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第六章 時劫の迷い子(4)

 大聖堂(ルシード)領内はある程度交通が整備されているので、ベルモンドの町を後にした一行は馬車で東進した。リリィとコアは途中で別行動となり、馬車を降りたマイル、クロム、ラーミラの三人は徒歩で捨山を目指していた。リリィとコアが別行動をとることを事前に知らされていなかったマイルは少しの不満と大きな不安を抱き、先を急ぐラーミラに声をかけた。

「コアと二人にして大丈夫だと思いますか?」

「リリィちゃんのこと?」

 歩みは止めずに振り返り、ラーミラは速度を落としてマイルの隣へ並ぶ。マイルが頷くとラーミラは淡白に私見を述べた。

「たぶん大丈夫よ。リリィちゃん、すっきりした顔してたじゃない?」

 ラーミラの言うように、別れ際のリリィには取り乱したり落ち込んだりしている様子はなかった。だがリリィが平静さを取り戻していたことこそが、マイルには不可解に映ったのであった。

「あんなことがあった後で、そんなに早く立ち直れるものですか?」

 女性の心境には理解が及ばないのでマイルは率直に尋ねた。ラーミラは吹き出してからマイルに笑みを向ける。

「さあ? そういうことは本人次第なんじゃないかしら」

「……難解ですね」

「嫌がってる素振りもなかったし、リリィちゃんのことは心配しなくても大丈夫よ」

 ラーミラに断言されてしまったのでマイルはリリィの話を終わらせた。代わりに、マイルは気にかかっていたことを問う。

「先行するのはいいですが、山の中に入ってしまってから合流出来るものですか?」

 別れ際、コアはラーミラに目印を残しながら進むよう指示をしていた。だがそれしきのことで合流が可能であるのか、マイルは怪しく思っていたのである。しかしラーミラはあっさりと頷いた。

「露宿の跡でも頼りに来るわよ。冷えることだし、夜は盛大に燃やしましょう」

 ラーミラの発言はどこか物騒な響きを伴っており、返す言葉のなかったマイルは閉口した。話が一段落したところで、それまで黙っていたクロムが口を挟む。

「博士、聞きたいことがあるんですが」

「あら、なぁに?」

 さらに速度を落とし、ラーミラは後方を歩くクロムの傍へ寄った。マイルは振り返らず耳だけを傾ける。

「コアさんから大聖堂が閉鎖的な組織だということを聞いたんですが、僕はもう大聖堂に所属する身になっているんですか?」

「ああ、そうそう。そのことを言ってなかったわね」

 ラーミラの口調は忘れていたと言わんばかりであり、マイルは背を向けたまま苦笑した。堅物な組織に身を置いていてもコアとラーミラは例外的に奔放である。

「調査部所属よ。これからは大聖堂関係の場所で情報が欲しい時は私の名前を出して助手だって伝えればいいわ」

 もっとも、コアが一緒ならばそんな機会は滅多にないだろう。そう付け加えてラーミラが話を終わらせたのでマイルは足を止めて振り返った。

「あの山ですか?」

 前方にはすでに低山が見えている。マイルが指している山を仰いだラーミラは頷き、再び歩を早めた。

「いくら積雪が多くないからって雪解けまで待つべきよね。本当、大聖堂って融通がきかないんだから」

 文句を零しながらもラーミラには足を止める気配がない。好奇心旺盛なラーミラの姿に呆れと尊敬を同時に感じながら、マイルはクロムが追いつくのを待って歩き出した。







 捨山を通り過ぎてからさらに東進したリリィとコアはその後、南へと進んだ。二人が現在いる場所は髑髏の顎と呼ばれる大陸の突起部に近い、大聖堂領の東域にあるミラーという町である。初めて訪れた地をコアに連れられて歩きながらリリィは無言を貫いていた。

「ここだ」

 そう告げてコアが足を止めたのは民家と思しき母屋と半円が盛り上がった形の別棟が敷地内にある場所であった。店のようであったが看板などはなく、どのような場所か分からなかったリリィは眉根を寄せる。すでに陽は暮れていたがコアは通い慣れた足取りで母屋へと侵入し、声を張った。

「テツ! テツ、いねえのか!」

 コアが呼びかけるとすぐさま、奥から人が出てきた。三十代から四十代と思しき男は季節はずれなほど汗を滴らせており、上半身は裸という出で立ちである。

「テツテツ言うんじゃねえ」

 テツと呼ばれた男は不機嫌そうに顔を歪めながら言い、頭に巻いていた布をほどいて顔の汗を拭った。相手の機嫌など気にしていないコアは平然とした態度でテツに話しかける。

「相変わらずむさいな。ま、元気そうでなによりだ」

 口を動かしながらもコアは袖の留め具を外して腕をまくりあげた。露わになったコアの腕を、リリィはじっと見つめる。コアの両前腕には金属製の篭手(こて)が装備されており、二度ほど顎にくらった痛みの正体はこれかと、リリィは思った。

 コアはさらに両足にも、金属製の脛当てを装備していた。四つ全てを外したコアは室内に備え付けられているテーブルの上にそっと置く。するとテツがテーブルへ寄り、人差し指ほどの小さなハンマーを取り出した。テツはコアの装備品に軽くハンマーを打ちつけ、音に耳を澄ましている様子である。

「……叩きなおさないと駄目だな」

 やがてテツはため息混じりに独白した。テツが装備品から顔を上げたのでコアはリリィを指しながら口を開く。

「こいつにも同じもの、頼むわ」

 コアの言葉を受けたテツはリリィに顔を向け、ゆっくりと歩み寄った。テツに無言で腕を捕らえられたリリィは身動ぎそうになったが息を呑みこんで堪える。テツはリリィの前腕を軽く握った後、両足にも同じ動作をした。

「一つ五キログラム、といったところか」

 作業を終えたテツは立ち上がり、コアを振り返る。解放されたリリィは緊張を解きながら、同じくコアを見た。コアはテツに頷いて見せる。

「ま、そんなもんだろ。筋肉が増えることも考慮してくれよ」

「少し緩いくらいで作る」

 テツの提案に同意した後、コアはリリィを振り向いた。

「一つ持ち上げてみろよ」

 コアが顎でテーブルを指したのでリリィは篭手を一つ持ち上げてみた。黒い光沢を放つ金属の篭手は想像以上に重く、リリィは驚きながら手の内にある物を見つめる。

「一つ十キロだ。全部着けると体重の半分くらいだな」

 テーブルを傷つけないようにゆっくりと手にしていた篭手を戻し、リリィは呆れながらコアを振り返った。

「こんなの着けてたの」

「分からなかっただろ? これが仕掛けだ」

 足腰を鍛えることもさることながら、肌に直接装備していれば防具を身につけていないと見せかけることも出来る。相手を油断させることが出来るので実戦には役立つが、そのためには錘をつけていても平素と変わらぬ動作が出来なければならない。コアはそう語った。

「そうだ、こいつも見てくれよ」

 コアは思い立ったように腰から煙管を引き抜いてテツに差し出す。テツは触れることはせず、眼前に押し出された煙管を見つめた。

「……剣か何かとやりあったな」

 テツがため息を吐くとコアはニッと笑った。

「使い方次第では立派な武器だ」

「そんな使い方をするのはお前くらいだ」

 テツは呆れた顔をしながら煙管を受け取る。それで話は終わりのようでコアは手をヒラヒラと振って見せた。

「じゃ、なるべく早く頼むぜ」

 そう言うと、コアは仕上がりの予定も聞かずに歩き出した。リリィはテツに一礼してからコアの後を追う。錘となっていた物を外したため軽すぎて落ち着かないのか、コアはしきりに体を動かしながらリリィを振り返った。

「せっかくミラーに寄ったんだ、ちょっと買い物してくから付き合え」

「買い物?」

 平素より足取りが速いコアに並ぶためには小走りにならなければならず、リリィは少し息を切らせながら問う。元より歩調を緩める気のないコアはリリィの苦労など気にせずに答えた。

「この町はな、刻み葉の宝庫だ」

「葉って……いつも煙にして吸ってるやつ?」

「そうだ。あれな、色んな種類があるんだぜ」

「……へえ」

 興味薄な話題であり、どちらかと言えば煙が嫌いなリリィは気のない相槌を打つ。コアは意気揚々と先を急ぎ、辿り着いたのは酒場であった。酒場の看板を見上げた後、リリィはコアに声をかける。

「ここって酒場じゃないの?」

「ただの酒場じゃないぜ。愛煙家憩いの場だ」

 寒さ対策のためか頑丈な扉をコアが押し開ける。一歩を踏み入れた刹那、リリィは踵を返した。

「外で待ってる」

 あまりの煙さに堪えきれず、リリィは慌てて外側から扉を閉ざした。冷涼な外の空気を思い切り吸い込み、ため息とともに大きく吐き出す。煙なんかのどこがいいのかと胸中で毒づきながら、リリィは壁に背を預けて町並みを眺めた。

 ミラーの町に到着した時には陽が落ちていたため、通りを行き交う人の姿はない。外にいても寒いばかりなので当然かと、リリィは両手に息をかけて暖めた。だがふと、視界に人影が入り込んだのでリリィは顔を上げる。

 雪の降りそうな空の下、通りにはいつの間にか少女の姿があった。灯火に映し出された少女の姿は奇怪であり、リリィは眉根を寄せる。七、八歳と思われる少女は貴族の娘が着るような上質のワンピースを身にまとい、動物を模した縫い物を抱いていた。緩いウェーブのかかったブラウンの髪が寒風に揺れる姿はあまりにも頼りなく、リリィは傍へ寄って声をかける。

「一人でどうしたの?」

 声をかけられて初めて、少女はリリィに気がついた様子だった。向けられた新緑色の瞳は無垢な心を表すように澄んでいて、リリィは困惑しながら少女の全体像を捉える。少女は何故か裸足であった。

「靴、どうしたの?」

 出来るだけ優しく、リリィは尋ねてみた。少女は今にも泣き出しそうに目を伏せる。

「なくしちゃったの」

 静かな町中にあっても聞き取るのがやっとという小声で呟いたきり、少女は黙ってしまった。昼間だったらきっと、気付かなかっただろう。そう思うほどひっそりと周囲の風景に溶けこんでしまっている少女へ、リリィは柔らかな口調を意識しながら問いを重ねる。

「そっか。お父さんとお母さんは?」

「もういない」

 少女は小さく首を振りながらそう言った。リリィは不可解な思いを抱いたが深く追求することは憚られたので空を仰いで考える。

 迷子なのか、それとも孤児なのか。どちらにせよ面倒を看ることは出来ないが放っておくわけにもいかない。そう思ったリリィは孤独に縫い物を抱えている少女を一瞥してから背後の酒場を振り返った。しかしまだコアが出てくる気配はなく、リリィは再び少女を振り返る。

「ねえ、一緒に……」

 自然と、リリィの言葉は途切れた。話しかけたはずの相手はいつの間にか姿を消していてリリィ一人が寒空の下に佇んでいる。

 混乱に陥らないために一つ息をしてから、リリィは改めて周囲を見回した。しかし人の姿は見当たらず、町はひっそりと静まりかえっている。先程まで会話をしていた相手がいたことすら虚構のように思え、リリィは呆然と立ち尽くした。

「何やってんだ?」

 背後から声をかけられたのでリリィは我に返って振り返る。店から出てきたコアが紙袋を抱え、訝しそうに佇んでいた。

「今、女の子が……」

 言いかけ、しかしリリィは言葉を濁した。コアは周囲を見渡しているが他に誰の姿もないことはリリィも承知している。コアはリリィに視線を戻し、軽く眉根を寄せながら口を開いた。

「誰もいないぞ」

「……見間違い、だったのかな」

「強行軍だったからな、疲れてんだろ」

「でも……話したのに」

「……幻と会話するようじゃヤバイな。俺が許す、この町にいる間はゆっくり休め」

「うん……」

 コアに頷いて見せながらもリリィは釈然としなかった。しかしもう一度周囲を見回してみても人がいた気配さえない。

(本当に幻?)

 あまりに鮮明な少女の姿は目に焼きついていて腑に落ちなかったがリリィは追求を諦めて首を振った。

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