第六話 従弟
西堂丸=後の北条新九郎氏親
母上=今川雪 西堂丸の母 氏康の妻
義母上様=近衛時子 氏綱の継室
母上=寿桂尼=中御門寿 今川氏親の妻
孫九郎叔父上=北条左衛門大夫綱成 氏綱の養子
武千代=後の北条孫三郎氏繁 綱成の嫡男
氏堯=北条十郎氏堯 氏綱の三男
新九郎兄上=北条新九郎氏康 氏綱の嫡男
父上=北条左京大夫氏綱 北条家二代目当主
金石斎=根来金石斎 氏綱の軍師
青鑑=風魔小太郎 風魔衆頭領
孫次郎=北条孫次郎綱房 綱成の弟 氏綱の養子
華姉上=北条華 氏綱の次女 綱成の妻
彦九郎兄上=北条彦九郎為昌 氏綱の次男
良真殿=今川良真 義元の庶兄
駿河の叔父上=北条駿河守長綱 氏綱の弟
母上=横井国 氏綱の正室 故人
天文九年(1540年) 一月 相模国足柄下郡小田原城 西ノ間
今川雪
「西堂丸、入りますよ」
「…………」
返事は聞こえてこなかったが、気にせず部屋に入った。満と千代がいなくなってからは、弟妹達もまだ幼いために遊び相手がおらず、部屋に閉じこもる事が増えてしまっていた。先月に帰国する予定であった義母上様も駿府館で母上に引き止められて帰国が来月になってしまいました。その事も拍車を掛けてか、より引き篭もるようになりました。
三日前までは日課の鍛錬も続けていたようですが、今ではそれすらも辞めてしまいました。義父上様も気にされていましたが、二人の輿入れと今川家と講和した事で再開した公家と交流に忙殺されている様です。
私の従兄である中御門右中弁宣治殿は母上の個人的な用件を伝えに頻繁に来るものですから、義父上様も困っているようです。後で、もう少し加減してもらえるように文で伝えておきましょう。それよりも今は西堂丸ですね。
「貴方に来客ですよ」
〝来客〟の言葉が気になったのか少しすると返事を返してきました。
「…………藤衛門ですか?」
あぁ、藤衛門もいましたね。なんでも義父上様からの褒美で商人を所望したのだとか。藤衛門殿は北条家の御用商人でありながら一門の末席でもあるとか。詳しい事は分かりませんが義父上様が選ばれた方なら危険はないのでしょう。
「いいえ、貴方と同い年の男の子です」
「………その様な知り合いはいません」
少し嬉しそうにした後、すぐに不貞腐れて下を向いてしまいました。
「孫九郎殿の御嫡男だそうですよ」
「叔父上の?」
「はい。貴方の従弟にあたります」
「そ、そうですか。………会ってみても良いですけど」
…これは上手くいきそうですね。浮かれているのを隠そうと、毅然とした態度を保とうとしていますが、誰の目に見ても喜んでいるのは明白で、女中達にも笑われています。
今が好機だと思い、廊下で待っている孫九郎殿と武千代を部屋へ入るように声を掛ける。
「若!入りますぞ!」
「はいりまする!」
先に入って来たのはいつもより大きな声の孫九郎殿、続いて入って来たのは西堂丸より少し背の高い男児でした。この子が孫九郎殿の嫡男である武千代なのでしょう。孫九郎殿に似てとても元気な子です。
「叔父上、そのように大きな声を出さなくても聞こえています」
「おう!悪かったな若!」
「……だから」
「良いではないですか、西堂丸。孫九郎殿は元気のない貴方の為に気を使って下さってるのです」
「……義姉上。……それは、言わないで頂きたかったのですが」
「…………まぁ、良いではないですか。それよりも西堂丸、従兄弟ではありますが貴方の方が従兄なのですから、先に挨拶してあげなさい」
西堂丸が従兄という言葉を聞くと、少し固まり咳払いをして武千代の方を向きました。
「私は北条新九郎氏康が嫡男・西堂丸だ。…お主の名は何という?」
「おれは!ほうじょう………………」
武千代殿が西堂丸を見習って名乗ろうとすると途中で止まってしまいました。どうしたのかと、皆で武千代殿を見ていると、困ったように孫九郎殿に助けてを求めました。
「ちちうえ、おれ、ちちうえのなまえ、しらない」
まさかの理由に女中達もくすくすと笑っています。私も裾で顔を隠して笑うのを耐えるのに必死でした。
「ああぁ、確かに教えた事はなかったな。……お前は無理せず、自分の名前だけ名乗っておけ」
「わかった」
孫九郎殿に諭されてもう一度、西堂丸の方を向いた。
「たけちよだ!」
「……う、うむ。宜しく頼むぞ武千代」
あまりに簡潔な自己紹介に西堂丸も珍しく困惑しています。それでも、どこか嬉しそうにする西堂丸を見て少し安心しました。武千代との交流を機に元気になってくれれば良いのですが。
「武千代、お主は書物は好きか?」
「おれ、じよめない」
「…………そ、そうか」
……西堂丸。五歳で書物が好きなのは貴方ぐらいですよ。
「では、何の遊びが好きなのだ?」
あら、今度は遊びの話ですか。これなら武千代とも共通点が見つかりそうですね。
「ほんたおし」
あっ、これも失敗でしたね。聞きなれない遊びです。
「ん?それはどういう遊びなのだ?」
「ほん、かさねる、それを、たおす」
「そ、そうか。…随分と変わった遊びをしているのだな」
いえ、西堂丸。それは遊びなどではありませんよ。河越に務める女中の為にも確りと注意してあげなさい。
「んー、では鍛錬はしておるか?」
今度は鍛錬ですか。確かに普通の五歳児ならば武士の鍛錬などしないと思いますが、なんせ父親が孫九郎殿ですからね。可能性としてはあるでしょう。
「おれ、つよいぞ」
「中々言うではないか。…いや、しかし。今は実践の鍛錬は禁止されているからなぁ」
武器を持っての実践練習は殿が禁止にされました。なんでも、体が出来上がる前に筋肉を付けるのは成長の妨げになるのだとか。
「仕方ない。…やることも無いからな。私の宝物を見せてやろう」
「なんだ?たからものって?」
…西堂丸の宝物ですか。藤衛門殿から何か貰ったのでしょうか。
「付いてまいれ」
てっきり部屋のどこかにしまっているのかと思ったら、どうやら部屋の外にある様です。武千代を案内しようと廊下へと出て行ってしまいました。
「西堂丸、何処に向かうのですか?」
西堂丸の宝物が想像できずに思わず聞いてしまいました。
「中の間です」
…中の間。あぁ、成程。なんとも西堂丸らしい。中の間は光と松千代丸、春の部屋。このお話、後で殿にも聞かせてあげましょう。
天文八年(1540年) 二月 相模国足柄下郡小田原城 会ノ間
北条十郎氏堯
寒さも過ぎつつ春の陽気を感じるようになった二月の半ば頃、父上の命で一門と金石斎、そして風魔の棟梁・青鑑が集められた。常陸介伯父上だけは来ていないようだが。まぁ、上総はここからだと遠いからな。
今回の話は、なんでも花倉の黒幕についてだとか。正直なところ今川の為にここまでやる必要はないと思うが、早雲公の代からの盟友だからとか、今川家には忍びがいないからとか、なんでそこまで世話してやるのか。俺には理解できないな。そうこう考えている間に会ノ間に着いた。
「氏堯にございます」
部屋の外から名乗ると、新九郎兄上に入るように言われた。襖を開けて中を見てみると、俺以外の面々が着席していた。…まずいな、俺が最後か。
「遅れてしまい、申し訳ありません」
「何、気にするな。…では、皆が揃ったので始めるとするか」
父上がそう言われると、青鑑が懐から一枚の紙を取り出して床に広げた。その紙には三河国とその周辺の地図が描かれていた。西から北、東の順に尾張国・美濃国・信濃国・遠江国。尾張は織田家、美濃は土岐家、信濃は小笠原家、遠江は今川家の領地だ。…三河はどこの家だったか。
「…三河にございますか?此度、集められたのは今川家の事にございますよね?」
「十郎、青鑑の話を最後まで聞け」
俺が抱いた疑問を口にすると、空かさず孫九郎の阿呆が言い返して来た。何が十郎だ。養子のくせに兄のように振る舞いやがって。俺はこの阿保が好かん。…だか、口にはしない。兄上達や父上に叱責されるし、何よりこの阿保の正室の華姉上が黙っていない。姉上はこの阿保に御執心だからな。…なんとも見る目のない。
「十郎!不貞腐れるでないわ!話し合いの最中ぞ」
「す、すみません、父上」
くっ。…阿保のせいで父上に怒られたではないか。やはり好かん、この阿保は。
「………それでは、説明させて頂きます」
俺が姿勢を正すのを確認すると、青鑑が地図を見ながら説明を始めた。
「此度、皆様をお呼びしたのは先の花倉についてにございます」
「毒を盛った者が分かったのか!?」
今度は孫九郎が立ち上がると大声で青鑑に確認した。先程、最後まで聞けと言ったのは誰だ?お前だろうが!これだからこいつは阿呆なのだ。
「……その者の名は、滝川久助という男にございます」
「滝川久助、………聞いた事がありませんね。兄上達は?」
次は孫次郎が名前を復唱しながら考え込むと、知らない名だったのかすぐに兄上達にも尋ねた。こいつは孫九郎とは違い頭と顔が良い。そこが気に食わないのだが。こいつも養子のくせに兄上達と仲が良い。そこも気に食わない。俺より仲が良いかも知れない。…いや、そんな事はないはずだ。
「いや、知らんな」
「私もだ」
新九郎兄上も彦九郎兄上も知らないようだ。この二人が知らないなら、俺が分からないのは当然の事だ。誰も分からず、青鑑の方を皆で見るが青鑑も首を振っている。…えっ、青鑑も知らないの?
「名までは分かりましたが、どこの者かまでは分かっていません。……しかし、滝川を名乗る者が三河に現れました」
「……では、三河の者か??」
声のした方を見ると、孫九郎が鬼の形相で地図を睨みつけていた。こいつは阿呆な上に短気だからな。それとも単純に、元の主家であった今川家と今の主家である北条家を戦わせた黒幕が許せいないのだろうか。……少し離れたところに座り直すか。暴れられたら巻き添えをくらいそうだ。
「いえ、その者は美濃国主・土岐家の使者と偽り、三河の安城松平家に尾張を共に攻めるように持ち掛けたと」
あぁ、そうだった。三河は松平とかいう家だったな。分家が多すぎて上手く纏まってないとかだったかな。分家が多すぎてって、北条とは真逆だな。
「それで、どうなったのだ」
皆が静かになると、彦九郎兄上が代表して青鑑に続きを催促すると。
「安城松平家当主・松平次郎三郎広忠殿は千の兵で尾張の鳴海城を攻めました。………そして、三百もの兵を討ち取られ大敗したとの事」
「なるほどな。…織田が謀ったか」
「兄貴どういうことだ?」
新九郎兄上が全て理解して納得していると、孫九郎の阿呆が理解出来ずに兄上に尋ねた。阿保め。…まぁ、俺もさっぱり分からないんだが。
「織田が松平に態と城を攻めさせて罠に嵌めたという事だ」
「それは分かるが、何故それが北条や今川に関わるんだ?」
えっ、そこまでは分かっていたのかよ。…うわぁぁ、彦九郎兄上も孫次郎も分かってるような表情をしている。理解していないの俺だけじゃん。…適当に相槌打っておこう。
「前に聞かされただろう。花蔵の折、京にいた義元殿の元に、氏輝殿の側近を名乗り駿府へ連れてきたのは、その滝川という男だ」
そういえば、今川との講和の使者に行ったときに寿桂尼様がそんな事言ってたなぁ。
「はぁ………」
孫九郎の阿呆がまだ理解できていないようで、兄上は説明を続けた。
「今川家の家訓で当主亡き後はその嫡男、嫡男がいない時は出生順に弟が継ぐ事になっている。本来であれば、母親が側室とはいえ三男であった良真殿が継いだだろう。だが、丁度その時に義元殿が駿河に着いた事により家督争いが起きた。弟とはいえ、義元殿の母君は寿桂尼様だからな。家臣を分断するには十分だ」
「…なるほどな」
兄上が事細かに説明してくださった。どうせ孫九郎には理解出来ていないだろうが。
「その通りにございます。今思えば、織田家にとって三河国を取り合う今川家は邪魔な存在だったのでしょう。…風魔の失態に御座います」
「青鑑、風魔に遠江より西を探らせなかったのは儂だ。失態があったとすればこの儂よ。…だが、真相が分かったところで今の今川には織田を攻める事は出来ん。我ら北条もな」
青鑑と父上は悔しがっているけど、これは仕方ないだろう。責任があるとすればやっぱり今川なんだろうな。まぁ、その今川家は今は戦どころではないだろうけど。今川家に帰順した河東や遠江の国人達の再編や疲弊した領国の復興に専念したいところだろうし。
「しかし、これからは織田の動向には目を配らねばならん。いつ北条が狙われるかも知れんからな」
父上らしくもないな、駿河の今川ならまだしも相模の我らを気にする程、織田の耳も良くはなかろうに。
「氏堯、お主のように油断した者から狙われるのだ」
っげ、読心術かよ。な、なんで分かったんだ?
「……申し訳ありません」
そ、そういえば、父上は俺の顔を見るだけで考えが分かると言っていた気がする。あれ、本当だったのか。
「此度の話はここまでだ。皆も気を引き締めるように」
父上は評定の終わりを告げると、部屋を後にした。駿河の叔父上と金石斎がそれに続いて部屋を出ていった。青鑑は気がつくと居なくなっていた。部屋に残ったのは、新九郎兄上と彦九郎兄上、それに孫九郎の阿呆と孫次郎、そして俺だ。
嫌な予感がする。一刻も早く部屋を出たい。…だが、末弟である俺が兄上達より先に部屋を出る訳にも行かない。
「よし!話も終わったし、呑むとしようぜ、兄貴!」
やはりか、毎度皆が集まると孫九郎は毎回こう言うからな。
「程々にするんだぞ、綱成」
普段は酒を呑まない新九郎兄上もこの時は断らない。
「おうよ!…為昌と綱房も呑むだろう?」
「そうですね、折角ですから」
「私も構いません」
もちろん、彦九郎兄上も孫次郎もだ。
「氏堯!お前も呑むよな!?」
そして、俺は。
「………いや、…俺は…」
「どうした?氏堯?呑まないのか?」
言い訳を一生懸命に考えていると新九郎兄上が心配そうに声を掛けてきた。
「……いえ、…呑みます」
断れる訳が無かった。兄上が家族思いなのは知っているし、悪意がないのも分かってる。しかし、今日は寝れそうにないな。いつの日か呑みを強要しない時代が来てくれないだろうか。………俺は下戸なんだよ。
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