ゼロノア防衛戦線『邂逅』
防衛戦線開始からは約5分後。
そしてメガトンヴォルケーノの発動から見てもおよそ5分前、ちょうどこれまでの戦闘の中間あたりでのこと。
(……これが真理魔法の魔法陣の全容、ね)
スクロール、という表現は果たして正しいのかどうか。
氷滅属性の真理魔法 《アブソリュート・ゼロ》。
この世界においては『崩壊冷気魔法』とも称される禁忌のひとつであり、現実世界における絶対零度の名を冠する魔法。
そのスクロールにMPを注ぎ込むためにリラ・リロ商館へと訪れたリンネが見たものは、商館の床に刻まれた実に半径10メートルはあろうかという極大サイズの魔法陣だった。
(商館の構造そのものを多層魔法陣の土台とすることで魔法を成り立たせてる。よく考えるわね、こんなの)
床、そして天井を含む建物の物理的な高さと階層構造を利用した合計で7層にも及ぶ多層型の魔法陣。
これはメルティが利用していた多重多層型魔法陣の原理にあった、同一魔法の待機発動を目的とした多層構造ではない。
絵画のキャンバスのようなものだ。小さくとも絵は描けるが、大きければ大きいほど細かい情報を描き込みやすくなる。
真理魔法はその魔法自体の構造があまりにも複雑であるため、たったひとつの魔法陣では魔法が成り立たない。
大きく、そして多くの陣が必要となる。故に《アブソリュート・ゼロ》の魔法陣描画には7枚分の巨大魔法陣を使う必要があったのだろう。
「それにしても……この子、どうしたもんかしら」
「ワォン!」
リンネに視線を向けられてまるで犬のような鳴き声を上げているのは、リンネの契約精霊である雷妖狐・イヅナ。
商館に入るか入らないかというあたりで「召喚されたがっています」という通知が来たため言われるがままに召喚したはいいものの、特に何をする訳でもなくリンネに付き従っているだけ。
いや、正確にはイヅナは管狐の精霊であるため、まるでマフラーのようにリンネの首周りに巻きついて、共に真理魔法の魔法陣を観察しているようだった。
(精霊の調教……まあ、要は好感度システムみたいなもんだけど。最初の頃に比べたら懐いたもんよね)
精霊は契約者が精霊魔法を使うための触媒……すなわち外付けのスキルのようなものであり、同時に精霊自体も固有の魔法を持っている。
例えばイヅナであればリンネが「雷属性精霊魔法」を使うための触媒であり、それとは別にイヅナ自身も「分身変化:付喪七柱」という固有魔法を持っているわけだ。
そんな精霊には数値化された好感度があり、共に戦ったりペット感覚で可愛がれば好感度は上がっていく。好感度の上がり具合はステータスから確認できるし、余程のことがなければ下がることもない。レアな属性結晶などを与えればより早く懐いたりもする。
そして、好感度が上がるほど細かな命令に従順に従うようになるし、プレイヤーが使える精霊魔法の数も増えていく。
イヅナと契約してから3週間程度。好感度を高めるには期間が短く、まだまだリンネが使える精霊魔法は多くはない。
(精霊には自我がないって話だったはず、なんだけど……)
そう。
精霊には基本的に、NPCのような自我はないというのがプレイヤーの定説だった。
好感度はあくまでも契約者の精霊魔法の習熟度そのもの、あるいは指示にどれだけ正確に従うどうかのバロメーターでしかなく、好感度に応じて精霊自体の契約者に対する態度が変わるということはない。
呼ばれたら出てきて魔法を使って戦闘後に帰還するもの。
それが一般的な精霊の使い方だし、リンネもイヅナとそれ以上のコミュニケーションは取った記憶はない。
なぜそんなにドライな関係になっているのかと言うと、この世界には精霊とは全く別にペットシステムが存在するから……だと言われている。
精霊魔導士への転職は簡単ではない。まず魔法使いになり、レベル50で魔導師に転職、その後各属性の精霊結晶を用いた特殊魔法を発動することで精霊王との契約を行う必要がある。
リンネが契約した雷の精霊王ティスタミアは、100体を超えるモンスターと接敵している時にしか発動できない「ジャッジメント」を使用することで契約ができた。
他の属性の精霊王との契約も同様に、面倒だったり希少な条件下でないと発動できない魔法を要するのだ。
そんな精霊魔導士という希少な職業に限定されたペットシステムを実装してしまえば、プレイヤーの中での不公平感はこの上なく高まる。
故に、可愛がって懐いてくれるようなペットは全く別のシステムとして用意して、精霊という存在は言ってしまえば「杖」や「スキル」のようなものとして用意されているのだ。
(……と、まあそんなのはプレイヤーが適当に納得できるように当てはめた理屈でしかないのは確か。そもそも精霊魔導士は現時点では絶対数があまりにも少ない。精霊については未知の仕様があっても不思議じゃないし、そもそもこの子のコレが自我なのかさえわからない)
理屈も、原因もわからない。
これまでの、ただの道具としての精霊であった状態から変わったのだけは確かだった。
そんなイヅナの変化はさておき、真理魔法陣の起動準備は順調に進んでいた。
(うん、MPの充填は順調みたい)
足元の魔法陣が輝き出したのを見て、リンネは作業の進捗がスムーズに行っていることにホッとした。
戦闘開始からおおよそ6分が過ぎようとしているが、魔力充填作業は順調に進んでいた。
現在リンネは商館の3階に居るが、目の前の魔法陣は煌々と青く輝き出し、少なくともこの階層の魔法陣までは魔力充填が完了したことを告げている。進捗は概ね60から70%と言ったところだろう。同じペースでチャージが進むのなら、あと5分も経たずにチャージは完了するはずだ。
そしてリンネが商館内をぶらついているのは、既に自分の分のMPの供与が終わっているからだった。
(正確には供与と言うよりは共有みたいだけどね)
右の人差し指に嵌めた銀の指輪。
アクセサリータイプの神代遺物・リンクリング。
無数の指輪からなるこのアイテムには親機と子機が存在し、子機を身につけた者のMPが親機を身につけた者へと共有される機能がある。
細かな制約やルールはあれど、単純にMPを共有できるアイテムだと言ってしまって差し支えない代物だ。
スクロールに限った話ではないが、融合魔法を除き魔法の発動は原則としてひとりで行うのがこの世界のルール。
例えば、1000のMPを要求する魔法のスクロールを使うのに、200のMPを持つ5人が別々に注ぎ込むといったことはできないようになっている。
それがなぜかをリンネは知らない。なんならこの場で初めて知った事実で、それはそういうルールなのだろうとしか言いようがない。
重要なのはこういった抜け道に近いアイテムがないと発動できないほど真理魔法は凄まじいMP消費を強いるということと、メルティやアポカリプスといったこの世界の頂点に立つ魔法の使い手はそれほどの魔法を単騎で発動しうるということだけ。
「全ての魔法は真理魔法に辿り着く……だったかしら。けど、辿り着いたからと言って発動できるわけじゃない。それを、ナナは二度も直接見たのよね」
段階を踏んで魔力が充填され、徐々に起動されていく魔法陣を観察しながら、リンネは初めて直接目にすることになるであろう真理魔法に思いを馳せる。
強力な魔法の発動は、それだけで魅力的な瞬間だ。
いや、魔法に限った話ではない。魔法にせよアーツにせよ、強力な攻撃の発動は敵味方に関係なく心が踊るものだ。
リンネが自分で使った魔法の中で最大の威力を誇ったのは、使徒討滅戦で使用した十連詠唱のライトニング・バリスタ。
あるいは、モンスターハウスで使用したジャッジメントも、単純な威力はともかく攻撃範囲は最上級魔法をも上回る魔法だったと言える。
そしてこれから目にするであろう魔法は、そんなものとは比べ物にならないほど途方もなく巨大な魔導の深淵だ。
なお、災害魔法と星霊召喚の激突はこの数分後に発生することになるのだが、それはさておき。
(プレイヤーの成長速度なら、いつかは使えるようになるのかもしれない。その先行体験ってところね)
そうして少し気を抜いていたリンネだったが、不意に後ろから声が掛けられた。
「真理魔法の魔法陣はそんなに面白い?」
「ええ。……誰かしら」
「内緒。だれだと思う?」
生返事をした後、振り返った先に立っていたのは、過剰なほどの白を纏った狐の女獣人だった。
間違いなく知り合いではないが、確かにその顔は見覚えはあった。
(すぐ思い出せないってことは、私にとってはあまり重要じゃないってことだけど……)
数秒考えてから、ようやくその正体を思い出した。
「……ああ、スクナに呪符を売ってた妖狐族の……雪華、であってたかしら」
「知ってたの? なんだ、つまらないの」
初対面でわざわざその問答を挟む必要性はないだろうと思いつつ、言葉の通り唇を尖らせる雪華の態度にリンネは内心少し呆れていた。
雪華。200を超えるレベルと符術と呼ばれる珍しいスキル、加えて極めて強力な結界術の使い手でもある妖狐族のNPC。
鬼人の里にたまに現れるレアな行商人NPCで、ナナがノクターンに挑む際も彼女から購入した呪符が活躍していたのを覚えている。
狙って会える相手ではなく、その動向に関してもプレイヤー視点からすると知りようもないため、当然リンネもこんな場所で出会うことになるとは思っていなかった。
「ところで、どうしてこんなところに?」
「依頼を受けたの。お金も触媒もたんと積まれたから、今日はゼロノアが私の現場」
「それは商館に居る理由にはならないわよ」
「私の仕事はもう少し先。今はハオが戦ってるし。だから起動している真理魔法陣を見に来たの。こんなモノ、滅多に見られるものじゃないから」
先程までリンネが観察していた魔法陣を指さしながら、雪華はそう言った。
つまるところ、雪華はゼロノア防衛戦線に招集された英雄のひとり。おそらくはその結界術の腕を見込まれてのものだろう。
(それにしても……)
「貴女は使えないの?」
「うん。私のスキルはそっちには伸びてないから。使えるのは上位属性の最上級魔法まで」
「それでも最上級魔法は使えるのね……」
「それなりに長く生きてるから。そのくらいはできて当然だよ」
見せようか? と問いかける雪華に要らないわと返す。
そもそも街中でどう魔法を見せるつもりなのだろうか。
「そういえば、キミの名前は?」
「リンネよ。……というか、改めて聞くけどなんで私の所に来たの? 名前も知らないってのに」
自己紹介に合わせて、先程はぐらかされた……というよりなんだかよくわからないうちに逸れていった話を軌道修正する。
彼女がリンネのことを知っていて、それでこの場所まで来たのなら、目的はさておき来た理由自体はわかる。
だが、今の話しぶりからしてリンネのことを知っているわけではないはずだ。
その理由を改めて問うと、雪華は思ったよりも素直に答えてくれた。
「この魔法陣を見に来たら、知ってる子の匂いがしたから。スクナと、それから……イヅナの匂い」
「知ってる子の匂い」という表現は妖狐らしいというか、なんだかんだで獣らしいものだ。
そして雪華の答えは半分は想定していた通りで、もう半分は想定していなかった答えだった。
「いつまでも魔法陣に気を取られてるのもなんか癪だね。ほらイヅナ、そろそろ目を覚まして」
リンネと雪華のことなど気にも留めずにずっと真理魔法陣を眺めていたらしいイヅナに、雪華は軽くデコピンをぶつけた。
イヅナはキラキラとした目をはっとさせ、デコピンをしてきた相手を不思議そうに眺めてから、こころなしか嬉しそうに鳴き声を上げた。
「くぅ? コォン!」
「うん、久しぶり。元気そうでなにより」
そう言われたイヅナは、リンネの首元から離れて雪華の周りをクルクルと回り出した。
その様子を見て何となく状況を察したリンネは、浮かんできた疑問を素直に雪華にぶつけた。
「妖狐タイプの精霊って、元々は妖狐族なの?」
「そうだよ。君の知ってる獣人や鬼人やエルフと違って、妖狐族は一切ヒトの血が流れてない、れっきとした魔獣の一族。だから才能があって精霊王に認められればこうして精霊になることもある」
妖狐族はプレイアブルの種族ではないが、モンスターでもないNPC専用種族。今のところはメルティのような純血の吸血種もそれに近い存在で(プレイヤーが使えるのは厳密には混ざり物の吸血種)、その他にもNPCだけが分類される種族はいくつかある。
そもそもプレイアブルに選定される種族のルールなどリンネの知ったことでは無いのだが、今のところ基本が人型の種族のみであるのは確かだ。
それが「ヒトの血が流れている」ということならば、狐の姿を基本形とするらしい妖狐族は、プレイアブルの人型種族とは全く異なる生態の種族であるようだった。
そして雪華の説明を聞く限り、そういった種族の存在には精霊になる選択肢がある……?
「精霊になってなんの得があるの? 自意識があるのに人に使われる意味って何?」
「私たち妖狐族は魔力が好き。魔力に関わることが好き。魔力が関わる全ての事象を愛してる。新しい魔の軌跡を描き出すために生きているの。でも、才能には方向性と限界があるから、精霊になることで新たなステージを目指す子もいる。精霊は持ち主に合わせて強くなれるからだよ。ま、妖精族の子達と違って妖狐が精霊になるには別の才能が要るけど」
「それは種族単位の本能ってこと?」
「そう。私達の祖、仙狐タマモ様は世界で初めて魔力を持って生まれた獣。彼女の魔力への妄執は子孫である私たちの本能に刻まれているの」
仙狐タマモ。名前の由来はこの国でも超有名な妖怪、九尾の妖狐「玉藻前」から来るもので間違いない。酒呑童子や両面宿儺と同じく、重要NPCの名前が強大な神仏妖怪から取られた形だろう。
(サラッと流されたけど、妖精タイプの精霊も元は妖精族なのね。精霊ガチャにおける確率を考えると、妖精族は妖狐と比べると何十倍も精霊になりやすい性質があるってことかしら)
統計を取れるほど結果が集まっているわけではないが、体感としてガチャからの妖狐タイプの出現率がおよそ100分の1。それに比べて妖精タイプは9割を超える。
妖狐族よりは妖精族の方が精霊としての才能に恵まれている、と考えるのは自然なことだった。
「貴方、私に強くして欲しいの?」
「クルル」
「期待してるって」
「何よその人任せな返事は。自分でも頑張んのよ」
「クゥ」
「ふふ、仲良し。いいことだよ」
「ふん、イヅナがこんな風になったのも今日が初めてなのに仲良しも何もないわよ」
ペシッと軽いしっぺを胴体に食らわせてやったものの、それを撫でられたと勘違いしたのか気持ちいいといわんばかりにイヅナは目を細める。
そんな二人の様子を見て雪華はにやけるような表情を浮かべていて、リンネはそのお見通しとでも言わんばかりのにやけ面に顔を背けた。
「じゃあ、私はそろそろ行こうかな。いざって時に席を外してて怒られたくもないし。スクナによろし……イヅナ?」
「クゥ、ワンワン! キュゥン」
「…………なるほど」
本当に気になって話しかけただけだったのか、割とあっさりと立ち去ろうと踵を返した雪華だったが、イヅナが手に噛み付いてそれを止める。
その鳴き声にどれだけの意味が込められているのかはリンネにはさっぱりわからないが、先程までに比べて熱のあるイヅナの言葉?には去り際の雪華を引き止めるだけの価値はあったらしい。
「ねぇリンネ、どうせ暇なら着いてきて」
「着いてきてって、どこによ」
「さっき話してた現場。もうここにいてもやることないでしょ?」
「はぁ? ちょっ……!?」
雪華はそれだけ言うと、答える時間も与えずに有無を言わさぬ力の強さでリンネを商館から連れ出した。





