特別編:父と母の馴れ初め(2)
時は遡り、二十二年前
アーサー・べドフォードとアンナ・ラルッツェの、出会いの物語である。
ドンッッ
「きゃっ!」
バランスが崩れ、手をつく暇もなく地面に倒れ込む。幸いしゃがみこんでいたためあまり衝撃はなかったが、花壇に倒れ込んだからドレスは汚れただろう。もともとサイズの合っていない、継ぎ接ぎだらけの古いものだけれど。
「アンナ、妹の精霊を奪うんじゃないといつも教えているでしょう。」
私を突き飛ばした張本人、継母が仁王立ちをして私を見下ろした。集まってきてくれていた精霊たちが、継母と、その後ろにたつ義理の妹、ローズに向けて敵意を持つ。それに気づいて、二人に気づかれないように手で制した。
ローズは今十五歳で、子爵家からの縁談がきている。大事なその顔に傷でもついたら可哀想だし、倍以上の仕返しが待っているはず。
……その縁談の相手は、わたくしだったはずのものだけれど。
アンナ・ラルッツェ。今年で十七歳。ラルッツェ男爵家の一人娘、だった。
お母様が亡くなって、お母様の妹だった今の継母がお父様と再婚してからローズという妹ができて、長女となったわけだけれど。
継母とローズは私のことが大嫌いだった。ことあるごとにわたくしを陥れようとしてくるし、わたくしが精霊に愛されているから、その精霊を自分達のものだと言い張る。
お父様はお母様を亡くしたショックでまともな会話ができる状態ではなくなり、ラルッツェ男爵家は継母とローズのものになってしまった。
わたくしの力ではどうすることもできずに、時間だけが過ぎていく日々だった。
「この子達は誰のものでもありません。わたくしのものでもないし、もちろんローズのものでも」
「アンナ!どうして私のことこんなふうに扱うの!?酷いわ、義理でもお姉様じゃない!」
ローズが泣き崩れ、継母がその肩を抱く。
ちなみにここは街中だ。辺りに何事かと見物する人もいるし、賑わう店が立ち並ぶ道の端でもある。こんな所で泣いている可憐な少女と、その子を庇うようにしている母親らしき女性。そしてその二人の目の前にいる泥だらけの陰鬱な女。
ここまで揃っていれば十分、わたくしが悪者になる。
普段家に閉じ込めていると思えばたまに連れ出し、こうしてわたくしの株を下げる。いつの間にか、ラルッツェ男爵家の長女はわがまま娘で、嫉妬深く、悪女のようだと囁かれるようになった。
初めはどうしてこんなことをされているのかが分からずただ呆然としていたが、今では何も感じなくなってきていた。
「大丈夫ですか?」
後ろから声がかかった。
今日は運がいい日みたいですね、ローズ。
明らかにわたくしにむけてかけられた声だけれど、振り向くことなくじっとしていれば、泣いていたはずのローズが進み出てくる。
「大丈夫ですわ。ちょっとした姉妹喧嘩ですの。精霊たちも、ごめんね。驚かせてしまって。アンナは本当は優しい子だし、これ以上は何もしてこないと思うわ。大丈夫だから、行って。」
まるで聖女であるとでも言うかのように優しい笑みを浮かべて、私のために集まってきてくれていた精霊たちを返している。
そうすれば大抵、男はローズに釘付けになるのだ。
「精霊に愛されているのですね。」
「ええまぁ。」
恥ずかしそうに頬に手を当てる様子は、初心で可愛らしい令嬢そのもの。
子爵家からの縁談をうけていても、ローズはこういうことを辞めない。隙あらばもっと上の位からの縁談をと、狙っているのだ。
「私はローズ・ラルッツェと申します。ラルッツェ男爵家の次女です。」
「私はクリス・ロークウェンです。ロークウェン子爵家の長男、ご存知ないと思いますが。小さな家門ですので。」
「クリス様とおっしゃるのね、素敵。」
子爵家だけれど、長男であるということ、物腰が柔らかであるということ、何より好みの顔であるということから、ローズは落としにかかるみたい。
今の何が素敵なのかは分からないけれど、きっと相手の方は嬉しがるでしょうね。ローズは本当に可愛らしいから。
「それで、」
男性がしゃがみこんだ。私と目線があう。今までこういったパターンはなかったため、驚いていると、手を引っ張られ、花壇から救出された。
男性の手まで泥に汚れてしまう。
「も、申し訳ありません!貴方様の手まで汚れてしまって……!」
「いいんですよ。そんなことは。お怪我はありませんか?」
ぽかんとしてその穏やかな顔を見つめる。
どうしてこの方は私を助けているのかしら?ローズの虜になっているはずでしょう。どうして煌びやかなドレスに包まれるあの子じゃなくて、古びた布切れのようなドレスを着るわたくしなのかしら?
その様子を見ていたローズは顔を真っ赤にしながらも怒りを堪えるように手をにぎりこみ、震える声で言った。
「クリス様はお優しいのですね。この後お茶でも如何ですか?もちろん母ぬきで。」
二人きりということはデートのお誘い。ローズからのこの言葉を聞けば必ず有頂天になってわたくしの存在など忘れたかのようにどこかへ言ってしまうのに、この方は違った。
その言葉は聞こえているはずなのに、ポケットからハンカチを出して、擦り傷ができている私の手に巻き付けてくださった。
「あ、あの、」
「この女性の手当をしなければ。どこか水道のある所へ行きましょうか。」
真っ白なハンカチが柔らかくわたくしの手を包み込む。こんな風に接して貰ったことがなくて、動揺してしまった。
今までそんなことはなかったのに、急に何か恥ずかしくなってきて、無理やり立ち上がろうとする。
「お、お気持ちは有難いのですが、妹と楽しんできてくださいませ。わたくしは大丈夫ですので。」
「そうですわ。お姉様はこの後予定もありますので、あそこにある家の馬車で先に帰ります。クリス様、私とお茶しましょう。」
わざとらしくローズが腕に絡みつく。ぎゅうっっと爪がくい込んできた。
怒っている。飾り立てた自分ではなく、みすぼらしい姉の方に興味を持たれたから。
顔をしかめてしまわないように我慢して、馬車の方を振り返る。
「さぁ行きましょう!ケーキはお好きですか?」
凄く焦っているし、わざとらしいし、そんな態度ではその方でなくとも怪しむであろうローズの態度だけれど、今はそれをフォローする気にはなれなかった。
「…………そうですね。ケーキは好きです。」
「やったぁ!私と同じですね!気が合うと思いませんか?」
………………やっぱりローズと行くんじゃない。
もしかしたら誰にでも優しく接する紳士を演じたかっただけなのかも。
そう気づいた私は、馬車に乗るふりをして回り込み、いつも通り邸宅までの長い道を歩いていった。




