のご様子を傍で窺える座を手にした私達へもたされたのは、次期王妃候補選定期間。
「先程申し上げた通り、私達はお嬢様の従姉妹である方に付く予定でした。けれどその采配を変え、ファティと私をお嬢様のお傍に置かせてくださったのは他でもない、王太子殿下。一人の令嬢に筆頭メイド長という役職を持つ者を側仕えにするということは実質、次期王妃候補を表しています。それが発表されたときのダルスサラム公爵の取り乱し様は相当なものでしたが、生憎その場は王城内で衆人の目が集まる場。お嬢様に危険が及ぶことなく私達は宛がわれた部屋へ移動し、顔合わせを致しました。……そう、したのです」
途中で一切遮らず、ただ静かな顔で頷きながら私達の話を聞いてくださる旦那様。
その面差しは私がここへ逃げてきたときと同じように本当にただただ静かだから、噛み合わせた歯の根が軋む。
「わらって、いるんです。『ひさしぶりだね、ふたりとも。手紙ではずっと話をしていたからあんまり久し振りな感じもしないけれど、会えて嬉しいわ。これからよろしくね』、と。穏やかに、たおやかに、知らない顔で、笑っているんです」
その美しい微笑み。あの火事の後、人形のように張り付いた表情を彷彿とさせる感情の存在しない造られた顔。思い返しては、いつだってこう悔恨する。
「無理にでも、連れ出せば良かった。お嬢様にあんな顔をさせる場所から、共に逃げれば良かった。何を失ったとしても、どんな手段を得たとしても逃げて逃げて逃げてあの笑顔を、守るべきだった」
「……ヒルマ、それは」
滲み出る昏い声に、あのときのように声を掛けてくださる旦那様に大丈夫と首肯し、続ける。
「はい、わかっています。これは私達のただの利己で、お嬢様はそんなことを望んでいないと。今更後悔したってお嬢様が過ごした日々は戻らないし、あの笑顔ももう、戻らないとも。だからせめて、これ以上お嬢様が傷付くことがないようにお傍で見守ろうと、もう二度とお傍を離れないと、私達は誓ったのです」
「なるほどな……しかし、今の話を聞く限りミーナの婚約者であった王太子が異国の聖女に入れ込み、あまつさえ手を上げるような直情的な愚か者には聞こえないんだがな」
悔恨と決意、事の経緯をある程度話した後、旦那様はそれを一つの溜め息交じりの言葉で受け入れてまだ触れていないその後の話に移る。
「その点に関しては私達も正直、わからないのです。聖女が現れるまで殿下は王太子として立派な方でありましたし、お嬢様が国を離れている今では遅くまで政務に励んでいるとも城の者から報告があるくらいですので。おかしかったのは本当に、あの聖女が現れて以降、お嬢様に婚約破棄を突き付けたときまでだそうです」
「ふむ」
そして直近の出来事である婚約破棄の件の当事者、王太子殿下の様子を王国から届く報告も交えて話せば、旦那様はやはり腑に落ちないと言ったように首を傾げながらも一度頷き、何かを思考する。
「ミーナと王太子の仲は良かったのか?」
「そうですね……お嬢様に関してましては、殿下があの公爵家から連れ出してくださった本人ともあり、恩義や忠誠、尊敬の意は深く抱いていたように思えますがそれを甘い感情と呼ぶにはとても、と言ったところでしょうか。殿下も、お嬢様に対して婚約者としての配慮やお心はお持ちになっていたように見えていましたが、それも義務的な物が大きかったように思えます」
あくまでも私達が知り得る範囲での判断ではありますが、と最後に付け加えて、言葉尻が少し濁る。
「どうした?」
それに気が付かない旦那様ではなく、言い淀む私を不可思議そうに見つめていた。態々告げるようなことでもない蛇足な気もしたが、隠すようなことでもないだろうと再度話を戻す。
「お嬢様が殿下に対して抱いていた感情。それは聖女が現れて以降、次第に薄れて行っていたと思います。それでも、婚約破棄が宣言なされる前まではまるで何かに縛られるようにその場に留まることを望まれていて……私達の知らない出来事がお二人の中にあったのではないかと、それ自体がもしかしたらお嬢様をああも公爵令嬢として生かす鎖となっているのではないかとなどと、考えまして」
「ああ……なるほど。火事で家族を、記憶を、ヒルマ達を。一度全て失ったからこそ、作り上げられた偽りの姿がずっと離れない。そしてその姿を望む相手が慕う王太子だったからこそ、それに報いるべく努力し続けていたであろうから、より強固にミーナの思考に根付き、今も彼女を搦めとっているのではないか、と?」
「はい」
それは、ただの推測に過ぎないもの。
だから胸の内にしまっておいても問題ないかと思い一度黙ったのだが、その考えを聞いた旦那様は再び黙り、今度は私の横に座るファティに視線を移した。
「ヒルマに同意でございます。私は筆頭メイド長という立場を賜っていたため、お嬢様のお傍にいられた時間は彼女よりもずっと短い。ですが盲目的に彼女の考えを呑み込んでいる訳ではなく、私自身がお嬢様とお話しし、お二人の……お嬢様と殿下のお姿を拝見してきた立場から、そう申し上げます」
「では、ミーナがああも立場や義務というものに敏感なのには何かがある、と」
「私達が考え得る限りは、でございますが」
考えを口にするよう促され、それに応えたファティ。
お嬢様の傍に長くいながらも、どちらかというとお嬢様と王太子殿下、二人が揃う場面にいた時間の多いファティが別観点からも補足してくれて、よりこの考えが遠く間違っている訳でもないのだと証明してくれる。
「ベルホルトはどうだ?」
「申し訳ありません。私は基本的に王太子殿下と国王補佐を目指していたカールとディルクの傍におりましたので、二人に比べて遥かにお嬢様のお傍にいた時間が短いのです。故に、二人以上に感じていたことは何も」
「そうか、教育係だったと言っていたな」
「はい。次期王妃候補となっていたお嬢様とも顔合わせは何度もしておりますが、侍女であったヒルマ、主に給仕を担当していたファティ程長く共には」
そして次にお嬢様達の教育係を務めていたベルホルトへ投げ掛け、それ故に共にいた時間が短かったことからそれ以上に考えていたことはないと旦那様に返した。
「ベルホルト。お前の目から見て、王太子とはどのような人間だった?」
「殿下、ですか?」
「ああ」
王城での件を全てお話しし、緩やかながらも確かな変化を感じられた旅立ちの話に入る前。
何かが引っ掛かっている旦那様がこの中では一番殿下に近しかったベルホルトへ、そんなことを尋ねる。
「……努力されている方でした。同期、即ちお嬢様やカール、ディルクに比べてしまえば彼等が優秀過ぎた分パッと飛び抜けた点がある訳ではありませんが、それに近付こうと常に努力をされている方で、それを悟られないよう隠すお方でもありました。心持ちや態度も泰然と、そうあらなければならないと思い込んでいる節もございましたが、基本的には王たる素質を持っていた方だったと」
殿下のことを尋ねられると思っていなかったベルホルトは少し間を置いてから、それでもずっと傍で彼を見てきた者として誠実にそう、優しい顔で答えた。
「だからこそ、あの聖女が現れてからの行動を理解出来ませんでした。父たる者にならないよう、ずっと手を抜かなかった政務も怠るようになり、教育の時間は聖女の茶会に割き、忠告を入れる私達の言葉は何も聞こえていないと言わんばかりに聖女と共に庭園を二人で歩き回ったり。それはまるでなりたくないと常日頃仰っていたお父上のようでしたね」
しかしそんな顔も一瞬で、おかしくなっていた殿下の行動を語る目は冷め切り口調も淡々としている。
私達の知らない殿下のお姿があったかと思いきや、即座にあの日々の中に溶け込む良く知る殿下の姿が思い浮かび、私とファティも彼と同じように苦い顔をしてしまう。
「想像以上に厄介な話かもしれないな、その聖女。……まあ、もうミーナが戻ることはないのだからどうでも良い話か」
「旦那様?」
「いや、なんでもないよ。そうしたら、次はミーナの旅路の話を聞かせてくれるか?」
「承知致しました」
そんなベルホルトの話を聞き、ぼそりと早口で呟かれた旦那様。対面にいる私達にさえ詳細が聞こえないくらいの小さな呟きを聞き返せば、首を振って返される。
そして旦那様自身が次の話を切り出したこともあり、私達はそれを追求することなく王城を出る間際の話、以降の話をし始めたのだった。




