この手の中に (side クリフォード)
コミックス3巻の発売を記念して、SSを投稿します。
本編の38話で第二王子のクリフォードが聖水を飲んだ後のお話です。
(暗めのお話なので鬱展開が苦手な方は飛ばしてください)
王である父と兄のセドリックが出ていった部屋で、一人になったクリフォードはベッドに横たわり、ぼんやりと天井を眺めていた。
──どうすれば、よかったのだろう……。
答えの出ない問いが、頭に浮かんでは消えていく。
気がつけば涙が頬を伝っていた。
ポツリポツリとこぼれ落ちた雫は、枕にいくつもの跡を作っていく。
顔を抑えようとして、いつも通りに手を動かせば……ぴくりとも動かない左手。
それが、自身に起こったことが夢ではなく現実なのだと突きつける。
──彼女に恋をしなければ、よかったのだろうか。
──王子なんかじゃなければ、よかったのだろうか。
──父や母、兄や周囲の人たちの言うことを聞いて、別の婚約を結べばよかったのだろうか。
きっと、その全てだったのだろう。
彼女に出逢ったのは、学園だった。
次の授業のために移動している途中の廊下で彼女と目が合った瞬間──時間が止まった気がした。
太陽の光を浴びた美しい髪。
真っ白い艶やかな肌。
そして、輝く赤紫色の瞳。
彼女と一緒に何人かの令嬢もいたのは見えていたが、正直覚えていない。彼女だけが、不思議なほど輝いて見えた。
そのあとすぐ、彼女が誰なのかを知って愕然とする。
オードリー・マルサス。
彼女はあまり良い噂を聞かない、あのマルサス侯爵家の娘だったのだ。
確認のために学園に入る前に渡されていた要注意人物のリストを見返せば、彼女の名前があった。
「オードリー」
姿絵にそっと触れたクリフォードの口から、空気に溶けてしまいそうなほどの小さな声がこぼれ落ちた。
その日から、廊下、食堂、中庭、図書室……気がつけばどこに行ってもオードリーの姿を探してしまう。
──いけないことだ。
そんなことは、頭では理解していた。
それでも心がオードリーを探してしまう。
そうしているうちに、何度か瞳が交わり、笑顔を交わすようになり、言葉を交わすようになった。
──いけないことだ。
そんなことは、百も承知だった。
それでも引き寄せられるようにオードリーに惹かれていく心が、どうしても止められなかった。
そうして、あっという間に恋に落ち、引き返せないところまで来てしまった。
父たちを説得して、王位継承権を手放すことでオードリーとの婚約を認めてもらった日。
これから彼女とずっと一緒にいられる人生が確定し、光が差すように世界が輝いて見えた。
オードリーと手を取り合って喜びを分かちあい、初めての口づけを交わしたのもその日だった。
一番幸せだった頃の記憶は昨日のことのように思い出せるのに、オードリーと一緒に過ごしていたはずのこの数年の記憶は、頭に霞がかかったように曖昧で、所々に空白がある。
兄から聞いた話では、あの魔術師の男から【闇魔法】のスキルで洗脳を受けたことによる後遺症なのだという。
そういえば、オードリーから紹介したいと言われて魔術師の男と何度かお茶をした記憶がある。
あの頃に何かされたのだろうか。
きっと兄だったなら……
マルサス侯爵家のように悪い噂のある家の娘に恋をしても、その恋を叶えようとしなかっただろう。
婚約者の紹介だからといって、安易に【闇魔法】の使い手と親交を深めなかっただろう。
心のどこかで何度か感じていた違和感を放置せずに、父たちに相談して道を引き返したに違いない。
側妃である母は「息子を未来の王に」という夢を捨てきれずにいたようだが、兄と自分では生まれもった資質が全く違った。
兄を見ていると、こういう人物が王となり国を統べるのだというのを感じる。
自分には、資質も覚悟も力も意志も心も……何もかもが足りなかった。
そんなことは子供の時から理解していたので、早いうちから王位に興味がないと周りに示していたはずなのに、簡単な洗脳を受けただけで、兄の命を狙い、何人もの人間を犠牲にした。
薄暗い部屋の中で、魔術師の男が使った【闇魔法】で黒い霧に包まれる蛇を見ながら、高揚し高笑いしていた過去の自分の声が耳の奥で響いた。
「王になるつもりはない」
口ではそう言いながらも、心のどこかで王になることを望んでいたのだろうか。
自分のことなのに、それすらも曖昧だ。
「クリフォード様」と、自分の名を呼んで笑うオードリーの顔が頭に浮かんだ。
あの天使のような可愛らしい声を聞くことも、愛したあの笑顔を見ることも、きっと叶わないだろう。
こんなことを望んでいたわけではないのに、自分は何をしていたのだろうか。
右手をじっと見つめると、この手のひらにはもう何も持っていないことがわかる。
愛する人も。
王子という地位も。
未来の公爵家の当主の地位も。
自由も。
未来も。
ただの、全てを失った男の手だ。
……いや、まだひとつだけ残っているか。
さっき、初めて見た父の涙。
自分を殺そうとした弟なのに、子供の頃と同じように髪を撫でてくれた兄の温もり。
最後にこの手の中に残ったのは、家族の愛だけだ。
それに気がついた瞬間──どこか絵空事のような、他人事のような感覚でいた自分の罪が、自分のものとして心の中に落ちてきた気がした。
その罪の重さを感じたクリフォードの口から、苦しげな嗚咽が漏れた。
本日、コミックス3巻(紙版)が発売となります。
書き下ろし漫画も収録されていますので、お手に取っていただけると嬉しいです!
紙版に先駆けて土曜に発売された電子版ですが、
本当に多くの方に購入していただき、ありがとうございます。
今後は、週1で本編の続きのお話を投稿していく予定です。
コミカライズの連載が火曜日なので、【火曜日の0~9時頃】の更新にしようと考えています。
ご都合のいいタイミングでお読みいただけると嬉しいです★




