父と母の馴れ初め(10)
「あの、旦那様……。」
無礼を承知でバルコニーの柵にもたれ掛かる旦那様に声をかけました。
「これ、聞いていてお楽しみでしょうか……」
「もちろんだ!」
先程までのぐったりした様子とは打って代わり夢中になって見下ろす旦那様に気づかれないように、ため息をつきます。
何を見下ろしているのかと言えば、下の階のベランダでお茶をしている奥様とリリーお嬢様です。
旦那様が連日昼も夜も関係なく奥様とああだこうだをするものですから、溜まりに溜まった仕事の山を片付けていた最中に突然、旦那様が跳ね上がりバルコニーへ出たと思ったら、わいわいとお二人の馴れ初めを語っておられる奥様の話を楽しそうに聞き始めました。
その話というのがまだ私も未熟だった頃のもので、私は自分の名が出る度に恥に耐えていましたが、旦那様は逆に気分が上がっているようです。
正直ご自分が結婚前に奥様を孕ませた話を何故平然と聞けるのか分かりませんが……。
肩身の狭い思いをしながら思い出します。
奥様が妊娠したことを知った日のことを。
あれは雨上がりの午後でした。
旦那様が仕事で王宮に出かけられていた時、いきなり奥様がお倒れになったのです。
思えば朝から顔色が悪く、何度も口元を抑えていた気がしますが、当時の私共はそれに気づけず、使用人一同生きた心地がしませんでした。
サラとカロンなど半泣きになって、私も旦那様のカップを三つ割る勢いで焦っていました。
公爵家にいた全員が奥様の部屋に集まりました。主治医が邸宅内にいたので、すぐに奥様を診させて、結果を聞いた時、愕然としたのを覚えています。
まず、奥様は元気でいらっしゃます。命には関わることではありません。と主治医が言った時にサラとカロンが座り込み号泣し始めました。
皆が涙を流し、私自身も座り込みそうになった時に、主治医が震えながらこういったのです。
双子の赤子を妊娠しておられます…………。
その途端泣き声はぴたっとやみ、座り込みそうになっていたのを忘れ、ただぽかんと立ち尽くしました。
涙など皆引っ込んだでしょう。奥様が呆気にとられている私たちの顔を困ったように見つめていました。
「……あの時は本当に驚きましたよ。」
「ん?」
こちらを振り返った旦那様に苦笑で返します。
「奥様の妊娠が発覚した時です。」
「ああ。…………あの時は本当に焦ったなぁ。」
焦った、と言うと子供が出来てしまったことを煩わしく思うクソ男の発言のようにも思えますが、旦那様の場合はもちろん違います。
「妊娠を報告してくるアンナの可愛らしさと、いつの間にか身につけていた母親らしい雰囲気への衝撃と、子供が出来たという嬉しさに倒れて……」
「三日間お休みでしたね。」
王宮から奥様のために早く帰りたいが故に徹夜で公務をこなしていたせいもあるかと思いますが。
今となっては笑い話です。
奥様の話も終盤に差し掛かってきたようで、旦那様が身を起こした時でした。
「まぁお母様から誘ったのだけれど」
「は!?」
奥様の軽やかな声が聞こえて来て、思わず衝撃の声を上げてしまいました。
てっきり旦那様が先に手を出してしまわれたのだと思っていましたが……。
「奥様……。」
唖然として頭を手をやります。それを見た旦那様がまるで悟りを開いたかのような穏やかな顔をしながら私の方を向きました。
「クリス、……お前、心から慕っている女性が夜ネグリジェ姿で来て、「貴方が欲しいんです」と言ってきたら我慢できるか?」
赤面して頷くしかない。
「…………出来ません。」
こんな会話は絶対に女性には聞かせられませんね、と思いながら笑うと、旦那様もつられました。
「…………………………。」
春らしい風が吹き込んできて、旦那様の金の髪を揺らします。
私がここへ来た時のあの旦那様が、まさかこんなに愛に溺れる方になるとは思ってもいませんでした。それぐらいに若かりし頃は人間不信になっておられました。
それが奥様と出会われて、お子様を三人も授かって、こんなにも人を愛するお方へ成長なされました。
歳はほとんど同じですが、兄のような目で旦那様を見てきたことを伝えたら、旦那様はきっとお笑いになられるでしょうね。
「アンナ、リリー、風が冷たいから、風邪をひかないようにしてくれ。」
「まぁあなた?いつから聞いていたのですか。」
「初めからだな。すぐそっちへ行く!」
「駄目ですよお父様、お仕事残っているのでしょう?」
「もう終わらせてあるよリリー。」
「えっ?いつの間に終わらせたのですか!?六日分溜まってましたよね!?」
「まぁクリスもいたのね?ちょうど良かったわ。クリスだけいらっしゃい。」
「アンナ!?何故クリスだけ。……」
「内緒です〜」
「リリーまで……。クリス、」
「すぐ参りますね!」
「ちょっと待てクリス!」
部屋から出ていく振りをして、曇ってしまった顔を旦那様から隠します。旦那様ならリリーお嬢様を何がなんでもお守りになると思いますが、それでも心配なのです。
一週間後はリリーお嬢様の十六回目の誕生日です。
洗礼祭の日が刻刻と迫ってきていました。
どうかこの温かさと幸せが、永遠に続きますように。




