傾く世界(承)〜思惑〜
風〜。
吹き荒れる風は時折、心地よく、時には不快感を感じさせる。
しかし傾く世界に風は吹かない。
それどころかあたりは無音。
叫ぼうがさわごうが全く響かない。
そして空気はまるで個体のように認識できる気がした。
現実世界ではどんなにあがいてもつかむことのできなかった空気は今は何故か知らないがつかめる気がしてならなかったのだ。
まるで止まった世界のようだった。
隆は次第にこの傾く世界にとてつもない愛を抱いていた。
音を感じることがない。
止まった時間にいる。
隆は音と時間の経過を極端に毛嫌いし嫌悪していた。
あれは、そう・・・
バー、レクイエム。
午前10時頃、開店前のバー。
薄暗い入り口、そこにはマスターがいて、数え切れないぐらいのお酒のボトルであふれている。
マスターはこの時間は重いまぶたを閉じうたた寝をしている。
開店前のバーはどことなく全体が眠りについているかのように静寂していた。
しかしバーは全て静寂に包まれてはいなかった。
奥から鳴り響く様々な音。
1つの音楽を奏でているようだが整合性がとれず、まとまりがない。
ドラムはリズミカルに音の響きを保ち、一定の微妙なバランスを保っている。
ほぼ完璧といってもいいだろう。
ヴォーカルギターはというと自身の個性をただただ発揮し、テクニカルかつファンキーな音を奏で続けた。
歌声はエロティックかつ甘く、それでいて激しい。
引き込まれるようなその歌声にファンキーなギター音、ドラムの音についていけてはいないがソロとしてみれば完璧だろう。
ベースはというと周囲のペースに追いつけず弱々しく変な音が混じらせながら刻んでいる。
刻むペースにはついていけているだろう。
ただ弦を抑えることに関してペースに追いつけず抑えが弱く弱々しく変な音が混じっているのだ。
おそらくベースがバンドの足を引っ張っているといっていい。
「だめだなぁ〜。たっ(隆)ちゃん!音を刻むことができても弦を抑える指がついていけてねぇじゃねぇか!!ちゃんと俺のいったトレーニングしているのっ?!」
譲治が笑いながら隆の肩に自身の腕をかけた。
「わかってますよ!でも指がどうしても追いつかないんですよ!」
隆は譲治の腕をはねのけ、右手の拳を左手の指と指の間に押し込めながら反論した。
「相変わらずだねぇ〜。おっ!俺の言った通り指のトレーニングやってくれてるじゃんっ!たっちゃん、ペースはついていけてるんだっ!まぁ積み重ねだっ!頑張れっ!」
譲治は隆の肩を励ますように叩いた。
「言われなくても頑張りますよ。あなたに言われなくても!」
隆は過剰に右手の拳を左手の指と指の間に押し込めた。
譲治いわく、指のひらき、すなわち弦の抑えるスピードをあげるために拳をつくって指と指の間の間隔を広げていっているとのことだ。
こんなものは気休めに過ぎないだろう。
しかし、ベーシストは皆そうやって腕を上げているそうだから気休めだとしてもやるにこしたことはない。
しかし、譲治にアドバイスされている自分自身に少なからず不快感を募らせる隆。
悔しいが譲治は超1流だった。
ギターに関してもベースに関してもドラムに関しても。
この譲治という男、意外にも音楽に関しては要領がよかった。
ゆえに初心者の隆は超1流の譲治の言うことに従わざるをえないのだ。
一方晴子はというと、普段の性格では想像もつかない激しい演奏を奏でていた。
突き刺さるような轟音、やがて轟音は個々を協調して音楽となる。
アンプが今にも爆発するような勢いだった。
「せい(晴子)ちゃんっ!やるじゃん!すげぇなっ!こりゃあ今すぐにでもプロのギタリストになれるぞっ!」
譲治が驚きのあまり、声をあげて晴子を賞賛した。
「いえ・・・でも私・・・バンドは未経験だから・・・それにまだ相楽(譲治)さんのペースに追いつけてないし・・・」
晴子は照れながら答えた。
こうしてみるとさっきの演奏はまるで別人が奏でていたのではないのかと疑いたくもなる。
歌声も普段とは違う。
あの有名などこかエロティックな甘い声を放つ某アーティストを彷彿させる。
「わかってんじゃねぇかっ!せいちゃんっ!あとはペース・・・そう呼吸っ!呼吸をあわせることだっ!まぁ頑張ろうぜっ!じゃあもう1回1からいくぞっ!」
譲治の仕切りでもう1度演奏がスタートした。
そしてまたバーの1番奥から音楽が流れる・・・
「ジョージちゃん・・・そうか・・・また・・・うん・・・相変わらずだな・・・あれから・・・もう・・・4年になるのか・・・」
バーの奥からまとまりのなり音楽が流れる中、重いまぶたをあけマスターが意味深に呟いた。
そして隆達は練習に練習を重ねていくうちに日々は流れていった。
日々の流れの過程で中間テストに差し掛かったがなんの問題もなくテストは無事終了し、好成績で中間テストを終えた。
オール80点以上。
バンド、ベースと同時進行で勉強をした割には悪くない成績。
幸先のいいスタートだった。
しかし、バンドは中間テストのように首尾よく進まなかった。
弦を抑える指が追いつかない。
つっかえたり、抑えたとしても不愉快な音が混じる。
練習しても上達できない。
隆ははじめて屈辱を覚えた。
今までならある程度練習を重ねれば上達し、習得し我がものとしてきた。
しかし今回は全く上達しない。
手がツルまで必死に演奏をし、聴き飽きるほど基本法を鳴らした。
音を刻めば刻むほど嫌になり、そして隆自身がもつベースでさえ、忌み嫌うものへと変貌していく。
躍起になっていつの間にかあらゆるものを左手の指と指の間に押し付けていた。辞典の背表紙、ペットボトルの底の部分、挙句の果てにはどう考えても指と指の間にはまらないものまで押し付けていた。
隆は許せなかった。
どうしてできないのか、できないはずがない。
隆ははじめて味わった。
物事において進歩しないことを苦悩し、苦汁を飲み、歯がゆさを知った。
そしてこの歯がゆさは磨こうとすればするほど増してゆく。
ある日また夜明けのバーから音楽が流れていた。
「だめだ!全然思い通りに音を刻めない!」
隆は声を荒げた。
思い通りの演奏ができない故にとうとう周りにまで当たり散らしたのだ。
「たっちゃんっ!大丈夫だっ!この前よりは格段に安定してるし、弦もしっかり抑えれているっ!」
譲治は荒れる隆を宥めた。
「そうよ!代々木君、もう誰が聴いても違和感はないよ!私たち、初心者なんだし、これだけできたら全然いい感じだよ!」
晴子も譲治に同調するかのように隆を宥めた。
「いや!だめだ!こんなレベルは納得できない!スラップ*が全体の音楽に馴染んでいない!だめだ!だめだ!相楽さん、あんたは何やらせても文句がない位レベルが高いよ!高宮さん、君も初心者とか言っときながら相楽さんと同レベルだ!2人に比べて劣っている自分自身が気にいらないんだよ!」
隆は許せなかったのだ。
今まで誰かと比べ劣等感を感じることなんてなかった。
常に高い位置で優越感にひたりながら、周りを見下ろしていた。
そんな自分が見下ろされる側の位置にいる。
気に食わないこの上ないといった感じだった。
ましてや晴子や譲治の足を引っ張っている自分が気に入らなかった。
隆は晴子の女としての異性への独特の想いを更に深めていた。
一方、譲治に対しては性格の不一致が原因で初対面より更に嫌悪していた。
晴子に隆のいいところをみせたいことと譲治を出し抜き、バンドから追い出すことで躍起になっていたのだ。
だがいまや、状況はこの理想とは全く逆の状況だ。
晴子にはいいところをみせるどころかだめな部分ばかりを露呈させ、更にバンドを追い出したいと願っている譲治に関しては隆よりも何十倍も上手でかつ万能、寧ろこのままいくと隆がバンドを追い出されかねない。
「あのなぁ・・・1ヶ月2ヶ月はじめたばっかりの奴がスラップだのなんだのって舐めてんのかっ?!俺らだって最初はお前(隆)と同じだった。何も知らない素人さ。まぁでもお前はすごいよ。1、2ヶ月しか楽器を触ってないにしては上手い部類だよ。焦るな。ゆっくり次のステップに進めばいい。そう、ゆっくり。」
譲治は珍しく声を荒げて激昂した。
「くっそぉぉぉぉ!僕は今まで何でもすぐに習得しこなしてきたんだ・・・常に優越感にひたれる部類の人間だった・・・そんな僕が・・・こんな目にあってる・・・ふざけるなっ!!」
涙目になりながら隆はその場を完全放棄した。
譲治や晴子の制止を振り切り全てを投げるようにその場を走り去った。
店を出て走り去る。
隆は全ての情景が真っ白だった。
走り去る街のひとつひとつが直視できない。
「待ちな!何処にいくんだい!」
我にかえると目の前にバーのマスターがいた。
「その様子だとジョージちゃん達と揉めた感じだね。まぁこんなおじさんでよかったら話を聞こう。」
大人の風格を傘漂わすマスター。
隆は思わずマスターの手招きを受けコーヒーを片手に土手にいた。
そしてことの顛末を話していた。
「土手っていえば、学生時代の青春、葛藤を抱えるためにあるって感じだろ?!あっ・・・今はそうでもないのかな・・・まぁいいや・・・なるほどね、タカシくん・・・これからどうするかどうかは君が決めることだ。そしてこれだけは言っておこう。ジョージちゃんは生半可な気持ちで君たちのバンドメンバーになったわけじゃない。ジョージちゃん、普段からあんなふざけた奴で・・・君みたいな真面目な少年にはあわないだろうけど本当はすごく思いやりがあっていい奴なんだ。まぁ2ヶ月とはいえ共に過ごしていればわかってるだろう・・・まぁ今回は俺はこれ以上何も言わず、クールに去ろう・・・どうするかは君が決めることさ・・・あっ!コーヒー代はツケね。」
マスターは静かに去っていった。
隆は流れる川をひたすら眺めることしかできなかった。
それからしばらくは隆は勉強に腰を落ち着けるたを
そして両親から建築のコンペを紹介されコンペに取り組むことにした。
隆は思った。
本来、これが自分自身の本来あるべき姿なんだと言い聞かせるように。
休みの日はひたすら建築雑誌の本を参考にコンペのエスキスや試作模型を組み立てた。
まるで孤独だった。
1人で机にむかって勉強する。
さみしいなんて考える必要ないはずなのに、そう隆は思う。
そして月日は経って日差しがかんかん照りの夏がやってきた。
とうとうバンド発表の日がきた。
ちょうどその日は両親の知り合いの建築家とコンペのリハーサルを行うことにしていた。
これはバンド発表から逃げるための隆の中の口実だった。
しかし隆の中ではいろんなことが脳裏に浮かんでいた。
バンドのこと晴子のこと譲治のこと。
隆はコンペのリハーサルをそっちのけでバーへ向かった。
「マスター!ベースずっと置きっ放しでごめん!僕、今からいってくるよ!今更受け入れられるかわからないけど・・・」
隆の決意をよそにマスターは相変わらずうたた寝をしていた。
隆は急いでバーを後にした。
間に合うか間に合わないかの瀬戸際の中、隆は考えていた。
どうやって晴子や譲治に謝ろうか、しばらく音楽から離れていた自身は2人についていけるだろうか。
滴る汗をよそに全力疾走した。暑さのせいで意識も遠のきそうだった。
学校へ到着し、急いで軽音部の部室へと向かった・・・




