第二章 8 これがキャラ役者の実力
「紘、こっち向きなさい」
「……何で?」
「いいからこっちを向きなさい!」
乃子は両手で紘の肩を掴むと、力を込めてぐいっと無理矢理こちらを向かせた。そしてそのまま両手で彼の頬の辺りを押さえると、自分から紘に向かって顔を近づけた。
息が感じられそうなほどの至近距離で、乃子は言った。
「あんたはライトノベルの主人公みたいになりたいと思ったことはないの!? いいや、絶対にあるでしょ!? あんだけライトノベルが好きなら、絶対にライトノベルみたいな主人公になりたいと思ったことがあるはずよ! いい!? ライトノベルの主人公ってのはね、どんなに不幸なことが起きても、どんなに不条理なことが起きても、それを自分なりにネタとして楽しむものなのよ! 今のこの状況だってそう! もしライトノベルの主人公なら、この状況を受け入れて逆に楽しんでいるはずよ! あんたもライトノベルが好きなら、主人公みたいにそう思ってみせなさいよ! ライトノベルの主人公みたいになってみせないよ!」
さすがにこれだけ言うと疲れるわね……。
「あんたはこの不条理な、意味の分からない適当な物語の主人公なの。いいわね」
乃子は最後に優しくそう言うと、紘の頬から両手を離した。それから顔をゆっくりと紘から遠ざけ、反応を待つようにじっと彼の顔を見つめたまま黙り込んだ。
『名演技、お疲れ様です乃子っち。私感動しちゃいましたよ。心がビリビリ震えました』
(こんな感情のこもった長台詞を言ったのはいつぶりかしら。あ~つっかれたぁ~)
内心では息をついても、もちろん現実では真剣そうな表情は崩さない。
『それにしてもよくあんな台詞を、一度も止まることなくスラスラ言えますね』
(あんなのノリよ、ノリ。勢いだけで言ってるだけに過ぎないわ。でも、この物語には合ってるでしょ、ノリと勢いっていうのは)
さて、乃子の心からの思いを聞いた彼の反応は――。
………………………………………。
「………………」
紘は一度口を開いたが、結局何も言わずに再び口を閉じてしまった。
再度二人の間、そして教室の中に沈黙が流れる。レミア、優理香、夏希の三人は、空気を読んでいるのか一言も発することはなく、その息遣いさえも聞こえないくらいに黙り込んでいた。
「…………な」
やがてようやく、紘が声を発した。
「…………何だよ、それ……」
困惑したような、笑ったような、吹っ切れたような、そんないくつもの感情を混ぜ合わせたかのような、何とも形容しがたい声音と表情で紘は小さく言った。
「……でも、その通りかもな……」
次第に、声音と表情にいつもの感じが戻り始める。
「……乃子の言う通りだ。主人公なら、どんな状況でも楽しまなきゃな。ライトノベルを死ぬほど読んできたくせに、僕はそんなこともできなかったなんて」
今度こそ、紘は乃子の目をしっかりと見据える。その顔は、いい感じに吹っ切れた、とても良い表情をしていた。――そうそう、その顔よ。
「ありがとう乃子。もう落ち込んだり、不安な表情なんて見せないさ。これからは、この物語の主人公になりきって、面白おかしいリアクションとツッコミをしてやるさ」
決め台詞のようにそう言って、紘は片頬を上げてニヤッと笑った。
『今更ですけど、この物語ってギャグ作品ですよね? 何で感動させるようなシーンを演出したんですか? あそこからギャグ方向に持って行ってもよかったのに』
(た、たまには変化球を投げておかないと、目新しさがなくなってつまらなくなるからね。緩急というか、い、言うなればリフレッシュよ。リフレッシュ)
『本当にそこまで考えてたんですかぁ~? なぁーんか嘘っぽいなぁ~』
(実際は嘘ですぅ! なんか流れでそうなっちゃっただけなんですぅー!)
『ほーらやっぱり。見栄と嘘はいけませんよー』
まあ謝罪も反省も後悔もしませんけどね。これがあたしのスタイルだから。
冥狐との会話遊び、もといお喋りはこれくらいにして。
乃子も紘に向かって、同じように片頬を上げて笑ってみせ、そして言った。
「ほんと頼むわよ。あんたの言動が、この物語の重要な部分なんだから」
この言葉は、意図的に二つの意味を込めて言ってみた。一つは、一連の会話から続くウィットに富んだ切り返しの言葉。もう一つは、文字通り『この物語』を作る側としてのあたしの期待を込めた言葉である。
「感動のシーン、と書いて、茶番と読むのはもう終わりでよいかしら?」
レミアがついにだんまりをやめ、ずいっと会話に混ざってきた。
茶番なのはあながち間違ってはいないが、そんなばっさりストレートに言わなくても。
「時間を掛けてしまってすまなかったな。これでもう終わりさ」
紘は答えながら、レミアの方に向き直った。あたしもそれにならって向き直る。
「この昼休みに早急に伝えておくべき話はこれでおしまいですわ。まだ積もる話はあるのですけれど、それはまた放課後にでも。もちろんいらしてくれますわよね?」
レミアはその幼女顔で不敵に微笑みながら、乃子と紘にそう告げる。本人は不敵な微笑みのつもりなのだろうが、いかんせんその幼女顔のせいでギャグにしか見えず、むしろ可愛い表情のようになっていた。
「いらしてあげてもいいけど、お菓子と飲み物は用意しておきなさい。そうしなかったら帰宅部みたく即行で家に帰るから」
「はいはい、分かっていますわ。美味しすぎて食べ過ぎて、太ってしまうくらいのものをご用意しておきますわよ」
「残念だけど、あたしはいくら食べても太らない体質なのよね」
「ああ、だから胸もそんな感じなのですのね」
こんにゃろー、胸のことばっかりいじりやがってよ~。これでもBはあるんだよ!
『私はDよりのCくらいありますけどね』
……嘘でしょ?




