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天上伝奇譚  作者: 橋口 紅葉
11/11

下山と別れ

赤鬼を呆気なく殺した少年は毘売に近づいたが、今更ながら自分が助けた彼女が梅に頼まれた千代と名の少女であるか確認していなかった事に気付き、気恥ずかしそうに頰を掻いた。


「今更の事で申し訳ないのだが、君の名は千代で合っているだろうか?」


「ええ、そうですが。どうして、初対面の貴方が私の名を?」


「実は此処に来る途中、梅と名乗る女性から頼まれてな。鬼の所に置き去りにしてしまった君を助けて欲しいと」


「そう、ですか。それで、梅さんは無事でしたか?」


「ああ、君を助けに行くと云って村人達に抑えられていたが」


「梅さん…」


「さて、鬼退治をした事だ。麓にある村へ行こう」


天城は下山しようと歩き出したが、毘売は思い悩んだ様子で俯いて一歩も動く気配を見せず、立ち尽くしていた。


未だ毘売は迷っているのだ。


赤鬼の魔の手から逃すためとはいえ、村人達に『術』を行使してしまい、今の自分が村に行けば何と云われるか。


其れを考えるだけで、足が震えてしまう。


「わ、私は…」


俯いて、呟く毘売。


何時まで経っても動こうとしない毘売を不審に思った天城は、心底心配した様子で駆け寄る。


「どうしたのだ?」


「い、いえ。何でもありません」


無理して微笑む彼女を見た天城は、毘売の足が多少震えている事に気付き、数秒間考え込んだかと思うと何かしらの結論に至ったらしく、少し遠慮がちに口を開いた。


「もしや、鬼を見て足がすくんでしまったのか?それならば、私が負ぶってやろう」


「け、結構です!恩人相手に云うのは気が引けますが、未婚の女性を抱っこするなど少々問題が有りますよ、天城様!」


「むむ、そうなのか?」


「ええ!」


「そうか、ならば」


天城は歩み寄り、毘売の手を掴んだ。


「えっ?」


不意をつかれた毘売は、温もりを感じる自分の右手に目を落とし、目を丸くさせた。


「おぶるのが駄目なら、私が手を引こう。駄目か?」


「大丈夫です!一人で歩けますから!」


「そうか、それはすまない」


天城は毘売の手を離す。


そして、未だ悩んだ様子の毘売を見つめて口を開いた。


「君が何を恐れているか分からないが、梅という女性が心配しているのだ。一刻も早く顔を見せて遣ってはくれまいか?」


天城の言葉に毘売は何かに気付かされた顔をして、揺らいだ意思は固まったらしく、決意に満ちた瞳を放っていた。


「そうですね、天城様。村へ向かいましょう」


「いや、暫し時間を欲しい。返り血を流したいのでな」


「ええ、いいですよ。そういえば、村の方向に川が流れていたので其処に向かいましょう」


✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎


空に浮かぶ月があるといえど、月光は密集した樹木で遮られているため、真っ暗な闇の中で二人は村の方向へ足を進めていた。


先頭を歩いている毘売は、地上の人間と違って暗闇でも昼間のように明るく周囲を視認できる。


夜だからといって下山するのに支障を来す事はないため、光がなく、足場が不安定な獣道を歩くなど造作無い。


そして、彼女の背を凝視して後をついて行く天城。


彼もまた、光も灯りもない山を難なく歩いていた。


彼の場合、長年の修行によって夜目遠目の能力が常人の数倍以上も優れており、また一方で、精霊達の声に従って安全な道筋を辿ればいいため、闇夜の獣道といえど細心の注意を払っていれば、下山する事も難しくない。


そんな二人の間には会話はなく、何処からか聞こえてくる虫達の歌声が否応にも耳に響いてくる。


歩くこと数時間、数十人の話し声が聞こえてくるようになり、遂には人影が見えてきた。


ようやく、山の麓にある村へ辿り着けたらしい。


田島山の方から此方に近づいて来る足音を聞いた村人達は、月光に照らされた毘売の美しい美貌を見た時、あっ、と驚いた声を上げた。


そして、梅も二人に気付いたらしく、一目散に毘売の元へ駆け寄った。


「千代ちゃん!」


勢いよく抱き着いた梅に毘売は少し驚いた顔を貼り付けるが、彼女に何を言えばいいのか分からず、視線を泳がせながら吃る事しか出来なかった。


「う、梅さん。あの」


「馬鹿!なんで逃げなかったの!?心配したんだから!」


「はい、その、すいませんでした。皆さんが逃げるまで、引きつけて私も逃げるつもりだったんです」


「それで、あの化け物は?」


梅の質疑に毘売が口を開こうとしたが、彼女よりも先に天城が答えた。


「私が退治した」


平然と言い放つ事実を村人達は驚きの声を上げる者と、有りもしない嘘だと嘲笑する者に別れた。


「ほ、本当にあの化け物を退治したって云うの?」


「ああ。証拠として亡骸を見せたいところだが、赤鬼は塵と成って消えてしまった。すまない」


すると、事の次第を側から見ていた壮年の男性は天城に歩み寄り、半信半疑、と云った面持ちで天城を見つめている。


「その事に関しては、明日になって我々が確認する。あんな化け物を君のような若者が退治したとは思えないが、私としては君の言葉が嘘ではなく真実であって欲しい。近隣の山に赤鬼が住み着いては、おちおち農作業も出来んからな」


「それもそうだ」


壮年の男性と天城のやりとりを聞いていた村の若者達が、侮蔑の瞳で天城を見遣りながら、嘲笑を浮かべる。


「はっ、あんな若造があの化け物を退治出来るわけないだろ。法螺吹き者が」


「二丈以上はある化け物が六尺もない人間に殺されるとは思えん」


「赤鬼を退治していないから亡骸がないのだろう?」


口々に天城を罵る彼等は、恐ろしい巨躯の鬼を見て我先に逃げた者達であった。


そんな彼等を天城は川辺に転がる石を見ているような、 冷淡な瞳で見つめて沈黙しており、その様子から、彼等に口を利く気配すらない。


そんな天城を見て何を思ったのか、得意顔で雄弁家のように流暢な口ぶりで罵倒し続ける。


彼等が天城を罵る度に、被害者の天城ではなく、関係の無い毘売が怒りで微笑へと変貌してゆき、眼光炯々とした瞳で村の若者達を見据えていた。


「天城様は嘘などついておりません」


聴いているだけで、心が浄化されるような美しく可愛らしい声であったが、彼女から発せられる威圧と冷酷な瞳を向けられて村の者達は僅かに後退していた。


「天城様が赤鬼を斬首されたのを私はこの目で見ました」


「そ、そうは言っても、余所者である君達を私は信用出来ない」


「そんなのーー」


毘売の反駁を遮るように、天城は毘売の肩に手を置いた。


「千代殿、抑えてくれ」


「天城様は悔しくないのですか? 」


「私はこのような事に慣れておる。そんな事より、今日はもう遅い。この件については貴方方が、明日話し合ってくれないか?」


天城の案に多くの者が頷く。


「そうだな、今日はこれにてお開きとしよう」


壮年の男性言い放ち、手を打つと、静かに激怒している毘売の眼光から逃げるように村の若者達は自宅へと駆け出すのであった。


✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎


村人達が自宅へ帰る中、天城と毘売と梅の三人はその場に佇んでいた。


「天城さん、この度は千代ちゃんを助けて頂き有難う御座います」


「いえいえ、大事がなくて良かった。それで、話は変わるのですが、この近辺に宿屋は有るのでしょうか?」


「宿屋?」


「ええ、この村に来て鬼を退治したまでは良いのですか、一夜を過ごす場所がないのを今更思い出してしまって。いや、お恥ずかしい」


天城は恥ずかしそうに顔を赤くして頰を掻いた彼に、梅は毘売を見遣りながら微笑む。


「ふふ、残念ですが、この辺りに宿屋は有りません。見ての通り、此処は田圃以外何もない田舎。此処で宿を借りる物好きなんて…いえ、千代ちゃんがいましたね」


「梅さん意地悪です」


ばつが悪そうな顔で視線を落としながら、呟いた毘売。


二人の反応に首を傾げる天城だが、宿屋が無いことが分かると、自分が此処に居ても意味が無いと悟った。


「致し方ないか。では、御二方、私はこれで」


踵を返して、山の方へ向かう天城の背に梅は静止の声を上げる。


「待って下さい、天城さん。宜しければ今夜、私の家に泊まりますか?」


「いいのですか?」


「ええ、貴方は千代ちゃんの恩人ですから。大したお持て成しは出来ませんが」


梅の言葉に天城は嬉しそうに無垢な少年の笑顔を見せ、側で見ていた毘売は頰を僅かに赤くさせる。


「雨風凌げる場所が有れば充分ですので!では、今夜だけ住まわせて下さい」


「喜んで。では、私の家に帰りましょうか」


歩き出そうとした毘売は、忘失していた出来事を思い出す。


赤鬼の事だけに意識が向けられていた為に忘却していたが、自分達が田島山に登った本来の目的である、行方不明の男性二人を見つけ出せていない。


「そういえば、行方不明の方は見つかったのですか?」


「ああ、千代ちゃん達が山に探索しに行った後ね、田島山の麓で見つかったらしいわ。幸い、怪我もなかったようでね」


「大事がなくて良かった」


毘売は胸を撫で下ろす。


「でも、どうして田島山の麓で見つかったのですか?」


「それがね、度胸試しで最近何かと不吉な噂が流れている田島山に登ったらいんだけど、恐くなって途中で降りてきたんだって。だから、私達が田島山に登った時に入れ違いになったの」


「そうだったんですか」


✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎


もう一人の来訪者を連れて帰宅した梅達。


自宅で待っていた松は最初、警戒した様子で天城を見ていたが、毘売に彼を連れて来た経緯を聞くと、宿泊を二つ返事で了承した。


梅家にとって何時もより豪勢な食事を終えた四人は、囲炉裏を囲んでたわいのない会話を弾ませている。


「それで、天城様は何処に行かれるのですか?」


「はは、決めておりませぬ。私はあの鬼のような“魔”を…いえ、妖怪を退治するため、各地を放浪しているので。それで、千代殿は何処へ?」


「江戸です」


勿論、真っ赤な嘘である。


平然と言ってのける毘売に誰も疑いの目を向ける事は無いが、天城は戸惑ったような表情をした。


「まさか、お一人で?」


問いかける天城に、毘売は首を傾げた。


この時代、一人で奉公先に向かう事など別段可笑しくは無い筈だと認識していたが、まさか、自分の知識が間違っていたかと危惧した。


「ええ、そうですが。如何かなさいましたか?」


「い、いえ、何でもありませぬ」


焦った様子で否定する天城を見て毘売は、益々困惑した。


そんな二人を側から傍観していた松は、意地悪そうに口を歪ませて天城に目をやる。


「ふふ、千代ちゃんが心配ならアンタも付いて行ったらどうだい?」


「ま、松殿!?」


素っ頓狂な声を上げた天城を尻目に困惑した表情をみせて、松に説明を促す瞳を向けた。


「心配?何故、天城様が心配為さるのです?」


「千代ちゃんみたいな可愛らしい子が、江戸まで一人で行こうとしてるんだ。道中、盗賊に遭遇したら大変だろ?そうだ、天城様を護衛の依頼をしたらどうだい?」


松の提案に毘売は囲炉裏の火に目を落として、暫し考え込んだ。


赤鬼を一方的に蹂躙する程の力量を持つ凄腕の退魔師であり、命の恩人である天城。


彼を雇ったして、偽りの目的地である江戸まで共に行動して貰い、その道中、命を助けてくれた御礼が出来る機会はあるだろう。


それに、各地を転々と放浪していると先程彼は言っていた。


ならば、周辺地域の情報、名産品、御伽噺、江戸までの道筋を知っている筈だ。


「そう、ですね。あの、天城様」


「何ですか、千代殿?」


「その、私を江戸まで付き添ってくれるでしょうか?私の命を助けてくれた御礼もしたいですから。それに、必要経費は私が出しますし、依頼金は弾みます。如何なさいますか?」


今現在、毘売にはこの時代の通貨となっている元禄小判を持ってないし、両替屋に金を預けていないため、預かり手形もない。


だが、自然に満ち溢れた《霊力》を駆使すれば、毘売は其れ等を容易に創生する事が出来るため、金銭を持ち歩いていない。


毘売の依頼に天城は二つ返事で快諾する。


「私で良ければ」


表情には出さなかったが、内心彼は喜悦していた。


年若いとはいえ、この世の者とは思えない美しい容姿をしている毘売の護衛など、天城としては毘売の依頼は願っても無いものであった。


「はい、有難う御座います。天城様」


莞爾として笑う毘売は、華が咲き誇るように美しく可憐であり、そんな彼女から自身に向けられた笑みを間近で見た天城は、息を呑んで顔を僅かに赤面させていた。


「っ!!?」


「如何かなさいましたか?」


「いえ!何でもありませぬ!」


「そう、ですか?」


二人の様子を静かに傍観していた松と梅は、初々しい反応をする天城と鈍感な毘売に失笑するのであった。


✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎


日が昇る前に起床した毘売達は、旅支度をして村から出ようとしていた。


彼等を送迎する者は松と梅の他におらず、早朝のためか未だ村人達は就寝しており、周囲は静寂に満ちている。


茫漠たる暁の空は、徐々に朱色の空へと変貌してゆく。


「それでは、梅さん、松さん、昨夜は本当に有難う御座いました」


「昨晩、某を御自宅に一泊させて頂き感謝の極みであります。天城 楓、この御恩決して忘れませぬ」


深々と頭を下げて、謝礼の辞を述べる彼等に松は苦笑した。


「感謝されるまでもないさ。困った時は助け合うのは当たり前だろう。それよりも、二人共、道中気をつけるんじゃぞ?」


「はい、本当にお世話になりました」


「では、御達者で」


そうして、毘売と天城は送迎の二人に背を向けて、歩き出した。


元禄八年、立春のことである。

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