第1章 幸せなシーン
大学生にしてはちょっと背伸びして着飾った二人。今日は恵美莉のバースデーなのだ。しかもこの二人が付き合い始めて、ちょうど1周年の記念日でもあった。春樹が奮発してコース料理を予約しておいたものの、このお店の雰囲気に圧倒された二人は、テーブルマナーもおぼつかず、隣の席の作法を真似るのに必死だった。
「ヤバイ。あたしサラダに違うフォーク使っちゃったかも」
「俺、お箸ほしいな」
「だしょ~」
「ナプキンで口拭いてもいいんだよな」
「その紙おしぼり、使ったらいいじゃない」
「これ後で手を拭くのに使うんだろ?」
「じゃあ、ひょっとしてこのエビ、手で剥いてもいいってこと?」
「周りにエビ食べてる人いないし分かんねぇよ」
「ふむふむ、カニなら手を使うだろうし、きっとそうよ」
とまあ、こんなふうになんとか難関をクリアしながら、ようやくデザートにたどり着いた。すると周囲の明かりが少し落とされて、テーブルキャンドルの灯りがとてもロマンチックさを演出した。
♪タンタタンタン・タンタ~ン・・♪タンタタンタン・タンタ~~ン・・・・
「♪ハッピーバ~スデー・トゥーユー♪ハッピーバ~スデー・トゥーユー・・・」
ピアノがゆっくりと静かに誕生日の定番曲を奏でたかと思うと、先ほどまで料理の説明をしていた給仕が、とても低い声で歌い出した。そして周辺のホールスタッフもハモりながら、ゆっくりと恵美莉の周囲に歩み寄り、その合唱の後ろからタイミングを見計らって、金色にきらめく花火を立てたバースデーケーキが運ばれてくると、ホール内にささやかな拍手が沸き起こった。
「ええ? 春樹君・・・春樹君が頼んどいてくれたの~?」
「ああ、誕生日おめでとう、恵美ちゃん」
「ありがとう」
『Happy Birthday to EMIRI & 1st ANNIVERSARY! of YOU2!』
(誕生日おめでとう恵美莉 そして 二人の1周年記念日!)
チョコペンで周囲にそう書かれた白いお皿の中央に、手の込んだ小さなケーキと、赤い石の付いた指輪が1個載っているのを見て、満面の笑みを浮かべる恵美莉に、春樹は少し胸を張るのだった。
春樹が3万5千円ほどをキャッシュレス決済し、二人は大満足でお店を後にした。
「結構高いとこだったのに、大丈夫? 3万5千円ってビックリしちゃった」
「平気だよ。このために賞金貯めてたんだから」
春樹が言う賞金とはプラモデルの賞金である。彼は小学校から大のプラモデルファンで、様々な店のコンテストで度々優勝している実力派である。ただし10万円の賞金でもプラモ購入費や塗料代、その他補材、諸々の出費を差し引くと儲けは僅かなのだが、それを大事に貯金していた。
「賞金ってどれくらい貯めてるの?」
「まあまあ」
「まーまーって、どんくらいなのよ」
「もう5年くらい貯めてるからな」
「てことは、1億くらいは・・・」
「あるか! 50万位だよ」
「ええ~? まーまーあるじゃ~ん。じゃもっと贅沢してもよかった?」
「もちろんだよ」
恵美莉は冗談で訊いたのだが、予想に反して涼しい顔で答える春樹。
「ええ! 冗談よ。あたし十分満足したから、もう」
「恵美ちゃんのためだったら平気だよ」
「春樹く~ん♡」
と彼の腕に強く抱きついた。春樹はまっすぐ歩けずに、
「お、おい。重いっ」
「う~ん春樹君♡春樹君♡♡春樹君♡♡♡」
恵美莉は左手の薬指にはめた新しいリングを、夜空に突き上げるようにして見た。
絡まり合ってフラフラ歩く幸せな二人のそんなワンシーンを、人の往来でごった返す路上では、意に介する者など一人もいなかった。
恵美莉を最寄り駅まで見送って、春樹はそのバスターミナルからバスに乗って帰宅する。正確には、バスに乗る春樹を見送ったのは恵美莉のほうだ。何せアルコールに弱い春樹は、シャンパンの酔いがまだ抜けず、デザートの後カクテルを2杯も飲んだ恵美莉のほうは、全くシラフでいる状態だったから。
その後、恵美莉は駅舎に入った。改札を抜ける頃、スマホに短い着信音が鳴った。
(春樹君ね。今別れたばかりなのに、今日はご機嫌みたい)そう思って、ポケットから取り出したその画面を見て、にわかに表情が固まった。画面上部に表示された短いプレビューに『そーすけ』というワードを見つけてしまったからだ。
(颯ちゃん。あたしの誕生日だからメッセージくれたのか)
それは元カレ、村木颯介からのLINEメッセージだった。
恵美莉と颯介は、中学1年の時から昨年の春まで、実に7年間恋人同士だった。その間、恵美莉は颯介一筋で、このまま大学を卒業しても、すぐに結婚するくらいの気持ちでいたにもかかわらず、颯介は知り合いの誘いで大学を休学し、カンボジアで小学校設立のボランティア活動に参加するために、恵美莉の元を離れていたのだった。
恵美莉はそのLINEを表示した。そのことは当然相手にも『既読』が伝わる。しかし恵美莉に迷いはなかった。何故ならそれまでも幾度かメッセージをやり取りしていて、その延長線上の対応でしかなかったつもりだったのだが。
[今週、帰国します。久しぶりに会えるのが楽しみ]22:25
(え? 帰ってくるの? 3年は向こうにいるって言ってたのに)
22:25[なんでそんなに早く?]
既読
[九鬼さんの一時帰国に合わせて、俺も帰れる]22:26
九鬼さんとは、颯介にカンボジアでのボランティアを誘ったNPOの職員である。
(え、ちょっと待って、帰ってくるのはいいけど、あたしたちもう別れちゃってるから関係ないのに)
22:26[迎えには行けないよ]
既読
恵美莉はそこまで入力して、小走りにホームへ向かった。もう電車が来る時刻だったからだ。その後のメッセージは確認しなかった。今日のせっかくの幸せな気分が台無しである。




