27:ずっと一緒に……
「ここがマヨネーズの専門店──『リネーゼ』よ」
夜会から数日後。
ジョアンナとヴィンセントは、リディアに案内されて王都にできたマヨネーズ専門店を訪れていた。
「奥には個室もあるの。案内するわ」
そう言って案内された個室は、空間を贅沢に使っていて高級感が溢れている。
席に着くと、すぐにメニューが運ばれてきた。
「一番人気はタルタルソースよ」
タルタルソースという言葉にジョアンナの瞳が輝く。
「魚介のフライでございます」
「わー。美味しそう!」
リディアのお勧めだというこの料理は、魚介に衣をつけて揚げたものだ。そこにタルタルソースが添えられている。
魚介の種類は仕入れによって毎日違うのだとか。
今日は海老とホタテと白身魚のようだ。
「わっ! 美味しい」
海老をひと口食べて、ジョアンナは瞳を輝かせる。
プリプリの海老と、サクサクの衣。
そこにタルタルソースの濃厚な味わいがよく合う。
食事を楽しんでいるジョアンナを見て、ヴィンセントは安心したように微笑んだ。
あの夜会以降、ジョアンナは少し元気がなかったのだ。
「口に合って、嬉しいわ」
今はレストランだけの営業だが、春には貴族向けにマヨネーズの販売も始まるそうだ。
「レシピを売って欲しいって声が大きいのだけど、保存の問題があるでしょう?」
「そうですね。父さまもレシピを販売した後のトラブルを心配していました」
「悪い業者も多いものね。少し前に花の料理を出して行列を作っていた店も、トラブルが多くて最近閉店したのよ」
リディアの話では、最後は食事をして体調を崩した客が店に押し寄せたりして、大騒ぎだったそうだ。
「リネハン家の名前でマヨネーズを出す以上、安全上の問題は無視できないからね」
春に販売する貴族向けのマヨネーズは、容器に工夫がある。
魔法を閉じ込めている特別性の容器で、中に入っているものを冷やした状態で保管できるのだ。
その分、料金は高くなってしまうが、購入した人たちがマヨネーズの扱いに慣れるまでは、この特別性の容器で販売するそうだ。
「ジョアンナはリネハンで保存に関する研究を手伝っているのよね?」
「はい。最近はムンディーの葉など、古くから保存に使われている植物などから、保存性を高める成分が抽出できないかを研究しています」
「ムンディーの葉はデフィンだったかしら。懐かしいわ。ジョアンナはスライム狩りに参加したことはあるの?」
「はい。今年、初めて参加しました」
「私も久しぶりに参加したいわ。こう見えて、子供の頃に三位になったことがあるのよ」
「叔母さまも武器を扱うんですか?」
驚いた表情のヴィンセントを見て、リディアは恥ずかしそうに笑う。
「ふふふ。お兄さまに憧れて、少しだけ剣を振ったことがあるの」
それから数日後。
涙ぐむリディアやネイサンに見送られながら、ジョアンナたちを乗せた馬車は王都を旅立った。
ジョアンナたちがリネハンの屋敷に戻ってしばらく経ったある日のこと。
ケルヴィンの元に二通の手紙が届いた。
ひとつは、ネイサン。
もうひとつは、ジョアンナの父であるロナルドだ。
「思ったより早かったな……」
執務室にケルヴィンの冷たい声が響く。
冬の夜会の騒動以降、マーランドには取り引きの取りやめの手紙が何通も届いていた。
中には、貴族にとって特別な意味を持つ冬の夜会でのキャロラインの振る舞いに、怒りを隠さないような痛烈な手紙も含まれていたという話だ。
ただでさえ、今の伯爵の代からマーランドの領地経営は上手くいっていなかった。
そこに今回の事件だ。
伝統のある冬の夜会での騒動ということもあり、ロナルドは王家から呼び出されて厳しい苦言を受けたという。
ネイサンからの手紙には、その辺りの情報が事細かに書いてあった。
そして、ロナルドからの手紙には謝罪と資金援助を求める内容だ。
その場しのぎの薄っぺらい内容の手紙を読み終えたケルヴィンは、冷たい瞳で手紙を握り潰し、暖炉に投げ入れた。
それからほどなくして届いたネイサンからの手紙には、マーランド家の辿った顛末が綴られていた。
どこからも援助を受けられなかったマーランド家は借金が膨らみ、首が回らなくなったそうだ。
王家への陳情の結果。
遠縁の者にロナルドは爵位を譲る方向で話が進んでいる。
問題を起こしたキャロラインは屋敷で謹慎しているが、あれだけの騒ぎを起こした以上、今後は社交の場に出ることは難しい。
夫のフィリップとの関係も悪くなっているようで、離婚して修道院に入ることになりそうだ。
そんな状態なので、マーランド家はジョアンナたちの結婚式の参加は難しいだろう。
そんなネイサンの予想通り。
後日。
マーランドから、領地で悪い病気が流行っているので結婚式への参加は見合わせると連絡が届くのだった。
青い空に雲ひとつない、この日。
リネハンにある大聖堂には、礼服に身を包んだ多くの人が集まっていた。
今日、この場所で結婚するジョアンナとヴィンセントを祝福するために集まった人たちだ。
リディアとネイサン。
ジョアンナの母の弟である──叔父のハリー。
王太子のセドリックと従者のコンラッドの姿もある。
上品な香りに包まれた会場は、ジョアンナとヴィンセントが選んだ白と水色の美しい花で華やかに彩られている。
皆が幸せな二人の登場を心待ちにしている、その頃。
ジョアンナは控え室の鏡の前にいた。
この日のために仕立てたドレスは、レースをふんだんに使った真っ白なドレス。
纏めた髪には紫色の小さな宝石が上品に散りばめられ、ジョアンナの美しさを引き立てている。
彼女のそばに立つのは、マーランドで侍女長をしていたクレアだ。
ジョアンナがリネハンに移動した後、彼女は仕事を辞めて領地に戻り、孫の面倒を見ながら娘夫妻とのんびり暮らしているらしい。
今日はセリーナの計らいで、リネハンまで駆けつけてくれたのだ。
母が生きていた頃から、よく面倒をみてくれたクレア。
母が亡くなって寂しい時には、眠るまで手を握ってくれたこともある。
マーランドで過ごす最後の日には、ジョアンナを抱きしめてくれた……。
もう一人の母のような存在の彼女に、このドレス姿を見せることができた喜びで、ジョアンナの瞳に涙が浮かぶ。
「こらこらお嬢様。せっかく綺麗にした化粧が崩れてしまいますよ」
そう言って笑うクレアの瞳にも涙が浮かんでいる。
クスクスという侍女たちの優しい笑い声の中。
クレアがそっとジョアンナの髪に触れる。
「あの小さなお嬢様がこんなに綺麗になって……。ヴィヴィアン様もきっと空から見守っていますよ」
クレアの口から出た母の名前に、胸の奥がツンと痛くなった。
そんなジョアンナの手をクレアがそっと包む。
「ヴィヴィアン様が亡くなってからあまり笑わなくなったお嬢様が、昔のように明るく笑う姿を見て、安心しました。幸せになってくださいね」
クレアの手にギュッと力が入る。
小さな頃から何度もこうして握ってくれた彼女の手は、驚くほど温かい。
ふと、ジョアンナはマーランドで過ごした最後の夜のことを思い出した。
「ねえ、クレア。お願いがあるの。抱きしめてくれないかしら?」
驚いた表情のクレアは軽く笑って、そっと抱きしめてくれた。
懐かしいクレアの匂いを感じ、ジョアンナは目を閉じた。
ドアを叩く音が聞こえてきた。
遠くから聞こえる声で、訪問者が誰なのかを悟ったジョアンナは笑顔でそちらに顔を向ける。
部屋へ足を踏み入れたヴィンセントは、鏡の前に立つジョアンナのあまりの美しさに、息をするのも忘れて見とれていた。
背後からダニーの咳払いが聞こえ、ハッとする。
「ジョアンナ。とても綺麗だ」
そう言って柔らかく笑ったヴィンセントを見て、ジョアンナも鼓動が早くなるのを感じていた。
真っ白な衣装に身を包み、髪を撫で上げたヴィンセントは、この世のものとは思えないほど素敵だ。
「行こうか」
そう言ったヴィンセントの腕に手を乗せ、ジョアンナは歩き出した。
静かに開けられた扉から姿を見せた、ジョアンナとヴィンセント。
一歩一歩。
ゆっくりと足を進める二人の表情は、今日の日を迎える喜びに満ち溢れている。
真っ白な衣装のヴィンセントの胸元には、ジョアンナの髪と同じ薄いピンクのチーフが覗く。
レースをふんだんに使った真っ白のドレスに身を包んだジョアンナの髪には、紫色の小さな宝石がキラキラと輝いている。
そのあまりの美しさに会場の誰もが、うっとりとした表情で二人を見つめていた。
祭壇の前に立った二人は、誓いを立てて署名をした。
その瞬間。
ジョアンナの瞳から小さな涙がこぼれ、それをヴィンセントがそっと指で拭った。
彼らのすぐ後ろの席では、微笑むケルヴィンとハンカチで目を拭うセリーナ。
瞳を潤ませたセドリックとコンラッドや、クレアの姿もある。
多くの人に祝われて式を終えた二人は、この日正式に夫婦となった。
大聖堂の前には、装飾を施された屋根のない馬車が止まっている。
結婚式を終えた二人はその馬車に乗り込んだ。
温かい祝福を受けながら街を進む馬車。
二人の姿が見えると、人々は手に持った籠から花をまいて祝福を贈る。
白い花びらが降り注ぐ様は、花の雨のようだ。
その美しい雨を浴びながら笑顔で手を振る二人は、まるで絵画から抜け出してきたかのような美しさだ。
時折、顔を寄せ合って微笑み合う二人の表情は幸せに満ちていて、集まった人たちの顔にも自然と笑みが浮かんだ。
今日はリネハン家から街の人たちへ酒や食事が振る舞われることもあり、街には多くの人の姿があった。
服屋の店主や、串焼き屋の店主など。
見知った人の姿を見つけた二人は笑みを深めて手を振る。
多くの人からの祝福を浴びて幸せを感じていたジョアンナの耳元で、ヴィンセントがそっと囁いた。
「ジョアンナ。ずっと一緒にいようね」
「はい!」
満面の笑みを浮かべて頷いたジョアンナの頬に、ヴィンセントがそっと口づけると大きな歓声があがった。
ジョアンナはヴィンセントを見上げ、頬を染めながら幸せそうに微笑んだ。
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