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北条家の四代目  作者: 兜
第一章   幕開
7/32

第五話   婚姻

十郎叔父上=北条十郎氏堯  氏綱の三男

彦九郎叔父上=北条彦九郎為昌  氏康の長弟  氏綱の次男

常陸の義伯父上=北条常陸介綱高(ほうじょうひたちのすけつなたか) 氏綱の猶子

氏輝伯父上=今川上総介氏輝(いまがわかずさのすけうじてる)  今川家先代当主

輝忠叔父上=今川彦五郎輝忠(いまがわひこごろうただてる)  今川氏輝の長弟 

西堂丸=後の北条新九郎氏親  氏康の長男

義祖母(おばあ)様=近衛時子  氏綱の継室

母上=今川雪  氏康の正室  今川氏親の三女

父上=北条新九郎氏康  氏綱の嫡男

孫九郎叔父上=北条左衛門大夫綱成(ほうじょうさえもんだいふつなしげ)  氏綱の養子

孫次郎叔父上=北条孫二郎綱房(ほうじょうまごじろうつなふさ)  氏綱の養子  綱成の弟

満姉上=北条満  氏康の四妹  西堂丸の叔母

千代姉上=北条千代  氏康の末妹  西堂丸の叔母

御祖父様=北条左京大夫氏綱  早雲の嫡男

駿河の叔父上=北条駿河守長綱  氏綱の三弟

寿桂尼様=中御門寿子  今川氏親の正室


天文八年(1539年)  十二月  相模国足柄下郡小田原城 西ノ間

西堂丸


 


今川家との講和交渉から三ヶ月が経った。その間、北条家にも幾つかの変化があった。


今川家との停戦並びに再度の同盟が成った事、里見家の動きが静かになった事で何人かの領地替えが行われた。まず、父上の長弟である彦九郎(為昌)叔父上が河越(かわごえ)城主から相模の木机(こづくえ)城主に、常陸介(綱高)義伯父上が木机(こづくえ)城主から上総の中央にある庁南(ちょうなん)城主に、十郎叔(氏尭)父上が河越(かわごえ)城代から小弓公方様の居城であった小弓(おゆみ)城主に、武勇に優れた孫九郎(綱成)叔父上が新たに河越(かわごえ)城主となった。

上総国(かずさのくに)を安定させるために常陸(ひたち)の義従伯父上と十郎叔父上を要所となる二城に配置した。

両上杉家との最前線である河越に孫九郎叔父上を、河越と小田原の中間にある木机に彦九郎叔父上を配置した。小田原城の父上を含む三人は幼い頃から共に育っており、連携も取りやすいだろうという御祖父様(おじいさま)の考えとの事。


里見に従っていた上総の国衆は思いのほか大人しくしている。その理由の一つに真里谷八郎太郎信隆という男の存在が関係している。上総国の旧領主である大名真里谷家は今回の遠征で北条家に敵対し滅んだのだが、真里谷家全てが滅んだわけではない。実は真里谷家と北条家は、小弓公方様と争った国府台の合戦以前までは同盟関係であった。


その時の真里谷家の当主が信隆殿。彼は庶子でありながら御祖父様の後ろ楯を得て真里谷家当主の座に就いた。ここまでは良かったが、後に嫡流の弟・信応と争うようになりこれに敗北。身一つで北条家に逃げてきたという訳だ。彼の逃亡劇を父上から聞いたことがあるが、領地をすべて捨てる等並大抵の事ではない。


しかし、彼の大博打は成功したと言えるだろう。国府台で勝利を収めたことで旧領の一部である市原郡椎津城に復帰。さらに、今回の遠征では本領であった天羽郡峰上城を奪取する事も叶った。御祖父様は信隆殿に峰上城とその周辺の領地三万石分をお与えになられた。大名時代からすれば領地はかなり減少はしているが、一度は一文無しになったのだ。十分すぎる出世だと思う。


上総国の国衆も彼の追放に従っていた者たちの殆どは、国府台の合戦と此度の遠征で討死もしくは国外追放になっている。旧領主の復権と北条家の後ろ楯と言う事で、里見家との最前線であるはずの上総国南西部は想像以上の落ち着きを見せている。


もう一つの最前線である上総国東部も特段問題も起こっていない。問題どころか順調過ぎるぐらいだ。北条家一門である常陸介義伯父上が上埴生郡庁南城に入ったことで、未だ里見家に従っていた山辺郡と長柄郡の国人達が次々に北条に下って行った。


天文八年十二月の時点で上総国内で未だに北条に敵対しているのは夷隅郡、望陀郡南部、周准郡南部、天羽郡の一部のみだ。里見家の領土はこの上総の四郡と安房一国のみ。安房国の石高は精々四万石で領有する上総国の石高も多く見積もって十万石。併せて十五万石もいかないくらいか。一万石で三百人として、動かせる兵力は最大で四千五百。対する北条は石高では百万石、兵力ではで三万人だ。里見家の命運も風前の灯と言えよう。


そして、九月が終わる頃、私にとってこの上ない吉報がもたらされた。妹の春が誕生したのだ。(てる)に続く二人目の妹だ。目が大きくてクリッとしているのが特徴的だ。私を見るなり嬉しそうに笑うのがとても嬉しかった。母上に何度感謝を口にしたか覚えていない。

喜び過ぎていて、そんな私を見た光が嫉妬していた。そんな光も可愛くてたまらなかった。そんな妹達もいつかは姉上達の様にどこかに嫁いでいくのだと考えると、今からでも悲しくなってくる。

 

悲しいといえば、氏輝伯父上と輝忠伯父上の毒殺には言葉が出なかった。前世、つまり平成の研究では死因については分かっていなかった。彦九郎(為昌)叔父上の話を聞くに、寿桂尼様は二人の死の真相に迫っていたのだろう。前世の史実と違うところは今川家と北条家が早くに講和した事。

その使者として駿河の大叔父上が遣わされ、花倉での今川家からの使者殺害を直接否定した事。寿桂尼様と駿河の大叔父上は両家が敵対するまでは、歌会や連歌などで付き合いも多かったらしい。なんでも、大叔父上の長男と次男の嫁取りの面倒を見たのも寿桂尼様らしい。講和交渉の後に大叔父上が嘘をついているかどうかなど、顔を見れば分かると言われたとか。

寿桂尼様もそんな大叔父上から〝弁明の使者など知らない〟と言われて、確証を持てたのだろう。この話を聞かされた翌日には、黒幕を探る為にと御祖父(おじい)様が風魔衆を駿府館に遣わせ、寿桂尼様に扱き使われていると侍女達が話していた。風魔衆には同情する。


そして、十月に入ると二人の祖母から手紙が届いた。

一人目は噂の寿桂尼様からだった。寿桂尼様は私の母上の母上であるから私の外祖母に当たる。そんな寿桂尼様の手紙には、一時的にではあるが敵対した事への謝罪。その戦を終わらせる為に和睦を御祖父様に提案してくれた事への感謝の言葉。人質になる覚悟で駿府へは行ったが、長年の誤解も解けたことで面会の後は直ぐに返されてしまった。義元叔父上はもちろん、寿桂尼様ともお話しする機会は作れなかったのだ。


それと、これからは文を書いて欲しいとも書かれていた。多分だけど母上を経由してのやり取りになるだろう。母上と寿桂尼様は月一ぐらいの感覚で遣り取りしていたから、私も同じくらいの頻度になるダル。

最後の方には、好きな女子の特徴を聞かれた。母上から聞くと、どうやら私の嫁取りを世話したいのだとか。一つ言っておきたい。私はまだ四歳だ。今は女子よりも同性と遊びたい年頃なのだ。精神年齢で言えば三度の人生を足せば三十八になるが、この子供の体が遊びたいと衝動を起こすのだ。


子供にとって遊びとは、食事と同じで定期的に摂取せねばならないものらしい。だから、私は遊ぶ時も全力だ。そんな姿を母上は見ているし、寿桂尼様にも手紙で伝えている。では、なぜにして嫁取りなどという話になったかと言えば、原因は母上のその手紙である。


親馬鹿な母上のその手紙の中では、あまりに誇張された私の姿が書かれていた。全体で見れば少ない鍛練の時の私の事ばかりで、全力で遊んでいる時の私は九つも上の満姉上の遊び相手になってあげているなどと書かれていた。流石に満姉上が不憫に思えた。これから、文を交わしていく内に私の本当の姿を知って貰えればと思う。


だが、折角出来た縁でもあるので、これから大切にしていきたい。今川の御祖父様の話や、氏輝伯父上、輝忠叔父上の話も聞きたいと思う。

そして、今川家と北条家の絆と繋がりを深めるのは、両家の血を継ぐ私の使命だと思っている。


二人目の送り主は義御祖母(おばあ)様からだった。本名を近衛時子。御祖父(おじい)様の後妻として五摂家の一つ近衛家から嫁がれた方だ。

初めて会った時の事は、今でもはっきりと覚えている。とても寂しい目をしていて、無口な人だった。暇を見つけては会いに行き、少しずつ会話も増えてくると、御祖父様への不満を聞く様になった。


なんでも、御祖父様との婚姻は北条家の家格をあげる為だけに迎えられただけで、夫婦となった後も夫婦らしい事は一度もなく、今では会いにすら来てくれないのだと。つまり、寂しい目をしていたのはこれが原因だった。

問題が分かると話は早く、私が御祖父様に義御祖母様の気持ちを伝えると、二人の間で文通が始まった。なんとよそよそしい事かと思ったが、そうやら私の家族は文が好きな様で、効果覿面で、二人の仲も改善された。


そんな義御祖母様からの手紙は、何のことはない半年前から定期的に送られてくる現状報告である。と言うのも、今まで我慢を強いてしまったと後悔した御祖父様が〝なんでも望みを申してみよ〟と言ってみたところ、里帰りがしたいと言われて、半年前から京に帰京しておられるのだ。


兄弟姉妹へ会いに行ったりと中々に自由にされていたのだが、今回の手紙には一通り挨拶回りも終わったので近々小田原へ帰るとの事だった。帰京の時は船を使ったが、今川家と和睦が成ったので小田原へ帰る時は東海道を通って帰ると書いてあった。

 

十一月に入ると今度は千代姉上が葛山家へ嫁いで行った。満姉上が笑顔で見送ろうとしたのだが、やはり泣いてしまった。そして、千代姉上が宥めて泣き止むと今度こそ御輿に乗って行ってしまった。

手土産に藤衛門に作らせた石鹸や幾つかの薬、小田原の職人が作った箪笥などを贈った。いつもの様に〝ありがとう〟と微笑んだ姉上の顔はとても嬉しそうだった。

 

十日程経つと、早速千代姉上から文が届いた。内容は殆どが夫となった備中守殿の事だった、分家の出でありながら御祖父様に認められた程の方で領民思いの優しい方だと書かれていた。葛山家の人たちにも大切にされていて居心地も良いとの事。最後に満姉上の事も笑顔で見送って欲しいと書かれていた。


十二月になると、小田原城は今年一番の忙しさだった。関東の国人達から見れば外様の侵略者でしかなかった北条家が、旧くから関東を治める古河公方家と親戚になる日が迫ってきたのだ。満姉上の輿入れだ。




天文七年(1539年)  十二月  相模国足柄下郡小田原城 廊下

西堂丸




「西堂丸、そろそろですよ」

部屋の外から母上の声が聞こえた。身支度は出来ていたのですぐに廊下に出ると母上と女中達が白い息を吐いていた。


「母上。…母上は父上に嫁ぐ時、不安ではありませんでしたか?」

「……そうですね。…不安よりも期待の方が強かったですね」

「期待ですか?」

訳が分からず首を傾げていると、母上は優しく微笑むと頭を撫でられた。


「武家の娘にとって、生まれ育った土地を離れる時は他家へ嫁ぐ時だけです」

「だからこそ不安ではないのですか?」

困り顔の私を見ると母上はコロコロと笑っている。

「小さな籠に閉じこもっていた鳥が空を飛べる様になるのですから、それは不安などではなく期待の方が大きいのですよ」

「それは、母上だからではないですか?」

今度は後ろの女中達が笑っている。

「かも知れませんね。…でも、満もきっと同じ気持ちだと思いますよ」

 

「西堂丸!早くこっちに来なさい!」

私が考え込んでいると表門の方から聞き慣れた声が聞こえてきた。母上と話している内に目的地に着いていたようだ。


「姉上、思ったよりも元気そうですね?」

籠の前で待っていた姉上は、私の言っている事が理解出来ていないのか首を傾げている。いや、それはいつもの事だったな。

「不安ではないのですか?」


「…何言ってるの?不安な訳ないでしょ」

どうやら、母上と同じ考えのようだ。

「これから見るもの知るもの、全てが楽しみよ」

…なるほど。ならば、私は


「…そうですか。では、私は笑顔で見送らせて頂きます」

姉上が楽しみだと言うのなら、私が悩む事ではないな。

「えぇ!そうしなさい!」


そう言うと、姉上が満面の笑みを向けてきた。この笑顔を向けられるときは、いつも楽しかった思い出しかない。時より理不尽な事があったり、無理難題をふっかけられた事もあったが、今となってはそれも楽しい思い出だった。


「満よ、何か欲しいものが有ればいつでも言うのだぞ」

姉上が御輿に乗ると最後に御祖父様が声をかけた。

「大丈夫です、父上。何かあれば西堂丸に申し付けます!」


「そ、そうか」

これは、これからもいつもと変わらず忙しそうだな。

「それでは姉上、どうかお元気で」

「えぇ。あなたもね西堂丸」


小さくなっていく御輿を最後まで見送り、姉上との思い出を振り返っていた。いい思い出ばかり、とはいかないがどれも忘れらない思い出ばかりだ。




天文七年(1539年) ??国??郡??城 当の間

???




「久助、三河の工作は終わったか?」

「はっ!来年の二月には鳴海なるみ城を攻めてくるかと」

…上場上場。

「よし!では、それを迎え討つとしよう」

万全の備えをし壊滅させてやろうではないか。向こうは自分達が奇襲を行う側だと思っているが、実際は踊らされているだけよ。


「それにしても、駿河の一件は上手くいきましたな」

今川家当主・今川上総介氏輝と長弟・今川彦五郎輝忠の暗殺。そして北条家と今川家の仲違い。難なく上手くいって良かったわ。

「うむ。…危うく三河を今川に取られるところであったわ」

今川に三河侵攻などされては織田が大きくなれぬ。お陰で駿府館の守りが強くなったが、関係あるまい。今川は当分の間、東に釘付けだろうからな。


「……それよりも殿。吉法師きっぽうし様がまた……」

「よいよい。彼奴には彼奴なりに考えがあるのだ。好きにさせよ」

「はっ!」

吉法師、彼奴あやつにはわしなどには見えぬものが見えておる。彼奴が見るその先を儂も見てみたいものだ。その為に少しでも織田を大きくせねば。






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