第五十話:異世界でお仕事をするのは大変です。
今回で連載、3年目に突入しました。
たくさんの方にこの物語を見守っていただけて、本当に嬉しいです。
これからもまだまだ続くので、皆さまの日常のちょっとした楽しみになれるよう、執筆して行こうと思います。
今後とも、アレンとその仲間達の人生を見守っていただけると幸いです。
月初め、朔日です。曜日的には土曜でお休みですが、朔日だけはお仕事の日であることもあるそうです。で、フラーディアは今日もお仕事の日となってます。まだ寝てる2人を起こさないように気を付けて朝の支度を済ませます。一人で出勤っていうのは久しぶりですね。建物を出れば既に馬車が用意されています。
「あ、テリー。今日から専属指名したいんだけれど、いい?」
「へ? ぼ、ぼくですか?」
「うん。嫌ならそう言って。他の人指名するから」
「い、イヤなんてことないです! むしろ光栄です!」
慌てた様子ですが、嫌がっているわけではなさそうです。本心がわかるわけではありませんが、突然の指名に驚いただけという話のようですね。まぁ、ただの馭者が異邦人の指名を断れるわけもないんですけれど。でもできるなら渋々了承したみたいなことにはなって欲しくないじゃないですか。
「それならよかった。今度また馬のことについて教えてね。テリーの話、すごく面白かったから」
「あ、は、はい! 是非!」
パァ、と。わかりやすく花が咲きました。今まで話を聞いてくれる人がそもそもいなかったんでしょう。もし、気概があるならフラーディアに入れてもいいかもしれませんね。彼が興味ある分野がどこまでなのかでまた話は変わりますが。
獣医が職として確立されているのなら、そこから動物経由の感染症対策とか講じられる可能性もあります。魔物関係に興味があるなら、グラニー種のように品種改良で人の役に立つ魔物を増やすとかもいろいろ考えられます。人と動物、魔物の関係はきっとこの世界の発展に役立つでしょう。
流れていく景色を眺めながら考えていれば、斜向かいに座るブラッドが胡乱気な顔をしました。
「何か企んでます?」
「人聞きの悪い言い方しないでよ。テリーが何にどこまで興味あるのか知りたいだけ」
「わたし、聞きましょうか? 今日は城内で情報収集しようと思ってたので」
「いや、明日にでもまた厩舎に行って自分で聞くよ」
「馭者を何に使うつもりですか……」
呆れられました。ブラッドのこの絶妙に頭が硬いのは性分としても、もうちょっと柔軟になってくれないかなぁなんて思っちゃいます。まぁ、なんとかと鋏は使いようとも言うか。自由人ばっかっていうのもまとまりがなくなって大変でしょうから、ブラッドみたいなのがいてくれた方がいいのかもしれません。フラーディアメンバーはみんな優秀なので、私が使うまでもないんですけれど。でも適切な支援と環境がなければ優秀でも潰れるばかりですからね。そうならないように私は全力でできる限りの支援がしたい。
「何に使えるは出てくるものによるけれど、それを出してもらうにはまず支援しなきゃ」
「だからってどうしてこう……。いえ、あなたはそういう人だ」
「身分に関係なく取り立ててくれるくれるところが、アレン様の一番お優しいところだと思いますよ」
「それが逆に自分の立場を悪くしてる自覚はあるよ、流石に」
「自覚していればいいという話では。……自覚しているだけいいとします」
「さっきから微妙に失礼だなぁ」
失礼しました、と素直に頭を下げるのに笑って許します。話をしている内に本城に入りました。馬車を降りてテリーを振り返ります。
「ありがとう。帰りもよろしく」
「は、はい! もちろんです!」
「じゃあ、行ってきます」
最後に言ってみれば、きょとりとされました。私はそれに、言葉が返ってくるまで待ちます。数秒の沈黙。
「あっ……、い、行ってらっしゃいませ」
「うん、行ってきます」
満足。強要したみたいであまりいいことではないかもしれませんけれど。やっぱり送り出してくれる人がいるのは嬉しいですからね。テリーはホッとしつつ、ちょっと嬉しそうです。
そろそろ覚えてきた道順で真っ直ぐにオフィスに入ります。既にメンバーは揃っていて、いつも通りに挨拶です。みんな、いつもどれくらいに来てるんでしょうかねぇ……。責任者が一番最後でいいんだろうか、ってちょっと不安になります。
「今日はお客さんが来る予定だから、心積もりしててね」
「お客様ですか?」
「うん、第三王子スヴァンテ様」
「「「「えっ」」」」
流石に驚かれました。そりゃそうでしょう。驚かない方がおかしい。滅多に笑みを崩さないメリッサも一緒に驚いているので、ちょっとしてやったりと思います。
「この世界で数字を学問にしたいんだって。異邦には既に数学って言って、それがかなり発達してるから」
「アレン様のお話しから、異邦の物をこちらに入れたい、とスヴァンテ殿下も考えたということですか……。そういう意味ではアタシたちと同じですわね」
「そう。だからあんまり緊張しないで……、って、無理か」
「ちょっと、無理」
「わ、私が、お会いしていい方では……、きょ、今日、私は、表に出ていた方が、よいのでは……?」
「そこまで緊張することありませんよ。気さくな方ですから」
「そうですね、むしろできるだけいつも通りに仕事をしているほうが殿下は喜ばれるかと」
「で、できるだけ、がんばります……!」
「うん、できるだけでいいから。みんな、あんまり無理しないでね」
まぁ、突然王族が来たらこんな反応にもなりますよね。やっぱりもうちょっと日を開けて心の準備を……しても同じか。だったら早めに慣れてもらう方がいいのかもしれません。……ちょっと鬼かな?
「あと、城下に降りるなら今日から指名した馭者がいるから彼に馬車出してもらって。テリー・ボン・ゴッディ。こげ茶の髪にライム色の瞳と泣きボクロの男の子」
「馬車くらい、自分で用意しますのに」
「何もないとは限らないから。命預けるわけだし」
「確かに、フラーディアを良く思わない人はいる。なんの実績もないから、どこから崩されるかもわからない」
「そうですね。今は色んなことに警戒すべきでしょう。お気遣いありがとうございます」
貴族の子たちは流石に理解が早いですね。そこまで貴族の生活に馴染んでなかったカタリナだけわかってない顔ですが。まぁ、納得はしてくれたので大丈夫でしょう。今、一番城下に降りる機会があるのは彼女ですし。気弱なところは変わりませんから、誰かに何かされても言えないでしょうし。外に出る時にはエルネストを必ず連れて行くように言おうかな。護衛騎士はもう一人、早めに増やした方がいいかも。
「他に報告ある人は?」
「先日話した作業机と家具の搬入が本日ですね。8つ目の鐘の頃に到着する予定です」
「了解。その前にある程度のレイアウトは考えておかないとね」
「消耗品の補充も今日来る。6つ目の鐘の頃」
「じゃああとで棚の整理しておくよ。ブラッド、手伝って」
「かしこまりました」
「私、魔道具を動かす魔法陣を組んだので、実際に動かしてみたいんですけれど……」
「それはわたしが手伝う。部屋の隅、使っていい?」
「もちろん、十分気を付けてやってね」
「アタシも薬草の調合をしますわ。ちょっと匂いがするかもしれませんけれど、換気は十分に行いますわ」
「わかった。実証実験とかはちょっと場所考えないとならないね。歌える場所も保留になったままだし。調合室みたいなのもあった方がいいね。考えておくよ。他に報告ある人は? ……よし、じゃあ今日はちょっと忙しくなるけれど、できるだけ、いつも通りに頑張ろう」
お決まりの締めに、元気な返事。それぞれに作業を始めたので、私も動きます。スヴァンテ様が来るまでは暇ですから、言った通り消耗品の収まっている棚を片付けます。とは言え、みんなキレイに使ってくれてるので特別整えなきゃならないほどぐちゃぐちゃってわけでもないんですけれど。
手を動かしながら考えるのは、部屋のことです。今は事務作業的なことが多いですけれど、それぞれ実証実験だったりありますからね。まだ人が増える可能性があることも考慮すると、この部屋だけで賄えるわけじゃないのは当然でしょう。とりあえず早急に解決するべきは魔法陣の実証実験室と調合室ですかね。異邦にあった防音室みたいに、家具扱いでノイラートさんに発注できないかしら、なんて考えます。
しばらく作業をしていとノックの音がしました。6つ目の鐘にはまだ早いので、スヴァンテ様でしょう。ブラッドが応対してくれます。一瞬、緊張の空気になりますが、大丈夫だとみんなに笑いかければ安心したように作業に戻りました。
「お待ちしておりました、スヴァンテ様」
「いえ、こちらこそお招きいただきありがとうございます。ここが噂のフラーディアのオフィス、ですか。何だかワクワクします」
「そう言っていただけると幸いです。なんのおもてなしもしませんが、どうぞ好きなようにお使いください。私たちも好きなようにしておりますので」
後ろの従者の方がちょっとだけ目付きを鋭くしました。まぁ、王族に向って言う台詞ではありませんからね。でも私は方針を変えるつもりはありません。ここに居るなら全員が対等。権力を振りかざすなら一昨日来やがれ、です。
「ボクはここに数学を学びに来ていますから。どうぞ、お構いなく」
そして、スヴァンテ様は私の性格をよくご存じのようです。全く意に介さないどころかむしろちょっと嬉しそうに言いました。そのまま従者を追い出しにかかります。
「仕事を邪魔しないのなら部屋にいても構いませんよ」
「今回、招かれたのはボクだけですから。それに暇をしているくらいなら兄様の仕事の手伝いをしてもらった方が有意義ですしね」
「なるほど」
彼には彼の考えや事情があるようです。従者は納得しない顔をしながらも、結局は命令に逆らえないので渋々部屋を出ていきます。スヴァンテ様の従者の割に、あんまり態度が良くない、というか……。
「初めて見る顔でしたね」
「ええ、ボクがここに通うにあたってファビアン兄様に押し付け……与えられた従者です」
「あー、監視ってわけですか」
「有り体に言えば」
わざわざ言い直したのに、全く意味のない会話です。聞こえていたらしいメリッサがちょっと笑いました。つられたように小さく笑う声に、部屋の空気も和みます。
「では、改めて。ようこそ、私たちの夢を叶える場所、フラーディアへ」
「こちらこそ、このような場所にお招きいただきありがとうございます」
改まってカーテシーで挨拶します。スヴァンテ様も礼を返してくれました。空いている席に座るように促して、向かい合って座ります。
「数学を教えてもらう前に、ボクの方から少し報告をよろしいですか?」
「ええ、もちろん。こちらも、ある程度説明を求めるつもりでしたから」
「それならよかった」
何がいいのかはわかりませんけれど。まぁ、王位継承権を持つ王子であることに違いはないわけですからね。いくらなんでも、一人の異邦人に肩入れするのはよくないでしょう。私はこうして特別に部署を持たせてもらってますからね。スヴァンテ様はお茶を一口含んでから口を開きます。
「立場上、ボクは異邦の方一人に肩入れすることはできなくて、今回のことも条件付きで通うことを許されました。正式な所属はせず、あくまで外部の人間として出入りを許された、そういう話になっています」
まぁ、予想通りです。だから私も新しいメンバーが増える、ではなくお客様が来るとみんなに伝えたわけですし。建前としては異邦人が持つ独自の部署の監視とか、監査でしょう。そこは話すつもりはないようで、スヴァンテ様はすぐに続けます。
「この部署を良く思っていない方が多くて、出来たばかりだというのに解体すべきだという意見があまりに多いんです」
「まぁ、まだなんの実績もありませんからね。長い目で見てほしい、とは思いますが」
「ボクも同意見です。ですが、アレン様がやることなすことすべてに気に食わないと文句を付けたがる人間はイヤと言うほどいます。それに有力な貴族とつながりを持てる布陣だ。余計警戒されているんでしょう」
ちらっと作業しているみんなの方を見ます。シルヴィアとエルネストは平民ですけれど、ブラッドはクルック公爵の次男。メリッサは薬草研究室で室長にまで上り詰めた研究者で、有力な侯爵の領地を拠点する伯爵の夫人。リリーは国境の防衛線の要でもあるアヴァロン辺境伯の次女。カタリナは今も前線で活躍するトマス騎士爵の一人娘。コンチータは王族が信頼を置く魔道具商の次女。直接政治だのなんだのに関われる人ではありません。でも、みんなが持っている人脈はバカにはできません。それを辿って政治に口を出されたらたまったものではないでしょう。まぁ、私には政治ができる頭はありませんが。実物がどうであれ、疑う方はいくらでも疑えますからね。力をつけようとしている厄介な人間はできるだけ追い落としておきたいでしょう。出る杭は打たれる、異邦でも同じです。
「そのための間者ですか」
「潜り込ませるための言い訳ですね。ボクたち王族には影と呼ばれる監視員が複数付いてます」
「スヴァンテ様の影を敵対勢力の人間にすれば、スヴァンテ様を言い訳にここの監視ができる。ついでに従者という名目なら堂々と出入りもできる」
「そうです」
「それ、秘密にしておかないといけないことでは?」
「どうせバレるでしょう。先程の従者を見たことのない顔だと言うのですから。他人の従者の顔なんて普通は覚えていないものですよ。それにボクは痛くない腹を探られるのを良しとするほど、お人好しではないつもりです」
「だからってお兄様を売るのもどうかとは思いますが」
「今まで黙ってあげてた分のお返しです」
こわぁ。なんのかんの言って、スヴァンテ様も王位を争う王族なんですね……。長兄と次兄があれだからどっちかが王位を持って行ってくれる可能性の方が高いから、今までは黙ってたんでしょうけれど。長兄がいなくなって、間にレティシア様がいるとは言え次の男子です。長兄の代わりに推し始めた人も多いでしょう。
「まぁ、大体の状況は把握しました。こっちは特に疚しいこともしれませんから、探りたきゃ勝手に探ればいいです。とはいえ、研究成果とか材料とか、資材とかの管理は今まで以上にしっかりしないとなりませんね」
「金庫は必要でしょうね。信頼できる商会に声をかけましょうか」
「お願いできますか? ある程度の説明は聞きたいので、商会に赴くか商会の方に来ていただくときには同席させてください」
「もちろんです」
こういう時に直ぐ人を動かせる人がいるのは有り難いですね。私にはまだそういう伝がありませんから。そういう意味でも、スヴァンテ様が来てくれるようになるのは本当に助かるかも。部屋のことも後で相談してみていいかもしれません。
「だからと言って、数学を学びたい気持ちに偽りはありません」
改まったようにスヴァンテ様は言います。
「それはそうでしょう。もし先日の会話が演技なら、私は何から疑えばいいかわからなくなります。ただ、立場上そう言った純粋な気持ちさえ利用しなければならない時がある。そういう話でしょう?」
「信頼していただけるのは嬉しいですね。ええ、アレン様の言う通りです。今回、それを利用しているのはボク自身ではありませんが。ファビアン兄様を筆頭として、アレン様を疎ましく思っている人間は本当に多い。その中でよくこれだけ人を集めたものだと父上も感心しています。その中にボクがいることでいくらか牽制になるのなら、アレン様も遠慮なくボクをお使いください」
「お気遣いありがとうございます。だからと言って切り捨てるつもりはありませんよ。スヴァンテ様は数少ない私の味方の一人ですから」
そう言えば、スヴァンテ様は目を丸くしました。最悪の場合、王族であるスヴァンテ様を切ることでこの部署は独立させることができる。スヴァンテ様の存在を人質に、この城の中の組織から外すようにも国王陛下にだって直接脅せます。その後のことはまた面倒ですが、上手く国の外まで出られればこのメンバーなら再スタートは難しくないでしょう。きっとスヴァンテ様はそれを見越している。あまりにも周りの声が酷いようなら、自分を使ってこの場所を守ることを優先しろ、と言いたいのだと思います。最悪の事態は想定しておくべき。だって私は、この国に嫌われた貧乏くじですから。
ニコリと笑って見せれば、スヴァンテ様は照れ臭そうに笑いました。
「どこまで見透かしてますか?」
「さぁ、何処まででしょう。案外、お互いに考えすぎかもしれませんね」
「そんなことはありませんよ、きっと。それでも……一番大きな札であることは覚えておいてください」
この札がジョーカーになるか、ババになるか。それは使いどころ次第ですね。まぁ、できるなら使わないでいた方がいいんですけれど。人をお守り代わりにするのもどうかとは思いますが、使わない方がいいお守り代わりとしておきましょう。いつか、本当にスヴァンテ様がメンバー入りする日が来てくれる方を、私は祈りたいですから。
「報告は以上ですか?」
「ええ、以上ですね。ああ、いえ、もう一つ。先日教えてもらった確率の問題を僕なりに式を立てて考えてみたんですよ。見てもらえますか?」
「いいですよ。それを理解できる頭があるかはまた別の話ですが……」
「わかりやすい解説も一緒に考えてきましたから。サイラスの奴は全く聞いてくれなかったんですよ。でもとにかく誰かに聞いて欲しくて」
「興味がないと塩なのは兄弟そろってなんだね?」
「急に話を振らないでください」
メリッサの手伝いをしていたブラッドがこれでもかと顔を顰めます。それに笑えばいつもの空気が戻ってきました。色々、まだ波乱はありそうですが、楽しければそれでOKということで。何かがあったら、その時にまた考えればいい話としておきましょう。最悪の事態は想定しても、常に考えてる必要もありません。不安要素が今のところないなら楽観的にいきましょう。私は広げられた資料の細かい計算式を見下ろして、マヌケな声を出しました。




