第8話 急変、そして救いの哀願へ
十四歳で、生を終える。
十四歳で――阿京が死ぬ……?
頭の奥で、さっき流れ込んだ“設定”が何度も反響していた。
書庫の床には、阿京が抱えていたと思われる書物や木簡が散らばっている。
意識を保てなかったのだろう。
呼吸はある。脈もある。
だが――熱い。
触れた手が跳ね返されるほどの高熱だ。
「阿京……!」
こんな床に寝かせている場合じゃない。
俺は書庫を飛び出し、廊下に向かって叫んだ。
「誰か! 誰か来てくれ!」
お目付け役が駆け寄ってくる。
「いかがなさいましたか、仲君!」
「阿京が書庫で倒れている! 医室に運べ!」
「承知しました、仲君!」
「くれぐれも乱暴にするなよ……絶対にだ!」
声が震えていた。
でも今はそんなことどうでもよかった。
俺は深呼吸し、自分を落ち着かせながら先に医室へ走った。
医官に状況を伝え、受け入れの準備をさせる。
この世界に来てから初めて、“豪族の次男”という立場を自分の意思で使った。
しばらくして、お目付け役が阿京を横抱き――いわゆるお姫様抱っこで運んできた。
寝台にそっと寝かせる。
高熱でうなされ、時折、震えるように声を漏らす阿京。
その姿を見た瞬間、胸の奥が締め付けられ、涙がこぼれた。
医官が俺に退室を促す。
「……わかった。阿京の意識が戻ったら、すぐ知らせてくれ」
それだけ伝えて、俺は医室を後にした。
授業はあったが、先生も阿京の見舞いに行ったのだろう。
どこか落ち着かない様子だった。
それなのに、ひどく青ざめた俺の顔を見ると、
「……今日はもう良い。休みなさい」
と、優しく言って授業を切り上げてくれた。
武芸の鍛錬では、集中力を欠いた俺を見て師範に酷く怒られた。
「仲君! ここが戦場であれば、仲君はとうに亡くなっております。
どのような心境であろうと、無意識にでも身を守る心構えを身につけていただかねばなりません。
そんなことでは伯君の補佐は務まりませんぞ!」
胸の奥がぐらりと揺れた。
――お前に何がわかる。
叫びそうになった。
喉の奥まで言葉が込み上げた。
でも、それはただの八つ当たりだ。
阿京を理由に、誰かを罵倒するなんてしたくなかった。
だから俺は歯を食いしばって頭を下げた。
「……ご指導、痛み入ります」
素直にそう言った。
だが、それでも集中することはできなかった。
槍を振るう手が震える。
視界の端に、倒れた阿京の姿がちらつく。
耳の奥で、あの“設定”の一文が何度も反響する。
十四歳で、生を終える。
その言葉が、頭の中で何度も何度もこだました。
夕食時、親父の発言を聞くのが怖かったが――大丈夫だった。
「阿刀の許婚となった師君の娘が、風寒になったようだ。
お前の許婚だ、優しくしてやれ」
親父はそう言ってくれた。
その言葉に少しだけ安堵した。
そして、やっと待ちわびた夜が来た。
俺は寝具に潜り込み、布団を握りしめながら呼び続けた。
神様……神様……!
何度も、何度も、心の中で叫ぶ。
頼む……答えてくれ……
神様……!
「なんじゃ、困りごとか? 随分早いのう?」
神の呑気な言い様に、胸の奥がざらついた。
「神様、教えてくれ! 阿京が死ぬって何なんだ!?
俺は阿京を作ってなんかいない! 設定なんかしていない!」
「ん……? 阿京? あぁ……お主が懸想しておる娘か。
なるほど、忘れておるようじゃな」
神はまるで他人事のように言った。
「腕輪を握って、自分の内側を覗くようにしてみるが良い」
「……こうか?」
言われた通りに意識を向ける。
すると――自分の“設定”が見えた。
スキル……能力……違う、これじゃない。
生い立ち……列伝……
――少年の頃に、婚約者と死に別れている。
「……えっ?」
読んだ瞬間、思い出した。
軽い気持ちで、本当に軽い気持ちで書いた設定。
現実では孤独だった自分に、
“少し影のある過去があった方がキャラとして深みが出るかな”
そんな程度の、軽いノリで。
「えっ……? なんで?
なんでこの設定が阿京に……?」
神は肩をすくめるように言った。
「儂は言ったじゃろう。
お主が作った設定で顕現させた、と。
まぁ、いうなればその設定は誰にも定着せず、宙に浮いた状態じゃった」
「宙に……浮いた……?」
「その状態で娘がお主の婚約者になった。
つまり――結果から因果に結びついたという事じゃな」
頭が真っ白になった。
「え……じゃあ、病気を治す方法は……?」
神は淡々と告げる。
「言ったじゃろう。結果が先に決まっておると。
仮にあの娘が今の病気が治ったとしても、
次に“死”という結果に結びつく病に罹るだけじゃ」
心臓が、どくん、と大きく跳ねた。
逃げ場がない。
設定が“死”を要求している。
阿京は――死ぬために病に罹る。
「……そんな……そんなの……!」
声が震えた。
喉の奥が焼けるように痛い。
「じゃ、じゃあ……阿京を婚約者から外せば……?」
「無理じゃな。一度定着した設定は外せん」
神は淡々と言い放つ。
「例えば、お主の兄が突然、理由もなしに武芸が苦手になるとかな……
そんな事が出来たら、設定の意味がないじゃろう」
頭が真っ白になった。
「それに――仮にその方法で婚約者を変えて身代わりを立てたとして」
神はわざと間を置いた。
「その身代わりになった娘は死ぬが……
お主はそれで良いのか?」
声にならなかった。
胸の奥がぎゅっと締め付けられ、息が詰まる。
気づけば、嗚咽が漏れていた。
「あぁっ……うぁっ……」
涙が止まらない。
こんなにも苦しいのに、どうすることもできない。
「何とか……何とかできないんですか……?
そうだ! 褒美の前借とか!
絶対……絶対救ってみせるから……!」
必死に縋るように叫んだ。
だが――
「馬鹿もん! 甘えるでないわ!」
神の声が雷のように響いた。
「いくらお主を無理やりこの世界に連れてきたとはいえ、
そこまでしてやる義理はないし、することもできん」
冷たく、突き放すように。
「もしそのようなことを本当に望むのであれば――
今すぐ“失敗”にしても良いのじゃぞ」
「し、失敗になった場合……どうなるんですか……?」
心のどこかで、
“それで阿京が生きられるなら……”
という考えがよぎった。
だが――
「そうじゃな。
その場合、ただの失敗よりペナルティが強い」
神は淡々と告げる。
「お主は元の世界に戻り、
お主が作った一族はすべて消える。
そして――娘は予定通り死を迎える」
あまりにも救いがない回答だった。
胸の奥が、音を立てて崩れ落ちるようだった。
「どうにか……どうにかならないんですか……」
「ふむ、冷静さを失って忘れておるようじゃな」
神はため息をつくように言った。
「教えたはずじゃぞ。この世界は理が違うと。
この世界には、元の世界と違って――
スキルもある。能力もある……と」
そこで、はっと気づいた。
イベントも……アイテムもある……?
確かに検証したじゃないか。
アイテムが“存在する”ことを。
そうだ。
思い出した。
この世界には――あったはずだ。
仙人との出会いイベント。
そして仙人から与えられる、
どんな病も治し、人の寿命すら延ばすという“神薬”。
世界の理で、設定に打ち克つ。
それなら……それなら、もしかしたら……!
「思い出したようじゃな」
神は淡々と告げる。
「では帰るぞ。
……この世界を救うために呼んだとはいえ、
お主の人生じゃ。好きにするが良い。
もちろん――その行動に伴う結果の責任は、お主が取るのじゃがな」
そう言い残し、神はふっと消えた。
残された俺は、
胸の奥にわずかに芽生えた希望に、
この夜の闇へ飛び出したい衝動を抑えるので精いっぱいだった。
今すぐ走り出したい。
仙人のもとへ。
でも、感情のまま出立しても絶対に無理だ。
焦りだけで動けば、きっと取り返しがつかなくなる。
だから俺は、震える手を布団の中で握りしめ、
自分の心臓が落ち着くのを待つしかなかった。
微かな光……僅かな望み……
だけど――掴むしかない。
阿京を救うために。




