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第一章 旅立ちは性急に(4)

 礼拝堂を後にしてから丸二日かけて山を下り、さらに丸一日歩き詰めで人里へ辿り着いた。使い慣れていないベッドで寝るのは珍しいことではなかったが、リリィは眠れぬ夜を過ごしていた。

 体は疲れきっていたが頭は冴え、眠りに落ちる気配がない。仕方なく体を起こし、リリィは薄汚れた室内に差し込む月明かりに誘われて窓を開けた。

 コアとモルドから聞いた内容がぐるぐると、回っている。おそらく本当に理解出来るのはもう少し時間が経ってからだと、リリィは思った。

(……寝ないと)

 明朝、太陽が昇ったら出発だとコアが言っていた。夜明けまでさほど時間はなさそうだが少しでも休んでおかないと体が参ってしまう。

 また嫌味を言われないために、リリィは逸る気持ちを抑え寝床へ向かった。しかしふと、開け放したままにしてある窓を振り返る。視線を感じたような気が、した。







 薄い壁を通じて隣から響き渡った破壊音に、コアは舌打ちをしながら飛び起きた。

(ったく、こんな夜中に運動させる気かよ)

 胸中で悪態をつきながらコアは隣室の扉を蹴破る。同時に持参した湯飲みを投げ付けると、見事窓から出て行こうとしていた人影に命中した。

「おめーら何処の者だ? って、なんだお前か」

 月明かりに映し出された知った顔に、コアは拍子抜けした。

「……助けてやろうと思ったのに随分な挨拶だな」

 窓枠から足を下ろし、栗毛の青年は尻をさすりながらコアに向き直った。

 二十四歳とまだ若さを存分に残している青年の名は、マイル。麻の上衣・下衣という旅装の彼は様々な情報を売ることを生業にしており、コアとの付き合いは長い。

 月明かりの逆光にありながらマイルの青い瞳が恨めしげに見ているように思え、コアは苦笑を返した。

「仕方ないだろ、暗くてよく判んなかったんだから」

「まあ、いい。この痛みはそのうち償ってもらうことにする」

「厳しいお言葉ですこと。で、大事な預かり物をかっさらって行ったのは何処のどいつだ?」

 乱れたベッドに腰を下ろしながらコアは問う。マイルはさする位置を腰の辺りにまで移し、話しながらコアの傍へ寄った。

「おそらく白影の里の連中だ」

「ってことは赤月帝国か。奴らもしつこいね」

 うんざりしながらコアは空を仰いだ。

 赤月帝国とは大陸の東北に位置する大聖堂(ルシード)の属国であり、白影の里とは赤月帝国の軍隊を指す。赤月帝国が大聖堂の属国となった経緯には難があり、表面上は主従の関係であるが事実上は敵対していると言ってしまえるほど複雑な関係なのである。そうした厄介な事情から白影の里に狙われることは常であり、コアにとってこの奇襲は深刻なものではない。

 気が抜けたところでコアは煙管に火を入れる。月明かりが射すだけの暗い室内に漂う煙に顔をしかめながら、マイルは話を続けた。

「赤月帝国は内乱中だ。新しい国王は大聖堂派にまわった」

「へえ……政権交代っすか。大聖堂派にまわったってことは、白影と対立してんだろ?」

 頷いただけでマイルはその話題を終わらせた。

 内乱中にもかかわらず工作員を派遣するだけの余裕があるのだ、まだ事態は深刻ではないのだろう。そう受け止め、コアはマイルからの言葉を待った。

「手荒な真似はしないと思うが、助けに行った方がいいんじゃないか?」

 促すマイルにコアはゆったりと煙を吐いてから口を開いた。

「相手が白影なら問題ない。あの無知なお嬢さんに社会勉強でもしてもらおう」

「ところで、あの少女は何だ?」

 マイルの遅い問いかけにコアは短く答える。

「モルドのオッサンからの預かり物」

「あの人、そんな趣味があったのか」

「おい、わざとそういうこと言うなよ」

「わかってる。冗談だ」

 真顔のマイルにコアは白旗を上げた。マイルは眉一つ動かさずに話を元に戻す。

「俺の話からいいか?」

「どーぞ」

「まず、モルドは何て言ってたか聞かせてくれ」

「黙示録はキールが持ってるそうだ。引き続き探してくれってさ」

「箱艇の番人か……厄介だな」

「お手上げだよ。今回は期待してたんだけどな」

「他に成果はなかったのか?」

「キールじゃない奴の居場所を匂わせる記述があったが、俺らにゃ雲を掴むような話だ」

「誰だ?」

「新顔だな。名前はスズ。空間を彷徨ってるんだと」

「……他にも増して厄介だな。それで、居場所がはっきりしているキールを探すのか」

「奴が他の愚者の居場所を示す黙示録を持ってるなら、それしかないだろ。また目撃情報を頼りに漂う日々が始まるんだ」

 コアはため息混じりに煙をくゆらせる。マイルは懐から地図を取り出し、コアに差し出した。

「青の×が目撃場所だ。実際に不幸があった場所は赤で書いてある」

「ん? 奴が通った後には必ず不幸が起きるんじゃなかったのか?」

「そうとも限らないみたいだ。ただ単に見ただけという話もあった」

「新発見だな。で?」

「以上。こっちもお手上げだ」

「マジかよ」

 今度こそ、コアはがっくりうなだれた。破片(ピース)は幾つか手元にあっても繋がらなければ意味がない。

「そう悲観的になっても仕方ないだろ。根比べだ」

 慰められ、コアは意外を前面に押し出しながらマイルに目を向ける。

「お前、案外イイ奴だな」

「お人好しはモルドの特権じゃないんだ。それと粘り強さもな」

「カッコイイ言い回し。お前、歳くったらモルドのオッサンみたくなれるぜ」

「俺は好奇心だけは動かない。それに見合う報酬(もの)がないとな。好んで危険(リスク)を負うような真似も御免だ」

「はいはい。全ては金、金っすか」

「そうだ。あって困る物じゃない」

「現実主義だね。んじゃま、一杯やりに行きますか」

 煙管の葉も尽きてしまったところでコアは立ち上がった。マイルは壊れた窓に視線を転じてから真っ直ぐにコアを見る。

「あの娘は本当にいいのか?」

「攫ってったってことは向こうから接触してくるでしょ。そん時に迎えに行ってやればいい」

「……相変わらず厳しいな」

 リリィを不憫に思ってか、マイルは小さくため息をついた。コアは聞かなかったことにして歩き出したが壊れた扉の前で足を止める。

「その前に、この扉を修理しとかないとな」

「湯飲みと窓も、だろ」

 マイルの付け足しに改めて周囲を見回すと、月明かりが差し込む室内には壊れた物が散らかっていた。眉根を寄せながら、コアはマイルを顧みる。

「……白影の里の連中にしちゃ手荒いな」

「人質が暴れたんだろ」

 片付けを始めながらのマイルの科白に、コアはその光景を想像して苦笑した。







 気が付くと宿の風景はなく、闇の中だった。正確には林が広がっているのだと目が慣れてから知り、リリィは目だけ動かして状況を確認しようと試みる。だが縛られている訳でもないのに倒れたまま、体の自由は利かなかった。

「……追って来ないな」

「ああ。奴ならばすぐに追って来ると思っていたが」

 話し声とともにリリィの視界に人影が映った。影は二つ、闇の中で異様に目立つ白装束をまとっている。

「目が覚めたか」

 おそらくは自分に向けられた言葉に、リリィは眼前の人物を睨み付けた。暗いうえ相手は覆面をしているので顔立ちなどは不明であるが、その声音と体躯からリリィは若い男だと察した。

「安心しろ。奴が素直に従えば何もしない」

(信用ならないわね)

 リリィは声にしたつもりであったが唇は動いていなかった。仰向けに寝かされたまま顔を動かすことも出来ないリリィの傍に、白装束の人物が腰を下ろす。

「朝には体の痺れもとれるだろう。それまでは大人しくしていろ」

 投げかけられた言葉に、リリィは恐怖よりも悔しさが募った。だが指の一本すらも動かせず、リリィはやり場のない憤りに駆られながら堅く瞼を閉ざすことしか出来なかった。

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