Juliana Cornet ― 7
とある日の夕方、研究室へ戻ろうと大学構内を歩く『ユリアナ』は身分ある男に呼び止められた。
「やあ、コルネイト先生」
「王弟殿下…ご機嫌麗しゅうお過ごしでしょうか」
「ああ、楽にしてくれ」
その言葉に、下げた頭を上げる。相手の瞳は夜空色ではなく翡翠色。自分の仕える相手ではないが、その血縁で王族に連なる以上はたとえどんな感情を抱いていようと必要最低限の敬意を払わなくてはいけない。
「メアリースの姉君なんだ。彼女と同じように、そうかしこまらなくても構わない」
「私がこうしたいのです。お許しください」
「そうか。ならそれでいい」
要件を早く言ってくれないだろうか。時間がないわけではないが、周囲に人がいる状況であまり長くこの男と話していたくない。「メアリースの姉と話していた」などと噂されて、エルザ嬢の心労になりたくないのだ。
その願いが通じたのか、彼はこちらへ手紙を差し出す。これが本題らしい。
「今度、パーティを開くんだ。と言っても茶会のような雰囲気で、身内ばかりのささやかなものだけどね。是非コルネイト先生も来てほしい」
「…?」
差し出された手紙もとい招待状を受け取る。封筒も王家の文様が入っていて、封蝋の意匠は王弟殿下のものだ。
「メアリースも参加するから、一人ぼっちにはならないと思う。兄にも声を掛けているし、謁見のチャンスだと思って参加してくれないだろうか」
「…目的は何でしょうか」
静かに目線を招待状から王弟殿下にずらす。思ったよりも真剣な表情で、彼が私の右手を掴む。
「そこで僕は国王陛下にある考えを伝えるつもりでいる。その時に、先生にも協力してもらいたい」
「………」
「何か関係に進展があるとしたら、私はきちんと順を踏んで行う…と以前お約束した。それをするためにも、メアリースの味方でいてもらいたいのだ」
メアリースの味方、ねえ。この人は本気でそう思っているのだろうか。たいして私のことを知っている訳でもなかろうに。
「私では役不足でしょう」
「先日、エルザの八つ当たりを見事かわしたと聞いたが?」
誰に何の話を聞いたらそうなるのかわからなくて、思わず聞き返す。
「誰からお聞きに?」
「本人から。コルネイト先生は優秀だと言っていた」
成程、あれを八つ当たり、と表現したのか。…私にとっては大したことではなく、むしろあれは悲痛なお願いで、私はそれを叶える努力をしなければならない立場だ。
(自分の座を奪いに来る女を、それにふさわしいよう仕立ててくれだなんて)
沸々と腹の底で煮えたぎる何かを押さえつける。この男はエルザ嬢を何だと思っているのか。そんな思いを全く知らないらしい男は、笑顔で「口うるさい婚約者が迷惑をかけた。ああ、良いお返事を期待している」などとほざいて立ち去る。
「っ………!」
苛立ちのままに地面に投げつけたくなる招待状。しかし、丁寧にカバンへしまい込み、努めて無に感情を保って研究室へ戻る。人がいる気配のする分厚い壁の部屋の扉を開ければ、教授とホズコックの二人だけがいて、何やら相談をしていたらしい。
「やっと来ましたね」
「丁度いいからカギ閉めて」
こちらの状況ガン無視で言われた言葉にもキレることなく、丁寧にドアを閉めて鍵を閉めた。そして荷物を置き、席に座ったところで、ホズコックもとい、『華月』が口を開く。
「【密室】にしたから、もうキレ散らかしてもいいよ。ここ防音設備だし」
「なんなんだあのクソ王弟!!!エルザ嬢を何だと思っていやがる!何でそうなる?!」
突拍子もなく文句を叫び始めた私に、二人はすでに予測済みだったのか慌てることなく説明をする。
「エルザ・バーネット嬢は『私のお願いを快く聞いてくれた』とそのまま伝えてあげてたんですけど、どうも勘違いしたみたいでして」
「何て言ったら八つ当たりになるのよ?!」
「『メアリースのため、コルネイト先生に礼儀作法の教育をお願いしましたの』」
『華月』がエルザ嬢そっくりの声音で話す。あのエルザ嬢が王弟殿下にそんな報告をしたという事実からして怒りが止まらない。というか、何で二人ともエルザ嬢と王弟殿下の会話を知っているんだ。『宵闇』は潜入だけでなく盗聴のスキルまで仕込まれるのか。
ステイステイ、と『静月』から飴がサーブされる。大人しく口に含んだ。
「『メアリースにそんなものは必要ない、彼女はその素質だけで十分王弟の配偶者としてやれる』…というのが彼の考えのようです」
「自分が噛ませ犬って気づいてない哀れな王弟殿下には確かに十分な能力っすね」
「まあ、メアリースの教育係を引き受けたという点で、王弟殿下から見て『ユリアナ』は十分味方になると勘違いしてくださったそうですから。良かったですね、『月光』」
「なにも良くない」
苛立ちのままに飴をかみ砕けば、流石の『静月』もちょっと引いた顔をした。しかし私はそれのお陰でちょっと落ち着いたので、比較的マシになった思考でこれからの方針を考える。
「メアリースの取り巻きを何としても切り離さないといけない。妄信的な思考をしているみたいだから、目を覚ましてあげればいいんでしょう」
その行動を起こす上で、誰の傍にいるのが合理的か。いや、誰と考えずとも『ユリアナ』の現状を見ればひとりしかいない。
「『ユリアナ』はエルザ・バーネット嬢の味方になろうと思います。彼女は王弟殿下との婚約を破棄されるのをきっかけに夢を追いかけるそうです」
「どこかの誰かみたいだな。そいつは逃げ出したけど」
「うるさいわね」
ふむ、と『静月』が頷く。眼鏡の奥の瞳が、獲物を狩る時のように獰猛なのは気のせいではない。
「バーネット嬢の味方をするのは正解でしょう。彼女に非が無いということをメアリースの姉が証明すれば、メアリース一辺倒の思考に楔を打ち込める。適切な舞台と演者がいれば、メアリースを孤立させることが可能でしょうね」
「そこで、先ほど貰った招待状が役に立つんですよ」
「は?」「え?」
驚く二人の目の前で、カバンから王弟殿下による招待状を取り出した。開封して中身を確認すれば、先ほど聞いた通りの茶会の案内と、出欠の確認が書かれている。
「この場で、王弟殿下はとある考えを国王陛下に伝えるそうです。王弟殿下が私との約束を守るために私へメアリースの味方になることを依頼したり、エルザ嬢をこき下ろす態度をしたりといった材料から判断すると、王弟殿下は国王陛下に対し、エルザ嬢との婚約破棄と、メアリースとの婚約を希う可能性が高いです」
『華月』がげんなりとした表情を浮かべる。便箋の透かしと封筒の文様に偽造が無いことを確認して、一層重たいため息をついた。
「いつ貰ったの」
「先ほど階下で」
「さっき報告書飛ばしたばっかりだぞ…」
仕事が増えた、と項垂れる『華月』の手から招待状を奪い取った『静月』は、名前のごとく静かにそれを読む。しばらく無言の時間が続いた後、口を開いた。
「全員で参加しましょう。『ユリアナ』はこの招待状に参加の返事をしてください。僕たち二人は『暗月』に頼んで、裏方に捻じ込んでもらいます。招待客リストも入手して、状況によっては全員拘束できるよう増員を頼むべきです」
「はー…ド派手なことになるじゃん…」
「流石に欲張りすぎでは?」
ここにいる面子はあくまで存在を消した裏の人間の集いなので、こういった表沙汰は得意ではない。しかしそれを考慮しても、派手にやるべきだと彼は言う。
「『暗月』が求めているのは決着の舞台。この茶会はそれにふさわしい。国王陛下がいるならば、彼にも役者として振舞っていただきます」
「どうやって?」
「招待客リストの人員全員、メアリースの味方をした証拠をすっぱ抜いてきます。おそらく、すでに引き抜いてある人も相当数参加すると思いますから、前日までに間に合うでしょう。それさえあれば陛下は行動に移せます。それと、バーネット嬢には予め、国王陛下に『婚約辞退』を申し出てもらいます」
『華月』の顔が死んだ。もしかしたら、彼はしばらく連勤どころか超過勤務かもしれない。『静月』が『ヨセフカ教授』である以上、平日の潜入捜査は『ホズコック』の彼がするしかないのだから。
私はエルザ嬢について心配な面があるので手を挙げる。
「それだとエルザ嬢が王家をないがしろにしたと言われてしまいませんか?」
「そこは脚本の腕次第ですね。ですが…素人ながらに考えても、王弟殿下に問題があるという話の後から『実はエルザ嬢が婚約辞退を希望していた』という話を持って来れば、彼女に向けられる『メアリースを蹴落としてまで王弟殿下と結ばれたい女』のイメージは霧散するでしょう」
「ふむ、それならばいいと思います」
そんなこんなで話を詰めていき、最終的に仕上がった報告書兼嘆願書を『華月』が携えて部屋を出ていく。彼は『暗月』にまた会いに行き、きっとあの魔王の深淵を覗かされる羽目になるのだろう。かわいそうに。
まあ、彼はそれをスリルとして楽しんでいそうな節はある。いかんせん、『宵闇』で実働を任される男だ。自分にできないことは無い――――その自信は、魔王に対しても変わらないはず。
二人きりになった室内で、コーヒーに口をつけていた『静月』が満足そうに微笑む。
「脚本はこれでよし。国王陛下のご都合もありますが、そこは『暗月』が調整してくれますから、後は待つのみです」
「あ、じゃあ服装について相談してもいいですか?何を着て行けばいいのかすらわからなくて」
「ドレスコードくらいなら教えられます」
先ほどの獰猛な瞳は鳴りを潜めた『静月』に『月光』最大の弱点である衣服の問題を解決する手伝いをさせる。どんな服がいいとか、この店で仕立てろとか、参考になりそうな話をたくさんしてくれるのはありがたい。
王国の貴族文化にやたら詳しい『静月』のルーツはもしかしたら貴族なのかもしれない。だが、そんなことは大した問題ではない。
そうやって相談を重ね、いざ服を調達しようと気合を入れたのだが――――ドレスや装飾品の類いは『宵闇』から経費扱いで指定の品が届いた。露出が控えめなドレスは上半身を白、下半身を紺色で構成され、生地に銀砂が散っている。パンプスとレースの手袋は紺色で、髪飾りは白色のレースリボン。派手すぎず、上品さを演出するセンスある品は『暗月』のチョイスだろうか。
箱の中に二つ折りの紙を見つける。中を開いてみれば、やはり『暗月』からの手紙だった。
文章を暗号表に照らし合わせて、平文へ直してから読む。
『衣類は普通に着用。髪留めはハーフアップした結び目に装着。メイクは――――』
コーディネーターか、と言わんばかりにすべて指定してくれる。本当にありがたい。これから毎日、メイクの練習をしなければ。
最後の一文を平文へ変換する。
『これはお前に似合う。思うまま、楽しんでくればいい』
「………ふふ」
想定外の言葉に、思わず笑顔になってしまった。
おお…まだ…続いている…ド素人による連日投稿…だから発生する……ヤバいミス…!(機械変換風味)
読んでくださってありがとうございます。拙い文章ですがよろしければお付き合いください。