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第一章 まさに真黒の欲望

永井健作です。『Venom Desire3』始まります。

『Venom Desire2』を読んでからの閲覧をおすすめします。

よろしくお願いいたします!

挿絵(By みてみん)




 医療班へ配属されてから数日。

 僕は少しずつ、この場所で働く毎日に慣れ始めていた。

 学校が早く終わった日と、土日に出勤している。

 朝になると診察室の前には長い列ができ、受付では名前を呼ぶ声が飛び交う。

 廊下を行き交う隊員さんたち。

 治療器具を運ぶ看護師さんたち。

 薬品棚を整理する薬剤担当。

 そして診察室では、ゼーユ看護師長が休む間もなく患者さんを診察していた。

「次の方、どうぞ」

 その一言で、一人の患者さんが診察室へ入っていく。

「先生……昨日から熱が下がらなくて」

「ふむ、喉を見せて」

 ゼーユ看護師長は落ち着いた様子で診察を進めていく。

 額に手を当て、喉を確認する。その動きには一切の無駄がない。

「風邪だね。しばらくは安静にして、この薬を飲んで」

「ありがとうございます!」

 患者さんは安心した表情で診察室を後にした。

 その後も次々と患者さんが訪れる。

「訓練中に転んで腕を折っちゃいました……」

「はいはい、じゃあ元に戻そうね」

 骨折した隊員さん。

「先生……昨日食べたキノコが……」

「食中毒かな。すぐ処置するよ」

 食中毒になってしまった隊員さん。

 高熱。腹痛。切り傷。捻挫。

 僕が元いた世界の病院でも見かけそうな症状の患者さんたちが、次々と診察を受けていく。

「やっぱり、こういう患者さんも多いんだなぁ……」

 僕はカルテを整理しながら呟いた。

 けれど。

 ここは普通の病院ではない。

 ここは、魔法が存在する世界の医療班だ。

「先生!魔力暴走です!」

 突然、廊下から大きな声が響いた。

 慌ててストレッチャーが運び込まれる。

 乗っていた隊員さんの腕は真っ赤に焼けただれ、ところどころから青白い魔力が漏れ出していた。

「魔力が暴走して皮膚を焼いたみたいだね」

 ゼーユ看護師長は一目見ただけで状況を判断する。

「魔力安定薬を一本。それと冷却術式を準備する」

「はい!」

 周囲の隊員さんたちが一斉に動き始めた。

 ゼーユ看護師長は患者さんの腕に手を添える。

 優しい光が包み込み、暴れていた魔力が少しずつ静まっていく。

「これで大丈夫。しばらく安静にね」

「ありがとうございます……!」

 患者さんは深々と頭を下げた。

「すごい……」

 思わず声が漏れる。魔法による怪我まで治療できるなんて。

 それだけじゃない。

「先生!呪文の誤発動で耳が聞こえなくなりました!」

「毒霧を吸ってしまいました!」

「魔力酔いが酷くて立てません!」

 次々と運ばれてくる、魔法世界ならではの患者さんたち。

 魔力暴走による火傷。呪文の誤発動。魔法生物の毒。

 僕のいた世界では絶対に見ることのない症例ばかりだった。

 それでも。

 ゼーユ看護師長は慌てない。

「原因は魔力回路だね」

「この毒なら解毒薬Aで十分」

「呪文の反動だから、一時間ほど休めば元に戻るよ」

 一人ひとりを正確に診察し、迷うことなく治療していく。

 まるで、すべてを知り尽くしているかのようだった。

 医療班は。

 ただ身体の傷を治すだけの場所ではなかった。

 魔法。呪文。魔力。

 この世界に存在する、あらゆる「異常」を治療する場所だったのだ。

 そして、その中心には。

 いつもゼーユ看護師長がいた。


 そんなある日。

 一人の若い隊員さんが診察室へやってきた。

「先生、風邪薬もらいに来ましたー」

「はいはい。熱は?」

「三十八度くらいです」

「じゃあ、この薬を三日分ね」

「ありがとうございまーす」

 薬を受け取った隊員さんは、そのまま帰るかと思った。

 しかし。

「あ、そうだ」

 振り返り、気軽な調子で言う。

「風邪薬もらいに来たついでに、魔法のアドバイスもらってもいいっすか?」

 僕は思わず固まった。


「(えっ!?)」

「(そんなことまで聞くの!?)」

 診察室の外には、まだまだ患者さんが並んでいる。

 忙しいはずなのに。

「うーん……」

 ゼーユ看護師長は少しだけ考える仕草を見せる。そして、穏やかに笑った。

「一個だけだよ?」

「やった!」

 隊員さんは嬉しそうに身を乗り出した。

「火属性の魔法なんですけど、どうしても最後だけ威力が安定しなくて……」

「なるほど」

 ゼーユ看護師長は簡単に話を聞いただけで、すぐ答えを導き出した。

「詠唱の最後で魔力を押し込みすぎているね。最後は力を抜くような感覚で流してみるといいよ」

「……あっ!」

 隊員さんは目を丸くする。

「確かにそうかもしれません!」

「試してごらん」

「ありがとうございます!」

 満面の笑みで診察室を飛び出していく。

 それを見送ったゼーユ看護師長は、すぐに次の患者さんへ視線を向ける。

「次の方、どうぞ」

 その表情に疲れは見えない。

 どんな患者さんにも優しく。

 どんな相談にも真剣に耳を傾け。

 どんな願いにも、できる限り応えようとする。

 治療だけじゃない。

 悩みも。不安も。魔法の相談まで。

 ゼーユ看護師長は、患者さん一人ひとりの「助けてほしい」という想いに応え続けていた。

 その姿を見つめながら、僕は胸の奥で静かに呟く。

 ——この人は。

 本当に。

 天才だ……。


 ◇

「いやあ、今日もめっちゃ患者さん来たな〜」

 ようやく一息つける時間がやってきた。


 僕、ミライ・ユくん、トロンプくんの三人は医療班本部の休憩室に集まり、それぞれ飲み物を片手に丸い机を囲んでいた。

 診察室の慌ただしさが嘘のように、休憩室の中には穏やかな空気が流れている。

 自動販売機の機械音。遠くから微かに聞こえる足音。誰かがお湯を沸かす音。

 そんな何気ない音が、心地よく耳に届いていた。

「今日は本当に忙しかったねぇ……」

 僕は椅子にもたれ掛かり、大きく伸びをする。

 朝から患者さんが途切れることはほとんどなく、受付や案内だけでも目が回りそうだった。

 ようやく座ることができて、思わず全身から力が抜ける。

「ほんとほんと!」

 向かいに座っていたトロンプくんも、大きく頷いた。

「でもさ、それ以上にびっくりしたことがあるんだけど」

「ん?」

「本当に医療知識がなくても何とかなってるんだね……!」

「あぁ、それ!」

 思わず笑ってしまう。

 最初に医療班へ配属されると聞いた時は、正直かなり焦った。

 包帯の巻き方も知らない。

 薬の名前なんてもっと知らない。

 ましてや魔法医療なんて、想像すらできなかった。

「本来ならありえない話だけどね」

 トロンプくんは苦笑しながら肩をすくめる。

「普通の病院だったら、医療知識ゼロで働くなんて絶対無理だもん」

「それは確かに……」

 僕も深く頷く。

 だけど、この医療班は少し事情が違った。

 診察。手術。薬の調合。魔法治療。診断。

 そのすべてを、ゼーユ看護師長が担当している。

 僕たち新人は、その補助をしながら少しずつ仕事を覚えていく形だった。

「改めて考えると、本当にすごい人だよね」

 静かに話していたミライ・ユくんが口を開く。

「薬も全部調合しているし、患者さん全員の症状も覚えている」

「しかも魔法の知識まであるんだもんね」

「忙しそうなのに全然疲れた顔しないし」

 三人で顔を見合わせる。

「やっぱり天才なんじゃない?」

「うん、天才」

「間違いなく天才」

 全員の意見が一致した。

 思わず笑い声が休憩室に響く。

「そういえば今日さ」

 僕は思い出したように話し始める。

「魔力暴走の患者さんが来たじゃん?」

「あぁ、あの火傷してた人?」

「そうそう!」

「あれ、ゼーユ看護師長、一目見ただけで原因分かってたよね」

「俺も見てた」

 トロンプくんが身を乗り出す。

「しかも薬を取りに行って戻ってきたら、もう治療終わってたんだけど」

「早すぎるよね!」

 三人でまた笑う。

「僕はさ」

 今度はトロンプくんが話し始める。

「魔法の相談してた人を見たよ」

「あー!僕もいた!」

「診察ついでに質問してた人か?」

「そうそう!」

「普通なら『今忙しいからまた今度』って言われそうなのに、一個だけだよって答えてあげてたんだよ」

「優しいよねぇ……」

 ミライ・ユくんが小さく微笑む。

「患者さんもすごく嬉しそうだったな」

「分かる」

「ゼーユ看護師長って、ちゃんと一人ひとりと向き合ってる感じがする」

 僕がそう言うと、二人も静かに頷いた。

 話せば話すほど、新しい一面が見えてくる。

 診察している姿。

 笑っている姿。

 魔法を教えている姿。

 薬を作る姿。

 患者さんを安心させる姿。

 同じ人を見ているはずなのに、それぞれが違う場面を目撃していて、その話を聞くたびに「そんなこともできるんだ」と驚かされる。

「本当にすごい人だなぁ」

 誰ともなく呟く。

 僕たちはまだ出会って間もない。

 それなのに、知れば知るほど尊敬する理由が増えていく。

 休憩室には笑い声が絶えなかった。

 穏やかで。平和で。どこか温かな時間。

 僕は、この空気が好きだった。

 こんな毎日が、ずっと続けばいい。

 その時は、本気でそう思っていた。


 だけど——。

 

 その患者さんは、来た。


 

 「——緊急!緊急ーーッッ!!」

 休憩室の穏やかな空気を切り裂くように、廊下から悲鳴にも似た大声が響いた。

「「「!?!?」」」

 僕たちは反射的に立ち上がる。

 さっきまで笑い合っていた空気は、一瞬で消え去った。

「何だ……!?」

 椅子が音を立てて倒れる。

 僕たちは慌てて休憩室を飛び出し、廊下を覗き込んだ。

 そこには、数人の隊員さんがストレッチャーを押しながら全力で走っていた。

「道を開けろ!!」

「戦争患者ですッッ!!」

 その言葉を聞いた瞬間、廊下の空気が凍り付いた。

 戦争患者——。

 その言葉だけで、周囲にいた医療班全員の表情が変わる。

 僕は恐る恐るストレッチャーへ視線を向けた。

「……え」

 息が止まる。

 そこに横たわっていた男性は、僕たちのような黒いスーツではなかった。

 迷彩服。

 胸元には、Venom Desireの証であるVDバッジ。

 どうやら前線で戦う部隊の隊員さんらしい。

 けれど。

 そんなことよりも。

 目の前の光景が、あまりにも衝撃的だった。


「……ッ」

 言葉が出ない。

 腕が、ない。

 足も、ない。

 四肢のすべてが失われていた。

 迷彩服は、本来どんな色だったのか分からない。

 緑色だったのか。茶色だったのか。そんなことはもう判別できなかった。

 布という布が真っ赤に染まり、全身から流れ出た血液が乾きかけて黒ずんでいる。

 ストレッチャーの下にも血が滴り落ち、床には赤い跡が点々と続いていた。

 あまりにも凄惨だった。

 これまで見てきた患者さんとは、まるで違う。

 骨折でもない。

 風邪でもない。

 魔力暴走でもない。

 これは——。

 戦場。

 命の奪い合いの果てに生まれた傷だった。

 患者さんは、天井をぼんやりと見つめていた。

 焦点の合わない目。

 力なく開いた口。

 呼吸も浅く、今にも止まってしまいそうだった。

「……もう」

 かすれた声が聞こえる。

「俺は……助からない」

 一言話すだけでも苦しそうだった。

「だから……」

 ゆっくりと瞼を閉じる。

「もう……いいんだ……」

 その言葉には。

 生きたいという願いではなく。

 諦めだけがあった。

 僕は——。


「——ッ」

 思わず視線を逸らした。

 見ていられなかった。

 胸が苦しい。

 息が詰まる。

 足が震える。

 これまで何人もの患者さんを見てきた。

 けれど。

 こんなのは初めてだった。

 あまりにも残酷で。あまりにも悲惨で。あまりにも無力だった。


 これが。

 戦争。

 これが。

 前線で戦うということ。

 僕の頭の中には、一つの言葉しか浮かばなかった。

 ——絶望。

 その瞬間だった。


「これは……!!」

 聞き慣れた声が廊下に響く。

 ゼーユ看護師長だった。

 いつもはどんな時でも落ち着いているその人が。その時だけは、明らかに表情を変えていた。

「酷い……!」

 その声には焦りがあった。

 心配があった。

 そして。

 絶対に助けたいという強い意志が込められていた。

「今、すぐにでも治してあげようッ!!」


 ゼーユ看護師長は一瞬で状況を判断する。

「運んでいる暇はない!」

 鋭い声が飛ぶ。

「ここで治療を開始するッ!!」

「はいッ!!」

 医療班全員が一斉に動き始めた。

 しかし。

 僕たちは動けなかった。

 あまりにも現実離れした光景を前に、身体が固まってしまっていた。

 ゼーユ看護師長は患者さんの傍らに膝をつく。

 そして。

 静かに右手を掲げた。

 次の瞬間。

 ゴォォォォン——。

 低く重い音と共に、巨大な魔法陣が廊下いっぱいに広がる。

「……!!」

 思わず息を呑む。

 大きい。いや。大きいなんて言葉では足りない。僕が今まで見てきたどんな魔法陣よりも巨大だった。

 床一面を覆い尽くし、幾重にも重なる円環。無数の文字。複雑に絡み合う紋様。

 青白い光が幾重にも重なり合い、神秘的な輝きを放っている。

 空気そのものが震えていた。

 廊下中に、とてつもない魔力が満ちていく。

「……ッ」

 ゼーユ看護師長の額を、一筋の汗が流れる。

 その表情には、僅かな動揺が浮かんでいた。

 今まで一度も見たことがない顔だった。

 どんな患者さんが来ても冷静だった人。

 どんな難しい治療でも笑顔を絶やさなかった人。

 そんなゼーユ看護師長でさえ、この状況には動揺していた。

 それほどまでに深刻な傷だったのだ。


 だからこそ。

 僕たちは、ただ立ち尽くすことしかできなかった。

 何もできない。何も分からない。ただ祈ることしかできない。

「……お願い」

 誰かが小さく呟いた。

 次の瞬間。

 巨大な魔法陣が、一斉に輝き始める。

 眩しい。

 あまりにも眩しい。

「ッ!」

 思わず目を閉じる。

 白い光が廊下一面を包み込み、視界は完全に真っ白になった。

 数秒間。

 何も見えない。

 何も聞こえない。

 世界そのものが、光だけになったようだった。


 やがて。

 少しずつ光が弱まり始める。

 閉じていた目をゆっくり開く。

「……!!」

 誰もが息を呑んだ。

 ストレッチャーの上で横たわっていた患者さんは。

 信じられないものを見るような表情で。

 ゆっくりと、自分の腕を見つめていた。


 ——患者さんは、涙に溢れていた。

 ひたすらに、また自分の体が元に戻っていたことに対する喜びの声だった。


「助けてくれて……本当に、本当にッッ!!ありがとうございますッ!!ありがとう……ありがとうッッ!!」

 ゼーユ看護師長は、

「……はは、助かってよかったね」

 助けたのは自分なのに、まるで観客だった。

「ここまで必死に切断部の処置をしながら運んでくれた子たちのおかげだよ……皆、本当によくやった」

 ゼーユ看護師長が、近くにいた救急隊員の頭をぽん、と撫でる。

 すると。

「……あッッ!ずるいッッ!ゼーユ看護師長、俺もッ」

 色んな人がゼーユ看護師長の周りに集まる。周りは一気にガヤガヤし始めた。

 助かった患者さんは少しポカンとしていた。

「はあ、全く君たちは……患者さんが困惑しているだろう」

 そう言いつつ、皆を撫でるゼーユ看護師長。



 これは——これが——医療班の日常、なのか……?


 僕は……。

 まだ瞳に、絶望が残っていた。

 


 果たして、希望を探した果てにあるのは何なのか――。


 たとえ真黒の欲望が、行く手を阻もうとも。

 僕たちは、歩き続ける。 

今回のポスター風イラストの背景は、「ぱくたそ」様からお借りしました。

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