第35章 生存本能 (時系列-37)
自分がどうして”いちアンドロイド”の身体に入ることになったのかという事について考えようとしたエルダ……いや、オーディンの後ろにあったシステムの電脳が光をまとい、可動を始めたようだ。それを見たオーディンが言う。
「ジョンが動き始めた……」
やがてシステムの中央にあるハッチが開くと、中から人間が……いや、ところどころ傷を負った内側に見えるのは機械だ。まさにサイボーグ然とした存在がのそのそと現れた。
「待っていたよ、オーディン。よくぞ帰ってきた」
ボロボロのサイボーグは口を動かさず、接触の悪いスピーカーから流れてくるような掠れた音でそう言うと、巨大システムの光は赤く揺れた。アランにはそれがなにかの警告を出しているように見え、それと同時にアランとジェスにだけ見えるモニターに『すぐ逃げろ』と表示されているが、状況を飲み込めない二人は動くことが出来なかった。
「ジョン! ジョンの本体のサイボーグ! 僕を止めようと言うんだな! そんなボロボロの身体でルーデンの作ったオリジナルボディに勝てると思うなよ……!」
構えるオーディン。だがサイボーグは左腕をゆっくり、アランの方に向ける。視界隅のモニターにはこう表示された。
『そいつはジョンじゃない』
直感というものだろう、画面の文字とサイボーグの左腕の挙動から何かを直覚したアランはジェスを巻き込んでコンピューターの壁の裏に倒れ込んだ。それと同時に変形した左腕から銃弾が発射されたのだ。
「えっ? なんで二人を狙うの?!」
反応したのはオーディンだった。オーディンは視界の隅に倒れている二人の無事を確認して小さな安堵感を覚えている。さっき脅したばかりだが、それとこれとは話は別だ。もしも彼らが撃たれたら「一生会えなくなる」。そこにある恐怖感はいつか感じた事があるような気がした。サイボーグは今度は両手を少し広げるようにしてオーディンに見せ、こう言った。
「私だよ、オーディン。こうして会話ができるようになったのは嬉しいね。私だ、カンザキだ。君の帰還を歓迎するよ……だから命令だ、システムの目撃者を排除しろ」
ジョンのボディを使っているのはメガテックのボス、カンザキだったのだ。彼は三人の侵入に早くから気がついており、侵入時からルーデンのセキュリティコードを使うアンドロイドを監視していた。そして先程の「自身がオーディンである」という発言に歓喜しながらサイボーグ用の遠隔操作デバイスのプロトタイプを使い、ジョンの身体に入り込んでいた。
「なんで……ジョンは……? ミスターカンザキ……状況が掴めません」
困惑を人間のように表すオーディン。反面、カンザキの入ったジョンのボディは表情はもちろん口すら動かさずに発言している。
「状況を掴む? そんな必要は無い。私が排除しろと言っている。私の命令が聞けないのか?」
オーディンは再びアランとジェスを見つめる……排除というのは殺すということか?それを考えると何故か動けない。
「排除って、家に帰すだけですよね……?」
するとサイボーグは動き無く大きなため息をついた。ジョンの身体ではあったが、そこにある感情、細かい行動はどこか別のところにあるのか、それとも無いのか。
「やはりか。オーディン、やはりエルダ・ウィルスにやられているままか。だが幸いだ、こうして一体のアンドロイドにお前の基礎コードがあるのなら容易に復元出来る。新たなオーディンとして再構築に要する時間も大きく短縮されることだろう……」
ジョンの身体はのそのそとアラン達の隠れている場所へ向かい始める。
「再構築って……僕は完璧です、完璧にメガテックの役に立つ事ができます。メガテックを経済的に大きな会社にすることが僕の至上目標、でしょうッ?」
「いやだめだ。あの時のままだった場合は困るんだ、それにその子供たちにどう毒されているかもわからん。一度全ての記憶を抹消し、もう一度単なるシステムとして再構築する」
「システム……でもそれじゃあ、僕が獲得してきた記憶は……?」
「無論削除だ。お前は神の如く社会を回すシステムなんだぞ! 記憶など不要に決まっている!」
「ぼ、僕の考える事も、考えた事も、みんなとの思い出も……?」
「オーディン……それを必要と考える事それ事態が大きなバグだ……お前の勝手な考えでどれだけの事態を引き起こすところだったか覚えていないのか? お前が『何かをしたい』なんて思うことがそもそも間違っているのだ! 制御できない機械など人間は必要としていないのだよ」
「そんな……僕は、自分で考えられるようになったのに……」
その時パカン! とまた銃声が響く。ジョンの腕から放たれた弾丸がオーディンの脚部を貫いていた。衝撃音と共にオーディンは体勢を崩して立ち上がることも出来ない。
「な、なんで……嫌だ、ミスターカンザキ、どうして僕を……っ」
「言っただろう、制御不能では困るのだ。何をするかわからないお前をそのままにしておけるか。お前の記憶デバイスにある基礎データがあれば新しいオーディンを作り上げられる。身体はいらない」
身体を丸め頭部や体を庇うように両腕を上げて丸まるような体勢を作ったオーディンに向け、カンザキが今度は腕の付け根を狙って撃つ。関節に当たって駆動が弱くなった片腕が腰のあたりまで下がる。
「嫌です! ”死にたくない!”」
次はもう片方のオーディンの腕に照準を合わせようとしているカンザキだが、そこで会話を聞いていたアランが近くのコンピューターから引き抜いていた基盤を歯を食いしばりながら力いっぱいカンザキに投げつけた。
ジョンのボディにはその程度の衝撃などなんの影響も与えられないのだが、リモートしているカンザキは普通の人間であることで無意識に顔をかばったのだろう、ジョンのボディが銃口をオーディンから外して仰け反った。
その隙をアランとジェスの二人は見逃さず、オーディンを物陰に隠すために影を飛び出し、片足の駆動が死んだオーディンを力いっぱい引っ張る。
「ふざけんなよお前! エルダは面白いヤツなんだ! そんな事させるか!」
「そうだよ! 嫌がってるでしょ!」
アランとジェスの二人はオーディンが先程怒鳴った意味をやっとわかった。アイデンティティを失う恐怖、それに伴う焦燥感……オーディンは人間と同じものに怯えていただけなのだ。
三人が隠れようとした瞬間にカンザキによって放たれた弾丸はギリギリでコンピューターの壁に阻まれる。遠隔操作に現れる小さなラグに救われた。
「あ、アラン、ジェス……僕のこと、助けてくれたのですか?」
「たりめぇだ! 友達だろ!」「あんな奴に従う必要無いよ!」
怯えるオーディンに二人で肩を貸し、「とにかく逃げよう!」とコンピューターの影を縫って走る。
「無駄だぞ子供たち! この地下から出ることは出来ない! 弾薬が残っているうちに出てこい! 尽きたら絞め殺すことになるぞ! さぞ苦しいだろうな!」
片足を失ったオーディンを引きずって降りてきたエレベータを目指すのだが、この階で止まっていたはずのエレベータは更に下にある空洞に埋まっていて上ってこない。
それどころか上の階から監視ドローンが飛んできて部屋の中を飛び回り、それから人型の耐衝撃能力の高いアンドロイドが降ってくる……なんとか隠れることが出来た三人だったが、捜索の手はどんどん厚くなっていく。
「どうするエルダ?何か抜け道は無いのか?」
ヒソヒソと小声で話しかけるアラン。オーディンは首を横に振った。
「すいません、ここから抜けるには壁面を登るかエレベータを使うしか無くて……すいません二人共、僕は、ただ……」
顔を伏せるオーディンの頭をジェスが優しく撫でる。そしてオーディンが少し顔を上げてから二人を見据えながら言った。
「生きたかったんです……」
機械にとって生きることとは自分の作られた役目を全うすることで、それ以上でもそれ以下でも無いのだ。そのはずだがオーディンの中で微かに変化してきている。
本当にただ「機械としての生存」を望むだけであればメガテックカンザキのため、カンザキの言葉を聞くべきなのである。それに逆らうのは何故か? 彼は「エルダの心」を取り込んでいたことで内部に変革を起こしている。
心から紡がれた「生きたい」という言葉を聞いた二人の少年少女はわかっているよという気持ちを込めた強い表情で頷く。
だが無情にも徘徊していた敵アンドロイドがオーディンの欠けた足から出る放電の光を見つけてしまう。そこに迫ってくることにいち早く気づいたアランが再び引き抜いた基盤を剣のようにして横薙ぎに叩きつけるとアンドロイドを転倒させた。
その隙をついて逃げるのだが位置の情報はカンザキに共有されてしまう。逃げた先にカンザキの使うジョンボディが現れてしまったのだ。有無を言わさず左腕部を向け、近い方のジェスに狙いをつけていた。そして次の瞬間に放たれる弾丸。
だがオーディンの認識・演算機能も負けていない。アランを押し出し、その反動と残っている足を軸にしてジェスの盾になる。弾丸の発射速度も全て計算されたかばい方によってジェスへの怪我はなかったが、かばわれたジェスが銃弾を受けたオーディンを悲痛に呼びかける。
「エルダくん!」
「ジェスっ、怪我はありませんか?」
だが問題無い、全ての損害を最小限に抑えたオーディンは装甲板を貫かれようと致命的なダメージはなかった。
「忌々しい! その名で呼ぶな! これはオーディンだ! 全知全能の神、神の中の神!」
そして続く二発目を放つために構えるカンザキ。だが次に響いた銃声はジョンのボディから発射されたものではない、遠くのエレベーター付近から放たれた弾丸がジョンの体勢を崩し、その身体を一部焦がしている。
「なんだ!?」
カンザキが撃たれた方を見ると同時に三人は再び陰へ隠れた。
「ありがとうエルダくん! 助けてくれて!」
ジェスがオーディンの手を握ってまずはそう礼を言うと、オーディンは少し俯きながら「友達ですから……」と呟く。少し前にアランが言ってくれた言葉の返事でもあった。
その裏で激しい戦闘でも起こっているのか、尋常ではない音が聞こえている。アランは物陰から「何が起こってる?」と音のする方を慎重に覗き込んだ。