36 偽りの露見
楓の訴えを聞いた利憲は、ゆっくりと空を見上げた。
頭上では鸞と龍とが離れてはぶつかり合う。その度に氷の粒が、風の吹き荒れる夜空に散っていた。
「斉彬……、龍笛を持っているか?」
利憲に聞かれた斉彬が怪訝な顔をする。
「龍笛? なんでそんなものを」
「無いか。無ければ夜狐に少副殿を連れて来させるが」
「いや、あるけど」
「持っているなら吹け」
「ええ! 今かい?」
「そうだ」
有無を言わさぬ口調に斉彬は戸惑いながらも、それ以上は聞かずに懐から笛を取り出した。
何をするつもりなのか。
見守る楓の前で斉彬は少し考えるように首を傾げ、横笛に口をつける。
ヒイー
細く高い音色が、風の吹く中を割くように響き渡った。
【蘭陵王】。
龍面の舞楽の選曲に、利憲の口元に笑みが浮かぶ。そして、人形の式符を取り出すと、小さく呪を唱えた。空に向けて放られたそれらは、たちまち蝙蝠へと変じて飛び立った。
幾匹もの蝙蝠が龍の顔に向かってゆく。
それに気付いた鸞が、羽ばたきと共に龍から離れた。
低く、そして高く龍笛の音が響く。
龍の鳴き声に似るというその音に、柘榴を飲み込んだ龍の動きが止まった。
漆黒の目が龍笛を奏でる斉彬に向けられる。
神に捧げられる笛の音色が、龍神の興味をひいたのだ。
怒りを含んだままの龍の視線に、楓はぞくりと背中が冷たくなる。
嵐は一向に止む気配はない。
利憲が低く呪を唱え、自分達の周囲に結界を張った。
風が緩み、束の間の静寂が生まれる。
「楓、龍を呼ぶぞ」
「はい」
利憲の口から紡ぎ出される龍神祝詞が、龍笛の音色に共鳴する。
惹かれるように巨大な身体がうねりながら降りてくるのが見えた。
利憲が楓に目配せをする。
それに頷き返して、楓は宙に止まる龍の前へと進み出た。
鸞が警戒する様に近くを舞っている。
あれほどに荒々しさを見せていた龍は、今は楽の音色に気をひかれ、風の中に流れる龍笛に耳をすますかのように固まっていた。
巨大な身体だ。
山楝蛇であった頃とは比較できない程に。そして、その薄く開いた口の中には恐ろしく尖った牙が並んでいた。
怖い。
しかし、この神の怒りを解かねば嵐は止まぬ。
「保光様……、柘榴様をお返しください!」
叫びにも似た懇願に、龍が僅かに身をふるわせた。
獣の顔に驚きが浮かんだ様な気がして、楓は確信を持つ。
「やはり貴方は保光様なのですね」
柘榴の父は山楝蛇となり生きていた。彼女に寄り添う神として。
楓は『それならば』とばかりに言葉を重ねた。
「貴方の望みは柘榴様を護ることではないのでしょうか。しかし、このまま都を嵐に沈めても、彼女は救われません」
彼は利憲達に追い詰められた柘榴の呼び声に応え、彼女を救う為に現れたのだろう。そして、この嵐は彼女の怒りに感応しているのか。
「貴方は弘徽殿に現れた時、私にあの葉を残してくださいました。あれは貴方の仇をとろうとする柘榴様を、止めて欲しかったのでございましょう?」
その問いに、グルル、と龍が喉を鳴らす。
龍の目がじっと楓を見つめた。
言葉はない。しかし、肯首の様にも感じず、楓は首を傾げる。
(違うの?)
楓を見つめる漆黒の瞳の中に、もどかしげな感情がゆらめいていた。
何かを伝えたそうな気配を感じて、楓は疑問を持つ。
彼女は本当に父親の仇をとろうとしていたのだろうか。
反魂木の葉、山楝蛇がそれを自分達に見せたのは一体何故なのか。
「そうか……、反魂木を手に入れた人間は別にいるのか」
背後に立つ利憲の呟きが聞こえた。
反魂木の葉、それが柘榴のものではなく、別の人物が手に入れたものであるならば——。
ああ、そうか。と、楓は腑に落ちた。
幻術の香を使っていたのは、証言を聞く限りでは確かに柘榴だ。
しかし、それを彼女に渡した者がいる。
「彼女は利用されていたのですね」
楓の問いかけに、龍神はただ黙って瞬きを返した。
「利憲様——」
振り返り見たその顔には、僅かに苦痛の表情が浮かんでいる。
龍笛から唇を離した斉彬が、利憲の肩に手を置いた。
「大丈夫か?」
「……ああ。これは疑いを持たなかった私の落ち度だ」
きっと、彼は無意識に疑う事を避けていたのだろう。
そして、楓は相手の狡猾さを感じ怒りを覚えた。
ずっと違和感があったのだ。
後宮で会った時の彼女と、この一連の事件を起こしている彼女の姿、それがどうしても繋がらなかった。
ようやく、その謎が解けた。
いつの間にか燕の姿へと戻った飛燕が、利憲の肩へと降りてくる。
そして、朱雀門の方から無数の蝶が群れとなり飛んで来ると、龍の周りを取り囲んだ。しばらくひらひらと舞う蝶の中で、龍神は静かに頭を下げ、そしてその身体は小さな星の様な光を発して薄れていく。
霧の様な光が散った後には、蝶に抱かれた柘榴がゆっくりと地面に降ろされた。




