第19話 恆祥、そして白玉の誘いへ
三十九日目の朝を迎えた。
精神的にも体力的にも疲労困憊だった事もあり、
久しぶりによく眠れた気がする。
俺は朝の支度をしながら考える。
疲労は一日では抜けきっていなかった。
とはいえ、長居している場合でもない。
三日──せいぜい四日の滞在と言ったところだろうか。
穆山までの道程には馬が必要だな……。
とはいえ、さすがに全員分を借りる金はない。
部隊を騎馬隊と歩兵に分け、
歩兵には後詰として麓で待機してもらうのがよさそうだ。
どちらにしても、馬の面倒を見る兵は必要になる。
できるだけ良馬を借りたいところだが……
どう考えても、また龍諂に借りができる。
こうなったら借りるだけ借りて、
後でまとめて返そう。
俺は割り切ることにした。
「叔父上! 参上いたしました!」
「うむ、阿刀よ。よく眠れたか?
羹に焼いた胡餅──
これが都の饔であるぞ。」
「これが胡餅というものですか。
桑梓では朝から粥が主でした。
これは楽しみでございます。」
「そうであろう、そうであろう。
ほら、熱いううちに食べようぞ。」
龍諂の薦めのままに食事を始める。
肉や野菜を煮込んだとろみのあるスープに、
焼いたパンを浸して食べる。
──うまかった。
思わず「旨い!」と口にする。
「阿刀よ、豪族として富は誇れると思うが、
金銀だけでは贖えぬものがある。
都にのみ息づく“風雅の粋”というものがな。
このような食事も、その一つであるな」
「なるほど、勉強になります。」
俺は謝意を述べて、食事を続ける。
そして、落ち着いたところで話を始めた。
「叔父上、折り入って願いがございます!」
龍諂が箸を止め、こちらを見る。
「申してみよ、阿刀。」
「一つは、城外へ出立する際──
馬五十一匹を借用したく。
選りすぐりの良駒となるよう、お口添えをいただきたく存じます。
次いで、都にて師範に武の理を授かりたく……
御指南の橋渡しをお願い申し上げます。」
俺は深く頭を下げた。
一つ目の願いは馬だ。
できるだけ早く走れる馬がいい。
騎馬とするのは俺と屯長、そして屯長に選ばせた兵四十九人。
次が──都でもし龍紅より強い師範がいるなら、
経験を積みたかった。
「強さを磨くに越したことはない。」
龍諂は少し間を置いた後、ふっと笑みを浮かべた。
「よかろう。かわいい甥のためだ。一肌脱いでやるとしよう。」
承諾の言葉に、俺は深く頭を下げた。
「感謝いたします、叔父上。」
そう述べながらも──
胸の奥で、別の感情がひっそりと顔を出す。
(あぁ……狡い感じがする……)
龍諂の“笑み”の裏にある計算高さ。
そして、俺の願いが“そこまで金のかからぬ口利き”であることも、
冷静に理解してしまっていた。
(……この口利きは、龍諂にとって痛くも痒くもないのだろうな)
そう分析してしまう自分に、
少しだけ苦笑した。
師範は明日で、馬は出立の日だ。
今日は特に予定もない。
俺は気分転換に市場へ出ることにした。
とはいえ、当然従者付きではあるのだが。
しばらく見て回っていると、
宝石や飾りを商う店が目に止まった。
「ようこそお越しくださいました。
弊店は、この都で指折りの宝飾を揃えている自負がございます。
隅々まで御覧じください。
お気に召した一品がございましたら、
由緒や細工の妙についても語りましょうぞ。」
そう言われて、一つずつ手に取る。
すると──
俺は、いつか“花の冠ではなく玉の冠を贈る”と
阿京に約束したことを思い出していた。
ふっ……会ってたった一日や二日のことでな。
我ながら気が早かったものだと、
気づけば口から笑みがこぼれていた。
すると店主が説明を始めた。
「こちらは歩揺でございます。
金の細工に真珠の装飾が美しく、
都に住む少女なら一度は憧れる逸品です。
そしてこちらが瑠璃飾り。
透き通るような深い青色が特徴で、
数が少ない希少品ゆえ、
豪族でも滅多に目にすることはありません。
あちらは白玉の双魚佩となります。
二匹の魚が寄り添い、
古くから“夫婦円満”“子孫繁栄”の祈りが込められております。」
俺は双魚佩の前で足が止まった。
誘われるように手に取り、
阿京がそれを身につける姿を想像していた。
頭飾りではなく玉佩(腰飾り)になるが……
知的な阿京に、とても似合うと思ったのだ。
しかし、そろそろ懐事情が厳しい。
屯長の方を見ると、少し渋い顔をしたが──
止められなかった。
「店主、これをいただこう。」
俺は屯長に支払いを任せ、
双魚佩を懐にしまう。
阿京は喜んでくれるだろうか。
それにしても、今回の旅は
かなりの財貨や銭を使っている。
これも龍紅が、かさばらない高級な生地や玉など
金銭として使えるものを持たせてくれたからだ。
しかし、そこでふと気付く。
地方勢力への根回し、通行許可証の準備、
叔父が頷くほどの土産──
龍紅は時期塢主ではあるが、まだ権限はない。
結局、今回の準備はすべて親父が手配してくれたのだ。
親父が心の底から拒めば、
出立そのものができなかった。
人の世の地獄を見て、
この世界の親父にどれほど甘やかされたかと思う。
……次男のお坊ちゃまと言われても仕方ないな……
翌日、龍諂の伝手で呼び寄せた師範に教えを乞う。
正直、師範を見た瞬間──
(勝てるな)と思ってしまった。
しかし、その慢心を見透かされたのか。
「戦場であれば、その瑞々しき若さ溢れる骨格と
血気盛んなお主の方が、既にこの老将より強いかもしれぬ。
ただ、先程お主の素振りを見たが……
まだまだ力任せにすぎん。
“理の型”を身体が覚え、力を一点に集め、
鋼すら断ち切ることが武の神髄である。」
そう言われ、俺は師範の前でみっちり
型の稽古と模擬戦を行った。
少しでも姿勢が崩れると、怒号が飛んでくる。
俺が賊の動きを読めたように、
師範からすれば、癖でどこを狙っているか丸わかりとのことだった。
それでも師範は俺を見て言った。
「動きと言い、体格と言い、素晴らしい。
お主が成人する頃には、一門の将となっていよう。
かの軍神のように、膂力で唐竹割にできるかもしれんな。」
お墨付きを与えてくれた。
武術の後は、馬についての鍛錬だった。
師範は俺の騎乗姿勢を正しながら言う。
「馬に“乗る”のではない。
馬に“乗せられる”のでもない。
馬の四肢をお主の肉体の一部とし、
人馬一体となるのだ。
さすれば、一騎当千と呼ばれよう。」
武芸と馬術──
自分でも分かるほど能力とスキルが大幅に上がった手応えがあった。
俺は師範に礼を述べ、
礼として上質な酒を手渡した。
「お主のような、世を背負う瑞芽に
我が武を伝えられ、喜ばしき限りであった。
怠ることなく、日々精進いたせ。
さすれば、いずれ天下にその名を知られる良将となろう。」
そう言い残し、師範は帰っていった。
──そして、出立を控えた四十一日目。
俺は龍諂に、都の状況について尋ねていた。
「宮中は都宰侍の跳梁跋扈を許し、
三公ですら銭で商われる始末だ。」
龍諂は酒を煽りながら続ける。
「だが、いつまでも泥濘に甘んじているつもりはない。
儂は宮中朗で治まる器ではないのだ。
尚務監を超え、政徒官まで上り詰めてみせる。」
龍諂の目が、酒気を帯びながらも鋭く光る。
「我らは、かつてこの都を起こした家柄。
初代の帝が義兵を挙げた折、共に天下を駆け抜けた一族よ。
かの地の太守の座も、本来はお主の父祖が正統なのだ。
阿刀よ──
龍健殿は奪われた太守の座へ返り咲き、
一族の威光を取り戻す気はないのか?」
龍諂は酔っていた。
俺からすれば、汚職まみれの宮中で
“同悪相与す”にしか見えないのだが……
その中にも派閥があるように見えた。
能力だけでは上がれない壁に対する、
龍諂なりの不満でもあるのだろう。
そして、都を出立する朝を迎えた。




