第二章 六白の聖女(8)
遺跡の町ルーデルに滞在して三日目の朝、喉を潤そうと向かった食堂に先客の姿を見つけたコアは口元を引きつらせた。カナリア色のショートボブはあまり顔を合わせたくない女の特徴であり、コアは急いで身を翻す。
「あら、コアじゃない。おはよう」
「お、おう」
先手を取られたコアが仕方なく振り返ると、ラーミラに甘えるような様子はなかった。年季の入った小汚い机には本や紙の束が広げられており、一瞥したのちコアはラーミラへ視線を転じる。
「こんな朝っぱらから勉強か? 熱心だな」
「まだまだ解読出来ない文字も多いから」
「それでも、お前さんくらいの学者はそうそういないぜ?」
「先人達が後世まで残そうとした内容が知りたいのよ、早くね。解らないとイライラしちゃうわ」
「その調子で頼むぜ。あんた以外はアテにならないもんでな」
「嬉しいこと言ってくれるわね」
笑って、ラーミラは机の上を片付け始めた。コアは本来の目的を果たしてから空席に腰を下ろす。
「マイルは? 行ったの?」
ラーミラの言葉は確信的であり、コアは無言で頷いた。ラーミラは口元に柔らかい笑みを浮かべ、まとめた本などを机の隅に退けてから頬杖をつく。
「リリィちゃんの熱いお説教が効いたみたいね」
上階の客室へ視線を傾けながらラーミラが言うのでコアは苦笑した。
「あいつには困ったもんだぜ」
「あら、いいじゃない。思いを率直な言葉に出来る子って好きだわ」
「子供だから出来る芸当だぜ」
「自分に正直でいいじゃない。子供は時に大人に出来ないことをしてくれるわ」
「ま、一理あるな」
ラーミラに頷き返しながらコアは空を仰いだ。大人は体面を気にしなければならないので必ずしも思いを素直に伝えることは出来ないのである。
「あの子、あのこと知らないんでしょう?」
ラーミラが話題を変えたのでコアは表情を改めて視線を戻した。
「ああ、知らないだろうな」
「モルド様はどうするつもりだったのかしら」
「さあな。俺はただ、身の安全を託されただけだ」
「でも、この先ずっと愚者を追い求めて行くのならいつか分ってしまうんじゃない?」
ラーミラの言うことをもっともだと感じたコアはしばし考えを巡らせた。腕を組み、コアは泳がせていた視線をラーミラに固定する。
「オキシドル遺跡の調査はどうなってる?」
「あそこは終了しているわ。でも、私は甘いと思う」
「やっぱ自分で確かめに行かないとダメか」
「連れて行くの?」
「いつかはな」
誰かが階段を下りてくる気配を察し、コアは話を打ち切った。
「おはようございます」
姿を現したのはラーミラの助手であるクロムであった。律儀なあいさつをしてからクロムが席に着く頃にはリリィも姿を見せた。
「おはよう、リリィちゃん」
ラーミラが声をかけるとリリィは煩わしそうにあいさつを返す。寝起きの不機嫌さも手伝っているのであろうが、コアは密かに苦笑した。
リリィはすぐにマイルの姿がないことに気が付いたようであったが何も言わなかった。コアもその話題には触れず、早めの朝食を済ませるべく席を立った。
太陽が昇りきる前に食事を済ませ、一行は改めて遺跡へと向かった。太古の神殿跡と思しき遺跡は崖を背に存在しており、風雨に晒されている建物を抜けるとその奥は崖の内部へと続いている。昨日は崖の内部へ行く手前、神殿の部分で調査を諦め引き返したのであった。
神殿の部分はあちこちが崩れ光が射していたが、洞窟の部分へ侵入してしまえば松明の明りなしには進めない状況であった。時間の経過を知ることも出来ないままひたすら悪路を進み続け、リリィは棒のような足を引きずりながら歩いていた。
鈍った足はもつれ、リリィは倒れかかったところをクロムに助けられた。
「大丈夫ですか?」
支えてくれたクロムに礼を言い、リリィは体勢を立て直す。前方で立ち止まっていたコアがリリィに声をかけてきた。
「おいおい、大丈夫かよ」
口先だけで気遣うような素振りを見せるコアの軽薄さに腹が立ち、リリィは目を吊り上げた。
「平気よ!」
「ならいいが。もうちょっと体力つけとけよ」
コアの言葉をリリィは嫌味と受け取った。だが再び憤慨する気力もなく、リリィは歩き出したコアの背を追う。
「遺跡を歩くのは初めてですか?」
クロムが話しかけてきたのでリリィは無言で頷く。しかし話をしていれば少しは気が紛れるかと思い直し、リリィは自分から話を振った。
「これって、遺跡の中では大きい方なの?」
「小さい方だと思いますよ。街一つが遺跡として残っている場合もあると聞きますから。でも、街の方が歩き易いですけどね」
「……そう」
「そのうち慣れますよ。僕も初めは転んでばかりでした」
クロムの言葉は慰めのようであり、リリィは曖昧な笑みを浮かべて返事とした。
「ここ、これよ」
会話が途切れてさらに時間が経過した頃、松明を片手に先頭を歩いていたラーミラが喜色を含んだ声を発した。リリィは気力だけで顔を上げ、疲労の欠片も見えないラーミラを見やる。
「何て書いてある?」
「えっと……ちょっと待ってね」
コアとラーミラが話を始めたのでリリィは腰を下ろそうとした。だが得体の知れない悪寒を感じ、リリィは反射的に身を引く。後退した先でリリィが見たものは五、六人の男と捕まっているクロムの姿であった。
「俺たちのねぐらに何か用か?」
松明に照らされた男の顔に卑しい笑みが浮かぶ。リリィは背後にいるはずのコアを振り返ろうとしたが動作の前に肩に手を置かれ、身が竦む恐怖を味わった。
「上出来だ。なかなか勘がいいじゃねーか」
振り返って見たコアの顔には緊迫感のない笑みが浮かんでおり、リリィは肩の力を抜いた。松明を男たちに向けたラーミラが不遜に言い放つ。
「ここは大聖堂の所有する土地よ。侵入罪は百叩き、侵害は懲役ね」
「こういう輩は叩きのめしてやればいい。動くなよ!」
真面目なのかふざけているのか分らないラーミラの言葉を流し、突然コアが跳んだ。リリィが目を見張る間にクロムを捕まえていた男がコアに殴り飛ばされ、吹き飛んで行く。
「やろう!!」
逆上した賊の攻撃を躱し、コアはクロムを後方へ放った。目の前で倒れられたのでリリィは思わず駆け寄る。
「だ、大丈夫?」
「……平気です」
暗いので傷の程度は分らなかったがクロムの声はしっかりしている。安堵したリリィが再び顔を上げた時には、立っていたのはコア一人だけであった。
「ちっ。大したことねぇ奴がでかい口叩きやがって」
「コアったらカッコイイ!」
「どさくさに紛れて抱きつくな!! ってか、火!! 危ねえだろ!」
呆気にとられていたリリィは何事もなかったかのようにじゃれ合うコアとラーミラの姿を見て冷静さを取り戻した。リリィが白い目で見ていると、やがてコアがラーミラを振り払った。
「さっさと解読しろ!」
「あんもう、つれないんだから」
不服そうに唇を尖らせながらもラーミラは文字が刻まれているという壁に向かった。
「クロム」
「あ、はい」
ラーミラに呼ばれたクロムが壁を前にしゃがみこみ、二人は調査に没頭した。時間がかかりそうだったのでリリィは倒れている男たちに目をやる。それから改めて、リリィはコアを見た。
(……こいつ、やっぱり強い)
ここまでとは言わないがせめて自分の身は守れるようにならなければと、リリィは心に刻んだ。
「よし、だいぶ勉強したわね。偉い偉い」
ラーミラの声に反応し、リリィは振り返った。頭を撫で回されたクロムは複雑な表情をしており、笑みを収めたラーミラは小さく首を振る。
「ダメね。ろくなこと書いてない」
壁を一瞥してからラーミラに視線を転じたコアが口を開いた。
「どんな内容なんだ?」
「キールのことよ。目撃談はだんとつね」
「そうか。なら、帰るか」
「先に戻ってていいわよ。私達はもう少し調べて行くから」
「おう。何かわかったら教えてくれ」
ラーミラに別れを告げ、コアは松明の火を分けてもらってから歩き出す。リリィは慌ててコアの後を追った。
「……いいの?」
「何がだ?」
「またさっきみたいなのが出るかもしれないじゃない。それに、あいつらも放りっぱなしだし……」
先程コアが倒した連中はそのまま地に転がっている。あの連中が意識を取り戻せば再びラーミラたちを襲うであろう。そうリリィは危惧したのだがコアはあっけらかんと答えた。
「問題ない。あいつは強いぞ」
「……えっ?」
あいつという言葉が誰を指すのか、リリィは瞬時に判断した。おそらくラーミラのことを言っているのだと半ば確信しながらも、リリィは疑いの目を向ける。
「人を見た目で判断すると痛い目みるぞ」
コアの口調は実際に痛い目に遭ったと言わんばかりであり、リリィは無言で顔を引きつらせた。
ラーミラとクロムが宿へと戻って来たのは、ルーデルの町五日目の夜になってからであった。何も収穫はなかったらしく、ラーミラはコアと顔を合わせるなり肩を竦めてみせる。
「ダメね。ちらほらと走り書きみたいな記述も見つけたんだけど、全部キールのことだったわ」
成果が得られないことには慣れているらしく、コアは気落ちした様子もなく問いを口にした。
「やっぱ容姿とかは全然か?」
「本人を見た人はいないみたいね。血が流れたような紅い空と箱艇のことしか書いてなかったわ」
「ここもダメか。次は何処へ行くんだ?」
「テラに行こうと思ってるけど、なんだったら一緒に行く? 私としてはその方が嬉しいけど」
ラーミラの申し出は存分に艶を含んでおり、コアは顔をひきつらせた。
「いや、別行動の方が効率がいいだろ。今のところ功績を上げてるのは俺とお前だけだしな」
「そうねぇ。じゃあ、またお別れなのね」
名残惜しそうにコアを見つめるラーミラのまなざしは熱を帯びている。耐えきれなくなったのかコアが視線を逸らし、目を向けられたリリィは苦笑した。
「マイルがいなきゃ解読出来る奴がいないからな。俺達は目撃情報巡りをするぞ」
コアの言葉にリリィが頷くとラーミラが口を挟んだ。
「そういえば、コアは解読の方は全然だったわね。出来ると便利よぉ」
「そうだな。確かに不便ではある」
「あ、じゃあ、うちの助手連れてく? 私の代わりだと思って」
突然勝手なことを言われたクロムが驚いたようにラーミラを振り返る。ラーミラはクロムの顔を見もせず、話を続けた。
「この子、優秀よ。でもなよなよしてるから少し鍛えてやって」
「そうだな……」
思案顔をしたコアはクロムを凝視した。しかしすぐ結論は出たらしく、コアはあっさりと頷く。
「よし。こいつは貰って行くぞ」
困惑顔のクロムには意思の確認すら行われず、まるで物のような扱いである。ラーミラも嬉しそうに笑っただけでフォローはなかった。
「……あなたも大変ね」
同情せずにはいられず、リリィは小声でクロムを慰めた。
 




