残暑
「布津さん、家近いんです」
「ここは暑いし、この辺には喫茶店もないし、よかったら家に来ませんか?」
「なにか冷たいものお出しします」
この私の申し出に布津さんは「えっ」と裏返った声を上げた
私も思わず「あっ」と声を上げてしまった
なに男の人を突然家に誘ってるの!私?!
調子に乗って!
布津さんの目が泳いでるのがよくわかる
そうですよね、いきなり部屋に誘われたらビビりますよね
布津さんは一回大きく息を吸って吐いてからこう言った
「実は、女の子の家に遊びに行くの苦手なんです」
「トラウマがあって…」
え、またトラウマ?
「高校生のとき付き合っていた彼女の家に遊びに行ったとき、なんか野良犬っぽい子ねってお母さんが言ってたって彼女に聞かされて」
「やっぱり父子家庭だから醸し出る何かがあるのかとコンプレックスが刺激され、その子とそれ以上付き合うことができくなった」
「母親いないからって汚らしく見られたくないっていう思いが常に自分の中にあって、小学生のときから自分で服とかハンカチにアイロンかけるようにしてたのに…」
ああ、それでいつもアイロンかかった服着てるんだ
なるほど
なんか謎が解けた
それにしても
「野良犬」
「ひどいこと言うなあ…」
こんなにお行儀の良い人なのに
今日のブルーのダンガリーのシャツもアイロンかかってるし
ふ…犬っぽいには犬っぽいけど…
「野良犬と言うよりは布津さんはお行儀の良いベージュの中型犬に見える」
私は布津さんの前にひょいと 手を出してみた
手のひらを上にして
布津さんは、ん?と言う顔をして首を右にかしげて次に左に傾げていたけれど、その後そおっとグーにした手を私の手のひらの上に乗せた
すごく恐る恐る
布津さん私にお手した…
「あの…これであってるのかな?」
ほんとに困った顔をして布津さんが私に聞いた
「あってます、あってます」
「ご名答」
と言ったらハハハッと笑った
「うん、犬扱いも、悪くない」
「久しぶりに女の人の手に触った」
「…美希さん、こんなおちゃめな面もあるんだ」
「美希さんがほんとに怒ってないのが手から伝わってきた」
「よかった、ほっとした」
そう言った後本当に安堵した顔をした
素直に感情が顔に出る人だなぁ
ほんとはすごく怒ってたんですけどね…
あの時はめちゃくちゃプライド傷ついちゃったし
もう二度と男と関わるもんかと思った
けどいっぱいの後悔と反省と時間が私の気持ちを変えました
自分の気持ちに早目に気づいて素直に行動しないと損をするってわかったんだ、私
そんなわけで今の自分の気持ちを見つめてみる
会いたかった人に会えて嬉しい
今日こうして再会させてくれた神様に感謝している
あと、布津さんに適切なアドバイスをくれた荻野さんにも
みんなに似合うと言われているこの襟元にカットワークがほどこされた白のブラウス着てきて良かった
朝、何気なくこの服を選んだ自分を褒めたい…なんて思っている
そして今は結婚相談所で出会った人と結婚することになったとしてもイヤだなとは思わない
はは、少し気が早いか
初めて会った日に感じた通りにこの人と結婚することになるのかどうかはまだわからない
だけど何かが始まりそうな予感がする残暑厳しい9月第三日曜日午後二時十五分
なんだかとてもドキドキしている
おわり
派手な出だしに比べ中身はとても地味なお話でした。登場人物も地味。
それでもこうして最後までお読みいただいたことを心から感謝いたします。
ありがとうございました。
川本千根