第24話 彷徨、そして長久の離別へ
よせ。
都へ遊学に赴いた折、ついでに足を伸ばしたまでのことだ。
……もっとも、道中はそれなりに艱難を舐めたゆえ、
貴様が礼を述べるのは当然と言えば当然だ。
貴様の阿父が経典の師君でなければ、
俺が手間を背負うこともなかった。
次はないぞ。
これ以上、俺に余計な気遣いをさせるな。
華奢な体でまた倒れでもしたら、目も当てられん。
横になり、養生に励んでいろ。
阿京は申し訳なさそうに、弱々しく身を震わせた。
「……はい、重畳な醜態をお見せいたしました。
本来であれば、私から退下の礼を尽くすべきところですが、
未だ身動きも叶わず……。
このまま横たわったまま拝謁すること、何卒お許しください」
そして、手に握りしめていた双魚佩に気づいたのか、
困惑したように視線を落とした。
「手元に、このような贈り物が置かれておりました。
これは……私のような者が預かってよいものではございません。
お返しした方がよろしいでしょうか……?」
俺は手を軽く振り、言葉を遮った。
「寝ていろと言っているだろう。
その贈り物は、阿父が
『病見舞いの気遣いもできんようでは、我が門戸の恥だ』
とうるさく言うから、便宜上置いていっただけの代物だ。
今さら返されても処置に困る。
そのまま受け取っておけ。
そう言い残し、俺は病室を後にした。
──そして、一か月が経過した。
阿京の容体は安定し、順調に体力を取り戻し、
今では歩けるほどにまで快復していた。
俺はそれを見計らい、阿父のもとへ向かった。
「阿父! 聞いてください。
風が吹けば飛ぶような病弱な娘、
我ら一族の嫁に相応しくありませぬ。
この許婚の話、今すぐ無かったことにしてください!」
阿父が眉をひそめる。
「……本気で申しているのか?
あれほどお前が執心し、
自ら望んだ縁談であったはずだ。
あの時の喜びようは、一体どこの誰であったかな」
俺はあえて鼻で笑い、居直った。
「若気の至り、気の迷いにすぎません!
聞けばあの娘、私とのやり取りを覚えていないとか。
守る甲斐もない薄情な女は願い下げです。
顔を見るだけで煮えくり返る思いでございます。
手切れ金の一つも握らせて、
阿父の縁故がある塢壁にでも放り出してください。
あそこなら静養にはうってつけでしょう。
……とはいえ、今はまだ己の武芸と学問を磨くべき時。
成人するまでは、女子など一切無用にございます!」
阿父は深く息を吐き、眉をひそめた。
「……しょうがない奴だ。
あれほど金銭と財貨をかけて穆山へ向かわせてやったというのに……。
わかった。私から阿京の父である師君へ話しておこう」
しばらくして、阿父から正式に許婚の解消が言い渡された。
そして師君は、俺に経典を教える授業を辞退した。
許婚を無理やり解消したという噂はすぐに広まり、
穆山へ同行した兵たちの俺を見る目は、どこか冷たかった。
阿母は安堵していた。
病気の再発を恐れていたのだろう。
阿玲は「解消する必要があったの?」とだけ尋ねたが、
俺が頷くと、それ以上は何も聞かなかった。
龍紅は短く言った。
「お前は龍家の次男だ。
自分の立場と責任を理解しているなら、それで良い」
唯一、眉壮だけが無礼を承知で問いただしてきた。
「若君……何故ですか!
旅の途中、阿京様とのことをあれほど楽しげに
語らってくださったではありませぬか!
どうして……」
その言葉が……悲しくもあり、嬉しくもあった。
「お前に答える必要はない」
俺は壮にそう言い放った。
──しばらくして。
師君と阿京は、阿父の紹介した勢力へと転居した。
合わせる顔のない俺は、見送りには行かなかった。
そして……俺は安堵していた。
やっと阿京との許婚が解消され、
その縁が戻る心配はなくなったのだ。
……阿京の病が治り、死の“設定”が離れ、
記憶が消えた時、悟ったのだ。
──設定は宙に戻っただけで、完全には消えていない。
もし、また関係が進み、
阿京との仲が深まってしまえば──
死の設定が再び阿京に定着してしまう。
設定は、“少年の間に婚約した相手”に結びつく。
だから俺は阿父に言ったのだ。
「成人するまでは、女子など一切無用にございます」と。
少年の間だけ解消すればいい、
そう思う者もいるかもしれない。
だが、そんな都合の良い理屈を
誰にどう説明するというのだ。
だから……こうするしかなかった。
すまなかった、阿京。
君に約束した玉の頭飾りを贈ることは、もうできない。
だが、阿父には治安の良い土地を選んでもらったつもりだ。
だからせめて──
どうか、穏やかに、幸せに生きてくれ。
暫くの間は何もする気が起きなくて無気力になってしまった。
何も考えずに屋敷を歩いていたら
ふと阿京が居た部屋に向かってしまった。
つい、お見舞いに行っていた頃の習慣が出てしまったか・・・
すると部屋の隅に小箱が置かれていた。
俺は阿京の忘れ物だろうかと、開けてみると
そこには手紙が入っていた。
宛先は俺で、日付は・・・都で双魚佩を購入した日だった。
※阿京が残した手紙です、
上は実際の手紙、下は現代風の表現にしています。
読みやすい方を読んでください。
【阿京の手紙(正式な文語調)】
阿刀へ
出立された君は、今いずこの地におられるでしょうか。
月影が窓に差し込む夜、独り、君との語らいを思い返しながら、
ただ遠く離れた地にいる君が健やかであられることを、天に祈っております。
積もる想いの一端なりとも文に託さんと筆を執りましたが、
溢れる心に言葉が追いつかず、ただ墨を汚すばかりでございます。
省みれば、私は以前より君のお姿を遠くお見かけしておりました。
近傍の悪童らと土にまみれて遊ぶ君を拝見し、
そのいささか粗野な振る舞いに、幼き私は密かに畏れを抱いていたのです。
ゆえに、あの日、君が書庫を訪れ初めて相まみえた時、
私はただただ驚きに包まれました。
しかし、いざ言葉を交わせば、君の芯にある優しさに触れ、
私の凍てついた緊張は、春の残雪が陽光に照らされるように、
跡形もなく溶け去ってゆきました。
君の広き慈しみに包まれるうち、
私の心は知らぬ間に君へと惹き寄せられていたのです。
どうか、無事にご帰還ください。
もし、この文が君の手に渡る頃、
私の命が浮雲のごとく風に散ち、この世から消えていたとしても、
私の魂は月影となり、暗き夜道を歩む君の足元を照らし続けましょう。
いかなる険路が待ち受けていようとも、
君ならば必ずや打ち克ち、道を切り拓けると信じております。
最後になりますが――
たとえこの魂が尽き果て、形なきものとなろうとも、
我が心のある限り、君を愛しております。
もし、いつか再び巡り逢えたなら――
その時こそ、君に添い遂げ、幾久しくお傍にいさせてください。
阿京より
【阿京の手紙(口語】
阿刀へ
旅に出たあなたは、今どこにいるのでしょうか。
月明かりが窓から差し込む夜、一人であなたと話した時間を思い出しています。
遠く離れた場所にいるあなたが元気でいることを、毎日空に祈っています。
胸の内を少しでもこの手紙に託そうと筆を取ったけれど、
気持ちが溢れてしまって、言葉にできず、何度も書き直してばかりです。
私は初めて会う前に、あなたの姿を見たことがありました。
その時のあなたは、近所の子どもたちと泥だらけで遊んでいて、
乱暴な人なのかな、と少し怖く思っていました。
だからあなたが書庫に来て、初めて言葉を交わした時は本当に驚いたの。
でも話してみると、あなたの心の奥はとても優しくて、
その優しさが春の雪を照らす光みたいに、私の緊張を一瞬で溶かしてくれました。
気づいたら私は、あなたの大きな慈しみに強く惹かれていました。
どうか、無事に帰ってきてください。
この手紙があなたに読まれている頃、
私の命が風に散った雲のように消えてしまっていたとしても、
私の魂はあの月の光になって、暗い夜道を歩くあなたを照らしています。
あなたなら、この先がどんなに険しい道でも乗り越えて、
自分の道を切り拓けると信じています。
最後になりますが――
たとえこの魂が尽きて形がなくなってしまっても、
私の心がある限り、あなたを愛しています。
もし、いつかまたどこかで巡り逢えたなら――
その時こそ、あなたに添い遂げて、いつまでもお傍にいさせてください。
阿京より
俺の手紙を持つ手が震える。
喉の奥からは、声にならない声が嗚咽となって漏れ出した。
やがて力なく、手と膝をつき床を濡らすと
しばらく、その場を離れることができなかった。




