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第一章 旅立ちは性急に(3)

 太陽が昇ってから、リリィはカレンと共にモルドの自室へ続く石畳を歩いていた。お互い言葉を発することなく、ただ黙々と歩を進めている。

 昨夜、疼く傷のせいでリリィは寝付けずにいた。そこへ浮かない表情で戻って来たカレンからモルドの呼び出しがあったことを告げられたのだった。

 少し先を行くカレンが扉の前で立ち止まった。手をかける前に確認するように振り返ったので、リリィは静かに頷いてみせる。同じ動作を返してから、カレンが扉を軽く叩いた。

「入りなさい」

 室内から聞こえてきたモルドの声に変化はない。それは内部へ足を踏み入れて顔色を窺っても同じことだった。

 モルドの傍に佇む人物にリリィは微かに嫌な顔をした。モルドは気にせず、話を始める。

「二人とも、これを見なさい」

 そう言ってモルドが示したのは机の上に広げられた一枚の紙片。かなり古い物のようで、ただでさえ読み取り辛い文字は現代の言葉ではないようであった。

「そこに書かれているのは遥か昔の言葉だ」

 そう説明した後でモルドが要約を語る。その内容に、リリィは目を見開いた。

「お前達の疑問に答えるには遥か昔、まだ神と呼ばれる者達が存在していた時代に遡らなければならない」

 椅子に深く腰掛けたままゆっくりと瞼を下ろし、モルドは回顧を始めた。

 遥か昔、神と称される超越された者達と人間は同じ世界で暮らしていた。それは全知全能の神が人間を支配することで成り立っていたがある時、神の支配は突然終わりを告げた。愚者と称される者達が唯一無二の神を殺したのである。そして神を失ったことにより安定を欠いた世界が終わる時、彼等はこう言ったとされている。


全知全能の神(ゼウス)により生み出されし無知なる者達よ、我等は愚者。この世の果てを垣間見た者。予言しよう、やがて世界は終焉を迎える。だが再び新たな生命を育むだろう。汝等が縛られし糸を断ち切りたいと望むのなら我等を求めよ。我等七人今一度集う時、人間(ひと)の歴史は次なる世界への標となるだろう』


 モルドが語った内容は突飛で、俄かには信じ難いものであった。すぐには呑みこめずリリィは困惑したが、モルドの話は続く。

「遺物の調査が行われているのは聞き及んでいると思う。調査を担当しているのが誰なのかは、以前話したな?」

 落ち着いた声で答えたのは、カレンだった。

「はい、大聖堂(ルシード)ですね」

「そうだ。信教を問わず聖職者達の頂点に立ち、まとめる役割を果たしている。わたしはその大聖堂の調査部隊の一つに所属している。お前達の村を訪れたのも布教のためではなく調査のためだ」

 やっぱり、という思いでリリィは興醒めした。

 山を下りてから、リリィは故郷の集落が地図にも記されていないことを知った。そのような辺鄙な場所に都合良く居合わせるなどおかしいと思ったからこそ、リリィは真実を求め続けてきたのだ。

 モルドに対して抱いていた不信は、明かされた真実により不動のものとなってしまった。だが救ってくれて世話を焼いてくれたのも間違いなく彼なのだと、整理のつかない頭でリリィは唇を噛みしめる。

 モルドは淡々と説明を続けた。

「先に発掘し解読された物からお前達の集落をつきとめた。だが、あの日訪れたのは偶然だ。何が起きたのかもわたし達は知らない」

「私達の故郷が壊滅したこととリリィが見たという艇は関係があるのですか?」

 カレンの言葉にモルドは首を振る。

「わたし達には、分からない。だがそこに記されている通り、艇が実在しているのは確かだ。リリィ、お前が見たのはその通りの光景だったのだろう?」

「……はい」

 頷き、リリィは古びた紙片に視線を転じる。そこに刻まれている文字は読めないが、先程モルドが聞かせてくれた言葉が蘇った。


『天空が紅に染まり血が流れた。大海を駆けるは箱艇、神をも超越した者を乗せ終わりなき時を彷徨い続ける』


 文章の内容は故郷を失った日の光景と酷似していた。艇を見た者は少ないが、空が突然色彩を変えたことはリリィ以外の者も見ている。

「リリィよ、お前が知りたがっている真実はわたしにも分からないのだよ。だが愚者ならば、その答えをくれるだろう」

 真顔から少し弱ったような表情になり、モルドが言う。ゆっくりと視線を移し、リリィは真っ直ぐにモルドを見据えた。

「その、愚者って人は何処にいるんですか?」

「残念ながらわたし達も彼等を探している」

「……そうですか」

「手掛かりは皆無に等しい。そして人生を賭したとしても、出遭えるかどうかは分からない。それでも、お前は行くのか?」

 モルドの問いは最終確認であり、リリィの答えも決まっていた。深く息を吸い、リリィは返事とともに吐き出す。

「はい」

 モルドの傍で置物のように黙していたコアが、そこで初めて口を開いた。

「オッサン、後のことは道ながら話すからいいぜ」

「そうか。では、頼んだぞ」

 二人のやりとりにリリィは昨夜コアから投げかけられた言葉の意味を理解した。コアとの話を終えモルドはカレンを振り返る。

「お前は、どうする?」

「私は、ここに残ります」

 カレンの返事もまた、迷いのないものであった。そして表情を動かすこともなく、モルドは受け入れる。

「そうか。好きにするがいい」

「はい」

 モルドに笑みを向けてから、カレンが振り向いた。やるせなく、リリィは優しい笑顔を見つめる。

「……カレン……」

「私には私の成すべきことがあるわ。リリィにもリリィのすべきことがあるようにね。私はここであなたの帰りを待ってる。無事に、戻って来てね」

 平素と何ら変わりないカレンの言葉にリリィは泣きそうになった。喉の奥が詰まったようで、リリィは俯きながら頷く。

「さて、じゃあ行くぜ。とっとと支度しろよ」

 無粋なコアの言葉で湿った空気を破られ、リリィはモルドを振り返る。

「ありがとうございました」

 深く頭を下げてから、リリィはさっさと出て行ったコアの後を追った。







 言葉少なに別れを告げ、リリィはコアと去って行った。途端に静寂が訪れ、室内は本来の姿を取り戻す。モルドが小さくため息をついたような気がして、カレンは静かに傍へ寄った。

「モルド様、お茶をお淹れいたしましょうか?」

「ああ、頼むよ」

 わずかに微笑んだモルドの顔は、急に老けて見えた。

 共に過ごした時間は短くても、彼はリリィのことを可愛がっていた。そのことを知っているのでカレンはお茶の準備をしながら口元だけで笑む。

「モルド様、お寂しいでしょう?」

「……少しな」

 正直な答えをカレンは嬉しく思った。茶器を手にして戻ると、モルドが目元を押さえて俯いていたので急いで傍へ寄る。

「大丈夫ですか、モルド様?」

「ああ……わたしも歳だな」

 手を離して顔を上げたモルドがわずかに苦笑いを滲ませる。顔色が悪いように思えて、カレンは横になるように勧めた。

「すまなかったな、長い間隠していて」

 瞼を下ろしながら気弱な言葉を零すモルドに、カレンは濡らした布を差し出しながら小さく首を振った。







『手荷物は最低限の物にしろよ』

 とのコアの言葉に従い、リリィはあまり荷物を持たずに礼拝堂を出た。挨拶もそこそこの慌しい別れであったが、もともと数ヶ月しか暮らしていない場所なのでリリィは未練を感じなかった。

 リリィは礼拝堂で働く女性が身につけるローブから着替え、膝上まである麻の上衣と下衣、底が平坦な靴という旅装で旅立った。腰には武器を差すことが出来るようベルトをつけ、護身用の短刀を一本だけ差している。こうなることが分かっていたのか、旅装一式はすでにモルドが用意してくれていたものだった。

「旅は初めてか?」

 先を行くコアが振り返りもせずに問う。歩調を合わせてくれる気はないようで、その足取りは速い。

 小走りになりながらリリィは頷く。息が切れてきて話すのは少し辛かった。

「俺の旅は基本的に徒歩だ。体力つけとけよ」

「馬とか使わないの?」

「不測の事態の度に買い換えるようじゃ話にならないだろ?」

「……そうね」

 だから荷物は少ない方がいいのかと、リリィは納得した。しかし態度が気に入らなかったのか、コアが不満顔で振り返る。

「お前、俺が言った意味ちゃんと解ってるか?」

「解ってるわよ。危ない旅だってことでしょ?」

 ムッとしながら答えるリリィに、コアは意外だとでも言うように大袈裟に驚いて見せた。

「へえ。俺が言ったことちゃんと覚えてたんだな」

「あんな癪に障る言い方されたら忘れないわよ」

「感心感心。道ながら知らないことは覚えてくれよ」

 いちいち神経を逆撫でする口調にリリィは疼き出した左手の傷を押さえながら必死に怒りを押し込めた。深く息を吐いて心を鎮めてから、リリィは話題を転じる。

「ねえ、聞きたいことがあるんだけど」

「あん?」

「危険だって言うけど、その理由は?」

「聞きたいなら隣に並べ。んでもって、声を落とせ」

 コアの口調が急に鋭くなり、リリィは顔を強張らせながら傍へ寄った。

「まずは世界情勢を簡単に説明するぞ。西の大国はフリングス、東の大国は大聖堂(ルシード)、南は弱小国が寄り集まってできた南方諸国連合。昔は色んな国があったらしいが、今争いの中心になってるのはこの三国だ。北にはどこの勢力にも関わり合いになりたがらない独立国が幾つかあるが、今は置いておく」

 リリィにとってコアが語った情報は知らないことだらけであった。質問したいことは次から次へ沸いてきたが話の腰を折らないためにリリィは先を促す。

 現在下っている山もモルドがいる礼拝堂も大聖堂領であることを説明してからコアは先を続けた。

「大聖堂ってのはちょっと特殊な国でな。今よりもっと色んな国があった時代に宗教を利用してでかくなった」

 まだ世界に大小数多の国が存在していた戦国時代、人々はあらゆる場所で戦をくり返していた。その結果、救いを求める民が次々と新しい宗教を生み出した。それらは過酷な環境で生き残るために過激なものが多かったのだと、コアは言った。

「大聖堂自体は天乃王(てんだいおう)っつーカミサマを打ち出してたんだが、そいつを押し付けることはしなかった。逆にどんなカミサマも認めてやるぜ、だから今は一致団結しろって呼びかけたんだ。んで、どんどん人間が集まってきて一大勢力になったって訳だ」

 そして大聖堂は大陸の東を支配下に収めた現在でも、宗教の自由を保障している。そう告げたコアの口元が皮肉に歪んだことを不思議に思ったが、リリィは先を促した。

「要するに、宗教ってもんはカミサマってやつを信じてるからこそ力を持つ。目に見えないものってのは都合がいいだろ?」

 実在しないものであるからこそ、宗教には利用価値があった。そこへ降って湧いたのが愚者という存在なのだと、コアは鼻で嗤いながら語る。

 人間には成し得ないことをやってのける愚者は大聖堂を震撼させた。大聖堂がやってきたことは冒涜以外の何物でもなく、もし彼らが神であるならば己を冒涜した者を許しはしないだろう。

「愚者の存在を決定的にしたのが、お前が見た空飛ぶ艇だ」

 そこまで言われれば後はリリィでも察しがついた。大聖堂は愚者という存在を隠さなければならないのだ。

「俺やオッサンがあんたに話したことは極秘事項ってことになってる。いくら被害者とはいえあんたのような一般人に教えちまったことが大聖堂にバレれば、文字通り首が飛ぶ」

 少し表情を和らげて首切りの真似をするコアに、リリィは引きつった笑いを返した。モルドが堅く口を閉ざしコアが執拗なまでに高圧的な態度をとったのも、こうなってくると頷かずにはいられない。

 東の大国を敵に回した、その事実はリリィの胸に重く沈んだ。しかし気に病んでいても始まらないので顔を上げ、コアを見る。

「コアも大聖堂の人間なの?」

「一応そういうことになってる」

「……その一応っていうのは何?」

「色々あんだよ。面倒くせーから説明はなし」

 煮え切らない返答に不満が残ったが、リリィは問い質すことを諦めた。

「他に聞きたいことはあるか?」

 なければこの話は終わりだという雰囲気に、リリィは迷った末にモルドのことを尋ねた。

「オッサン?」

「うん……どうしてモルド様はそんな危ないことしてまで私達に教えてくれたんだろう」

 モルドは今をときめく権力、大聖堂に従属している。極秘な任務を与えられるなど権力の中枢に位置しているのに、たかが山で拾った孤児に命を賭けて親切にしてくれた。

 掴み所のない、不思議な人。初めて会った時から、リリィはそういう印象を抱いていた。

「あのオッサンはあんたと同じで、ただ知りたいだけなんだ。権力とか命とか、そんなもんは関係ない。愚者と話がしたいとか言ってたな」

「話?」

「オッサンにはどうこうしようって気はないんだよ、多分な。あるのは純粋な好奇心。そこがアイツのカッコイイところだ」

 まるで自分事のように胸を張るコアをリリィは不思議な気持ちで見つめた。

「ずいぶん、モルド様のこと好いてるのね」

「あんな愉快なオッサン他にはいないぜ」

 けらけらと笑った後、コアは急に真顔に戻った。その視線は何処か遠くを見ている。

「それに、あんなお人好しな奴もな」

 コアの表情は敬意や親愛を含んでいて、さらに哀しみを含んでいた。事の重大さを改めて認識させられ、リリィは体に力を入れなおす。

(覚悟は、できているわ)

 己に言い聞かせるために呟き、リリィは左手に巻かれた真新しい布を見つめた。

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