第十九話 1940.8-1940.9 ロケット
主人公はロケット戦闘機を思い出します。
昭和十五年八月
今月から東京市内に贅沢は敵だとか書かれた立て看板が並び出した。
こういうのを見ると本当に戦時色が強まったと感じるな。
一度目の人生で最後に設計し風洞実験まで行っていたロケット戦闘機を思い出しながら図面を引いていたら糸川がえらく興味を持った。
専門ではないからそこまで詳しくはないが、ロケットについても機体設計の時に渡された技術資料を読んだからある程度は知っている。
ロケットエンジンはグロシュコが開発していたが、開発は難航し私の元に実物が届くことはなかった。
糸川はロケットにも興味を持ったようだが、私はロケットの燃焼時間は極めて短く、計算上一分で戦闘高度に達するが、戦闘可能時間は六分から長くて九分位しかなく、帰るときは完全に燃料を空にして滑空して戻らねばならない為、戦闘後の帰還が非常に危険だと話した。
更には、機体に銃弾を受けると燃料に硝酸を使う関係で操縦室に噴き出す恐れがあり、そうなると運が良くて大やけど、悪くすれば死ぬこともあるとも話をした。
糸川は、ロケットはそんな恐ろしい代物なのかと目を白黒して、そんな飛行機なら人が乗るのは難しいでしょうという。
確かに、ツィオルコフスキーの考えた宇宙ロケットの様な形ならまだしも、ロケット戦闘機というのは現実的ではないと話した。
ただ、人は乗れないが固形燃料でロケットを作れば単純な構造で簡単に飛ばすことが出来る事を話すと、糸川は手をたたいてそういえばそうですね。と笑った。
そういえば、一度目の人生の祖国ではロケット弾を発射する多連装ロケット砲なんてものがあったが、日本にもああいう兵器はあるのだろうか。
ドイツも確か使ってたような気がする。
ソ連はあのロケット弾は航空機にも載せて積極活用していたな。対空だと簡単には当たらないが、対地攻撃には使い方を選べば絶大な威力を発揮していた。
あれは対地攻撃任務に回されたI-153やI-16にも搭載した。
ノモンハンの時には既にロケット弾を搭載していて、日本軍機をロケット弾で撃墜したと報告が上がっていた。
ロケット弾の利点は構造の簡単さから安いというのがあるが、最大の欠点は命中率の低さだな。もしかすれば何かやりようがあったのかもしれないが、直接関わったわけでは無いから何とも言えない。
あれが何らかの方法で誘導できれば中々の威力だとは思うんだが。
そんな話を図面を引いて見せたりしながら糸川としていると、糸川は新しいおもちゃを見つけた子供みたいな顔で目を輝かせ、ロケットは楽しそうですね、と笑う。
会社に言えばロケットの開発をやらせてくれないかなと言い出す始末。
それより、糸川にこの図面の機体をジェットに変えたいと思うんだが、という話をすると自分に聞くよりワグナー氏に見せた方が早いのではという。
それで後日同じ太田製作所の敷地内にあるワグナー氏の居る研究所に訪ねて行き話してみると、なんと彼は元々は飛行艇の設計をしていたらしい。
つまりは航空機にも詳しいということだな。
彼に私が書いた戦闘機の図面を見せると、ハインケルがこの前飛ばしたHe178に形が似てるという。
送ってもらったらしい写真を見てみると、細部は違うが確かによく似てる…。
結局、行きつくところは同じなのかもしれないな。
彼はこの図面の戦闘機は空気取り入れ口が無いが、ジェットは空気取り入れ口が無いと飛ばないと説明してくれるが、勿論そのくらい知っている。
これは最初ロケット戦闘機として図面を引いてみたのだが、ロケット戦闘機というのはかなり危険でパイロットを危険にさらすだけだという結論にたどり着いたという、先日糸川と話していた内容を彼に話す。
すると、彼も笑って自分もそう思うと話すのだった。
しかし、固形燃料なら確かに安全性は高いし信頼性もある、ロケット弾というのは上手く作れば命中精度を高められる可能性もあるのでは?との意見も出た。
つまり、この翼を工夫すればこれよりはまっすぐ飛ぶものが出来るのではないかと。
だがこのロケット弾の絵図面では子供の工作みたいじゃないかとまた笑う。
自分が手掛けたものではないから、何とも言えないのだが言われてみたら確かにそうだ。
翼があれば飛行機の様に操縦することもできる、だが人間が乗るわけでもないのにどうやって操縦するのだろうと話ていくと、ワグナーが無線操縦とか、何かやりようがあるんじゃないかと逆に新しいアイデアを話し出す。
この人は日本にはジェットのエンジニアとして来たが、元は飛行艇の設計をしてたというし、かなりのアイディアマンだなと感じた。
彼はペンを取り出すとロケット弾を描いていく。こういうのはある程度長さがあった方が安定する筈だと長めに描いて更に翼を書き加える。
ソ連のロケット弾の様な短いものではなくある程度長さがあり、そして安定翼も取ってつけたようなものではなく飛行機の尾翼の様な安定翼を書き込む。
彼は、そこまで描いて、これは面白そうだ、と、取りつかれたように図面に書き加えていき、実現は簡単ではないだろうが何らかの手段で制御できれば操縦可能なロケット弾を書き上げた。
コストがそれなりにかかりそうだが、命中率が高いならこれは有用なのではないだろうかと思うのだ。
無線誘導だと結局操縦者の乗る親機が危険に晒されるが、なんとか勝手に目標に飛ぶような方法があればなと思った。
ちなみに、まっすぐ飛ばすだけならジャイロを使えば良いと彼が教えてくれた。
確かに、言われてみればその通り。飛行機にもジャイロは乗ってるしな。
あの単純構造のロケット弾にジャイロによる姿勢制御機能を組み込むなんて想像もしなかったが。
もし組み込んで正しく動けばかなりまっすぐ飛ぶようになるかも知れないが、一気にコストは跳ね上がるだろうな…。
その懸念を話すと、一発で戦車や艦船が破壊できればお釣りがくると思うが、とまた笑う。
確かにそれはそうだが、彼の頭の中では既にある程度の形が出来上がっているのかもしれないな。
彼はジェットの開発も面白いがロケットも面白そうだと乗り気の様だ。
そして、話に出てきた糸川を紹介してくれという。
あまり仕事の邪魔をするのも悪いので、今度糸川も連れてくると約束し研究所を後にしたのだった。
折角行ったのだから、ジェットの進み具合を聞かせてもらえばよかったな。
昭和十五年九月
陸軍でテスト中の九六戦Ⅲ型と九八襲Ⅱ型はモーターカノンの威力が凄まじく、命中率も悪くなく爆撃機に命中したら翼が折れたとか、殆ど一撃で撃墜できると現地からの報告が上がっているらしく、それでいて目立った欠陥は無いとの事で次のバッチから切り替わりとなった。
更にはエンジンの馬力が大幅に向上したせいか、社内での試験では速度はやや速くなった程度だったのだが、現地からはかなり速くなったという感想が伝えられた。
乗り手にしかわからない肌感覚的なものがあるのかもしれないな。テストパイロットはテストのときに乗るだけだからな。
海軍から将校が訪ねていくから百式戦闘機に乗せてやって欲しいとの依頼が来た。
百式戦闘機はまだ生産数はそれほど多くないが既に華北で戦っていて、九六戦以上の重戦闘機として評判が良い様だ。
モーターカノンは無いが六挺の機銃が齎す瞬間火力が魅力との事と、多少銃弾を食らってもびくともしない堅牢さも好まれているとの事。
とはいえそれは陸軍の話であって、夢のような零式戦闘機を採用し、華々しい戦果を挙げていると伝え聞く海軍が何故忌み嫌いそうな重たい百式戦に乗りたいんだろうな。
ともかく、九○式の時に世話になっているので無下にも出来ない。ちなみに、九○式は堅牢さがかわれ現在爆装して対地支援任務に使われてるということだ。
当日、いつもの海軍の技官と、話通り海軍の将校が二人訪ねてきた。一人は中国で戦っていたそうだが、負傷して暫く入院しリハビリして出てきたばかりだという、南郷茂章大尉。
もう一人は、同じく中国で戦っていて今は内地の鈴鹿航空隊で偵察員養成の為の練習機に乗っている赤松貞明少尉だった。
二人は中国で九○式に乗っていたらしく、赤松少尉は九六式の採用時の試験にも関わったそうだけど、九○式が良いとずっと乗っていたそうだ。
南郷大尉は敵機を撃墜した直後に被弾したらしく、九六艦戦に乗っていたら死んでいただろうと話してくれた。
彼も彼の部隊も九○式にずっと乗っていたそうで、防弾装備が無いに等しい九六式を配備した部隊より未帰還がずっと少ないそうだ。
彼はその事から、今の海軍の運動性偏重に疑問を感じているらしく、また陸軍での重戦闘機の活躍を聞くにつけ、実際に乗ってみたいと感じたのだとか。
赤松少尉は当たらなければどうということはないし、殆ど敵弾に当たったこともないが彼自身は戦闘機に必要なのは運動性ばかりではなくやはり速度を制するものが空を制すると考えているらしい。
それとは別に、海軍の7.7ミリ機銃はソ連の機銃に比べると性能が劣り、ソ連機が遠くからうち始めてもよく当たるのに、日本側は肉薄射撃をしなければ落とせない。
陸軍で最近増えている12.7ミリはよく当たり敵機への威力も十分なのに、海軍が零戦で採用した二十ミリ機関砲は癖があって距離が離れると当てにくく、不満だそうだ。
それで、陸軍の新型機に乗ってみて、上層部に海軍でも重戦闘機の採用を考えるように談判するのだとか。
南郷大尉も零戦の脆弱性を心配していて、どうせ乗るなら九○式の様に頑丈な被弾に強い機体に乗りたいと話す。
赤松少尉曰く、今は練習機に乗っているが近い将来また海軍の最前線での戦闘機乗りに戻ることになるだろうと。
その時に、零戦しかなければ零戦に乗るが、噂に聞く百式戦の様な戦闘機があればそっちに乗りたいそうなのだ。
何しろ、海軍では速いと言われてる零戦より更に百キロも速いのだから。
二人の話を一通り聞くと、では早速と言うことで隣接の太田飛行場で百式に乗ってみる事になった。
技官の話だと、陸軍の了承も得ているとのことだ。
最初は南郷大尉から、次に赤松少尉が乗る。
二人とも実力派のエースパイロットらしく素晴らしい飛行技術を披露する。
初めて乗った筈の機体にも関わらず、一撃離脱的な高空からの急降下や急上昇などを限られた時間ではあったが存分に試したのだった。
降りてきた二人は、何故これが海軍に無いのだと、無念そうな表情だった。
陸軍はこんなのに乗っていたのかと。
二人は早速以前の上司と相談してなんとかならないか聞いてみるとのことだ。
すると海軍の技官が、実はと話し始めた。陸軍がキ43を中島に指名発注したように、海軍も零戦の次の戦闘機の開発を始めようと十三試戦を三菱に打診したそうだ。
今回三菱だけになったのは前回中島が辞退したのも大きいのだとか。
しかし、三菱は零戦を超えるものは作れないと考えたのか手一杯だったのか辞退し十三試戦はお流れに。
ただ、海軍としては可能であれば十三試戦を進めたいという意向があり、中島が手を挙げるなら可能性は無くはないと話してくれた。
海軍機か…。
海軍機、しかも艦載機となると、折り畳み翼とか色々と陸軍機には無い装備が必要そうだな。
海軍機は零戦を引きずったせいで長く零戦に乗るハメになりました。




