傾く世界(起)〜序章〜
青春に捧ぐ。
目覚めると代々木隆は壁の上にいた。いや、壁というと語弊があるだろう。今は地べたというべきか。奇妙な世界だ。つい先ほどまで自らの足で歩いていたどこまでも続いていた地べたは90度傾いた壁となり、歩けるという機能を失い途方もない奈落の底になっているからだ。
「これは夢か・・・」
そう信じて、ちょっとベタな手法だが隆は自分自身の頬をつねってみた。
「痛っ!」
頬は痛みを感じ、現実を目の当たりにした。
それでもこの非現実的世界を受け入れる事ができない。
隆は眠っている間、何があったのか・・・ひたすら考えた・・・
そして疑問に感じていた。
この地べたは元々は一つの建物であったはず。
本来建物とは地べたの上にて自立するように構造計算等を綿密に考えた上で成立しているものだ。
故にどうしてこの傾く世界で建物が形として成立しているのか・・・
もっと追究すると、隆が建物の上に、本来壁としての機能を有していた地べたに佇んでいること・・・
壊れはしないだろうか・・・
もし1歩でも足を動かしてみろ・・・
地べたという名の建物は倒壊し奈落の底へと化してしまうかもしれない・・・
しかも不幸な事に隆のいる地べた狭く、更に奈落の底であるということを理解できる位置にいるということだ。
寧ろ幸いなのか・・・
もし地べたの中央に佇んでみろ、恐らく冷静な判断を怠り歩き始めただろう。
もし歩いたならば、冷静に事を整理する間もなく隆は奈落の底にいっていた可能性は否定できないだろう。
ただ、これは生きるという前向きな概念に基づかれた考えだ。
もっと冷静になって考えてみると、この奇妙な世界に生きてどんなメリットがあるだろうか。
狭い地べたには食料はない、ただあるのは以前は窓としての役割を果たしていたガラスの地べた。
所々に給水管、屋根だった出っ張りがあるだけ。
仮にガラスを突き破って次の地べたへとむかってみよう。
階段もなければハシゴすらない。
これは冒険だろう。
生きることにつながるか死につながるか・・・
話を戻そう、そもそもこの世界に生きる意味などあるのか・・・
隆は眠る前もそんな思いを抱いていた・・・
・・・
そう、それは3年ほど前のことだった。
隆は両親と3人家族の間に順風満帆な生活に満ちていた。
隆の両親は建築事務所を経営している。
隆の両親は某国立大で建築学を学びそのまま海外の大学院へ進み博士号を取得、卒業後1流企業に2年つとめた後、1級建築士を取得、1流企業を退社し事務所を立ち上げた後2人は結婚し隆をもうけ現在に至る。
両親の立ち上げた事務所はクライアントに高い評価を受け毎年卒業前の学生が弟子入りに押し寄せ、父は近年、ある大学の講師として招かれる予定だ。
そんな両親をみて育った隆は成長するにつれ自身がこの事務所をもり立てるという使命感にかられていった。
そんな両親の元で育てられた隆ももちろん無能ではなかった。
両親の血を色濃く受け継ぎ中学では学年トップ、高校も都内の1流高校へ入学果たした。
入学して間もなくのことだ。
学校の部活発表会が行われた。
どの部活に対しても一点の興味も示さず隆にとって馬鹿馬鹿しい時間に過ぎなかった。
恐らく自分と全く同じ思いの人間は
いるだろう。
早く帰って勉強がしたい、遊びたい、寝たい、食べたい様々な想いが渦巻いているはずだ。
野球部の紙のボールの千本ノックなんて何がいいのかさっぱりだ。
こんなことをしても入ってくる新入生はここにいる90人のうち、20人~15人そこそこだろう、残りの奴らはせいぜい退屈そうにしているか大道芸のような感覚を楽しんでいるだけだ。
一生懸命頑張ってる上級生の姿は哀れとさえ思えてくる。
だってこれだけのことをしたとしても皆に認められるわけではないのだから。
そして隆にとっては淡々とした馬鹿馬鹿しい時間は過ぎていった。
脳内はひたすら有名建築物で溢れかえり、欠伸がこぼれそうになったときだった。
突如、隆の胸の内に稲妻が走った。
軽音部の発表会での演奏に隆は並々ならぬ関心と興味を抱き惹かれだのだ。
とくにエレキベースに。
思いが詰まった歌詞を歌うヴォーカル、エキサイティングなメロディを奏でるギター、リズミカルかつバンドの司令塔ドラム、そしてそれらの楽器、役割に独特な低音テイストを刻むエレキベース。
エレキベースに至ってはそれのみに留まらない。
時々我こそはと高々と主張するかのように音を出す。
このハーモニー間近でみたことのない壮大さ、形にとらわれない世界観。
隆はすぐさま、軽音部に入部を決意した。
そしてあろうことか、すぐにエレキベースを購入しに楽器屋へと走ったのだ。
隆は堅実かつやると決めた事は必ず行う。
今までの隆は無欲といってもよかった、というより両親というでかい双璧を超えるという使命感しか持ち合わせていなかったからだ。
故に両親からのお金、年明けに親戚等からもらうお金にはほとんど手をつけていなかった。
強いていうなら、建築家の論文集にしか関心がなかっただろう。
楽器屋にて店員のアドバイスを元にエレキベースを購入。
そしてその日すぐに軽音部の部室にて歓迎会が行われていた。
隆は急いで学校に戻り歓迎会に参加したのだ。
この活力には周囲も陰ながら驚いてはいただろうに違いない。
「1年生の皆、ようこそ、○○高校軽音部へ!僕はこの軽音部の部長を務めます、志原良治といいます。さっきは演奏を聴いてくれてありがとう!!ベースを担当しています!バンドメンバーにはリョージって呼ばれています。よろしく!!」
部長は発表会でベースを演奏していた人だった。
爽やかな雰囲気さかつあのバンドでの冷静かつ熱い演奏、隆は部長の奇妙なバランスに魅了されていた。
部長や2、3年生の部員たちの自己紹介がおえいよいよ1年の自己紹介に移った。
お調子者、キザなやつ、おとなしめな子、変わり者、様々な個性あふれる顔ぶれがそろっていた。
がほとんどが経験者、熟練者で隆のみが初心者といっても過言ではなかった。
そんなときだった。
「1年3組、高宮晴子、中学から3年間、ギターをしていました。といってもバンドは未経験です。今回おもいきってバンドを組もうとおもって軽音部に入部しました。よろしくお願いします。」
隆はドキッとした。
長い黒髪、服の上からみてもわかる発育したての乳房、可愛らしい声、小動物を思わせるほどの愛くるしさと小顔。
隆は晴子に一目惚れした。
生まれてはじめて女を意識した瞬間だった。
進行の場にはいっても隆は晴子に話しかけられずにいた。
周囲の人たちは隆の異常なほどの活力に興味をもち他愛のない会話で盛り上げていた。
出身校や地元について、そして音楽の出会い、青春のはじまりらしい微笑ましい空間が続いていた。
「君、ベース初めたばかりなんだよね。すごいね、もうベース買ったんだ!!」
突然だった、そんな微笑ましい空間に突然、隆の顔を覗くように晴子が訪ねたのだ。
聞き心地のいい声量と声質、愛くるしい表情、そして膨よかな乳房の膨らみ。
「たっ高宮さん・・・だったっけ?!ギターの!!うん、そっそうだよ!僕は形から入るタイプだからさ。」
隆は突然の話しかけに驚きひるみそうになった。
「緊張しなくてもいいんだよ!!これから一緒にこの軽音部で一緒に活動するんだから、発表会の放課後すぐに買いにいって歓迎会のためにこっちに戻ってきたんでしょ?思い切ったというかなんというか・・・」
「いやぁ・・・すごいよね・・・自分でいうのもなんだけど、初めてなんだ・・・今まで勉強一筋だったからさ・・・自分でも思い切ったと思う・・・安物だけどさ・・・うまく演奏できる・・・かな・・・」
隆は緊張気味でチグハグな様子だった。
晴子を目の前にして緊張しているとも目の前の今後の隆自身の音楽生命への不安もあった。
「できるよ!ここにいる皆も最初は初心者だったんだし。それに音楽をはじめるって決意してすぐにベース買ってんだもん。絶対うまくできるって。私だって初心者だったし。まぁ、バンドで披露した事はないけど・・・」
会話の中で隆は妙に晴子に勇気づけられた。
物事は順序がありプロセスを構築し本題へと導いて行く、それが隆の生きる上でのモットーであり基本であった。
建築で例えるなら地盤がしっかりと固まっていてなおかつ、骨組みもされているにこしたことはないとでもいっておこう。
故に今まで隆は考えもなしに行動をすることなんてなかった。
常に綿密な計画、プロセスを作成して物事にいどむ。
今までの物心がついた時点での人生への失敗はまずなかった。
ただしこの手の順序にはまるで不得手であった。
考えたこと、ただしそれは参考書や本と向き合った上でのこと。
隆にとって勉学とは日常の朝飯程度のものだ。
容易に好成績を保持し現在に至っていた。
隆にとって勉学は自分自身の力をもってすればどうとでもなるものだと割り切っているのだ。
ただし恋やバンドは別だ。
相手の気持ちを理解する。
その行動や思考原理が重要になってくるからだ。
隆は頭の回転が常人以上に回る。
バンドは個々が優れていたとしてもチームワークや他人を信頼しあうことを怠ればいい演奏はできない。
恋は自分自身の思いだけを一方的に打ち明けたとしても空回りするしか術はない。
この点において隆自身は参考書の世界だけに生息していた井の中の蛙であることを実感していた。
自分自身の世界とはいかに狭く奥行きのないものだったのか。
思い知らされていたのだ。
そんなときに晴子が話しかけてくれた。
先にいっておこう。
隆は晴子の言葉で勇気づけられたわけではないと。
晴子の行動に勇気づけられたのだ。
晴子から話しかけたこと、晴子から音楽の話題を持ちかけたこと。
これはチャンス以外の何者でもないのだ。
そうだ・・・これは絶好の機会なのだ。
これから晴子を知っていけばいい、これからベースを知っていけばいい。
これは順序良くうまく流れてゆきプロセスの構築へとつながる架け橋になったのだ。
「たっ高宮さん!ぼっ僕とバンド組みませんか!!」
思い切ったことをした・・・
隆は素人、晴子は経験者・・・この時点で差はある。
しかし、このチャンスを無駄にするわけにはいかない。
今こそ、プロセスの構築する瞬間。
隆は前向きだった。
誰だって最初はある。
最初にどれだけ追い上げをみせるかが肝心だと思っているからだ。
そう、これから差をうめていけばいい。
晴子や周囲の倍以上の頑張りをすれば差が埋まるどころかこえることだってできるだろう。
今まで培ってきた自信を発揮したのだ。
「いいよ。私もそのつもりだったし。周りは経験者ばかりだし。代々木君と組むのが一番いいなって。」
隆は歓喜に満ちた。
この言葉を待っていた。
この言葉があればこそ次のステップへの容易な事の運びへとつながっていくからだ。
はじまったのだ。
青春が。
そして隆はこれから味わう幸せの香りと空気を感じてはいた。
帰り道、隆は晴子と共にいた。
「ドラマー、見つからなかったね。」
「仕方がないよっ!私たち皆と比べたら経験不足なんだし・・・でも皆と仲良くなれてよかったじゃんっ!いい先輩たちでよかったねっ!」
何気ない会話で過ぎて行く時間と道。
隆にとってははじめての光景だった。
女の子と並んで歩く。
そんな光景。
時間と道が過ぎれば過ぎるほど、言葉の数が尽きていく。
自分自身の呼吸と息が恐ろしいぐらい鮮明に聴こえる。
こういう時は無理に会話を作るほうがかえって場を気まずくさせてしまうのだろうか。
隆は話すという行動をやめ、無言で2人並んで家路へと歩いた。
「代々木くん。今日は楽しかったね。ありがとうっ!これからよろしくねっ!」
「うん、こちらこそっ!今日はありがとうっ!」
別れ際に晴子の背中が妙に隆の心を踊らせた。
あの狭く華奢な肩幅、これから晴子とバンドを組む。
晴子をリードできる存在でなければならないだろう。
男として。
隆はひたすら高い志とこれからの青春に意気込むのだった。
隆と晴子は制服姿でベッドの上にいた。
「代々木くん・・・寒いね・・・」
晴子は隆に1ミリの隙間もないといってもいいであろう、寄りかかりもてれる。
「たっ高宮さんっ!!なっ何を・・・?!」
この奇怪さと奇跡的な状況に隆は戸惑いを隠せずにいた。
今まで経験したこともない事態に陥っているからだ。
「えっ?今から代々木くんに私を奏でてもらうのよ・・・私はギター・・・代々木くんの指で私の身体に触れてみて・・・」
晴子は隆と向かい合い、隆の手を自身の胸に触れさせた。
それは優しく、暖かい温もり。
「高宮さん・・・だめだよ・・・僕たち出会ったばかりじゃないか・・・?!」
隆は理知的に晴子を論そうとする。
冷静さを装うことに必死だったといっていいだろう。
「代々木くん・・・無駄だよ・・・代々木くんはもう冷静さを保たずにはいられない・・・そう・・・もう私の胸を揉まずにはいられない・・・
ほら、代々木くんのステックも反応してる・・・」
「えっ?!」
そう、隆はもはや晴子の張り巡らした蜘蛛の巣に引っかかった虫同然なのだ。
晴子の弾力のある、今まで触れた事のないような感触を味わいつつ白いカッターシャツ、晴子の透き通るような白い美肌、対比するかのように長く黒い髪が輝きを放ち魅了する。
そんな晴子に隆は興奮せずにはいられないのだ。
隆は晴子の瞳を見つめ感じた。
自身の瞳には晴子が映っているはず、晴子の瞳には自身が映っているのだから。
そう、今隆は晴子と2人でいる。
誰に阻まれ、後ろ指をさそうか、いるわけがない。
隆は理性を失った獣へと化そうとした。
それを示すかのように晴子の胸を強くわしづかみ美しい唇を自身の唇で塞ごうとする。
晴子の顔が近くなっていく。
「いくよ・・・愛しのギター・・・晴子・・・」
・・・
「ん?!ここは・・・僕の部屋?!」
そこはいつもと変わらぬ目覚めの空間だった。
ベッド、机、参考書、教科書、そしてベースとベース初心者入門指南書。
あれからちょうど3週間過ぎようとしていた。
あっさり決まったと思われるであろうバンド結成だがドラマーが一向に見つからず立ち往生しているような状況だった。
晴子ともまだ友達未満ななんともいえない微妙な仲のいい仲間といったものだった。ら
バンドが結成できない中、隆は部長である部長の志原にベースを教えてもらい、帰宅後も練習に明け暮れた。
晴子とは今後、バンドで演奏するであろうリストをまとめ話し合いに話し合いを重ねた。
そうしていくうちに隆もそれなりの演奏ができるようになっていた。
物覚えのいい隆の強みでもある。
演奏に関しては隆のプロセスは着実に構築されつつあった。
しかし一向にバンドを結成するに至れないことと晴子との関係が深まらない。
あの美貌に隆は煩悩になりつつあった。
そんなこんなで苦悩と青春を謳歌していた日々であった。
今日はちょうどゴールデンウィーク。
前々から予定されていた軽音部のバーベキュー大会が開催されていた。
これは○○高校の軽音部の風物詩の一つだ。
隆や軽音部部員が総動員されるのはもちろん、OBや顧問教師も参加する盛大なイベントであった。
場所も軽井沢、東京から車でも3時間、別荘の一等地、バスツアーを予約するほど大規模なイベントであることが理解できるであろう。
早朝、6時、隆はリュックを背負って○○高校の校門前にいた。
集合は午前8時、随分早い到着であった。
それほど隆は今回の軽音部のバーベキュー大会に賭けていた。
これは第2段階だ。
この段階をしくじればおそらく今後の出来事は功をなさないだろう。
まず、高宮さんの心をつかむこと、そしてドラマーをみつけること。
校門で待つ隆はひたすらよじ登る朝日を眺めた。
この朝日が真のはじまりであることを信じて。
そして、この決意に秘めた朝日に被るかのように存在する人影をみた。
パーマがかかった頭髪、ヒョウ柄のシャツに革ジャン、ダメージの入ったジーンズ、ギターケースを片手にいかにもロッカーな男だ。
「おぉ~!お前っ!軽音部かっ!だろっ!?そうだろっ?!てかお前まだ6時だろ(笑)!!早すぎやしねぇか(笑)?!まぁ思春期だもんなっ!好きな女のことを考えたらいてもたってもいられねぇってか!わかるよ、それっ!」
隆は思った。
なんだこの飄々としていて、いい加減な雰囲気を醸し出す男は。
「そうですけど・・・あなたここのOBですか?!」
「ならどうした(笑)!俺の名前は相楽譲治っ!東大目指して4年、やっとのことで合格しそうな22歳独身だぜっ!ベイビーっ!そしていつかは東大ロックミュージシャンだぜっ!」
高らかに名乗りあげる譲治。
譲治の雰囲気に隆は圧倒されるしかなかった。
なんだ?!この自信に満ち溢れた姿は・・・
そして自身とは全く違う点を感じた。
プロセスに囚われない自由奔放なスタイル。
4浪スタイルとでもいっておこう。
プロセスに重きをおく隆とは正反対であろう。
隆にとって人生とは常にストレート1発で通過しないといけないものだ。
つまづきや挫折、繰り返しなど許されないことだ。
人間の人生とは1度きりだ。
その1度きりの人生を有意義かつ無駄のない一部始終の美をもって終えないといけない。
失敗などしたことがない故に感じる思いだった。
隆にとって譲治のつまづきと失敗を繰り返す生き方は嘲笑でしかない。
そんな譲治と残りの1時間ほど共にいなければならない。
それはある意味、笑いをこらえる意味で苦痛なのだ。
この男、間違いなく欠陥住宅のようになっていくだろうことは隆にとっては明白であった。
そうした嘲笑を堪える苦痛を乗り越えていくうちに時間はどんどんと過ぎていき、やがて人が集まっていった。
周囲は譲治の顔をみるたびに笑顔で駆け寄り挨拶をする。
部長の志原も譲治をとても慕っているのか、かなり笑顔で近況を語っていた。
こんな譲治のような計画性のないいい加減な男にどんな魅力があるのかさっぱり理解できない隆はただただ周囲を見下げるように眺めていた。
そして自身がこの見下げている連中の一員、下についていることに微かな嫌気を感じた。
そうしているうちに晴子もやってきた。
思えば晴子の私服姿はみたことがない。
控えめな晴子らしく、服装も控えめかつ女の子らしいスタイルだ。
チェックのシャツにジーンズ、帽子に鞄、全てが晴子に溶け込んでいく。
そして、昨日の夢の中の出来事を払拭させることで隆のこころの中は必死だった。
「代々木くん、おはようっ!今日は晴れてよかったねっ!」
「うっうん。いやぁ~晴天だねっ!今日こそドラムを担当してくれる人を見つけるいい機会だよね!僕っ!頑張るからっ!」
隆は晴子に対して意気込んだ。
晴子は恐らく不安になっているはず、そんな晴子を勇気づけるためにそして今日こそドラム担当を見つける。
はしゃぎ賑わうバスの中、意気込みを込めて隆は軽井沢へと向かった。
次第に都会の景色は自然へと変化していき目的地へと到着した。
軽井沢・・・
別荘の一等地。
緑が生い茂り、美しい川、空を見上げると晴天がこれでもかというぐらいに広がり続ける。
時々、雲が通りすぎていく。
高層ビルが立ち並ぶ東京では観れない光景。
こんな世界もあるのか。
思えば東京の外へでることなんていつぶりだろうか。
恐らくはじめてだ。
家族旅行はもちろん、修学旅行すら行ったことがないのだ。
隆にとって、参考書が全てだった。
誰かとはしゃぐことなんて建前でしかなかった。
両親は常に仕事であうことなどほとんどなく、学校のことなど全てお手伝いさんに任せきりだった。
隆も勉強と建築物以外無関心ゆえに修学旅行や遠足なんて無駄な時間に過ぎず欠席していた。
そんな隆にとって東京の外へでたことがない分、隆にとって高層ビルのない広がる自然の光景をみることなんてはじめてなのだ。
隆が感慨に浸る中バーベキュー大会の準備は進められていった。
「え~今日は○○高校軽音部のバーベキュー大会に参加してくれてありがとうございますっ!先生方、OBの皆さんが肉やジュース、バーベキューセットなどをたくさん差し入れていただきましたっ!ありがとうございますっ!今回もすごく盛り上がっていきたいと思いますっ!皆ありがとうっ!」
部長の志原が挨拶の言葉を送り場は盛り上がりつつあった。
同級生の遠藤や中野はアコースティックギターやハーモニカで演奏をはじめ周囲を盛り上げていた。
木々に生い茂る自然に溶け込むような甘いバラード曲が軽井沢に心地よく響いていく。
いい音色だ。
川の水の波紋が音とともに広がってゆく。
隆は晴子と2人で空を見上げていた。
「空ってこんなに広かったんだね。」
隆は何気なく晴子にそう呟いた。
とくに意味はない。
ただこの美しい広い空にぼう然とそうつぶやくほかなかった。
隆はまた自身が井の中の蛙であることを思い知らされていた。
参考書や、図鑑にはない世界が触れられる空気や現実には溢れている。
木々の風によって騒ぐ音、川の流れる音、人の声が透き通っていく。
こんな世界観は生まれて初めてだった。
「そうだね。わたし・・・思うんだ・・・空はね、無限の世界が広がってると思うの。私たちは陸に足をつけて歩いている。ずっと歩き続ければいつか海になる。海は果てしなく広がっている。そして海の向こうには私たちとは違う次元の世界がある。空はね、そんな陸と海を・・・両方を繋げていると思うんだ。どんな世界でも見上げれば空がある。それは世界共通。私はいつか空を飛べるようになりたい。そして世界を知っていきたい。私、変かな?!」
晴子は自身の理想について語り出した。
隆は思った。
晴子は壮大な理想と想いを抱いているんだと。
この想いを見守りたい。
そしてまた愛おしくなった。
世界を知ろうとする晴子に。
晴子は隆自身が考えなかった世界に対して理解しようとしている。
それは参考書にはない、生き生きとした、触れる喜びを知ろうとする想いだ。
「いいや、高宮さん。すごく素敵なことだと思う。僕さ、実は今日まで東京から外へでたことがなかったんだ。本当に初めて。外へでなくても本でみれば全てを知ることができると思ったからさ。でも違った。外は東京とは違う空気や匂いが漂っている。それに空が広く壮大であるということ。僕は生きているうちにそのことが知れてよかった。」
深々した雰囲気だった。
2人の間に周囲の声は遮断されていった。
まるで恋人のように親密に寄り添っていこうとしていた。
「おうっ!お前らっ!ラブラブじゃねぇかっ!軽井沢のアベックスポットを紹介してやろうかっ?!」
譲治が隆と晴子の間を割ってはいるかのように絡んだ。
隆は思った。
この男は空気を読むということを知らないのだろうか。
いや、この言い方からして意図的に絡んできたに違いないと隆は内心苛立ちを感じた。
「ぜひ、紹介してもらいたいものです。できれば、あなたに会わない最高のアベックスポットに。何の用ですかっ?!」
隆は嫌味をこめて譲治に問いかけた。
「それ嫌味かいっ?!きっついねぇ〜。まぁまぁそう怒るなよ〜。メルヘンな話してる最中に割って入ってすまんかったっ!まぁお前ら2人にとって朗報があるんだっ!」
譲治は得意気な表情で隆と晴子をみた。
隆は嫌な予感を感じとっていた。
「いいですよ・・・もう。朗報ですか。今の僕にとって最大の朗報はあなたが僕の前からいなくなることだ。そう、例えば頭が痛くなって1人寂しく帰りますって感じの。」
隆はさらに嫌味をぶちまけた。
「代々木くん、相楽さんに失礼だよっ!なんでそんな突っかかるの?!」
晴子は嫌味のすぎる隆を窘めた。
「だよなっ!ったく!まぁ俺とたっちゃん(隆)だと性格あわなさそうだもんな(笑)。まぁ聞けっ!お前ら、ドラマー探してんだろっ?!喜べっ!俺がドラマーになってやるっ!まぁたっちゃんは嬉しかねぇだろうが、まぁそういうことだっ!」
隆は露骨に嫌な表情になった。
なぜ、この男とバンドを結成しなくてはいけないのか。
不快でならなかったのだ。
「はぁ?ふざけないでくださいよ!なんであなたと一緒にバンドを結成しなきゃいけないんですかっ?!第一、あなた東大受験どうするんですか?!次落ちたら5浪ですよっ?!」
隆は思わず声を張り上げて物申した。
「東大受験なんて落ちたらまた受ければいいだけの話さ。死ぬまでにやりたいことができればそれでいいじゃねぇか。それにだ、俺はやりたいことは是が非でも全部やっちゃう男だっ!もし志半ばで俺自身がなくなることがあったとしても全力で生きていたならそれは本望さ。お前ら、3年間なんてあっという間だぞっ!やりたいことはしっかりやっておけっ!このままバンドを結成しないまま終わっていいのか?!おそらく今のまんまじゃ誰もお前らとは組んでくれねぇぞっ!1年間だけでも我慢しろっ!そしたら必ず、お前らの描いた未来がみえるはずだっ!俺が魅せてやるっ!保証するっ!」
譲治は真剣な眼差しで隆と晴子に訴えかけた。
隆はまたただただ圧倒されていた。
「偉そうなこといって!なんであんたに保証されなきゃいけないんだっ!」隆は思わず部長の志原の元へ走った。
「志原先輩っ!なんで僕らはあんなobと組まなきゃなんないんですか?!もっと他にいるでしょっ!他にっ!」
「そう言うなよ。相楽先輩は超一流のアーティストだよ!それに受験で忙しい中、自らお前らのドラマーやるっていってくれたんだっ!俺も保証するよっ!相楽先輩はとてもいい人だからさっ!」
「そうだよっ!代々木くん・・・せっかく相楽さんがそう言ってくれてるんだから・・・」
志原は穏やかな表情で隆を諭した。
一方晴子も困り顔で隆を宥めた。
流石に普段からお世話になっている志原の言葉と仲間である晴子の言葉に隆は従わざるをえなかったが。
「わかりました。そこまでいうなら相楽さんと組みましょうっ!ただし、テストをしますっ!7月の終業式の日に僕らは軽音部の皆に音楽を発表しますっ!そこでもし皆が僕らに一定の評価をあたえてくれるなら相楽さんと組みましょう。ただし、もし最悪だったら2度と僕の前には姿をみせないでもらいたいっ!」
隆は言い切った表情を見せつけた。
さぁどうでるか。
ここまで嫌な奴であることを見せつけると流石にバンドを組みたがらないだろう。
まぁ晴子も幻滅してしまうであろうリスクは背負っているが、何にせよ、こんな正反対の自身、晴子と譲治が組んだところでいいものなんてできるわけがない。
「わかったっ!じゃあ俺とお前らで最高の演奏をしようじゃねぇかっ!まぁ悪いようにはしねぇっ!聴いてろっ!」
譲治はキメ顔で宣言した。
隆は感じた。
ここまで露骨な態度を示しているのに未だに譲治自身は一点の曇りもないことにただただら呆れていた。
「決まりだねっ!じゃあ、7月の終業式に軽音部の部室にて、隆と晴子、相楽先輩によるバンド発表とする。まぁ頑張れ。俺も応援するっ!」
志原は軽く当たり障りのないように
労いの言葉をかけた。
「代々木くんっ!まぁいいじゃないっ!私たちやっとバンド結成だよっ!頑張ろうねっ!」
晴子は優しく隆にそう言うのだった。
こうして、バーベキュー大会の日に前途多難だが隆にとって初のバンド結成が成された。
隆はこの広い空に譲治の姿が被るようで不快だった。
まるで自然の姿を妨害するあの高層ビルのような気がしたから。
譲治の存在が隆自身と晴子との関係に不協和音を響かせる気がしていた。
・・・
そう、あの日が隆の地べたが傾く最初の瞬間だったのだ。
そして、傾いた世界の中で隆はみた。
あの時みた、広大な空は今、横を向けばそこにある。
今なら晴子が望んだ空を飛ぶという人間では不可能な行動ができるのかもしれない。
しかしまだ隆は片隅に佇むことしかできなかった。
そう、まだ。




